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1年の始めと言えば、いつもこうなんだけど、なにかといろいろ考えてしまう。実家に帰ったり、年賀状を書いたり... そうしているうちに、昔の仲間のことを思い出したり、時間があるものだから、あ〜でもない、こ〜でもないと、これまでのことやこれからのことも考えてみたりもするのだ。それに、自分とは全く違った業界で仕事をしている友人たちとの会話も楽しい。普通とは違った角度からの情報を得たり、生き方を学んだり... とのもかくにも、年の始めはなにかと感慨深い時期だ。
で、今回も例のごとく、いつものパターンで、実家の米子から学生時代を過ごした、そして、生まれ故郷でもある岡山県に向かい、倉敷の友人宅で一泊。本当は、大学時代の友人に会いたかったんだが、今回は時間の都合が合わなくて、ほとんど誰にもあってはいない。でも、倉敷の友人とちょっと話したときに話題になったのが地域通過というヤツ。これ、面白い。というか、自分自身どこかで金を信用していない節があるわけですよ。金ってぇのは要するにただの紙切れか、金属の固まりで、それがなにかしらの価値あるものという共通の認識の上に立ってみんなが生きているわけですよ。だから、逆に言えば、その共通認識に崩れが生じたり、あるいは、その意味をきちんと認識していなければ、金の意味がなくなってしまうわけだよね。 単純な話が、お金を貯め込むことの意味。金持ちは紙切れ集めに必死になっているけど、使わなければただの紙であり、なんの意味もないわけです。それで、もし、仮りに死んでしまったら... なんのためにこういった紙切れを集めてんだい、大馬鹿者!ってことになっちまうな。ところが、世界ってぇのは、この紙切れを中心に動いているわけだ。戦争だって、結局は、背後にあるのは正義なんて代物じゃなくて、経済的な利益であって、それをあたかも正当であるかのように見せかけるために「思想」だとか「正義」だとか「宗教」だとかが持ち上げてくる。ホンマ、あほらしい。 特に、政治的な思想というのは、完全にその幻想の上で成り立っているわけで、こんなものに右も左もあったもんじゃないと思うのね。共産主義も資本主義も「金」という幻想に成り立った富と貧困の二極構造を前提にてしか存在しない経済学上の論理。その幻想が崩れればまるで意味をなさないんですな。 だから、そういった金の存在しない、あるいは、金が本来持っている意味を基準として考えればどうなるか... それこそが本当の経済学なんだが、そのひとつが地域通過というものではないか... と、まぁ、そんな思いを巡らしながらも、このこと、よく理解していないわけで、ちょっと勉強してみよう!と思っている今日この頃です。
これは、FOR SALEのセクションに新たに登場した円柱型XLサイズ2をベースにしているんですが、どうしているかというと、おそらく、山羊か牛の皮に描かれているんだろう、エチオピアのアートをソロモンから借りてきて、それをまずはスキャン。そして、それを透明なフィルムに印刷して、キャンドルの表面に貼り付けた... というだけの代物。直径が短いキャンドルだったら、周囲が簡単に溶けてしまうので得策じゃないんだが、このキャンドルの場合、けっこう直径があって、真ん中が減っていってもなかなか周囲は崩れていかないというので、けっこういい感じに仕上げることができるわけです。
