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いわば、嬉しい誤算となったのが、一昨年12月に開催されたストレート・ノー・チェイサー(SNC)のイヴェント“メイク・イット・ファンキィ”だった。実を言うと、あのイヴェントを企画したのは私白身とSNCの編集長でDJでもあるポール・ブラッドショウ。あの時、私たちが狙っていたのは、今では伝説となった、ロンドンはカムデンタウンにあったディングウオールズのクラブ“トーキン・ラウド、セイン・サムシング”で繰り広げられていたジャム・セッションを日本で実現することにあった。そして、ジャズっぽいダンス・ミュージックではなく、シーンを支える本物のジャズ・ミュージシャンを日本に紹介する。それを起爆剤に、日本のシーンを活性化させようと考えていたのだ。 実際、当初、招聰を考えていたのはUKジャズ・オールスターズとも呼べる面々だ。まずはリストに上っていたのがサックス奏者、コートニー・パインとスティーヴ・ウィリアムソン。フロントにヴォーカリストのクリーヴランド・ワトキスを起用し、ピアニストで名前が挙がっていたのはジュリアン・ジョセフやジェイソン・リベロだ。リズム・セクションはルーィンソン・ブラザーズで、パーカッションはインコグニートで活動しているトーマス・ダイアニ。もちろん、ギタリストは、このアルバムの主、トニー・レミーで、その他にも、ヴァイブ奏者のオーフィ・ロビンソンやフルート奏者のフィリップ・ベントも加える。しかも、沸点寸前にあった日本のシーンを支えるDJやミュージシャンも集めるという夢のような企画だったのだ。 ところが、そのプロセスで直面したのが予算とスケジュールの問題だった。いずれのアーティストも独白のグループで活動するかたわら、スタジオ・ワークで多忙を極める有能なミュージシャンでもある。ロンドンで開催するならともかく、海を渡った日本でとなると、スケジュール調整は不可能に近い。さらに、巷でUKジャズが噂にはなっていても、コストに見合う集客は期待できない。残念ながら、結局、スポンサーから与えられていた予算ではUKジャズ・オールスターズのイヴェントは不可能だという結論に達したのだ。 その結果、ポール・ブラッドショウのアイデアで浮上したのが、シーンの今を的確に告げることのできるユニットの起用。それがスティーヴ・ウィリアムソン率いるザット・ファス・ワズ・アスだった。“ガタガタやってるのは俺たちだ”というバンド名から想像できるように、彼らがその音楽で主張していたのはシーンの今を伝えるヴィヴイッドなジャズ。あるいは、彼らが真っ向からジャズを演奏しているという自負だ。ポールいわく、体制派のジャズ評論家も唸らせるのが彼らのサウンド。同時に、噂でしかなかったUKジャズのハードコアを初めて日本に紹介できるという思惑もあった。そんなプロセスを経て実現したのがあのイヴェントだったのだ。 スティーヴ・ウィリアムソンのサックスを筆頭にした来日メンバーは、リズム・セクションがピーター(ds)&スティーヴ(eb)のルーインソン・ブラザーズ。予定されていたパーカッション奏者、トーマス・ダイアニはインコグニートのツアーを抜けられず、代わりにシャーデーのバンドで活躍するカール・ヴァンデン・ボッシュが参加している。そして、トロンボーンはブラン・ニュー・ヘヴィーズのホーン・セクションのひとり、デニス・ロリンズで、ギターはトニー・レミー。そこにJTQとの来日経験を持つノエル・マッコイがヴォーカルで加わるというものだった。 「絶対に大丈夫。今、ロンドンで最もホットなバンドだから、心配することはないよ」 ポールがそう言ってくれたものの、全く不安がなかったわけではない。というのも、それぞれのミュージシャンの力量には絶対の自信があるのだが、あの時点で彼らのバンドとしてのライヴを体験したことがなかったからだ。ところが、そんな不安を見事に吹き飛ばしてくれたのがツアー初日、京都での演奏だった。