REV HAMMER-The Bishop Of Buffalo

ここ1年半というもの、仲間に幾度となく口にしているのにこんな台詞がある。

「絶対、レヴェラーズ。アイツら最高だよ。聴かなきゃダメだからね。ハッキリ言って、過去10年、あんなすごいライヴ、見たことないもんね。全盛期のクラッシュ並だから」

 周囲の人間にとっちゃ、迷惑な話だろう。なにせ、一度話したことがあっても、おかまいなし。何度も何度も同じ話を繰り返してしまうのだ。しかも、それでも不十分だと、彼らのライヴ・ビデオを送り付ける・・・ これじゃ、まるでレコード会社のプロモーション屋だと、時に、そんな自分に苦笑してしまうこともあるほどだ。

 結局、いつまでたっても、子供のままの音楽ファンなんだろう。いつも口にしているのはお馴染みの言葉。「ねぇねぇ、これ聴いた? すんごいよ」でも、そんなバンドを発見できた時の喜びはなんとも言い難い。レヴェラーズはそれほどの衝撃を与えてくれたバンドだったのだ。

 レヴ・ハマーのライナーだというのに、他のバンドの話で始まるというのも奇妙だが、 実は、彼との出会いはレヴェラーズがきっかけだった。コトの起こりは92年6月のグラストンバリィ・フェスティヴァル。ここで体験したレヴェラーズのライヴがあまりに素晴らしかったおかげで、彼らのレコードを全てチェックするハメになるのだ。フェスティヴァ ルからロンドンに戻るやいなや直行したのがレコード屋。まずは、この時、まだ聞いていなかった彼らのデビュー・アルバム『ア・ウェポン・コールド・ザ・ワード』(『言葉という武器』とは、なんと素晴らしいタイトルだ!)を入手したのだが、そこで発見したのが同じ棚に並べられてあったレヴ・ハマーの『レヴズ・インダストリアル・サウンド+マジック』だった。というのも、このアルバムを全面的にバックアップしているのがレヴェラーズ。レヴ・ハマーが誰か、そして、どんな音楽を演奏しているのか・・・ もちろん、そんなこと知る由もない。なにはともあれ、聞いてみようとかったのがこのCDだった。

 そのアルバムから飛び出してきたのは、紛れもなくレヴェラーズだった。当然だろう。なにせ、ヴォーカルがレヴ・ハマーであることを除けば、まるごとレヴェラーズのアルバ ムなのだ。もちろん、ラフなレヴのヴォーカルはレヴェラーズのマークやサイモンとは一味違う。が、ちょっと渋みがあるレヴとバックのサウンドとのコンビネーションが独特の響きを持っている。特にアルバム巻頭の『ダウン・バイ・ザ・リヴァー・オー』や『カリフォルニア・バウンド』に『シャッティン・ジ・オール・ダート・ダウン』、また『ジミ ィ・フラナガン』など、レヴェラーズのライヴを思い起こさせるような曲が大いに気に入ったものだ。

 そんな事情があって引き受けたのがこのライナーだった。ところが、レヴ・ハマー本人に関して全く情報がない。こんなことなら、昨年10月にレヴェラーズの取材をした時にメンバーに話を聞いていればよかったと後悔したのだが、後の祭りとはこのことだ。実は、 あの時、サイモンと2時間近くのインタヴューをしたというのに・・・ 訊きたいことがいっぱいあるバンドというのはいつもこうだ。

 というので、レコード会社に無理をいってアレンジしてもらったのが電話によるレヴ・ハマーとのインタヴュー。ここではそれを下に彼を紹介していこう。

「実は、歌い始めた時、失業保険の給付を受けていたんだ。だから、ミュージシャンとして活動しているのがバレたらヤバイと、この名前を使いだしたんだ。10年ほど前かな。いずれにせよ、警察にはバレたけど(笑)」

 と、電話の向こうから人のよさそうなレヴの声が聞こえてきた。なんでも出身地はロンドンで、現在はケンブリッジ在住。年齢は28歳だという。

「子供の頃、両親がカントリィ&ウェスタンが好きで・・・ 特にジョニィ・キャッシュの大ファンなんだ。いつもジョニィの歌で目を覚ます・・・ そんな毎日さ。僕を歌わせたのは彼さ。彼の姿勢がいいよね。いい歌にいい曲ってだけじゃなくて、歌に意味を込められている。真実の歌だって気がするんだ」

 ジョニィ・キャッシュになろうと、最初に手にしたのがギター。16歳で学校を出て、写真を勉強するためにカレッジにいくのだが、18歳の頃から音楽活動に入っている。といっても、なによりも関心があったのは歌よりも詩で、「ベースやエフェクトを使って詩の朗読をするようなものだった」らしい。それが彼にとって初めてのバンド・・・ あるいは、ユニットともいえる『ハマー&シクル』(星条旗に対する旧ソ連邦のシンボル)だった。メンバーは彼の歌とギター、それにベースのふたりで、83年から1年ほど、そんなスタイルで演奏していたというのだ。

