Frayz - Phase One

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Frayz
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"Jazz Funk" |
今になって振り返ると、後のクラブ・シーン... というよりは、ムーヴメントとしてのクラブからダンス・ミュージックそのものに大きな影響を与えたのが80年代のアシッド・ジャズだったように思える。といっても、面白いことに、実は、あの言葉はただの造語。その実体はかなり曖昧模糊としていて、事実、そう名付けた本人たちもそれを隠そうとはしなかったのだが...
名付け親は、後にアシッド・ジャズ、さらにはトーキンラウドといったレーベルを設立することになるDJ、ジャイルス・ピーターソンで、最初にその名が付いたアルバム"Acid Jazz and Other Illicit Grooves"をプロデュースしたのがサイモン・ブースだ。(当時はワーキング・ウィークというバンドのリーダー。現在はアフロ・ケルト・サウンド・システムというプロジェクトを進めていて、サイモン・エマーソンを名のっている)
「クラブでアシッド・ハウスが流行しているから、それをちょうだいしたんだ。(笑)でも、あれと同じで、いろんなものをなんでも飲み込んでいく自由な音楽って意味もあるんだけど」
あのアルバムを録音中のサイモンをスタジオに訪ねてインタヴューしたとき、彼はそんな風に話してくれたものだ。
が、結果として、このアシッド・ジャズという言葉が徐々に増殖し始め、じわじわと世界中の音楽シーン、そして、クラブ・シーンに広がっていくのだ。その根幹にあったのは本来のジャズが持っていた自由な発想やスタイル。雑多な要素を貪欲に融合しながら変異を続け、ヴィヴィッドなエネルギーを持つダイナミックな音楽として成長すると同時にメディアとしてのクラブの重要性を拡大していったのだ。その結果としてメジャーとなっていったのがブラン・ニュー・ヘヴィーズや、インコグニート、あるいは、ジャミロクワイといったバンドだと言っていいだろう。
いずれにせよ、アシッド・ジャズが生まれた当時、そのシーンのまっただ中にいた彼らが最も大きな影響を受けていたのが、その源流となるブリティッシュ・ジャズ・ファンクだった。これは70年代後期から80年始めのイギリスを席巻していたムーヴメントで、アメリカのフュージョンやソウルの影響から生まれたもの。シーンを代表するのはハイテンションやリンクス、ライト・オヴ・ザ・ワールド、ブリーズ、ベガーズ&カンパニーからゴンザレスにブレックファスト・バンドやセントラル・ライン、あるいは、シャカタク、レヴェル42といったバンドの数々をあげることができる。実を言えば、その流れのなかで結成されたのがオリジナルのインコグニートだった。そして、結成時のメンバーだったのがこのアルバムの主、Frayzのひとり、レイ・カーレスだ。
この当時、まだ子供だったジャイルス・ピーターソンが憧れていたのがなにを隠そう、インコグニート。実は、彼らがトーキンラウド・レーベルと契約したのにはそんな背景があったのだ。いわば、80年代後半になって再び登場したインコグニートは、一種の再結成に近いものであり、そんな紆余曲折を経て初めて彼らがインターナショナルな成功を獲得したことになる。
再スタートを切ったインコグニートの主要メンバーとしてトロンボーンを演奏し、ホーンのアレンジをしていたのが、Frayzのもうひとり、ファイアズ・ヴァージ。おそらく、このアルバムのホーンのタッチを聞いて、即座にインコグニートを思い浮かべた人も多いだろう。が、それも当然といえば当然。なにせ、ファイアズこそがインコグニートのシャープでタイトなホーンそのものであり、どう転んでもインコグニート的にならざるをえないのだ。
そのふたりの名前、FayyazとRayをくっつけてFrayzというユニットが生まれているのだが、このふたりの接点となっているのがイギリスで初めての黒人ミュージシャンたちによるジャズ・オーケストラ... というよりは、ムーヴメントでもあったジャズ・ウォリアーズだった。確か、86年だったと思うのだが、UKジャズを代表するサックス奏者、コートニー・パインや、後にジャズ・ジャマイカを結成することになるベース奏者、ギャリー・クロスビーなどが中心となって、生まれたのがこれだ。
