|
時間がまるで飛んでいくように進んでいるような奇妙な感覚にとらわれている。フジ・ロックが終わって... というか、その前後から更新が進んでいないことも絡んでいるし、なんとかしなければいけないという焦りもそこに拍車をかけている。加えて、周辺で起きていることがその原因かもしれない。 北朝鮮の問題やアメリカのイラクへの姿勢、新たな戦争への危機感と、それに対して何もできないというもどかしさと... どうあがいていっても、世の中がいっこうに良くなっていない現実に対するいらだちや、自分自身がそのなかでどういう位置にいるんだろうという疑問... その前に毎日の生活を生きていくことで精一杯で、仕事もなんとかしなければいけないと焦ってみたり... ま、世の中、嫌なことが多すぎる。あ〜、おもろない。
結論を言えば、例年通り。ほとんど何も見てはいない。自分自身が絡んだミュージシャンのライヴは見るようにしていたけど、それ以外に関しては「見る」あるいは、「チェックする」という余裕のある立場にはおかれていないので、ハッキリ言って、全然わからない。風の噂で「パティ・スミスのアヴァロンでの詩の朗読がすごかった」とか、「渋さがアヴァロンで演奏した...」とか... 耳にしたぐらいで、そのすべてがまるで自分とは全く違うところで展開していたような感覚でいる。
フロント・ラインにいるのはリコを筆頭に、タンタン、バミー、グロウコといったおなじみのメンツ。基本的にジャズ・ジャマイカと同じじゃないかと思う人がいるかもしれないが、実をいえば、それは逆でリコのバンドそのものがジャズ・ジャマイカの母胎になっているのだ。 演奏された曲は、けっこうおなじみのものが多かったんだけど、フォト・ピットで写真の撮影をしていて、思わず息をのんだのが... というか、あまりのソロにシャッターを押せなくなったのが『テイク5』の時かな。時にこういうときがあるんだけど、写真を撮るどころか音に吸い込まれてしまいそうになったというのが正しい。 それに、リコが、まるでアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのアートのような感じだったのが面白かったな。下手なソロを取ると、途中でも演奏をやめさせて、不要なところでコーラスなんぞを入れるとにらみを利かせる... さすがにリーダーというか、リコ自身がいい演奏をしたがっていたのがよくわかる。
でも、リコは、到着するとトロンボーンを片手にすたこらさっさと、休憩することもなくそのままステージへ。さらに、パーカッションのグロウコが一緒に上がってしまったのには、メンバーも驚いていたようだ。おそらく、予定というか、計画ではリコのみの登場だったはずで... といっても、スカ・フレイムスの連中も心得たもので、「今日、もう演奏しちゃったんだけど、もう一回やります」って6曲目を委細演奏。こうゆうの、全然許されるし、なんか、いいよなぁ... って感じがしましたな。リコとは、みんな、しばらく会っていないと思うんだけど、そういったギャップが全然ないんですよ。
|
![]() そんな雰囲気に包まれていたのがステージ裏。なにせ、この日の一番目が大阪のデタミネーションズで、続いたのがスカ・フレイムス、で、リコのバンドがあって、その後がスキャタライツ... ってなことで、スカ・ファンにはたまらないラインナップなわけですよ。そんなメンツが一堂に会するなんて、おそらく数年前までスマッシュがやっていたスカ・エクスプロージョンズ以来だというので、全員揃って(いないかもしれないけど)記念撮影。誰が誰か、よく見てくれれば、けっこうみんないると思いますよ。
と、こんな可能的なシーンが連続し、スキャタライツがステージに上ったときにはずっとリコが演奏していたんだと。でも、僕は見てはいない。リコの演奏が終わった時点で、レッド・マーキーでは、昔からの友人、ビリー・ブラッグが久々の来日をはたして演奏していた。そっちに行かなければ... なにせ、彼は84年ぐらいからのつきあい。あの頃、ジャーナリストとしてほとんど活動歴のなかった自分の取材要請に快く応えてくれたのがビリーだ。その後もアトミック・カフェに参加してくれたり、一緒に広島に行ったこともある。ビリー・ブラッグは自分にとって最も重要なミュージシャンの一人でもある。
|
