ARTURO TAPPIN-Strictly Roots Jazz

 かつて頻繁にカリブ海に足を運んでいた時期がある。私が訪ねていたのは南東の小アンティル諸島に浮かぶフランスの海外県、マルティニークやグァダループ。目的はそんな島から世界に向かって飛び出していったミュージシャンを取材することにあった。伝統音楽に根ざした華麗なサウンドを奏でるマラヴォワやカリ、新しいダンス・ミュージック、ズークを創造して活躍を続けるカッサヴやタクシー・クレオール、あるいは、タニヤ・サン・ヴァルやエディット・ルフェールといった歌姫たち… あの当時、それまで全く未知の存在だった新しい魅力を放つ彼らの音楽にぞっこん惚れ込んでいたと言えば、その気持ちをわかってもらえるだろうか。

 が、残念ながら、93年1月にマラヴォワのリーダー、ポロ・ロジーヌが前立腺癌で他界。それからしばらく後に、彼の墓参りをかねてマルティニークを訪ねているのだが、フレンチ・カリビアンの音楽に関する一般の関心が薄れると共に、徐々にカリブ海への足が遠のいていったと言えばいい。もちろん、今でも彼らのアルバムはチェックしているし、そのどれもが素晴らしいクオリティを保っているのも確かだ。が、残念なことに、国内で発売される作品が激減し、微塵の関心もみせなくなったのがメディア。取材しても発表できる媒体がなくなったのが、カリブ海から遠ざかっていった主な理由だろう。

 ところが、昨年から再びここに足を向け始めるようになってしまった。といっても、今度はフレンチ・カリビアンではなく、ジャマイカ。友人とここにちっぽけなレーベルを作って、名プロデューサー、ダニー・ブラウニーとアルバムを作り始めたのがその理由だが、同時に、ここ数年、レゲエやスカとジャズとの接点をつなぐ音楽へのこだわりが私をジャマイカに引きつけているのかもしれない。なにせ、私にとってレゲエのルーツ、スカとはジャマイカン・ジャズであり、レゲエそのものがが抱えるリズムやインプロヴァイゼイションにもジャズを感じるのだ。おそらく、それがどこから来るのかを突き詰めてみたいという衝動が私を動かしているのだろう。

 そんなプロセスで出会ったのがジャマイカ人の音楽ジャーナリストでジャズ評論家のダーモット・ハッセイだった。60年代から活躍する人物で、ジャマイカ音楽やその歴史に詳しい人ならば、おそらく、一度や二度は彼の名前を目にしたことがあるだろう。スカ黎明期から活動を始め、一時は英国で執筆活動を続けていたこともある。マルコムXからソニー・ロリンズといった人物と親交を持ち、ジャマイカ音楽史に登場する全てのミュージシャンと密接な関係を持つことでも知られる。

 その彼が自信を持って語っていたのが、ジャズが生まれたのはアメリカではなく、カリブ海だという持論だった。一般的に言えば、ジャズ発祥の地はニューオリンズ。が、ニューオリンズ・ジャズやその源流となるラグタイムをたどってゆくと、クリオールに行き着く。ちょっと考えてみればわかるのだが、今のように簡単に飛行機で飛べる時代とは違って、船で移動しなければいけなかったのが奴隷貿易なんて蛮行が行われていた時代。その結果、中継地となったカリブ海が後の文化を語る上で実に大きな意味を与えられることになるのだ。思えば、この地域こそがアフリカ文化とヨーロッパ文化がぶつかり、両者を融合させていったメルティング・ポット。事実、フレンチ・カリビアンの伝統的な音楽をチェックすれば、ニューオリンズ・ジャズのルーツがここにあるのは一聴瞭然なのだ。

 もちろん、ジャズが成長し、進化していったのはアメリカだろう。かといって、彼らがカリブ海を無視することは許されない。そう考えているのがダーモット。そのあたりで、彼の波長と私のそれが微妙に重なり合ったのだろう。すっかり意気投合し、昨年12月にキングストンを訪ねた時には、彼が選曲構成し、DJも担当しているラジオ番組にゲスト出演するほどになってしまった。その時のコンセプトはジャマイカン・ジャズ。そして、中心になって紹介したのは私が企画したジャズ・ジャマイカの『ザ・ジャマイカン・ビート』だった。そこに収録されている「クリストー・リデントー」を聞きながら、2人でこんなことを語り合ったものだ。

