buttonBilly Bragg & WILCO - Marmaid Avenue
Billy Bragg & WILCO

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Billy Bragg & WILCO

"Marmaid Avenue vol.2"

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 もうずいぶん昔の話になるのだが、かつて横浜のテレビ局で音楽番組に関わっていた時期がある。海外からのミュージシャンに言わせると、一度聞けば絶対に忘れられない番組名で、その名も「Funky Tomato」。この名前を聞くなり、大笑いしながら「なんでトマトがファンキィなの?」と、幾度も聞かれたものだ。確かにその通り。なんでそんな名前が付けられたのか、いまだに理解できない。

 その番組に英国はシェフィールド出身のバンド、ザ・ディランズが出演した時のこと。かなりサイケなタッチを持ったいいバンドで、おそらく、その名前はボブ・ディランに由来しているのだろう。と、出番待ちをしているときに、思わず口をついて出てきたのが...

「それだったら、ガスリーズってのもいいかもしれないよね」

 と、そんな冗談だった。ところが、楽屋の反応は皆無。みんな、ポケ〜っとしながら、「なんじゃらほい」といった表情をしている。そのなかで唯一大笑いをしてくれたのが、やはり同じ日のゲストで楽屋にいたムーンライダーズの鈴木慶一氏。

「そりゃあ、無理だよ、若い人がウッディ・ガスリーなんて知ってるわけないよ」

 そうりゃぁ、そうだ。パンクやレゲエだってふた昔も前と思われたのがこの時期。それを考えれば、今はテクノやドラムンベースという時代なんだから、ウッディ・ガスリーの名前を知っている人なんてそれほどいないはずだ。もしくは、名前を知っていたとしても、その音楽を聴いたことのある人なんて皆無に近いだろう。実際、レコード屋さんに行っても、彼のアルバムなんぞほとんどないに等しい。先日もウッディのアルバムをチェックしてみようと、渋谷にある世界一の売り場面積を誇るレコード屋さんに行ったのだが、国内盤はわずか1枚。輸入盤にしても雀の涙ほどの在庫があったにすぎない。

 まぁ、無理もないだろう。この人が活躍したのは30年代から50年代半ばまで。といっても、もちろんこれは昭和ではなく西暦だから、すでに半世紀も前のことになる。なにを隠そう、すでにオヤジの年齢になってしまった筆者自身、ウッディ・ガスリーのことを初めて知ったのは60年代後半。プロテスト・ソングについて書かれた本によってであり、実際に彼の音楽を聴いたのはそれからずっと先のことだった。

 といっても、その頃、高田渡や加川良といったアーティストが盛んに取り上げていたのがウッディの名曲の数々。アメリカ民謡と表記されていたものが多かったような気がするし、詩はオリジナルとなっていたようだが、今聞いてみると、ウッディの詩にインスパイアされて、それを絶妙の日本語で... 今風に言えば、「リミックス」していたような気もする。その好例が高田渡の名作『汽車が田舎を通るそのとき』に収められている「この世に住む家とてなく」。また、ウッディの作曲したものではないが、彼がよく歌っていた「朝日屋ブルース(のちにアニマルズによって大ヒットした「朝日のあたる家」の原型)」を高田渡は「朝日桜」という名ヴァージョンに仕上げてもいるのだ。

 そういったフォーク系のアーティストの全盛期ですら70年代始め。今のロックやポップスを聴いている人たちが、(残念ながら)高田渡や加川良を知っていることはほとんどないだろうし、彼らに大きな影響を与えたウッディ・ガスリーを知らないとしても、驚くこともないだろう。が、ウッディがいなかったら、おそらく... と言うよりは、間違いなく、ボブ・ディランは生まれてこなかっただろうし、ブルース・スプリングスティーンだって存在しなかっただろう。そして、ディランの影響の下に歌い出した数多くの日本のミュージシャンも登場してはいなかったに違いない。あるいは、ビートルズだってストーンズだって、あれほどのバンドにはなっていなかったはずだ。さらに、ひょっとすると、パンクも生まれてはいなかったような気もするのだ。

 もちろん、そんな仮説はただの仮想にすぎないのだが、ウッディがどれほど大きな影響を後世に与えたか... それは絶対に否定できない。加えて、それを書き始めたら、ライナーノーツどころか、数冊の本が必要になるほど。実に、彼は過大評価をされても、決してとされすぎると言えないほどの存在だったのだ。そして、実は、今もそうなのだろう。だからこそ、ビリー・ブラッグ&ウィルコによる、こんなアルバムも生まれてくるのだ。

