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「親父の調子はどうだい」 今思えば、かなり間抜けな言葉で、このアルバムの主、トロージャンズのギャズ・メイオールと初めて口をきいたのはなんと10年前に遡る。そして、彼がロンドンはソーホーのど真ん中、ディーン・ストリート69番のゴッシップスという店で『ギャズズ・ロッキン・ブルーズ』というクラブを始めたのは15年前。改めてそう考えると、あの出会いが遥か昔の出来事だったようにも思える。 実際、あの当時、レゲエのルーツ、スカのことなんぞ全く知らなかったのが筆者。ところが、それから10年の間に新しく登場した数多くのスカ・バンドのアルバムでライナーを執筆したり、スカのコンサートに毎回顔を見せるようになったり……また、スキャタライツのローランド・アルフォンソに「ソウル・ブラザー」と呼ばれて大喜びしたこともあれば、やはり伝説的なミュージシャン、リコ・ロドリゲスとも親しく口をきくようにもなっている。と思えば、昨年なんぞは彼の在籍するジャズ・ジャマイカのアルバム制作にまで着手。それがスカとジャズの微妙な関係を形にした『ザ・ジャマイカン・ビート』だった。手前味噌だが、これは近年稀に見る傑作。是非チェックしてほしい作品だ。 いずれにせよ、おそらく、ギャズなくして筆者がスカとこれほど親密な関係を持つことはなかったろうし、同時に、彼なくして日本でスカがこれほど人気ある音楽として安定した土台を築くこともなかったろう。もちろん、全てが彼から始まったわけではないが、少なくともスカに正当な評価が与えられるようになった背景に彼の影響があることは否定できない。 思えば、彼が初めて日本にやってきたのは、このアルバム『アラスカ』のオリジナルが録音される前の86年4月だった。残念ながら、この時の主役は今や伝説的ジャズDJとなったポール・マーフィ。当時としては異様だったロンドンのジャズで踊るクラブを再現するためにクラブ・キングが主催した『メガ・ダンス・シティ』で、ギャズはゲストDJとして顔を見せている。といっても、ポール同様に脚光を浴びたのがギャズ。この時も、筆者が彼に譲った笠置シヅ子のアルバムを早速セッションで使うなど、その自由奔放なDJぶりに驚喜した人々は少なくはないはずだ。おそらく、オーセンティックなスカが日本で初めて、あるべき姿で紹介された最初のきっかけがこれじゃなかったろうか。 そして、翌87年5月にギャズのプロデュースでデビューを飾ったポテト5が、スカのゴッドファーザー、ローレル・エイトキンと共に来日。オーセンティックなスカを初めて日本に生で紹介することになるのだ。それがどれほど衝撃だったか……それまではスペシャルズやマッドネスに代表される2トーンの方が一般的には支持されていたのに、徐々に状況は逆転。オーセンティックなスカに対する評価がウナギ登りになっていったのだ。 実は、その時初めて日本に持ち込まれたのがこのアルバムに先行して英国でシングルとして発表されていた『リンゴ』。言うまでもなく、かのスキャタライツが64年にジャマイカで録音していたヴァージョンをベースに、ギャズが日本語の歌詞をのせて歌ったものだ。初来日した時、なにげなくこの曲を口ずさんでいたら、いきなり歌いだしたのが隣にいた日本人の女の子……それでこのオリジナルが美空ひばりの『リンゴ追分け』だと発見した彼が、ゾッコン惚れ込んで独自のヴァージョンを作り上げてしまったのだ。 あの2度目の来日時に自ら持ち込んだこのシングルが大好評を博し、しばらくしてアルバムも輸入盤屋で隠れたヒットを記録。が、当時は『リンゴ追分け』の出版社からこのヴァージョンを発表する許可を得られず、『アラスカ』の日本発売は実現しなかったというのが実状だ。が、時は変わって93年。やっとのことで許諾のおりたこのヴァージョンが、トロージャンズの最高傑作と言われる5枚目の『ワイルド&フリー』にボーナス曲として収録されている。ここでこの傑作ヴァージョンがやっと日本で陽の目を見たわけだ。 ただし、タイミングを逸したということもあって、日本発売が見送られてきたのがこのデビュー・アルバム。それがやっと完全な形で、しかも、ダブや未発表ヴァージョンのおまけをめいっぱい詰め込んだ2枚組として破格値で発表されるというのだから、ファンにはたまらない。もちろん、バンドが生まれたばかりだった頃の録音であることもあって、サウンドはラフ&タフ。が、オーセンティックではあっても、ここには過去の真似事ではないオリジナリティを持ったスカを創造し続けるトロージャンズのルーツが完全な形で収録されている。 また、昔からのファンに嬉しいのは、今ではロンドンで最も人気のあるセッション・プレイヤーとして大活躍を続けるジョニーTや役者としてシェイクスピアなどの作品にも出演しているリトル・ポール、それに『ワイルド&フリー』の録音を前に他界してしまったベース奏者、アンドリューの顔も見えることだろう。それに、やはり同じアルバムを最後にバンドを離れ、現在はリコ・ロドリゲスのバンドで活躍するギタリストのクリスピンや結婚を期にカナダに帰ってしまったドラムスのラッキー・ピートといった、今のトロージャンズ・サウンドを決定づけた人々が勢揃いしているのも嬉しい。筆者にしても、実は、最も思い入れのあるのがこのアルバムなのだ。 結局、95年現在、オリジナル・メンバーとして残っているのはギャズとサックスのコリンのふたりだが、このアルバムの直後にバンドに加わったルーディやマークは健在だ。また、バグパイプで独特のケルト色を出しているアントンの参加はジョニーTの穴を埋めてあまりあるほどのオリジナリティを生み出している。なにがどうあろうと、トロージャンズは止まることなく動き続けていくということなのだろう。それを証明していたのが昨年暮れに『ゴシップス』から『サン・モリッツ』(ソーホーのウォードー・ストリートにある)に場所を移して続けられることになった『ギャズズ・ロッキン・ブルーズ』で見た彼らのライヴ。また、彼の弟、ジェイソンのウェディング・パーティでは父、ジョンとも共演して元気なところを見せてくれたものだ。 それに、日本では契約問題で発表されなかった『ケルティック・スカ』(アナログはグリーンのビニール盤!)が飛び出してきたり、この4月には彼の選曲したR&Bのコンピレイション・アルバムが初めてまともな形で日本で姿を見せることになっている。彼のクラブをサウンドで再現したようなプライヴェート・カセットを集めていた人には、これほど嬉しいニュースもないだろう。 さらには、ますます精力的な動きを見せているギャズがトロージャンズを引き連れて出演することになったのが今年5月28日に開催されるスカ・エクスプロージョン。久々の日本公演だが、ここで彼らがどんなライヴを見せてくれるか、楽しみにしているのは筆者だけではない。おそらく、そこに足を運べば、なぜ彼のクラブがロンドンで最も長い歴史を誇るのか、手に取るようにわかるはずだ。 1995年2月22日執筆 |