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Frayz

"Embrace the Chaos"

Jump With Joey 「LAで一番盛り上がっているバンド? そりゃぁ、間違いなくオゾマトリだよ」

 2年ぶりに訪ねたロサンゼルスでのことだ。すでに二度の日本ツアーを経験しているスカ・バンド、Jump With Joeyのドラマー、ウィリー・マクニールがそう話しだしていた。

「彼ら以外には考えられないよ」

 と続けるウィリーは、ベース奏者のジョーイ・アルトゥルーダと共にLAアンダーグラウンド・シーンで最も重要な動きを続けるミュージシャンのひとりと言ってもいいだろう。80年代にはフィッシュボーンやレッド・ホット・チリ・ペッパーズと共にシーンを騒がせていたバンド、トゥペーロ・チェイン・セックスで活躍。ロンドンでジョー・ストラマーらと活動した後、ロサンゼルスに戻ってJump With Joeyを結成している。すでに9年目に入ったこのバンドも順調に活動を続けているのだが、それとは別に手がけているのが数々のプロジェクト。スケイトマスター・テイト(『リバース・オヴ・クール』の1枚目に収録されている曲など)で作曲やプロデュースを担当したり、アシッド・ジャズ系のユニット、ソルソニックスを立ち上げたり... また、ギャングスターのグールーによるJazzmatazzプロジェクトに加わるなど、今ではロサンゼルスの若手ミュージシャンに最も信頼されるヴェテランとも言える存在だ。

「実は、オゾマトリがデモ・テープを作るときにプロデュースしてくれないかって頼まれたことがあって... でも、その時に言ったんだよ。『なにをプロデュースする必要があるんだい?』って。だって、アイデアはきちんとまとまっているし、演奏だって充分だろ。なんにも手を加える必要がないんだよね。それほど彼らは完璧だってことだよ」

 このところ、Jump With Joeyの片割れ、ジョーイ・アルトゥルーダと共に映画のサウンド・トラックの制作などで忙しく働いているウィリーが手放しでべた誉めしていたのがほぼ10人のメンバーで構成されるこのアルバムの主、オゾマトリだった。

 プロデュースを依頼されたのが具体的にいつのことだったのかは尋ねてはいないのだが、おそらく、労働争議で占拠した建物のなかで始まったオゾマトリの原型となるジャム・セッションが徐々にバンドとして成長していった頃だろう。そのあたりの詳しい話は後述するが、いずれにせよ、メキシコからカリブ海といったラテン、そして、アフリカからインドまでをも飲み込んだサウンドにヒップホップやラップからファンクあたりが絡まった彼らのアルバムに惚れ込んでしまったのが今年の夏の始め。それが彼らの取材へと結びついていった。そして、その帰路に立ち寄ったロサンゼルスでウィリーとの久々の再会があったのだ。

OZOMATLI  さて、初めてオゾマトリのライヴを体験したのは8月12日。ニューヨークのTrampsという小屋(51 West 21st Street)だった。大きさは東京のクアトロを一回り大きくしたサイズ。店に飾ってあるポスターを見ると、ジョン・ルーリーやタジ・マハール、ギリアン・ウェルチといった顔ぶれの見える。ニューヨークの事情には詳しくないのだが、おそらく、いろんな意味で注目を浴びる良質なアーティストが姿を見せる小屋なんだろう。

 実は、すでにロサンゼルスでは熱狂的な支持を受けるオゾマトリもニューヨークでの単独公演は初めてとのこと。そんな意味でここが選ばれたに違いない。また、これは、いわゆる、ショーケース的なライヴで、観客の中心はプレス関係者だ。後でメンバーに話しを聞くと、「実は、かなり緊張していた」らしいが、そんなことは微塵も感じさせない強烈なライヴを披露してくれたのがこの時だ。