 さて、そのウッディ・ガスリーが生まれたのは1912年7月14日。オクラホマ州オキーマとされている。時の大統領にちなんでウッドロウ・ウィルソン・ガスリーの名を与えられ、開拓者の家族の一員として生を受けたということだ。父親がギターやバンジョーを演奏し、叔父は手品師で、いとこもカントリーを歌っていたという環境のせいもあるんだろう。子供の頃からフォーク・ミュージックに囲まれ、テキサス近辺を彼らと一緒に回って歌っていたようだ。

 そして、結婚後、30年代半ばに有名なオクラホマの砂嵐や不況から逃れるためにロサンゼルスに向かっている。世界恐慌のまっただ中、数多くの人々が仕事を求めて西へ西へと向かっていた、アメリカのどん底時代だ。そのあたりのことを知りたければ、ジョン・スタインベックの名作「怒りの葡萄」を読んでみればいいし、それをジョン・フォード監督が映画化した作品を見てみるのもいい。これこそ映画史に残る傑作中の傑作だ。この映画をウッディが見たとき、彼自身の物語のようにも思えたのだろう。彼は砂嵐と不況という苦難のなかで生きる人々の歌を数多く作るようになっていたということだ。 

 あるいは、ウッディの自伝『バウンド・フォー・グローリー』(邦題『ギターをとって弦を張れ』晶文社)を読むのもいいかもしれないし、やはり映画化されたその作品を見るのもいいかもしれない。貧しいものが虐げられ、搾取され、奴隷のようにこき使われている状況のまっただ中に放り込まれていた彼が、彼らと共に闘い... 当時の言葉で言えば、プロテスト・シンガーとして脚光を浴びていくようになる様子がうまく描かれている。思うに、彼こそが歌を、ただの歌にとどまらない力あるものと変化させ、人を動かすことに積極的になっていった最初のエンターテイナーのひとりだろう。

 その音楽のベースはカーター・ファミリーやジミー・ロジャースといったフォークやカントリー。加えて、カントリー・ブルースの要素もみられる。が、「ウッディをこよなく愛していた」ディランが最も影響を受けたのは、やはり自由奔放で、同時に人を動かすほどの力を持つ歌だった。なんでもウッディは語りかけるように歌を歌い、曲を書いていったと言われている。見たもの、聞いたこと、そして、伝えなければいけないことが、洪水のようにわき上がってきたというのだ。それは歌によるジャーナリズムでもあり、日記でもあり、物語でもある。そのなかにはまるで替え歌のようなものもあったというのだが、そんなものお構いなしに歌い続けたという。  戦前には第二次世界大戦への参戦反対運動を続け、あくまで弱者(底辺労働者)の立場から歌を歌い、積極的に政治に関わっていった。左翼系の新聞で記事を書き、歌を歌うという彼の動きは50年代半ばにハンティントン病で倒れるまで続けられたということだ。そして、60年代には寝たきりとなり、(それでも、鉛筆が握れなくなるまで、詩を書いていたと言うが)そこを何度も訪ねては彼の歌を歌っていたのがディラン。ウッディの息子、アーロが主演した『アリスのレストラン』という映画で病床の父を訪ねるシーンが出てくるのだが、おそらく、ディランもそんな感じでウッディを慕っていたのだろう。

 思えば、このアルバムの主人公、ビリー・ブラッグもウッディと同じようなタイプの人間だ。もちろん、音楽的な背景は違うだろう。なにせ、時代が違うのだ。例えば、直接彼を歌に向かわせたのはウッディではなく、パンク。実際、最初に彼が始めたバンドはリフラフというパンク・バンドだ。が、幾度かの挫折や紆余曲折を経てソロ・シンガーとしてエレキ・ギターを片手に歌い出してからというもの、まるでウッディが時代を超えて彼に乗り移ったかのような活動が続いていくのだ。

 まだデビューしたばかりのビリーと会ったのは、おそらく、84年だったと思う。その頃、彼が積極的に取り組んでいたのは長期間に渡るストライキを続けていた炭鉱労働者の支援運動だ。『鉄の女』と呼ばれていた首相、サッチャーの左翼つぶしの筆頭が彼らだったのだが、ビリーは積極的に彼らをサポートするチャリティ・コンサートに出演。その他、元スペシャルズ(&AKA)のジェリー・ダマーズが中心になって展開していたアーティスト・アゲンスト・アパルトヘイトやNATO軍への中距離核ミサイル配備に端を発した反核運動体CNDへのサポート... そういった場所に必ず出ていっては、最前線で歌い、語っていたのがビリー。さらに、それが英国で最初のミュージシャンによる政治圧力団体、レッド・ウェッジの結成につながっていくのだ。

