|
よほどのカリブ通でもない限り、バルバドスと聞いてなにかを思い浮かべることのできる人はほとんどいないだろう。ジャズ好きなら、伝説の巨人、チャーリー・パーカーの曲にバルバドスというのがあったのを思い出すかもしれないが、この島がどこに位置し、どんな言葉を使っているのか… 想像もできないというのが実状だろう。なにせ、このアルバムの主、アルチューロ・タッピンが日本に登場するまで、こと音楽に関する限り、バルバドスからなんの話題も届いてはいないのだ。 が、今、それが大きく変わろうとしている。なにせ、カリブ海でアルチューロはすでに大スター。ジャズとレゲエを見事に融合したユニークなサウンドを打ち出した彼が数々のレゲエ雑誌の表紙を飾り、その甘いルックスも相まって、女の子たちが顔を赤らめてサインをねだるほどの熱狂をも生み出しているのだ。おそらく、これまでレゲエと言えば、誰もが思い浮かべていたのはジャマイカ。が、アルチューロの登場でそんなイメージも大きく変わってゆくに違いない。 さて、バルバドスとはカリブ海の南東、小アンティル諸島からひとつだけ、ぽつんと東にはずれて浮かぶちっぽけな島。大きさは430平方kmで、ちょうど横浜市に匹敵する。かつては英国の植民地で、独立したのは66年11月30日。現在は約26万人を抱える、カリブ海で最も生活水準の高い国となっている。主要産業には砂糖黍やその関連業種があるが、まるで絹のような肌触りを持つ世界最高品質のコットン(海島綿)の産地としても有名だ。そして、言うまでもなく、莫大な金を生み出しているのが観光。なにせ、治安が良く、訛りの少ない英語が使われているせいもあって、アメリカや英国からの観光客が後を絶たないのだ。特に、英国の影響が強く、それが由縁でこの島に名付けられたのがリトル・イングランドという愛称。欧米人にとってここがジャマイカ以上のリゾート地となっているのは多いに頷ける。 そこで生まれ育ったのが、まだ30歳になったばかりのアルチューロだ。ジャズ好きの両親の下、初めて楽器を手にしたのは12歳の頃。その頃からプロ・ミュージシャンになることを心に決めていた彼は、15歳でサックスを吹き始めている。それとほぼ同時にバンドに入り、地元のレゲエ・バンドで活動を開始。それから約5年後に共演することになったのがUKレゲエ界の鬼才、デニス・ボーヴェルだった。おそらく、ボーヴェルは彼の非凡な才能をこの時点で見抜いていたのだろう。それから10年を経てアルチューロは彼の助けを借りて、ロンドンでデビュー作を録音することになるのだ。 が、ボーヴェルもその間にアルチューロが、これほどの成長を遂げるとまでは想像していなかっただろう。カリブ海で屈指の水準を誇るバルバドスで音楽教育を受けたアルチューロは、奨学金を得てバークリー音楽院に留学。ここでみっちりとジャズを学んだ後に帰国し、レゲエとジャズが完全に融合されたサウンドを生み出して、レゲエに新展開をもたらしてしまうことになるのだ。 観光が主産業ということもあり、演奏する場所には事欠かなかった。夕方はジャズ・クラブでジャズを、そして、夜から朝方までクラブでレゲエを演奏するという形で本格的な活動に入るのだが、まずは彼がメンバーだったレゲエ・バンドが地元でブレイク。それがスプラッシュ・バンドだ。まるでサード・ワールドとアスワドがブレンドされたようなサウンドを持つこのバンドでアルチューロは作曲、アレンジの中核として活動。そのライヴを見て彼にゾッコン惚れ込んだのが、彼のマネージャーとなるジョン・ハギンズだった。 「あのサックスをもっと聴きたかったんだ」 という彼が、まるで恋にでも落ちたようにアルチューロにアプローチした結果として生まれたのが、衝撃的なデビュー作『ストリクトリー・ルーツ・ジャズ』。わずか3日間(実際には15時間)でライヴ録音するという、実にジャズ的な手法で制作されたこれは、ボーヴェルの仲間でダブ・ポエットのリントン・クウェシ・ジョンソンを大きく刺激することになる。この録音のしばらく後、彼のレーベルから発表されたジャズ・レゲエ指向の作品、ジョン・カパイやスティーヴ・グレゴリーのアルバムにはアルチューロの影響が色濃く漂っている。 