 なにせとんでもないスタイルで始まるのが彼らのライヴ。マーチング・ドラムやパーカッションを手にしたメンバーが演奏を始めるのはステージではなくフロア。そこにトランペットやサックスが加わり、歌いながらステージに向かうのだ。「えっ、なに、これ?」と思うまもなく、一気にヴォルテージを上げてしまうのがオーディエンス。実を言えば、その様子がこのアルバムの巻頭に収録されているSEのような部分だ。歓声や手拍子が熱気に拍車をかけ、ライヴは初めっからヒートアップ。LA最強のライヴ・バンドといわれる彼らのショーは、こんなパーティ・ムードで幕を開けるのだ。

 ステージに立つのは少なくとも10人。地元ロサンゼルスでは正式なメンバーの10人に加えて、いろいろな人が加わるらしいのだが、基本的には以下の10人がメンバーとして名を連ねている。

Wil Dog Abers:ベース、ヴォーカル
Chali 2na:ラップ、ヴォーカル
Jiro Yamaguchi:タブラ、パーカッション
Jose Espinoza:アルト
Raul Pacheco:ギター、ヴォーカル
Asdru Sierra:トランペット、ヴォーカル
Cut Chemist:ターンテーブル
Justin "Nino" Poree:パーカッション
William Marrufo:ドラムス、ヴォーカル
Ulises Bella:テナー、ギター、クラリネット、ヴォーカル

 おそらく、名前やジャケットの写真からも想像できるだろう。半数がメキシコ系だが、白人黒人に黄色人種と、雑多な人種が集まっているのがオゾマトリ。この10人が圧倒的な演奏でオーディエンスを熱狂に巻き込んでいくのだ。ファンキーでグルーヴィーなビートに思わず踊り出さずに入られないラテンのリズムが重なり、重厚で華麗なホーン・セクションが色を添える。もちろん、ホットなソロが飛び出し、タブラとターンテーブルのインプロヴァイゼイション・バトルが繰り広げられることもある。時にはホーン・セクションがジャンプしながら演奏し、ユニークなダンスを交えながら、ラッパーのChali 2na(チャーリー・トゥーナと発音します)がオーディエンスを煽ることもある。そして、ラテン・ファンク(!?)の波が会場を包み込むといった感じと言ってもいいだろう。

OZOMATLI  なんでもオゾマトリとはアズテックの踊りの神を示すというのだが、タブラのJiro(日本人で、小学校の5年生の頃からずっとアメリカ生活を続けているとか)と「オゾマツリって聞こえなくもないね」と話していたのがあのライヴの直前。まだ飛行機もなかった太古の時代、環太平洋地域に人間の流れがあったことを考えれば、「祭り」の語源がこのあたりに関連を持っているのかもしれない。陳腐な想像にすぎないのだが、オゾマトリは「祭り」の神であり、このバンドが打ち出しているのはそんな祭りの音楽。そうとらえてもいいだろう。なにせ、ライヴ会場はいつだって大騒ぎのお祭り大会なのだ。

 そのオゾマトリのリーダー的存在がベースのWil dog。ジャケットを開くと一番左に顔を見せ、クラッシュのアルバム『London Calling』を見せている人物だ。

「クラッシュの大ファンなんだ。6歳の時に初めて彼らを見て... それ以来、ロサンゼルスに来たクラッシュのライヴはみんな見てるよ。もちろん、親父につれていってもらったんだけど... うちのは『革命的共産主義者』(笑)って親父でね、クラッシュの政治的な部分が大好きだったんだ。10歳の時には楽屋に入れてもらって、ジョー・ストラマーにも会ってる。実をいえば、レゲエやラテンにはまったのは彼のおかげでね。ロックなんて全然魅力を感じなくなってしまったんだ」

 ロックに始まって「全然ロックに魅力を感じなくなった」というのが面白いのだが、このWil Dogの指向性がオゾマトリのサウンドに結びついていくのだ。

 ちなみに、オゾマトリ以前にも数々のバンドで演奏を続けてきたのがWil Dog。楽器は子供の頃から手を着けているということだ。 「初めて手にしたのはトロンボーン。それからドラムスやって... 演奏はうまくはなかったけど、リズムをキープするのはうまかったんだ。おそらく、それがベースに結びついているんだろうな。8年ほど前にドラムを習っていた人に、ライヴでベース・プレイヤーが必要だからって言われて、3週間で曲をマスターしてライヴをやってね。それが初めてのライヴだったんだ」