ステージからは超ファンキーなリズムが叩き出され、豪快で敏密な… そして、まるでプロレスのバトル・ロイヤルを思わせるようなソロ合戦が飛びだしてくる。その迫力は私の想像を遙かに越えてワイルドでファンキーでホット… その類の言葉をいくら並べても不十分なほど圧倒的なものだった。特に壮絶だったのは11日と12日の、東京はゴールドでのライヴ。おそらく、両日で軽く3千人も集まったオーディエンスの熱気がミュージシャンに伝わったのだろう。3時間近い白熱の演奏が繰り広げられていたものだ。 そんな辣腕ミュージシャンのなかで、スティーヴに負けず劣らず強烈なインパクトを与えていたのがトニー・レミーだった。というよりは、スティーヴ以上に観客を驚かせたのが彼だったと書くべきか… なにせ、すでにリーダー・アルバムを2枚発表していたスティーヴと比較すれば、トニーは全く無名のギタリスト。ひょっとすると、日本でも発表されたクリーヴランド・ワトキスのセカンド・アルバム『プレッシング・イン・ディスカイズ』で彼のギターをチェックしていた熱心なファンもいたかもしれないが、その知名度は皆無に等しい。ところが、彼がソロを取るや否や、ブッ飛ばされたのがオーディエンス。ファンクやジャズをべースにしながらも、彼が弾き出していたのはギターの魅力を企て詰め込んだような変幻自在のサウンドだ。しかも、強力なロック色も感じさせる。時にはシミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」やエアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」のフレーズまでが飛びだす彼のソロは、あのライヴで群を抜いた個性を覗かせていたような気がするのだ。 そのトニー・レミーと初めて遭遇したのはもう数年前に遡る。たまたま取材でロンドンを訪ねていた時のことだ。暇を持て余して入ったジャズ・クラブ、ロニー・スコッツで発見したのが彼だった。ヘッドライナーはジョー・パスのソロだというのに、前座で登場したバンドはフュージョン指向。そのアンバランスにも驚かされたが、なによりも強烈だったのはトニーのギター。あまりに月並みな言葉だが、あの時の素直な感想は、「わぉ、すんげえギタリストが出てきたもんだ」の一言だった。なにがどう凄いのか… なかなか説明できないのだが、フレージングから音の表情までを含めた全てといってもいい。正直なところ、どんな曲を演奏したのかさえも覚えてはいないのだが、彼の衝撃的なギターだけは鮮烈な記憶として脳裏に焼き付いている。 それからが大変だった。その人物が誰なのか、レコードは出ているのか… そんな疑問がムクムクと顔を出し、情報を集めだしていた。それに答えてくれたのが元ワーキング・ウィークのサイモン・ブースだった。 「めちゃくちゃウマイだろ? 今、ロンドンのミュージシャン仲間で。評判のギタリストでね、トニー・レミーって言うんだよ」 今、思えば、それを教えてもらって以来、ずっと彼を追いかけていたことになる。前述のクリーヴランド・ワトキスのアルバムやジェイソン・リベロ、コートニー・パインの作品で演奏される彼のギターを聞いては、早くリーダー・アルバムが発表されないかを心待ちにしていたわけだ。そして、確か92年2月頃、彼自身のバンドによるライヴを初体験することになる。正確な日付は覚えてはいないが、UKブルーノートから、ロンドンの新進ミュージシャンを集めたコンビレイション・アルバム『バイロテクニクス』が発表された頃だったろうか。もちろん、そこでレコード・デビューしたのがトニー・レミーだ。場所はカムゲンタウンにあるジャズ・カフェ。当日のゲスト・ヴォーカルとしてクリーヴランド・ワトキスとアリソン・リマリックが登場し、会場にはUKブルーノートのA&Rやオーフィ・ロビンソンなども顔を出していた。 ここでまたトニーの超絶ギターに頭をブン殴られることになるのだ。なんと、この時、彼がギターに取りつけていたのがヴォコーダー。