Ozomatli、Eddi Reader、バンダ・バソッティ、小林旭...

Ozomatli

 OZOがやってきた。彼らと会うのは去年の朝霧以来。初めて彼らを取材したのが98年だから、すでに4年のつきあいになる。というので、もちろん、初日からライヴに出かけていったのはいうまでもない。

 会場のリキッドに着いたのは開場間近の時間。でも、入り口付近には人っ子ひとりいなくて、チケット・セールスが良くないのが想像できる。実際、フジ・ロックであれほど騒がれ、好評を博したというのに悲しいぐらいのチケット・セールスだったという話はスタッフから耳にしていた。どこかでそれは想像していたけど、やっぱ悲しい。来日のタイミングもあるだろうし、初めての来日時には、彼らのレコード会社との関係の問題で、国内盤も輸入盤もなかったという不運がたたっているのかもしれない。

Ozomatli  ちなみに、これが彼らのデビュー・アルバムで、僕がライナーを書いている。残念ながら、このアルバムをこのところ店で見たことがないので、もし、ライナーをチェックしたければ、このページのLINERNOTESで読むことができる。時間があったら読んでください。

 そのほか、98年に取材した内容はARTICLESの長編傑作集に加えています。この当時は、DJのカット・ケミストとラッパー、チャーリー2naが一緒に活動していて、(当然、ジュラシック5も同時に存在していたんだが)どうやらOZOMATLIがメインだったんじゃないかと思う。今は、一緒に動いていないようだけど。

 さて、この会場に着いて彼らを捜したんだが、なんでも渋谷のシスコにプロモーションに出かけていたらしく、大変な騒ぎを巻き起こしていたんだそうな。当初は、プロモーションだから、4人もいれば大丈夫だというスタッフに「OZOは全員揃っていなかったらOZOじゃない」と全員があの小さなレコード店に押し掛け、しかも、ギターやアンプなんかももって出かけたんだそうな。なんて連中だ! でも、これが連中の大好きなところでもある。しかも、このお店からお客さんを連れてきたとかなんとか... たいしたもんだ。

Ozomatli  会場に戻ってきた彼らとまずは挨拶をして... いろんな話をしたんだけど、彼らにとって大きな話題は、なんとOZOがグラミー賞を取ったという珍事。ベースでリーダーのウイル・ドッグによると「だって、ノミネートされたなかでアメリカ人が俺たちだけだったからじゃないの?」というさめたレスが帰ってきて、なるほどと納得。

 それでも嬉しかったことには違いないとは思う。ロビーでタブラとパーカッションのジローさんと話しているとき、彼の親戚が会場にやってきていて、彼らが持っていたのがジローさんの写真が大写しになった地元の新聞。なんでも地元からグラミー賞の受賞者がでたというので、1面に彼の写真が載ったんだそうだけど、こりゃ嬉しいだろうな。

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written in Tokyo on the 27th March, 2002.

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