 高校生の頃から、Cut ChemistやChali 2naと一緒に、生で演奏するヒップホップ・バンドを経験し、その他、アシッド・ジャズ系のバンドでも演奏していた彼が徐々にサルサといったラテン系の音楽にはまり、それがオゾマトリ結成に発展していく。そのなかにはメキシコの革命家から名付けられた「ソモス・マルコス」というバンドもあったらしい。このあたり、「俺は親父とは違う」というのだが、おそらく、『革命的共産主義者』の親父の影響を引きずっているのだろう。どうも子供の頃から、かなり政治的な... あるいは、過激な少年だったようだ。

「LACC(ロサンゼルスで若者に仕事を紹介するような組織)を首になって.. 仲間と一緒にダウンタウンの建物を占拠して座り込みを初めてね。劣悪な労働条件に対して闘っていたわけさ。そこでジャム・セッションを始めたんだ。友達や友達の友達... 誰でもいいから、一緒に演奏しようって感じで。最初はサンタナとか... 人の曲をコピーして遊んでいたんだけど、徐々にオリジナルをやるようになってね」

OZOMATLI  座り込みを始めたのが95年3月12日。そして、オゾマトリが結成されたのはその年のエイプリル・フール、4月1日だったという。「そう、あの建物から飛び出して演奏を始めた時にオゾマトリが始まったんだよ」

 後に、この建物は「平和&正義センター」と名付けられ、地元のバンドのリハーサルなどに使われるようになるのだが、ここでリハーサルやジャム・セッションを続け、数多くのライヴをこなしていくようになるのだ。

「なぜかってぇと、みんなにやる気を出させないといけないから... ライヴを続けて行くしかなかったんだ。とにかく、ライヴの予定を組んで演奏する。そうやってバンドにしていったってぇのかな。まあ、タイミングが良かったんだろうな。みんな、それぞれいろんなプロジェクトをやってたけど、うまくいっていたわけじゃなかったようだし... 学校を出たところで、他にそれほどやることもなかったヤツとか... 俺も他のバンドをやっていたけど、ふらふらしているばかりでなにも起こらなかったからね。でも、オゾマトリは自分の始めたバンドなんだ。これでどんどん外に出ていって、仕事するんだって思ってたからね」

 なんでもオゾマトリが始まった頃は少なくとも週に2回(金曜日と土曜日)はライヴをやっていたということだし、そこにウィークデイのライヴが加えられたこともあった。さらには、地元、ロサンゼルスのクラブでレギュラーで演奏するようになり、時には、同じ日に4箇所で演奏するなんてこともあったというから驚きだ。

 また、出演料も出ないフリー・コンサートやベネフィット・ショーなど、ありとあらゆるチャンスを使ってライヴを続けていったらしい。同時に、その演奏をテープに収め、自分自身でオゾマトリのロゴをデザインし、プリントしたカセットを制作。それをありとあらゆるフェスティヴァルのオーガナイザーに送ったというのだ。そのあたりのWil Dogの行動力は半端ではない。それほどまでこのバンドにかけていたのだろうが、実にクラッシュ的(!?)だ。そして、徐々に、ギャラの出るライヴの話が飛び込んでくるようになったのだ。

「そうしたら、『すげぇ、金が手に入る』って、みんな大喜びさ。まぁ、俺たち、若くてハングリーで、とにかく演奏したかったから、こんなことができたんだろうけどね」

 そして、そんなライヴを通じて、オゾマトリのサウンドを完成させていったのだ。

OZOMATLI 「ライヴがリハーサルさ。例えば、あのダンス・ステップ。あれだって、リハーサルなんてやったこともないし、考えたこともなかったんだ。でも、ライヴをやっていくうちにあれが形になってしまったんだ」