いまだかつてそんなギタリストは見たことがないし、前述のバンドの時と違ってトニーの演奏が一段とワイルドになっている。SNCの92年12月のイヴェントに先立つプレス資料に“まるでシミ・ヘンドリックスがファンク・ジャズを演奏しているようなギタリスト”と彼を紹介しているのだが、正にその通り。残念ながら、ユニットとして未完成という印象は拭えなかったが、それでも、トニーに対する評価が揺らぐどころか、ますます高くなっていったのだ。 おそらく、SNCのイヴェントでトニーを初めて体験した人にとって、それだけでも充分に衝撃だったろう。が、あのライヴではヴォコーダーは使われていなかったのが実に残念だった。その理由を彼はこう語っている。 「あれは僕の秘密兵器だから… 自分のバンドで来日する時まで、隠しておくんだ」 かなりの人柄だが、もの静かで人真面目な彼が愛敬いっぱいの微笑みを浮かべて語っていたものだ。その時のインタヴューを下に、簡単なバイオグラフィーを紹介してみよう。 「生まれは62年で北ロンドン。両親はジャマイカ系で、おふくろがよく聴いていたのはスカやR&Bやブルービートでね。音楽との出会いは7歳の頃かな。小学校でリコーダーを演奏し始めて、よく親に『ウルサイ!』って怒鳴られたものだよ(笑)。で、中学校でクラシック・フルートの勉強と同時にピアノも始めて、音楽的な知識を学んでいったんだ」 聞くところによると、フルートの演奏力は相当なもので、英国の協会が行なっている資格試験で最高位の8級を取っている。が、その頃、ギターに転向しだというのだ。 「好きだった音楽がフルートじゃ演奏できなかったからさ。当時好きだったのはチャック・ベリーやストーンズ。確か79年頃かな。ギター音楽に目覚めたのはかなり遅かったよ」 が、面白いことに、ことジャズに関していえば、ギタリストはほとんど聞いていなかったという。なによりも彼が衝撃を受けたのはチャーリー・パーカー。彼はパーカーやコルトレーンをギターでコピーしながら、独学で自分のスタイルを確立していったのだ。 「なぜジャズか… それが無限の可能性を秘めているからさ。しかも、全ての音楽を吸収している。僕から見れば、バッハのヴァイオリン・コンチェルトなんて完全なジャズだよ。レゲエやファンクだと、自分を限定してしまうことになるからね。当然、そんな音楽の影響もあるけど、もともとはロックやブルース。そこにパーカーたちのスタイルを吸収したんだ。だから、今もサックスを演奏している気分でギターを演奏しているんだ」 その彼がジャズ・ギタリストの演奏を聞き始めたのはごく最近のことだというのだ。 「そう、かなりのオクナなんだ。ジョン・スコーフィールドとかマイク・スターンとか、マイルスと一緒に演奏していた人たちに、ジョージ・ベンソンやウェス・モンゴメリーにパット・メセニー… そのあたりの人たちが気に入ってるな」 また、彼の演奏で色濃く見られるのがシミ・ヘンドリックス的な要素。そのあたりを彼がこう語っているのが面白い。 「僕にとってシミはジャズ・ギタリストさ。だって、彼がやっていたのは高度なインプロヴァイゼイションじゃないか。ジャズの要はそれだと思うんだ。特にパーカーを勉強し始めてからかな。彼のギターに開眼し、それがサックス的だって感じるようになったのは。彼をひとりで学んでいったんだけど、それが大きな肥やしになってると思うな。スティーヴ・ウィリアムソンとか、仲間のミュージシャンはみんな音楽学校を出ているけど、残念ながら、僕が勉強したかったスタイルのギターを教えているところがなくてね。それも学校に行かなかった理由なんだ」 彼のプロ・デビューは86年。フィリップ・ベントのバンドなどで演奏していた。そのプロセスで彼はアンダーグラウンドの映画音楽やテレビ番組のテーマ・ミュージックの作曲も経験し、渡英したルー・ロウルズやポゥリーニョ・ダ・コスタといったミュージシャンのバックで演奏もしている。レコードでの初演奏はフィリップ・ベントの作品。それ以降、クリーヴランド・ワトキスやジェイソン・リベロ、コートニー・パイン、ジャン・トゥサン、アリソン・リマリックなどのアルバムでも素晴らしい演奏を聞かせている。 