あの当時、ロンドンのみならず、マンチェスターやバーミンガムのクラブ・シーンで再発見されていったのがジャズ。「ディスコでジャズ?」と、旧来のジャズ・ファンを大いに憤慨させたのがこのムーヴメントではあったのだが、同時に、鑑賞音楽の呪縛からジャズを解放したのもこれだ。ジャズっぽいタッチを持ったポップ・バンドが登場する一方で、レゲエやファンク系のバンドで演奏しながら、「ジャズを目指していた」多くのミュージシャンが新たなチャンスを獲得することにもなる。そんなミュージシャンが結集したのがジャズ・ウォリアーズ。メイン・ストリームのジャズから、オリジナリティ溢れるユニークなジャズ、あるいは、アシッド・ジャズからジャズ・ラップなど、ジャズを核にした新しい音楽のほぼ全てがここに加わっていたミュージシャンを中心に発展していったと言っても過言ではない。いわば、これはイギリスの音楽シーンにとって革命的な出来事だったのだ。
前述のコートニー・パインやギャリー・クロスビー、そして、Frayzのレイ・カーレスやファイアズ・ヴァージの他、ヴァイブのオーフィ・ロビンソン、フルートのフィリップ・ベント、アスワドのホーンで活躍していたマイケル・ローズ、ヴォーカルのクリーヴランド・ワトキス、トロンボーンのデニス・ロリンズ... 87年にアイランド・レコードから発表されたアルバム「Out Of Many, One Poeple」にはそんな顔ぶれを見ることができる。また、そこには入ってはいなかったかもしれないが、ライヴではレゲエ界で活躍していたキャロル・トンプソンやワーキング・ウィークのヴォーカルだったジュリエット・ロバーツなどもメンバーとして活動。様々な若手ジャズ・ミュージシャンがこの大きな流れに加わっていくことになる。
この時期から囁かれ始めたのがUKジャズという言葉だった。コートニーに続いて、スティーヴ・ウィリアムソン、ジェイソン・リベーロ、トニー・レミー、オーフィ・ロビンソン、クリーヴランド・ワトキス、フィリップ・ベント、ジュリアン・ジョセフなどが続々とメジャー・デビューを果たし、同時に、ジャズっぽいエッジを持った数々のユニットがポップス界にも進出。一方、こういったジャズ・ミュージシャンが多方面にわたって活躍する舞台が生まれることになるのだ。もちろん、レイ・カーレスとファイアズ・ヴァージもその例外ではなかった。
まず、ジャマイカ生まれのレイ・カーレスに関して言えば、もともとサックスの才能があったのだろう。なにせ、レゲエのルーツ、スカのゴッドファーザーと呼ばれるローレル・エイトキンのバンドでサックスを吹いていたのが彼の父親(ジョージ・カーレス)。18歳の時に初めてサックスを手にしたにもかかわらず、すでに20代始めにはエルヴィン・ジョーンズのツアーでヨーロッパを回った経験を持っているというから信じられない。なんでも当時彼が敬愛していたのはソニー・ロリンズ。その演奏の背景にあるカリビアン的なニュアンスが気に入っていたということだ。
ブリティッシュ・ジャズ・ファンク全盛期にはインコグニートのブルーイと数々のバンドを渡り歩いたようだが、この当時、ちょっとしたヒットを記録したのが本人名義で発表された「Trantula Walk」。面白いのは、これがコートニー・パインにサックスを吹かせたきっかけとなったということ。その後、メイン・ストリーム・ジャズの演奏を経て、彼が向かったのはワールド・ミュージックだ。80年代終わりの日本でも話題になったインド系イギリス人、ナジマのバックでソプラノを中心に演奏したり、あるいは、ワシントンDCをベースに活動を続けるエチオピアの国民的スター、アスター・アウェケのバンドで中心的ミュージシャンとして活動。その他、ジャングルからドラムンベースの世界でも活躍するなど、サックス奏者のみならず、奇抜なアイデアの主、あるいは、類い希な才能を持つ新人を発掘する才能の持ち主もとしてもよく知られている人物だ。
一方のファイアズ・ヴァージも同世代。両親はインド人なのだが、彼が生まれたのはタンザニアで、子供の頃に家族と共にイギリスに移民して来たということだ。なんでも本当は科学者になりたかったらしいのだが、15歳でNatoinal youth Jazz Orchestraに加わり、結局は「普通の生活は自分のスタイルではない」とミュージシャンとしての活動を始めている。
彼がセッションを経験したアーティストの名前を挙げていけばきりがないのだが、変わったところではブライアン・イーノやカーラ・ブレイあたりの名前があげられるし、大物というところで言えば、スティーヴィ・ワンダーからジョージ・マイケル、ジョージ・ベンソンにティナ・ターナーなどがリストに残されている。が、80年代からジャズ指向の音楽をチェックしてきた人にとって記憶に残っているのは、なぜかイギリスでよりもフランスで人気を獲得したカーメルとの活動かもしれない。彼女たちのためにかなりの曲を書いているのだ。