 Wil DogとChali 2naを中心に曲によってバンドのメンバーが勢揃いのダンス・ステップを見せるのだが、これが実にエキサイティングで楽しいのだ。それも全く練習することもなしにできあがったというのだから恐れ入る。

「徐々にバンドの連中もそんなのにはまっていってね。『こんなことしようぜ』『あんなことしようぜ』って、どんどんアイデアが膨らんでいったんだ。ダンスだけじゃなくて、曲だってそうなんだよ。ライヴをやっている途中で『クンビアやろうぜ』って誰かが叫びだしたり... そんなジャム・セッションみたいなノリで曲が生まれていくんだ」

 おそらく、それはこのアルバムの3曲目に入っている『CUMBIA DE LOS MUERTOS』のことじゃないかと思うのだが、ライヴを通じて成長したオゾマトリらしい逸話だ。

 そんな活動を通じて、オゾマトリはロサンゼルスのアンダーグラウンド最大のバンドへと成長していく。そして、97年始めに自らの手で4曲入りのEP「Ya Llego! 」を発表。なんでも15000枚プレスして、メディア関係などに2000枚を配り、13000枚を売り切ったという。それがALOMO SOUNDSとの契約につながっていったのだ。

「突然、レコード会社の連中が集まってきてさ。ビックリだよ。その時点では契約とか...考えていなかったから。でも、ほとんどの会社は『これを買ってやる』とか、『あれを買ってやる』とか... そんな阿呆ばっかでさ。実際、キャピタルなんて、ベース・アンプ買ってくれたから。(笑)でも、結局、マジで音楽のことを話していたALMO SOUNDSと契約することにしたんだ」

 その時点でも彼らのハードなライヴ活動は止まらなかったという。もちろん、アルバムを発表しても同じこと。オゾマトリはライヴでこそその魅力を100%以上発揮できるバンドなのだ。

「おそらく、今までで最大の規模のライヴは5〜6万人規模のフェスティヴァルかな。単独では3万人ぐらい。United Farm Worker(統一農場労働者組合って感じかな?)のデモ行進でやったのが最大かもしれない。それに今年のワープト・ツアーにも参加したし。誰のあとに演奏するか、日によって違うから大変だったけど、面白かったよ。毎年、彼らってひとつだけ毛色の変わったバンドをフィーチュアするんだけど、それが俺たちだったんだ。まぁ、パンクとか、スラッシュっぽいのとか、そんなバンドの後に俺たちが演奏を始めると半分ぐらいに客が減るんだけど、残りの半分はダンス・パーティだから」

Ozomatli  その他にも興味深いのは彼らがキューバに渡って演奏していることだろう。

「自分たちのためにベネフィット・コンサートをやったんだよ。(笑)『アメリカのバンドをキューバに送ろう』って。国際青年交流でもなんでもいいや、そんな感じだよ。なかには500ドルの小切手を切ってくれる人もいたし、最終的には12000ドルを集めてね。即、飛んでいったんだ」

 わずか1週間だったらしいが、この時、最低20人、最大6000人の前で演奏したのがオゾマトリ。最終的にはキューバを熱狂の渦に巻き込んでいる。

「演奏できるかどうか、全然わからなかったけど、とにかく行って無理矢理でもねじ込んじまう... そんな感じだよ。たまたま国際青年フェスティヴァルってのが開かれていて、『どうやったら出られるんだ』って周りの人間に尋ねまくってね。そうしたら、なんとかなったんだ。噂が噂を読んで、国営ラジオにも出演したし... 帰る頃にはキューバ中の人がオゾマトリのこと知ってたもんね。まぁ、彼らは俺たちみたいなバンドがLAにごまんといるように思ったようだけど。(笑)」

 彼らの姿勢は明らかにパンク的で、そのサウンドは... 全てが凝縮されていると言ってもいい。ルンバからサルサ、クンビア、メレンゲといったラテン系の音楽から、アシッド・ジャズ、ラップ、ファンクあたりがごっちゃになってぐつぐつ煮立っているようなもの。言葉を代えれば、オゾマトリの音楽は、テクノと対極をなす、有機的な21世紀音楽であり、今のアメリカが如実に反映しているとも言える。それがライヴの雰囲気そのままに詰め込まれたのがこのデビュー・アルバムだ。

