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おそらく、プロデューサー的な仕事を初めてやったと自信を持って言えるのがこの作品だろう。これまでは、自分のアイデアでアルバムを作っても、現場でそれほど詳細にまでわたった指示を出したりしたことはなかったのだが、ここで初めてその作業を経験している。しかも、ドラマーのケンリック・ロウから、「想像もつかないことをサジェスチョンしてくれたし、とても素晴らしいプロデューサーだよ」と言われたときは、めちゃくちゃ嬉しかったものだ。 実はこの時、アルバムのレコーディング終了と時を同じくしてライナーを書いているのだが、それが実際には使われることはなかった。プロモーションにいろんな人を巻き込みたかったというのが、レコード会社と、そして、私自身の発想でもある。だが、さすがに、初めての自分自身のプロダクションと言うこともあり、嬉しくて、発表されることのないライナーが残されている。 ここに掲載しているのは、その、発表されなかったライナーノーツ。実際にアルバムに収められているのものとはまた違った視点をリスナーに与えることができるかもしれないと期待している。
音楽さえあれば(後はどうなっても)… なんて思うことがたまにある。もちろん、現実は想っている以上に厳しくて、そんなことを言ってしまおうものなら笑い飛ばされるのはわかっている。でも、悲しい時に、その悲しみを和らげ、苦しい時にその苦しみから救い出してくる。一方で、楽しい時にはその楽しみを幾倍にもしてくれて、安らぎを求めている時には、思い通りの安らぎを約束してくれる。それが音楽。そんな音楽に出会った時の嬉しいこと… いわば、それを約束してくれるのがこのアルバムだ。特に、安らぎを求めている人にはこれほどのアルバムもないだろう。そして、個人的にも、これさえ完成できれば、明日死んでも後悔しないという傑作が出来上がったようにも思えるのだ。 ジャズ・スタンダードの名曲をヴォーカル中心にジャズ・レゲエ化するというこの作品を作ろうと思ったのは、もう3〜4年も前に遡る。ちょうど、レゲエの歴史を紐解いて、そのルーツ、スカの面白さを再発見した時のことだった。今では夏の定番となっているレゲエの原型、スカが、実は、アメリカのR&Bの影響の下に多くのジャズ・ミュージシャンによって創造された事実をつきとめることになる。50年代後半のジャマイカ音楽シーンを席巻していたのはR&Bであり、それを支えていたのはデューク・エリントンやカウント・ベイシーといったビッグ・バンド、あるいは、チャーリー・パーカーやディジィ・ガレスピーらのジャズをこよなく愛するミュージシャンの数々。彼らこそがR&Bにジャマイカのリズム感を融合して、後に大きな影響を与えることになるレゲエの原石を生み出した人々だった。 ンチャ、ンチャ(あるいは、スカの語源で典型的なギターのサウンド、スキャッ、スキャッ)というリズムにのせ、数々の名曲を毎日のように録音していったのが彼らだ。アメリカから海を越えてきたR&Bやジャズのヒット曲をカヴァーしたり、もちろん、オリジナルを作ったり… それがスカという音楽の始まりであり、当時の録音を聴けば、彼らがどれほどジャズ的だったか一聴瞭然となるのだ。トミー・マクックやローランド・アルフォンソといったサックス奏者、あるいは、トロンボーン奏者のドン・ドラモンドやギタリストのアーネスト・ラングリンといった伝説のミュージシャンが、そこで素晴らしい演奏を聴かせている。 が、彼らがジャズ・ミュージシャンとして高く評価されたことはなかった。今思えば、それは単に歴史の悪戯のなせる技でしかなかったんだろう。チャーリー・パーカーらがキューバ系ミュージシャンをフィーチュアしたアフロ・キューバンで成功し、スタン・ゲッツがアストラッド・ジルベルトとジャズ・ボッサで大ヒットを記録するなど、彼らの音楽がジャズ界でも認められていったのに対し、全く無視されていたのがスカだった。悲しいかな、アメリカのジャズ・ミュージシャンを巻き込んだスカの作品がたまたま存在しなかったことが、高度なジャズ性を持ったこの音楽に不遇な地位を与えてしまったのだろう。 といっても、実は、スカからレゲエに移行していった頃、ラスタたちが集まっていたワレイカの丘のコミューンに一時期身をおいていたのがレスター・ボウイ。