もちろん、インコグニートでの活動が最も知られるところなのだが、同じような流れのなかで登場してきているアーティストたちにアレンジャーとして貢献しているということも記しておくべきだろう。ブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャミロクワイにバーシア... このあたりでのホーン・アレンジにファイアズが大きな役割を果たしている。
さて、基本的にFrayzはこのふたりのプロジェクトなのだが、そのきっかけとなっているのがレイ・カーレスが92年に発表した初のリーダー・アルバム「Body Moves」だった。イギリスのメディアで高い評価を獲得することになったこのプロジェクトにファイアズが参加。これがFrayzへの複線となり、95年暮れに実験的に録音してみたのがこのアルバムにも収められている「Sunny」だった。
そこでソウルフルで、同時にジャズっぽいエッジを持ったパワフルなヴォーカルを披露しているのがヘレナ・ポール。おそらく、この声だけを聞いていれば、再デビューしたインコグニートがフィーチュアしたジョスリン・ブラウンにも似た恰幅のいい黒人シンガーを想像してしまうのだが、実は、彼女は生粋のロンドンっ子で、白人のヴォーカリストだ。
「そうなのよ。私の声を聞いて、みんな私を黒人だと信じちゃうみたい。だからもう別になんとも思っちゃいないけど...」
とはいうものの、笑えない逸話も多い。セッションの仕事で待ち合わせをしたとき、黒人の女性シンガーを期待していた相手がすぐそばにいる自分に気が付かなくて困ったとか... あるいは、ドイツでセッション・ワークなどを続ける彼女がやったプロジェクトで録音した曲が本人の知らない間に発売されて、しかも、そのプロモーション・ビデオで口パクで歌っていたのが黒人の女性だったとか... もちろん、それに関しては彼女の弁護士がしかるべき処置をしたということだが、アレサ・フランクリンからチャカ・カーンといった本格的なソウル・シンガーとしての資質が彼女に備わっているからこそ、こんな逸話が生まれているのだろう。
子供の頃から歌うのが好きで仕方がなかったというヘレナだが、基本的にソウルを中心に歌い始めていたという。もちろん、そのソウルフルな声に大きな魅力があるのだが、それをさらに魅力的にしているのがジャズっぽいスイング感。が、面白いことにジャズに開眼したのは数年前のこと。実際、彼女の得意なスキャットに関しても、こう話している。
「実は... あとから知ったんだけど、あれって、私も歌詞を忘れて、適当に歌い出したらそうなっちゃったの。(笑)まるで本物のジャズ・シンガーみたいでしょ?」
あれがエラ・フィッツジェラルドだったか、ルイ・アームストロングだったか、スキャットのルーツがどこにあったか正確には覚えてはいないが、ヘレナもそういった巨人たちと同じようにしてスキャットを始めたという。おそらく、そんな自由な姿勢が彼女のヴォーカルをどんどん進化させていったのだろう。自分ではソウルを歌っていると思っていたのに、「才能溢れる若手ジャズ・シンガー現る」と徐々にメディアで紹介されるようになっていったという。
ロンドンのクラブで定期的にライヴをやるようになっていったのだが、「全くミュージシャンがリスペクトされない」イギリスの現状に憤慨していた頃、ドイツに活動拠点を移した友人から仕事の話が転がり込み、彼女自身も仕事の拠点を徐々にドイツに移すようになっていった。実を言えば、ちょうど彼女がドイツに引っ越すのを決めて、移動する直前にわずか2時間で録音されたのがFrayzの起点となった「Sunny」。この録音が全ての始まりだったのだ。
が、それがそのままストレートに発表されたわけではない。この曲の他にももう1曲、レイ・シンプソンという男性ヴォーカルを起用して「The World Is A Ghetto」を同時期に録音しているのだが、なによりもこの時点では「実験」であり、「遊び」でもあったのだ。だから、それがアルバム作りにまで発展するにはもうしばらく時間が必要だった。加えて、ふたり共にイギリスでは引く手あまたのセッション・ミュージシャンでもある。時間の余裕も必要なら、レコーディングの契約も用意されなくてはいけない。加えて、彼らの実験の成果を高く評価するサポーターもなくてはならなかったはずだ。そういった様々な条件が揃うのにしばらくかかったというのが実状だ。
ともかく、アルバムのコンセプトが固められ、具体的なレコーディング入りをしたのは98年11月。基本的にはファイアズがマッキントッシュを駆使してベーシックな音づくりを担当。そして、キーとなるセクションに関しては生の楽器に入れ替えるという形で録音が進められていったのだ。