サイプレス・ヒルのT-Rayをプロデューサーに起用したのは... ラップやヒップホップ的なヴァイブを彼が持っているから。ロス・ロボスのDavid Hidalgoは、最初、プロデューサーとしてアプローチしたんだけど、結局、演奏してもらった方がいいってことになってね。なにせ、彼はなんでも演奏できる天才だから」

OZOMATLI  と、そういった名前がクレジットに発見できるのだが、その他にも、この原稿の最初に登場したJump With Joeyのトロンボーン奏者、そして、サックス奏者でもあるDave Ralickeが録音に参加しているのが、個人的には嬉しいところだ。

 さて、歌の内容だが、かなり政治的なものが多い。まるでザイーリアン・ルンバやソカのようにも聞こえる巻頭の曲『Como Ves』は「自分の目でじっくりと見つめてみろよ」と問いかけるもの。アルバム唯一のカヴァーとなる「Aqui No Sera」ではエル・サルヴァドールが第2のヴェトナムになってはならないと歌い、「Chota」は警察のことを歌ったもの。そのあたり、詳しくは歌詞カードを見なければわからないのだが、そういった歌が数多く登場するのは、オゾマトリが生まれた状況が影響しているに違いない。

 かといって、そんな政治的なことばかりではなく、踊り、遊ぶ、そんな楽しみを歌ったものもある。「政治」の看板を掲げているのではなく、あくまで彼らが生活に根ざしたところから歌を生み出しているということなんだろう。政治も経済も文化も、全てが複雑に絡み合っている現実の世界をストレートに歌ったら、政治的にもなれば、パーティにもなる。それこそが自然なんじゃないだろうか。

 実は、このインタヴューをしたとき、それぞれの曲がどんな音楽に根ざしているのか尋ねているのだが、正確にこれだとは言えないと答えているのが面白い。正直なところ、ラテン音楽の専門家でも研究者でもないので、そんな質問を用意したのだが、彼ら自身、いろんな要素を自然に融合して、具体的には「メレンゲだ」とか「チャチャだ」とか言いづらい音楽を生み出したということだろう。例えば、曲名にクンビアが登場している3曲目の『CUMBIA DE LOS MUERTOS』にしても、曲頭のギターはレゲエを思わせるし、途中ダブっぽい処理も飛び出してくる。さらに、そこにはラップも絡まっているというのがオゾマトリのスタイルなのだ。

 ひょっとして、そういったオゾマトリの音楽作りがラテン音楽の純粋主義者からひんきゅくを買う危険性も否定はできないだろう。ただ、異質なものがぶつかり合ってこそ生まれるのが新しい文化。オリジナルのルーツ音楽に充分な敬意を払うことは重要だが、同時に、そうやって生まれてくる音楽も大いに評価されるべきだろう。特に、人種の坩堝、アメリカのロサンゼルスで、しかも、多種多様の音楽が渦巻くなかで育ってきたのがオゾマトリの面々。彼らの音楽はそんな土壌のなかから自然に発酵したものだ。もちろん、そのために努力もしただろうし、研究もしているはず。が、ここに集められている音楽は無機的に、あるいは、作為的に今時の音楽を張り付けたものではない。あくまでもライヴを中心に自然に、そして、今のアメリカを真正面から反映する必然として生まれてきたものだ。

 12日のTrampsでのライヴの後、15日にはニューヨーク市が主催し、無料で開催されるセントラル・パークのサマー・ステージに彼らの姿を再び見ることになるのだが、その時、メンバーの父親がこんなことを言っていたのが印象的だ。

「オゾマトリは、なによりもピープルズ・ミュージックなんだよ」

 まさしくその通り。これは普通に生きる人々の気持ちをそのまま反映した音楽。そして、雑多な人たちが有機的に混じり合い、成立する21世紀の世界を映し出す未来の音楽だといってもいいだろう。


1998年9月2日

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