「いやぁ、ここにブジュ・バントンが入っていたら、すごいヴァージョンができるよね」

 UKジャズ界をリードするコートニー・パインにジャズ・ジャマイカのメンバーが叩き出すナイヤビンギのリズムで構成されているのがあのヴァージョン。そこにダンスホールをリードするカリスマ、ブジュが加わっても全く違和感はない。それどころか、まるでアート・アンサンブル・オブ・シカゴとブリジット・フォンテーヌの共演にも匹敵するとんでもない音楽が生まれる可能性を秘めている。あの時、彼と語り合いながら、ジャズとカリビアン・ミュージックがいかに密接なつながりを持っているか再確認できたように思えるのだ。

 前置きが長くなってしまったが、そのダーモットから、「すごいアーティストが飛び出してきたんだ」と、昨年7月に受け取ったのが、出来上がったばかりの『ジャヴァ』だった。おそらく、このアルバムを手にしている人ならもうチェックしているだろう、アルチューロ・タッピンの2枚目のアルバムだ。また、面白いことに、それ以前から彼の噂を話していたのがジャズ・ジャマイカのリーダー、ギャリー・クロスビーだった。

「すごいアーティストがいるんだ… レゲエ・ジャズってぇのか、ジャズとレゲエのフュージョンをやってる奴なんだけど」

 と、そんな話も聞かされていたものだ。今思えば、その時、このアルバムをチェックしていれば… と思うのだが、結局、まともにこのデビュー・アルバムをチェックしたのは昨年11月にアルチューロの住むバルバドスを訪ねた時だった。

 おそらく、よほどのカリブ海通でもなければ、バルバドスと聞いてどんな場所なのかを語れる人はいないだろう。チャーリー・パーカーの名曲でこの名を知っているか、あるいは、漠然とカリブ海の島と想像できるのが普通だろう。なにを隠そう、私も、島に入る前日まで、ここが独立国なのか、それに、どんな通貨を使っているのかさえも知らなかったのだ。今思えば、実に恥ずかしい限りだが…

 さて、リトル・イングランドと呼ばれるこのバルバドスが位置するのは南米のちょいと北。なにやら小アンティル諸島からぽつりと東にはずれたあたりに浮かぶ島だ。人口は約30万人で共和制の独立国。実は、私が島に入った翌11月30日に29回目の独立式典を迎えている。通貨はバーベイディアン(「バルバドスの」という意味)・ドルで、固定相場制を採用。US1ドルがバーベイディアン2ドルに相当する。そのせいもあるのだろうが、島の生活水準は高く、カリブ海でトップを争うほど。特に、雑然としたキングストンからこの島の首都、ブリッジタウンに降り立った私からすれば、ここがまるで天国のように思えたものだ。

 昨年30歳になったばかりのアルチューロが生まれたのはこの島で、今もここを活動拠点としている。カリブ海にありがちなのだが、主要産業は観光。リトル・イングランドと呼ばれていることからも想像できるように、国語は英語で、飛び抜けて治安のよいことから、ここをひっきりなしに訪れているのがイギリスやアメリカからの観光客。そのせいもあって、ブリッジタウンの中心には数多くのジャズ・クラブが点在している。夕方はそこでジャズを演奏し、夜になるとレゲエ・クラブでレゲエを演奏しているのがアルチューロ。「それだけでも食うに困らない金は充分稼げるんだ」と言う彼とのインタヴューを下にこのアーティストを紹介してみたい。

「音楽を演奏し始めたのは11歳の頃。ヴァイオリンをやって、それからしばらくしてクラリネットに持ち代えたんだ。実をいうと、ミュージシャンになろうと思ったのはその頃でね。だって、仲間のみんなが宿題なんかに四苦八苦していたのに、僕はなにも勉強しなくても全然問題なかったから、きっと僕には才能があんだって思ったんだ」