あの当時録音されたレゲエ史に残る傑作、カウント・オージーの「ミスティック・レヴォリューション・オブ・ラスタファーライ」が、レスター・ボーイのユニット、アート・アンサンブル・オブ・シカゴに大きな接点を持っているのも納得できる。が、残念ながら、ジャズのメイン・ストリームからかなり離れたところに存在するのがボウイらのフリー・ジャズ。また、サウンド的な接点が希薄だったことが災いし、結局、スカやレゲエが本質として抱えるジャズ性が語られることはほとんどなかった。 また、スカ黎明期にドン・ドラモンドやローランド・アルフォンソらが完全なジャズを録音した作品を残してもしているのだが、ジャマイカ音楽の持つ高度なジャズ性が認識されるには90年代になるのを待たなければいけなかった。その先陣を切ったのがロンドンをベースに活動するジャズ・ジャマイカだ。フロントに立つのはスカ黎明期から活動を続ける伝説的なミュージシャンたち。そして、バックを支えるのはUKレゲエやジャズの世界で活動する若手ミュージシャンだ。スカをよりジャズ的な手法で演奏し、ジャマイカ音楽に対する正当な評価を求めて彼らが精力的に動き出したのは93年頃。面白いことに、時を同じくして、フランスあたりからスカのジャズ性にスポットを当てた録音の発掘作業が始まり、コートニー・パインなど、英国のジャマイカ人2世や3世たちのジャズ系のミュージシャンによるレゲエやスカに対するジャズ的な解釈やアプローチが始まっている。 そんな流れのなかで制作したのがジャズの名曲をジャマイカ音楽に料理したジャズ・ジャマイカの『ザ・ジャマイカン・ビート』だった。ここで取り上げたのは、「モーニン」や「テイク5」など、ジャズ・ファンならずとも知っているだろう名曲ばかり。そこにレゲエやスカのビートを与えることで、それがより魅力的な音楽に生まれ変わっている。安定した人気を持っているとはいえ、まだまだカルト的なスカ・シーンから生まれた彼らのこの作品がレコード会社の予想さえをも裏切るヒットを記録したのは、彼らのジャズに対するアプローチが多くの人々に認められたからだろう。 それを録音した当時から考えていたのが今回、サンドラ・クロスをリード・ヴォーカリストに録音することになったこの作品のコンセプトだった。『ザ・ジャマイカン・ビート』はインストゥルメンタル中心だったのだが、録音が終了する間際にぜひ収録してほしいと頼み込んだのがヴォーカル・ナンバー『ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ』。その結果、新人女性ヴォーカリスト、ジュリィ・デクスターをフィーチュアして生まれたのがそのレゲエ・ヴァージョンだった。ベースになっているのはセクシーな声が魅力の女性ヴォーカリスト、ヘレン・メリルが伝説のトランペッター、クリフォード・ブラウンと録音したヴァージョン。かつてこの曲がテレビCFに使われたこともあり、ジャズ・ジャマイカの仕上げたジャズ・レゲエ・ヴァージョンがラジオを中心にかなりの人気を獲得することになる。いずれにせよ、レゲエとジャズがほどよくブレンドされたこのヴァージョンを聴いて本格的なジャズ・レゲエのヴォーカル・アルバムを作る必要性を感じるにいたるのだ。 実は、その曲のヴォーカリストとして当初予定されていたのが、日本のレコード会社と契約して再起を図ったキャロル・トンプソン。残念ながら、契約上の問題からそれは実現しなかったのだが、彼女の前線復帰第一弾アルバム『フリー』に収められていたのがビリー・ホリデーの名唱で有名な『ラヴァー・マン』だった。ここで彼女を支えていたのは、ジャズ・ジャマイカの主要メンバー、ベース奏者のギャリー・クロスビーとギタリスト、アラン・ウィークス。ここでまた理想的なジャズ・レゲエに近いものを感じることになるのだ。 そのアレンジを手がけていたのが、サンドラ・クロスのこの作品にプロデューサーとして加わってくれたアラン。彼を中心に作品を作れば、想像していたとおりのジャズ・レゲエを完成できるに違いない。このプロジェクトはそこから始まっている。 ヴォーカリストとして候補に上がったのはサンドラ・クロス。これは、やはりジャズ・レゲエを打ち出してこの5月に日本デビューを果たしたバルバドスのサックス奏者、アルチューロ・タッピンがきっかけとなっている。