おそらく、単独だったら、来日できなかっただろう。というか、そうなったところで誰も利益を得ることもできなかっただろうし、金銭的な負担にみんなが苦しい思いをせざるを得なかっただろう。が、フジ・ロックという大きなフェスティヴァルだからこそ、地味ながらも確実な支持を得ているミュージシャンたちが演奏する場を与えられ、同時に、「ライヴ」という、なかなかごまかしの利かない場でその魅力を発揮することができる。加えて、普通だったら接することのなかったオーディエンスに触れることもできる。思うに、フジ・ロックはすでに「音楽コンサートの集合体を遙かに越えて」メディアなんだと思うし、目指している先にはそんなものもあると言ってもいいんじゃないかなぁ。
ビリーは、そういったことをとりわけどう考えている様子もなく、楽しくライヴを進めていく。デビューした頃は、やっぱ、どこかで肩に力が入っているようなところがあったけど、それももう18年も前のこと。(笑)大人になった反骨中年は、なにもかもを自然体でやっているという感じかね。時にはコメディアンのように感じたこともあるが、リラックスしたビリーと彼のバンドの演奏にも驚かされた。
以前も思っていたことだけど、ビリー・ブラッグにはエルヴィス・コステロに通じるものがあって、この日のライヴはそれを再確認させられたという感じかね。歌心があって、聞く者をほろりとさせ、ニヤリともさせる。いやぁ、いいミュージシャンで、いいエンターテイナーだと思う。 ちなみに、彼のバンドでキーボードを演奏しているのはスモール・フェイセズのメンバーだった人だとかいっていたけど... そうかぁ...(笑)
|
話が前後してしまったけど、今回のフジ・ロックで、初っぱなに見逃したのがマヌ・チャオ。だってさぁ、マヌはいいんだよ。日本でマノ・ネグラに対する評価がどれほどのものかは知らないけど、実は、マノ・ネグラってイギリスのセックス・ピストルズが世界に与えたのと同じような衝撃を非英語圏の音楽シーンに与えているというのが本当のところ。そんな意味で言えば、彼はジョン・ライドンと同じような意味をも多ミュージシャン。この日も良かったらしい。そして、その後、モンパチとかが演奏して... そういえば、完全なシークレットで登場したのがこのバンドなんだけど、彼らも見逃していているし、どんな音楽を演奏するバンドかも知らないってのがちょいと悲しいな。それはさておき、長年の友人で、仲間のKEMURIがその後ぐらいだっけ? いつもながら、彼らも良かったなぁ。
決して多くは語らない人なんだけど、言葉にするまでもなく、彼には伝わるものがある。ストーンズでミック・ジャガーよりも、実は、キース・リチャーズが重要な最も存在だったように、KEMURIの中でのツダ君は周辺が想像している以上に重要な存在だと思う。 といっても、97年のデビューから5年が過ぎて、KEMURIがいよいよバンドとして独り立ちしたと思うな。比較的新しいメンバーとなる南、コバケン、リョウスケにしろ、彼らの誰一人を欠いてもKEMURIはKEMURIではないというのがわかる。前年ながら、トロンボーンの増井君が抜けて、それがよりクリアになったような... そんな意味で、おそらく、増井君の果たした意味はめちゃくちゃ大きいんだろうけど。
もうひとつは、僕の写真が入っているから。(笑)これまでにデジタル・カメラで撮影したKEMURIのライヴを中心に構成したもので、BGMを聞きながら見ることができるもの。これ、けっこういいですよ。それを見るだけで楽しくなるし、ファンもたくさん映っているし... ひょっとして自分が映っているかもしれない... というので、買ってみるのは悪くないと思うんだけど。 一方で、ちょっと不満もあるなぁ。これまで2枚目以降、ずっとライナーを書いてきたんだけど、今回はなし。なんでだろうね。(笑)依頼がなかったから、当然かけないわけで... でも、本当は、一区切りした節目にこれまでのKEMURIを振り返るって作業は重要だと思うし、そんな作業はしたかったなぁと思う。ライナーを依頼したら、原稿料が必要となるから、それをケチったのか、それともはなっからそんなことも考えなかったのか... ともかく、そんな作業に加われなかったのが残念。
|
さて、話を元に戻して、今年のFRFで、もうひとつ、絶対に見逃せなかったのがBanda Bassotti。このページをチェックしていればわかると思うけど、昨年から惚れ込んでいるのがこのバンドで、自分自身が出会うべくしてであった人たち。なんとか多くの人たちにこのバンドを体験して欲しいとずっと考えていて、彼らにとって理想的な場所としてフジ・ロックに登場させることができたって感じかな。おそらく、苗場に移動してからのフジ・ロックを経験している人たちだったらわかると思うけど、どこかで一番重要な意味を持っているのが... というか、そうなってしまったのが、グリーン・ステージの最終日の最終バンド。いわゆるヘッドライナーが登場したあとに、フェスティヴァルの幕を閉じる役割を持っているのがそうしたバンドで、99年はトドス・トゥス・ムエルトス、00年はソウル・フラワー・ユニオン、昨年はフェルミン・ムグルサと、素晴らしいバンドが顔を並べている。 「お客さんを追い出すためのバンド」なんて馬鹿なことをいう人間がスタッフにいるというのが悲しいが、(冗談じゃなくて、いるんだが、これが)逆に今年は最後の最後のバンドを見るために残った人がめちゃくちゃ多かった。(笑)ざまぁ見ろ!って感じで、お客さんもそのあたりをわかっているんだというのが実感できた。 |