それだけじゃなくて、実は、Tシャツにアイロンでくっつけるものがあるんだけど、あっちもトライしている。まぁ、こちらは実に面倒なんだけどね。というのは、もともと、あれは非常に薄っぺらなフィルム(あるいは、ビニール?)のようなものなわけですよ。それがロウ紙にくっつけられていて、印刷するのはその部分。で、そのロウが実を裏からかなりの温度の熱を持ったアイロンで押しつけて、ロウ紙からはがして、同時にその熱でフィルム(ビニール?)を布にくっつけるわけです。ということは、これをTシャツ気分でそのままキャンドルに押しつけても、両方共にロウだから、うまくいかないんですな。 というので、試行錯誤を繰り返したのが私とソロモン。まずは熱した鉄板の上に印刷したこのシールのような紙をのせて、おそらくは数ミクロンという薄さの表面部分を慎重にはがしてしまうんですよ。で、それをキャンドルの表面にうまく重ねて、その上に今度は新聞紙をのせて固定させます。で、それを今度は再びキャンドルごと熱した鉄板に押しつけながら、キャンドルの表面に絵を固定させる... そうすれば、なんとかなることがわかったわけです。といっても、この温度調節が難しくて、手間がかかることこの上ない。おそらく、家庭で焼き肉を楽しむ電気を使ったなんとかボードというのを使えば可能ではないかと思うのだが、そんな実験をする経済的な余裕はない。というので、これからもこれを作るかどうかは未定ですな。
持ってくるものはなにも必要ありません。できれば、汚れてもいいような服装で来てもらって、火を使うので化繊の服は着ない方がいいよ... というアドバイスはしておいた方がいいけど、ともかく、この料金で最低3本のキャンドルを作ることができます。最近はまたまた鋳型を増やしているので、たいていの人は5本ぐらい作って帰るので、一見高そうな参加料も、お店でキャンドルを買うことを考えたら安いと思いますよ。しかも、キャンドルは世界に1本しかないオリジナルで、アロマ・エッセンスもいろいろ用意しているし... リピーターが多いのも、みんな納得しているからだと思います。 参加を希望される方はメールで御連絡下さいませ。あんまり人が増えすぎても対応に問題が出てくるし... 前もって人数を確認しておきたいので。あと、キャンドルを作り終えたら、いつも飲み会に入っていくんですが、こちらの参加費は3000円。飲み会のみの参加でも大丈夫です。セット・メニューでご飯を食べて、後は飲み放題。けっこう、安いと思います。 ちなみに、これから、おそらく、5月まで毎月第3日曜日にここでキャンドル教室をやっていきます。定期的なものにしているので、みんな、予定を立てやすくなったんじゃないかな。まぁ、残念なことに、この1月20日はピースウォークの日に重なって... あっちに顔を出せなくなっちゃったけど。もし、向こうに行く人がいたら、その後にでも遊びに来れば? どんな感じだったかいろいろ教えてください。
なにせ、イタリア人だというのに、どう見ても完全なラスタです。それはまあ、レゲエが好きだったら、こういった展開は想像できるんだけど... それに、この人、英語は話すんだけど、けっこうなパトワです。例のジャマイカ英語を話すのね。しかも、イタリア語を話す時もそれっぽく話しているから、(そう聞きました)また怖い。 それに、彼の家に入ったとたんに目に入ってくるのは無数の石。なんでも宝石の原石とか化石とか... そういったものを集めて、磨きをかけてビジネスにしているらしく、床が抜けるんじゃないか思えるほどの無数の石が、しかも、めちゃくちゃ綺麗なものが部屋中に散らばっているわけです。いやあ、すごい。
正直な話、ここで食べたものがめちゃくちゃおいしくて「うめぇ!」と連発していたら、この店の主が自分たちで作っているというリキュールをごちしてくれたり... というか、食事代も払わないで、おごってくれたんだけど、おみやげにそのリキュールを1本もらってしまった。なんて幸せ者なんだ、俺は!