 かつてレコード屋で働いていた彼が、ウッディ・ガスリーやレッドベリー、あるいは、ピート・シーガーといった、フォークやブルースをベースに政治的な活動をしていたアーティストの存在を知らなかったわけはない。かといって、そこから始まったのではない彼は、こういったクラシックなアーティストたちに、いわば、パンク的なアプローチをしていったのだろう。そのプロセスで数多くの労働歌などを掘り起こしてはステージで歌っていたものだ。また、ディランが決して認めてもらえなかった... それでもウッディと同様に恋いこがれていた英国プロテスト・フォークの父、イーワン・マコールとの交流も生まれ、(残念ながら、すでに亡くなってしまったが)ビリーの音楽のみならず、活動がどんどん先鋭化していったのが80年代終わりだった。

 そんな彼がウッディの娘、ノーラと会ったのは90年代の始め。そして、彼女との交流からこのプロジェクトが生まれてきたというのだ。そのあたりに関して、実は、昨年(97年)10月にロンドンを訪ねたとき、数年ぶりとなったインタヴューでビリー本人から聞かされていたものだった。

「2年ほど前、(95年らしい)ウディ・ガスリー・アーカイヴ(The Woody Guthrie Archives)と話をしていたときのことなんだ。ニューヨークにあるウッディの資料館なんだけど、ここをノーラが運営しているんだ。あのときは『我が祖国』に新しい詞をつけないかってことだったんだけどね」

 と、そんなところから話が始まったというのだ。ちなみに詳しいインタヴューの内容は最近音楽の友社から出版されたムック『アート・オブ・フォーキー』で発表しているのだが、その話がいろんな形で変遷し、結局は、30年代から40年代に書かれた1000曲分を遙かに越える未発表の詩に曲をつけてアルバムを作ろうということになったという。

「彼はすんごい勢いで曲を書いていたみたいだね。そのあたり、僕とは大違いで、少なくとも週に2〜3曲は書いていたはずだよ。

でも、当然ながら、そういった曲がどんなメロディを持っていたかってぇのは、想像するしかないんだけどね。だって、ウッディは譜面を読めなかったし、書けなかったから。そう、僕と同じなんだよ(笑)」

 ただ、このプロジェクトで面白いのは、一般的に定着してしまった、そして、かなりの部分が作られてしまった「フォークの神様」ウッディ・ガスリーではなく、生身の人間としてのウッディにスポットを当ててアルバムが制作されていることだ。

「簡単だよ、その理由は。ウッディのイメージがあまりにも短絡しているからさ、特にアメリカじゃ。政治的でもあったし、左翼的な人だったし... 結局は、『我が祖国』を書いたホーボー的な人物に集約されてしまっているんだ」

 ところが、ビリーに言わせると、ウッディは「イングリッド・バーグマンとセックスしたい」とかUFOや野球の歌なども書いているというのだ。おそらく、そのあたりのイメージの問題に関しては、ビリー自身に無関係ではなかったのだろう。なにせ、一般的に言えば、政治的な活動をしているというだけの理由で、彼ががちがちの政治人間だと思われているということがある。ところが、一度でも彼のライヴを見た人なら、そういった政治的な問題へのシリアスでポジティヴな姿勢と同時に、彼がたぐいまれなユーモアの持ち主であることがわかるはずだ。笑ってくれれば、同じジョークを何回でも繰り返し、少しでも話をすれば、まるで数年来の友人のように感じさせてしまう。あまりに人間くさい、そんなアーティストだからこそ、聞くものの琴線に触れるような素晴らしい歌を聴かせてくれるのだ。

 おそらく、それはウッディだって同じことだろう。冗談が好きで、恋愛も不倫もして... おそらく、お金のことや名声や... そんなことで悩みもした人だったに違いない。逆に、そうじゃなければ、人の心を打つ歌なんて書けなかったと思うし、彼の元に人も集まってこなかったように思えるのだ。

「シンボリックな肖像ではなく、人間としてのウディにスポットを当てるということ。だって、彼はそういったシンボルや権威に攻撃を仕掛けていった人なんだ。それこそが強調されるべきなんだよ」