そんな画期的で、同時にポップなあのアルバムから1年後、それとは全く違った方法論で生まれたのがこの2枚目『ジャヴァ』だった。 「ジャズはインプロヴァイゼイション、そしてレゲエはリズム… そのぞれぞれが高度な技術を要求される奥の深い音楽だと思うんだ」 と語るアルチューロが、様々なスタイルのレゲエをここで披露しているのが面白い。基本的には70年代のルーツ・レゲエをこよなく愛するという彼が、そのまたルーツのスカから最も今日的なダンスホール・スタイルにジャズっぽいエッジを加えて、全く新しいサウンドを提供しているのだ。 アルバムの幕開けはケニーGの大ヒット曲『ソング・バード』。実を言うと、これはインストゥルメンタルで収録する予定だったのだが、『リズム・オブ・ラヴ』の録音のためにジャマイカからバルバドスを訪れたDJ、パパサンがこの曲に惚れ込み、「ぜひやらせて欲しい」と、わずか1時間で詩を書き上げて生まれたのがこのヴァージョンだ。今回、アルバム最後に日本盤のみのボーナス・トラックとして加えられたのが、そのインストゥルメンタル・ヴァージョン。聴き比べてみるのも面白いだろう。 ルーツ好きのレゲエ・ファンには応えられないのが、モダンなサウンドで甦ったオーガスタス・パブロの傑作『ジャヴァ』。当の本人も再現できなかったオリジナルの7インチ・ヴァージョンに基づいたこのトラックが実に素晴らしい出来映えとなっている。 アスワドも使っているスタジオ1時代のホーン・サウンドを拝借したオリジナル・ナンバー『ミスターT』に続くのは、ライヴで最も盛り上がりを見せるというボブ・マーリーの傑作『ノー・ウーマン・ノー・クライ』。そして、一緒にアメリカ・ツアーをやって多いに意気投合したというムタバルーカをゲストに、ちょっとアラビックなフレーズが飛び出してくるポジティヴなナンバー『ステップ・フォーワード』へと流れてゆく。このあたり、憎いほどスムーズなアルバム構成だ。 ゲスト・ヴォーカリストとして登場しているのは地元の女性、キャロル・ジョージ。まずは彼女がアニタ・ベイカーの曲『リズム・オブ・ラヴ』を歌い、続いてUKラヴァーズを語る時に欠かすことのできないサンドラ・クロスがガーネット・シルクへの追悼の意味を込めて録音された『ママ・アフリカ』で貫禄の声を聞かせている。 レゲエ・ファンのみならず、スカ・ファンをも魅了してしまうのが、『スカ・ロール』。スキャタライツが美空ひばりの『リンゴ追分け』をカヴァーした時のように、ガンマンの銃声を効果音に、スカの魅力をこれでもかと思い知らせてくれる名曲だ。そして、『キングストン・ロック』に『クルージン』とインストゥルメンタルが3曲続いた後、なんとドアーズの名曲『ハートに火をつけて』が登場。キャロル・ジョージのヴォーカルが実にセクシーで、ヒット性充分のヴァージョンだ。 アルバムの締めくくりは波の音でも聞こえてくる海辺で聴けばはまってしまうようなインストゥルメンタル『ヴァイブズ・サプライズ』。といっても、これが終わって、しばらくブランクがあった後に、隠されているのが『リズム・オブ・ラヴ』のDJヴァージョン。と、ここまでがオリジナルの構成だ。が、前述のように日本盤にはボーナス・トラックとして『ソング・バード』のインストゥルメンタル・ヴァージョンが加えられている。 さて、こうして初めて日本に紹介されることになったアルチューロ・タッピン。ライヴではドラムス、ベース、ギターというシンプルなバックで実に素晴らしいライヴを繰り広げている。今年出演が決定しているのはノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルやレゲエ・サンフェス… レゲエのみならずジャズの大きなフェスティヴァルでも演奏する才能を持つ彼が、今まさにカリブから世界に飛び出していこうとしているところだ。しかも、彼のレーベル、サックス・ルーツが作っているインターネットのホーム・ページ(www. saxroots.com)でチェックすると、すでに『メルトダウン』と名付けられた新作の録音に入っていて、そこではアルチューロのヴォーカルも披露されることになるらしい。それがどんな内容になるのか… この『ジャヴァ』を聴けば、その新しいアルバムが待ちきれなくなるに違いない。 1994年4月執筆 |