彼の2枚目のアルバム『ジャヴァ』でカヴァーされているガーネット・シルクの名曲『ハロー・アフリカ』でリード・ヴォーカルをとっているのがサンドラ。バルバドスで実現した彼とのインタヴューで彼女が数年前からこの島に移住したことを知って彼女と出会い、このプロジェクトに関心があるかどうか尋ねてみたることになる。すると、即座にかえってきたのがこんな返事だった。 「面白いわね。ぜひやりたいわ。マッド・プロフェッサーと一緒にいろんなアルバムを作ってきたんだけど、このままじゃだめだと思っていたの。なにか新しい試みをしなけりゃって。それには最高のプロジェクトのような気がするのよ」 レゲエ・ファンならご存知の方も多いだろう。英国生まれのラヴァーズ・ロック界でジャネット・ケイやキャロル・トンプソンに次いで大きな人気を獲得しているのがサンドラ。プロデューサー、マッド・プロフェッサー率いるアリワ・レーベルの看板アーティストで、彼女のヴォーカルにはちょっとしたジャズっぽさも感じさせている。彼女がこのプロジェクトに加わってくれれば、理想的な作品が仕上がるに違いない。それは確信にも近い直感だった。 一方、アラン・ウィークスも同様の反応を見せていた。 「もちろん、やりたいさ。今度はもっと完成されたジャズ・レゲエを形にできると思うんだ。というか、今ならそれが可能だと思うんだ」 ビジネス的な部分をクリアした後、取り掛かったのが選曲だった。まずは、ジャズ的な曲からトーチ・ソング的なものまで、厳選に厳選を重ねて残されたのが30曲のジャズ・スタンダード。さらにサンドラとアランにそのテープを送り、アルバムに収録されるべき曲を絞り込んでいる。 演奏に加わっているのはジャズ・ジャマイカの主要メンバー、ベース奏者のギャリー・クロスビーやドラマーのケンリック・ロウ他、UKジャズ・シーンで活躍する辣腕ミュージシャンたち。スティーヴ・ウィリアムソンのバックで演奏するベース奏者、ネヴィル・マルコム、ラテン・シーンの重要アーティスト、スノー・ボーイのバックをつとめるアレックス・ウィルソンやクリーヴランド・ワトキスの弟、トレヴァーといったピアニストがいる。と思えば、ソロで加わっているのは、わざわざバルバドスからロンドンに飛んで録音に参加してくれたサックスのアルチューロ・タッピンや、アスワドからジャズ・ジャマイカと演奏を続けてきたリード奏者、マイケル・ローズにUKブルーノートから2枚のアルバムを発表しているオーフィー・ロビンソンや若手トランペット奏者の筆頭、バイロン・ウォーレン。未体験だった新しいジャズ・レゲエのサウンドに誰もが興奮しながら、アルバムの録音を進めていったのだ。 「レゲエだけじゃなくて、ジャズ・アーティストにも新しいドアを開くサウンドだ」 と、アルチューロが絶賛。と思えば、ジャズもレゲエも演奏できる英国のトップ・ドラマー、ケンリックはこう語っている。 「このアルバムの録音に参加できて、本当に光栄だよ。レゲエの歴史に全く新しいページを開くことができたんだから」 また、ヴォーカリストとしてこのアルバムの顔になったサンドラもこう語っている。 「すごく嬉しかったわ、今回のセッションは。誰もが互いにインスピレーションを与えながら、アルバムを作ったんだから。なによりもチーム・ワークで生まれたのがこれね。いろんなことが学べたわ。そうね、これは私にとっても転機になる大傑作よ」 おそらく、このアルバムを比較するのに最もよく引き合いに出されるのはサックス奏者、スタン・ゲッツが、今は亡きブラジル音楽界の巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン&アストラッド・ジルベルトと録音した歴史的傑作『ゲッツ&ジルベルト』だろう。ブラジルのリズムとジャズが合体して生まれたジャズ・ボッサに匹敵するのがこのアルバムに封印されたサウンドだ。ジャズ・レゲエ、あるいは、レゲエ・ジャズ、または、レゲエ・スイングやレゲエ・ブルー… このサウンドをどう呼べばいいのか、まだわからない。が、レゲエとジャズを完全に融合するという夢(JUST A DREAM)が実現したのがこのアルバム。いわば、ただの夢だと思っていたものが、そうではなかったのをこれが見事に証明しているように思えるのだ。 1996年9月7日執筆 ミキシングが終わったばかりのロンドンにて |