バンドの方も、それが嬉しかったんだろう。めちゃくちゃタイトで、いい演奏をしてくれたと思う。といっても、バンダ・バソッティのライヴはいつもいい。どんなに客が少なくても、どんなに客が多くても、演奏はいい。要するに。モティヴェイションが違うんじゃないのかなぁ。客を楽しませることだとか、レコードの宣伝をするとか、そんなのじゃなくて、仕事をこなすのでもなくて、「いい仕事をする」のでもない。音楽なんて遙かに通り越して、彼らのと音楽と生きることが直結しているように思えるのさ。そんなバンダ・バソッティの支持者として、多くのオーディエンスが残ってくれたのは嬉しかったんだけど、はたして彼らの声がどれほど伝わったのか... それに関しては、若干の疑問が残らないといえば嘘になるけどね。というのも、フジ・ロックの最後は大騒ぎをして踊りまくって幸せに幕を閉じる...って、そんな雰囲気があって、ただのハッピー・ミュージックだと思われたら心外だからね。イタリア語だし、言葉の意味もわからないだろうから... |
一方で、これまでの流れから、彼らがただのハッピー・バンドじゃないことを感じている人もたくさんいるような気もする。あれのあとfujirockers.orgのBBSの書き込みを見ていると、そんなことを暗示させるようなものもあったし... いずれにせよ、それこそが、バンドとオーディエンスに依存しているわけで、ジャーナリストとしてできることは、メディアを通じて「書くべきことを」書くこと。それ以外にはないだろうな。その他に見たバンドといえば、イタリアで一緒にツアーをしたブラフマン、ホワイトでのスキャタライツ、グラストンバリーでお手伝いをした渋さ知らズ... と結局は、これまでの仕事の流れで関係のある人たちばかりだった。 |
あとは、会場の雰囲気を撮影する必要があって、ヘヴンの夜を撮影しているときに目に入ったパティ・スミス。すごく良かったんだけど、聞き入るほどの時間もなくて、残念だった。ただ、そのわずかな時間でも圧倒的な存在感を見せつけたのがこの時のパフォーマンスで、彼女のアルバムをじっくりと聴いてみようと思った。なぜか、それほど彼女のアルバムって聞いたことがないんですよ。あとは、元ちとせかな。これには裏があって、今年、両親に弟の家族がみんなやってきて、70歳を越えた両親にゆっくり見せられたのが彼女ぐらいだったから。というので、彼らにつきあって、元ちとせの演奏をずっと見ていたわけだ。これまでフジ・ロックでこんなことはなかったし、嬉しかったということもあるんだけど、この時の初っぱなのアカペラによる彼女の歌声は響いたなぁ。いやぁ、素晴らしい演奏だと思った。 ところが、それからしばらくの後にアルバムを聴くことになるんだけど、あれほど素晴らしい才能が全く形になっていないというか、プロデュースのひどさに愕然とすることになる。彼女の声がなぜあれほどまでに素晴らしいのか、それを全く理解していないようで、納得できたのは数曲のみ。かわいそうだなぁと思う。 |
同時に、ライヴって、重要だなぁというのがよくわかる。家の中でちんまりとレコードなりを聞くのも、音楽なんだろうけど、聞いたそばから消えていく生の音楽の魅力は、何にも比較することができないほど重要なものを抱えているように思える。思うに、その感動を呼び起こす手段や素材がアルバムであって、ライヴこそが第一義的なものじゃないだろうか。もちろん、作品としてのアルバムを認めないわけじゃないし、その必然性もあるけど、自分にとって、やはり生の音楽(だけじゃなくて、それを包み込むすべてなんだ)が最も大切だ。今年のフジ・ロックで、おそらく、いろいろな人たちがいろいろな感動をいろいろな場で感じたんだろうと思う。人によって言うことも違うし、感動の対象も違う。なによりも面白いのは、そんな感動を聞くとき、それぞれの人たちが輝いて見えること。フジ・ロックに絡んでいて良かったと思うのは、こんな時だ。
written in Tokyo on the 20th Oct, 2002. |