レイとファイアズがホーン・プレイヤーであることからも想像できると思うが、ホーンに関しては全て彼らの演奏が収められている。ここで紹介しなければいけないのが、Frayz Hornsとしてクレジットされている、いわば、もうひとりのFrayz、ケヴィン・ロビンソンだ。彼もジャズ・ウォリアーズのメンバーで、なんと「6歳の時からトランペッターになる」と決心していたという彼がトランペットを演奏し始めたのは11歳の時だったという。リーズの音楽カレッジで勉強した後、82年からプロフェッショナルなプレイヤーとして活動を開始。まずはゴンザレスで演奏を始め、バーシア、スティーヴ・ウィンウッド、ジョージ・ベンソン、レイ・チャールズ、ポール・マッカートニー、インコグニートといったアーティストたちのホーン・アレンジや楽曲提供なども経験している若手のトップ・プレイヤーだ。なんでも最も敬愛しているのはハーヴィ・ハンコックで彼からは大きな影響を受けているとのこと。また、EW&Fやスティーリー・ダン、シカゴといったバンドからアレンジを学んだとも語っている。
その他、インコグニートのメンバー、ベースのランディ・ホープ・テイラー(今年のジェフ・ベックのツアーに参加している)やグラハム・ハーヴィもこのレコーディングに参加しているし、ゴンザレスでケヴィンと一緒に演奏していた(ランディもメンバーだったが...)トップ・ギタリストのティム・カンズフィールドも顔を見せている。ヘヴン17やBEFプロジェクトなどポップス系のアルバムで彼のクレジットを見つけられることが多いのだが、イギリスで最も忙しいスタジオ・ミュージシャンのひとりが彼だ。また、パーカッションやバック・ヴォーカルでもいろいろなミュージシャンが録音に参加しているのだが、それはクレジットをチェックしていただくことにしよう。
今回のアルバムに収録されているのは7曲のカヴァーと5曲のオリジナル。たまたま生まれた偶然なのだろうが、カヴァーしている曲に共通項があるのが面白い。「Sunny」では太陽、「Moondance」で月、「Another Star」では星、「Aquarious/Let The Sun Shine In」では水瓶座と太陽といった宇宙に関わる言葉が顔を見せている。意図的なものではなかったのだが、Frayzの持つグローバルな音楽性を見事に語りかけているように思えるのだ。
簡単に曲を紹介していけば「サニー」は数々のアーティストにカヴァーされているクラシックなソウル・ナンバー。アイルランドが生んだスピリチュアルなシンガー&ソングライター、ヴァン・モリソンの傑作が「ムーンダンス」で、ここではソウルフルでジャズっぽい味付けがされている。また、ドラムンベース・ジャズ的なタッチを加えたヴァージョンに仕上がったのがスティーヴィ・ワンダーの傑作「アナザー・スター」であり、まるで世界旅行のようにアフリカからラテン、ソウルやジャズが流れるように展開しているのが60年代終わりのフラワー・ムーヴメントを象徴するフィフス・ディメンションの名曲「アクエリアス/レット・ザ・サン・シャイン・イン」だ。
その他、スライ&ザ・ファミリーストーンの「サンキュー」はファンキーでドライヴ感たっぷりの仕上がりだし、スタイリスティックスの「ピープル・メイク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」やクインシー・ジョーンズのアルバムに収録されたブラザーズ・ジョンソンの作品「イズ・イット・ラヴ・ウィ・アー・ミッシング」といったナンバーに加え、彼らのみならずUKジャズの起点となったジャズ・ウォリアーズに敬意を表するという意味で作られたオリジナルが「ジャズ・ウォリアーズ・イン・ア・バイーア・グランデ」であり、未来の子供たちを守るというコンシャスな内容が含まれているのが「チュルドレン」。また、このユニットFrayzのテーマとも呼べるのが「フレイズ」であり、神秘的なナイル川の印象をまとめたのが「スピリットオヴ・ザ・ナイル」、そして、ヘレナ・ポールのオリジナル「スィート・ミュージック」という構成でアルバムは作られている。
といっても、まだ始まったばかりなのがFrayz。これからの彼らがどうなっていくのは今は想像するしかできない。が、インコグニートにまつわるミュージシャンたちが核になって生まれたこのユニットが大きな評価を受けるだろうことは想像できる。事実、最盛期のインコグニートの主要メンバーがここに集結しているのは、クレジットを見ていただければわかるだろう。できれば、アルバム制作だけではなく、ライヴでも演奏してもらいたいと思うのだが、どんなものだろう。
1999年3月11日
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