当然、メンバーともインタヴューをしていて、この人がリーダー的な存在のアドリアーノ・ボーノ。彼もRadici Nel Cementoのメンバーなんだが、それとは別のプロジェクトとしてTirbu Acusticaを始めたらどんどん面白い展開見せだしたんだとか。で、彼とのインタヴューとかをまとめてどこかで原稿を書こうと思っているんだが、まだどの雑誌になるかは未定です。おそらく、ラティーナで書かせてくれるとは思うけど、どうなるかはわかりません。 ちなみに、バンダ・バソッティのレポートは結局6ページになってしまいました。原稿がちょっと長くなってしまったことや写真の出来が良かったこと、それにたまたまページがとれたということらしいんだが、チャンスがあれば読んでくださいな。本人も納得のかなりいい原稿を書けたので。おそらく、今月の終わりに出てくるんじゃないかな。
で、そのスリーピースですが、いつも通り。今年もいい感じで動き始めています。この日はいろんなバンドが集まってイヴェントのひとつで、あまり人がたくさんいなかったからかどうか、客席にはテーブルと椅子という感じで、原君曰く「なんかディナー・ショーみたい」だったんだけど、どんなところでも自分たちのペースできちんと演奏できるのがスリーピース。この日のセットは短かったけど、見るたびに変化して成長しているってのか、それがスリーピースの驚異的なところだね。 年末年始は関西を中心にかなりの数のライヴをこなしていたらしく、どちらかというと東京よりも関西でいい動きを見せているようだ。なんとか、今年は彼らもブレイクしてほしいなぁと、切に願います。 おっと、そういえば、今日は(15日)は原君が新宿ロフトで初めてのソロ演奏。彼から電話がかかってきて、「ディランみたいなスタイルだけど、ラップもやるから...」というので、これは楽しみだ。もし時間があったら、みんな、出かけていってちょうだいな。
そんなもんで、みんなで「あれでステージに立って、お客さんがどんな反応見せると思う?」話してましたから。実際、裏方とか、仲間がステージ脇でチェックしてたし... やっぱり笑ってる人いたなぁ... ハッハッハ。そりゃ、そうだろ。
なんでもステージに出る前は、年末年始の休みをおいていたせいか、けっこうメンバーは緊張していたみたいだけど、すごく楽しそうに演奏していたのが印象に残っているな。みんなニコニコしていたし、演奏が終わった時にツダ君もそんなことを口にしていたもんだ。それに加えて、お客さんの表情もいつも通りとってもいい。Smashng Mag用に12曲目からピットで撮影し始めて、また400枚ぐらい撮ったんだけど、やはりお客さんにカメラを向けてしまうのは、それが理由。なんか見ているものを幸せにして、エネルギーを感じさせてくれるKEMURIというバンドは、やっぱり貴重な存在だと実感。おそらく、春が来れば、また全国津々浦々の小さい小屋をまわるツアーをやるとかやらないとか... そんな噂も聞いているし、そうやって着実に、血の通ったライヴでもっともっと大きくなってほしいと思う。
でも、これは聞けば聞くほどいいと思えるアルバムだね。おそらく、サウンド的なものよりも強調されなければいけないのは、ここに収録されている彼自身の手による曲の数々。以前は、どちらかというと、けっこう人の曲を取り上げることが多くて、自分の曲の比率が少なかったように思うんだが、かなりの曲、特に詩を彼自身が書いている。その歌がいいんだ。大人というか、心を通じ合えるものがいっぱいあるというか... ラヴ・ソングもいいし... こうゆうのを惚れた女の子に聞かせたいと思ってしまうのって、あると思うのね。(実際に、やってやろう) 一時はドラッグにはまったなんて時期もあったらしいし、それからキリスト教に向かって宣教師をしていたり、そこでゴスペルを歌っていたり... その頃のアルバムも何枚かは持っているけど、あまりに説教じみた歌に辟易していたものだ。でも、ここでは、それをもさらりと越えて落ち着いた大人の音楽を聴かせてくれているって感じかな。聞けば聞くほどに愛着がわいてきた。こんなするめのようなアルバムは大切にしないと。
だから、もし、アクセスして、この番号をドンピシャで当てたら、スクリーンショットで画面全体を撮って、そのファイルを送ってくださいな。そうしたら、上げるよ。といって、なんかヘンな予感がするんだけどね。前回の66666は自分だったし、今度も自分になってしまいそうな... これだけは意図的に避けることはできないからなぁ... written in Odawara on the 14th Jan, 2002.
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