 と語る彼の両親が音楽好きで、家には膨大なレコード・コレクションがあったという。ヴァーヴやブルーノートといったレーベルのジャズからフランク・シナトラにサラ・ヴォーン… 本人に言わせると、子供の頃はそれほど好きじゃなかったらしいのだが、それがミュージシャンとしての彼にとって実に重要な影響を及ぼしていたそうだ。

「サックスをやり始めたのは… ちょっと勉強すればバンドに加われるからなんだ。クラリネットやヴァイオリンはやたら難しくて、極めるには時間がかかるし… 仲間はみんなバンドをやってたから、僕も人前で演奏したくてたまらなくなったんだ」  グローヴァー・ワシントンJRやチャック・マンジョーネに惚れ込んでいた15歳の頃にサックスを手にして、即座にレゲエ・バンドで演奏を始めていたという。そして、80年代始めにアメリカに向かい、バークレー音楽院でみっちりとジャズの勉強をしたというのだ。

「あそこは日本人がいっぱいいたから、誰が誰だか、よく覚えてはいないんだけど、すごいピアニストがいたね、女の子で。なんでもアルバムを発表してるってきいたけど…」

 と話していた彼の言葉から想像するに、ひょっとするとこれは大西順子のことではないだろうか。残念ながら、それを確認する手だてがないのであくまで想像だが、彼が来日した時にでも、彼女の写真を見せてチェックしてみたいと思っている。

 さて、バークレーで2年ほど勉強した後、バルバドスへ帰国。本格的な活動に乗り出している。クラブでジャズを演奏する一方で、参加したのが地元でレゲエを演奏するスプラッシュ・バンド。ジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュでも演奏経験を持ち、アスワドとサード・ワールドが合体したようなサウンドを打ち出しているバンドだ。その2枚目でマーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」をカヴァーしているのだが、実は、それを見たある人物との出逢いが彼のソロ・キャリアを生むきっかけとなるのだ。

 その人物が、サックス・ルーツという、アルチューロのためのレーベルを運営しているジョン・ハギンズ。本人はあまり知られたくないと表面に出てこないのだが、レゲエ&スカのフリークで、かつて自分でレコードも出していたイギリス人だ。コンピューター・プログラマーとして成功し、すでにそんな仕事を引退してバルバドスに居を構えている彼がロンドンに住んでいた子供の頃、好きでたまらなかったのがジャマイカから送られてくる7インチの裏面。ヴァージョンと呼ばれるインストゥルメンタルが大好きで、スプラッシュ・バンドのライヴを見た時にこう思ったというのだ。 「なんでもっとサックスを演奏してくれないのかな… って感じだよ。それはちょうど子供の頃にヴァージョンを聞いて、インストゥルメンタルがずっと鳴っていて欲しいと思ったのと同じでね。だから、彼に声をかけたんだ」

 好きこそものの始めなりといったところだろう。レコード・レーベルを作るとか、ビジネスをするとか、そんなことには関係なく、アルチューロにアプローチを始めたというのだ。ところが、アルチューロは彼にこう応えていたというから面白い。 「そりゃぁ、自分のアルバムが作れるのは嬉しいけど、あかの他人に大損させるわけにはいかないから…」

 と、最初は乗り気ではなかったらしい。ところが、ジョンはジョンでそれに対してこう応えているのだ。

「もし大損したって、僕が夢に描いていたアルバムを作れて、それを死ぬまで聞き続けることができるんだ。アルバムを作れただけで本望じゃないか」

 なんでもアルチューロを説得するのに費やしたのが1年。さらに、地元での試行錯誤を抱えて、やっと本格的なレコーディングにとりかかることになったのが94年の始めだった。そこで彼らがコンタクトをとったのが、デニス・ボヴェール。実は彼がバルバドスをツアーした80年代半ば、まだ若かったアルチューロが彼と演奏していることに端を発しているということだ。

「彼が地元のサックス奏者を捜していて、たまたま僕の噂を聞きつけた彼が雇ってくれたんだ。その時、将来、録音することがあったら、手伝ってあげるよって言ってくれてね。それが10年後に実現しちゃたんだよ」