 と、ビリーが語るように、そんな意味も込めて作られているのがこのアルバムなのだ。さらに加えて、病床にいても、エルヴィス・プレスリーを聞き、ビート詩人のことも、R&Bのこともきっと知っていたに違いない。ひょっとしてビートルズやストーンズだって耳に入っていたかもしれないのだ。ビリーはそんなことを考えながら、このアルバムの制作に当たるつもりだと語っていたものだ。

 さて、それから半年が過ぎ、やっと届けられたのがこのアルバム「Mermaid Avenue」だ。(タイトルはかつてウッディが住んでいたというブルックリンはコーニー・アイランドのストリートの名前)インタヴューでは単に「ウィルコ」ってバンドと一緒に録音するんだ」と言われていただけで、どんな形になるのかは全く想像できなかったのだが、これを聞くと、単にウィルコがバックをつとめているというのではないのがよくわかる。ポスト・グランジとも言える、まるでオルタナティヴなカントリー・ロック風のサウンドを持つ彼らがビリー・ブラッグと一緒に完成されなかったウッディの、今でも生きている歌の数々に今の... そして、永遠の命を与えたというのが正しい見方だろう。ビリーの曲作りも、ウィルコのジェフ・トゥィーディの曲作りも、強力で、この歌(詩)が半世紀も前に書かれたとは信じられないほどの素晴らしい仕上がりになっている。

 そのウィルコに関してだが、90年代前半にカルト的な人気を持っていたカントリー・パンク・ロック・(本人たちのホームページ=http://www.wilcoweb.comでこう説明している)バンド、アンクル・チュペーロを前身に、95年にデビュー・アルバム「A.M.」を発表している。最新作は昨年の「Being There」で、なにやらこのタイトルがイギリスの退屈なバンドを思い起こさせるが、パクリ三昧のあのポップ・バンドとは違って、実に骨のあるオルタナティヴなロックを聴かせてくれる傑作だ。なんでもビリーは彼らと幾度も同じステージにたった経験があるようで、彼がウィルコにこのプロジェクトのことを話したのは96年。そして、アイリッシュの音楽を中心に集めたフェスティヴァル、Fleadh(フラーと発音する)が97年にニューヨークで開かれたとき、やはり同じステージにたっていたビリーとウィルコがノーラにあって、このプロジェクトが具体化していったと言うことだ。

 収録された曲の内容に関しては、ビリーの言ったとおり、「ステレオ・タイプなウッディのイメージ」を遙かに越えた、人間、そして、アーティストとしてのウッディがひしひしと伝わってくるものばかりだ。そこには臆病で恐怖に震えるウッディもいれば、色気いっぱいのウッディもいる。あるいは、恋の歌もあれば、政治の歌もある。それが今のサウンドと絡んで、素晴らしいアルバムに仕上がっている。そのあたりの背景はビリー・ブラッグ自身の、そして、ダブリンでのレコーディングにずっと一緒に加わっていたノーラのコメントがこのアルバムのブックレットに掲載されているので、じっくりと読んでもらえればわかるだろう。もちろん、歌詞カードも読んでもらえれば、「フォークの神様」ではない人間ウッディ・ガスリーの魅力がさらに伝わるはずだ。

 また、ゲスト・ヴォーカルとして加わっているのが10,000マニアックスのナタリー・マーチャント。ちょうど2枚目のソロ・アルバム『オフェーリア』を発表したばかりなのだが、こちらの方も素晴らしい出来上がりだ。今の段階では、どんないきさつがあって、彼女がこのプロジェクトに加わったのかはわからないが、ビリーと10,000マニアックスも幾度も共演しているはず。おそらく、そんな流れで実現したんじゃないだろうか。

 なんでも、このレコーディング・セッションはほぼライヴ的な雰囲気で進められ、結果的には40曲ほども録音されたと言うことだ。このアルバムに収録されているのはそのうちの15曲。さぁて、残りの曲はいったいどうなったんだろう。そのあたりが気になって仕方がない。だって... このアルバム、あまりに内容がよすぎるじゃないか。これならオクラになった曲も絶対に面白いに違いない。なんとかならないんだろうか... しかも、BBC2がウッディを描くドキュメンタリーのために、この時のレコーディングの模様を全て収録しているとも言う。それも見てみたいなぁ... と、そんなことに思いを馳せながら、このライナーを締めくくろうと思うのだが、その前に一言、ビリーの言葉を記しておきたい。

「これは決してウディ・ガスリーへのトリビュート・アルバムじゃないんだ。そうじゃなくて、これはウッディとの共同作業なんだよ」

 実に、その通りだ。

1998年6月8日執筆

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