そんな活動の中でたまたま試してみたのがヴォコーダーだ。 「ハービー・ハンコックがキーボードでヴォコーダーを使っていた『フィーツ・ドンド・フェイル・ミー・ナウ』のアルバムが好きでね… 当然、彼は違った使い方をしているけど、ひょっとしたらって感じで、楽器レンタルの会社の友人に頼んで試してみたんだ。そしたら、ヴォコーダーにギター・インプットってのがあるんだよ。これは面白いっていうんで、試行錯誤したのがジャズ・カフェでライヴをやった数日前だったんだ。実は、あれが僕自身のバンドで初めてのライヴで… それがうまくいったってえのかな。これでギターにもっと大きな表現の幅が出てくるように思えるんだ。Bラインに、コードや単音に重ねて使うとか… それに、偉大なシンガーでなくても歌えるのがいいよ(笑)」 さて、彼のリーダー作でのレコード・デビューは前述のようにUKブルーノートから発表された『パイロテクニクス』。そこにはこのデビュー・アルバムのタイトル・ナンバー「BOOF!」と「ヘイゼルズ・ドリーム」が収められている。数多くのレコード会社から彼へのアプローチが始まったのはその頃だ。まずはUKブルーノートやステップス・アヘッドのマイク・マイニエリが誘いをかけている。 「でも、彼のバンドに入ってバックでギターを弾くのが条件で… そりゃ、ステップス・アヘッドは好きだし、一緒に活動すればプロモーションもできる。ビジネス的にはその方が良かったけど、もう他人のバックはやりたくなかった。と思っていたら、GRPのカール・グリフィンからアプローチがあってね。特にラリー・ローゼンが気に人ってくれたみたいで、即契約さ。しかも、同じ日にレコーディング入りしたんだ。それが92年10月さ」 が、GRPのサウンドとトニーのUK的なアプローチにかなりの開きがあると思うのだが、彼はその点に関して、こう語っている。 「彼らが求めていたのが今までとは違ったサウンドにあったんだ。だから、自分の好きなことができる。もちろん、ブルーノートも魅力なんだけど、今のインストゥルメンタル・ミュージックに関してはGRPの方が扱いに慣れているって感覚もあったんだ。だから、GRPに決めたんだよ」 92年12月にトニーとインタヴューをやった時、実はすでにこのアルバムのレコーディングが終り、昨年3月にはそれが発表されると聞かされていたものだ。ところが、いくら待ってもアルバム発表のニュースはなし。問題でもあったんだろうかと、心配していたところに届けられたのがこの作品だ。 「とりあえず、アルバムはソフトな仕上がりになっているんだ。ライヴでのギンギンの演奏は感じられないかもしれないけど、それはライヴに来ればいいわけで… このアルバムでは、いろんなレンジの表現や作曲といった自分の全ての面を出したかったんだ。タイトルは『BOOF!』。これはロンドンに住むジャマイカ系の人々の表現で、やりたいことをみんなやった時に出てくる言葉なんだ」 おそらく、“よ〜し、やったぁ”とでもいったニュアンスなんだろう。その言葉通り、素晴らしいアルバムを作りあげてくれたものだ。本当はあのインタヴューでいろんな話を聞いているのだが、これ以上書くスペースはない。というより、すでに規定量を遙かに越えて書いてしまった。多分、インタヴューはどこかの雑誌で発表できることもだろうし、ミュージシャンに関してはクレジットを見てチェックしていただくしかないだろう。 ちなみに、日本とヨーロッパに関しては最後の2曲がボーナス・トラック。そこでコートニー・パインの演奏を聞くこtができるなど、日木のUKジャズ・ファンにとって、実に嬉しいアルバムとなっている。あとは、トニー・レミー自身のユニットで、ヴォコーダー込みのライヴが実現すれば文句はない。おそらく、独白のユニットでのトニー・レミー来日公演を懇願しているのは、SNCの“メイク・イット・ファンキィ”で興奮した新世代のジャズ・ファン全てたと思うのだ。 1994年2月16日執筆 |