 なんでも、それがきっかけでデニスにアプローチし、ロンドンでの録音が決定。スタジオ入りする前に6曲ほどの用意していたというのだが、それもラフで、あとはスタジオでのジャム・セッションから曲を作ってゆくというスタイルのレコーディングが実現するのだ。しかも、レコーディングに費やしたのは3日間。それも、だらだらと録音していたのでは集中できなくなるからと、録音は1日に5時間のみというスタイルだ。リズム・セクションはレゲエだが、いわば、完全にジャズのスタイルで録音されたのがこのアルバムなのだ。

「面白かったよ、ちょうどこのアルバムを録音しているときに、リントン・クゥエシ・ジョンソンが覗きに来て… 目を白黒させてるんだよね、やたら興奮しながら」

 と、この時の話を聞かせてくれたのはジョン・ハギンズ。思えば、このアルバムが録音された直後、94年の春にロンドンで偶然リントンに会っているのだが、こと時、彼がしきりに口にしていた『アシッド・ジャズ・レゲエ』という言葉は、おそらく、彼がアルチューロの録音を目撃したことがきっかけだったのだろう。また、この年の秋にジョン・カパイの『レッド・ゴールド&ブルース』やスティーヴ・グレゴリーの『ブッシュファイア』(両作品とも、日本ではクアトロから発表されている)というアルバムが発表されているのだが、アルチューロに大きな刺激を受けたリントンが両アルバムを制作しようとしたのではないかと推測される。

 いずれにせよ、この『ストリクトリー・ルーツ・ジャズ』に驚かない方が無理というものだろう。単純にレゲエのリズムでジャズを演奏していると受け取れなくもないが、ここに収められているサックスのよく歌っていること。サックスがリードをとるばかりで他の楽器との絡みがないのが残念だが、逆に、それでも全く聴く者を飽きさせることなく、グイグイと引きつけてしまうあたり、驚異的としか言いようがないのだ。まるでそれまで蓄積していたものを全て吐き出すように、あるいは、水を得た魚のようにアルチューロが歌っているのが手に取るように伝わってくる。これにはリントンだけではなく、レコーディングに参加したミュージシャンも驚いただろう。実に、最高の瞬間を捕らえているのがこの時のアルバムなのだ。

 ちなみに、ここに参加しているのはリントンやデニス周辺の強者たち。前述のジョン・カパイやそのアルバムに参加しているキーボード奏者、ヘンリー・ホールディングのクレジットも見えるし、カーリーン・アンダーソンのデビュー・アルバムでプロデューサーをつとめたイアン・グリーンがベースで参加している。さらに、アルチューロのバンドのメンバーで、彼と同時にスプラッシュ・バンドを脱退したドラマー、マイキー・ハルスマイアーがドラムスという布陣だ。この5人が、まるで長年一緒に演奏してきたかのようなコンビネーションを見せながら、ジャズとレゲエを見事に融合した新しい音楽をここで作り出しているようにも思えるのだが、どんなものだろう。

 さて、ずいぶんと長くなったが、このアルバムを発表して約1年後に、全く違った方法論で録音されたのが2枚目となる『ジャヴァ』。全曲オリジナルでインプロヴァイゼイション中心のジャズ・レゲエだったこの作品に対して、新作ではケニーGからアニタ・ベイカー、あるいは、ボブ・マーリーからガーネット・シルク、さらにはオーガスタス・パブロのカヴァーを収録し、ダンスホールからルーツ・レゲエ、スカなど、アルチューロが抱える幅広い音楽の世界を垣間みれる内容に仕上がっている。ゲスト陣も多彩で、ムタバルーカからパパサン、あるいは、バルバドスに移住したサンドラ・クロスや地元で歌うキャロル・ジョージなどの顔を見ることができる。これも傑作だ。

 ジョン・ハギンズからの情報によると、ジャマイカではすでに3000人クラスの会場を簡単にソールド・アウトできるほどの人気を獲得。今年はレゲエだけではなく、最近は日本でも知られ始めたノースシー・ジャズ・フェスティヴァルなどへの出演も決まっているという。おそらく、96年のレゲエ界の(あるいは、ジャズ界でも?)台風の目となるのがアルチューロ。彼からは絶対に目を離さないでおこうと思っているレゲエ・ファンは、おそらく、私だけではないはずだ。

1996年2月19日執筆

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