 レヴが音楽活動にシリアスになり始めたのは84年。彼がニュー・モデル・アーミィ(NMA)の連中と会った時だった。メンバーのジャスティンらとアパートをシェアしていた彼は、ここで音楽産業の末端を垣間見ることになる。そして、彼らのマネージャーがレヴの面倒を見るようになっていた。その頃、NMAのジャスティンや詩人のジュールズと始めたのがレッド・スカイ・コヴァーン。旅の一座のようなグループだった。

「旅するフォーク・クラブみたいなものさ。マネージャーやPAや照明もなし。ただ、楽 器と身体を車に放り込んで、旅をしながらライヴを続けるんだ。全然ロックンロール的じ ゃなくって、前売り券なんてものもない。パブとか・・・ いろんな場所で演奏してるよ。僕 は僕の歌を。ジャスティンはNMAの歌をアクースティックでやって、ジュールズは詩人 でコメディアンだから、観客といい雰囲気を作る。そんな感じさ。重要なのは観客とのコ ミニュケイション。完全なコンサートがどんなものか、それを探すための旅なんだ」

 音楽産業というシステムが完成された今、彼らのやり方が奇妙にも見える。が、おそら く、その昔、これが普通のエンターテインメントのあり方じゃなかったろうか。街から街 へ、そして村から村へ、旅をしながら歌う。それは伝統的でオルタナティヴな音楽のあり 方を示している。そのレッド・スカイ・コヴァーンのツアーが始まったのは86年。同年、4回のUKツアーに加えてドイツやスイス、オーストリアと、ヨーロッパへもツアーを続 けている。実は、今も進行しているのがこのプロジェクト。それぞれの活動と平行して、 彼らの時間が折り合えば、ツアーに出るというのだが、できれば、日本でも彼らのツアー が実現してほしいものだ。

 さて、そんな姿勢が今は亡きフォーク界の伝説、ウッディ・ガスリィや数多くのブルー ズ・シンガーを想わせる。彼らも旅をしながら歌い続けるトルバドゥールだった。

「フォークやブルーズ・・・ 僕が好きなのはそれだね。そんな伝統的なスタイルの重要性を 感じるからね。ただ、なにか新しいものが必要だとは思うけど。それはちょうどウッディ がやっていたようなもので・・・ それは生きたジャーナリズムだと思うんだ」

 そのレッド・スカイ・コヴァーンのプロジェクトを離れても、レヴはウッディ・ガスリ ィのようにギターを抱えて旅を続けていた。そんな体験が彼の歌の源泉となっている。

「そうやって金を稼いでいたんだ。バスキングやパブや・・・ いろんなところで。それが素 晴らしい経験になっている。歌はそこから生まれてくるんだよ。ヒッチハイクで、2時間も道路に立っているとか、新しい人の出会いとか・・・ それが歌を書かせてくれるんだ」

 思えば、今から10年ほど前、同じような経験をしたものだ。当時、イングランドを数週間かけてヒッチハイクで旅をしたのが筆者。あの時の印象は今でも鮮明に残っている。どんどん姿を変えてゆく英国特有の風景や車に乗せてくれた人々の顔。おそらく、筆者の場合、そんな経験が筆を取らせるようになったのだろう。レヴの気持ちは手に取るようにわかる。

「いわゆるシンガー&ソングライターは部屋にこもってもんもんと曲を作るんだろうね。 けど、自分の経験で生まれてくる歌しか僕には書けないんだ。そんな経験を通じて生まれ たエモーションはいつまでも新鮮な響きを持っているし、それがいつまでも歌い続ける歌 となるんだよ」

 かつて、一緒にそんな旅を続け、歌っていたのがレヴェラーズのサイモンだった。レヴ のファースト・アルバムはそんなところから生まれている。

「90年のグラストンバリィ・フェスティヴァルで・・・ といっても、シアター・テントなんだけど、そこで彼らと一緒に演奏したんだ。彼らは会場の外にあるトラヴェラーズのエリアに集まっていて・・・ それが大成功でね。あの頃は、どこのレコード会社と契約もなかっ たんだけど、アルバムを作りたい気持ちはいっぱいでね。それにはバック・バンドも必要 だし・・・ と思っていたら、レヴェラーズから電話があったんだ。金なんていらないから、 一緒にレコーディングしようよって。彼らにとっても、僕とのライヴが楽しくてたまらな かったということなんだ」

 こうしてレヴにとって初めてのレコーディングが実現するのだが、その場所がなんと牛小屋だったというのが面白い。

「農場にある牛小屋を掃除して、そこにPAをセッティングさ。ガス・ファイアーで小屋 を暖めて・・・ 『せぇの』って感じで演奏を始めるんだ。録音に使ったのは1週間。音質と か・・・ そんなクオリティはよくないかも知れないけど、素晴らしい作品ができたと思う。 今でも大好きだし、愛情も感じるからね。しかも、お金は一銭もかかっていないんだ」

 なんでも録音機材を借りた時、その会社の名前をアルバム・タイトルにするという契約 で、使用料をタダにしたというのだ。今では笑い話だが、その機材会社の名前が『インダ ストリアル・サウンド+マジック』。サウンドや歌にもぴったりのタイトルだ。が、それが録音されたのは91年2月。これはレヴェラーズのマネージャー、フィル・ネルソンが作っていたインディ・レーヴェル、ハグ・レコードから発表されている。当初はアナログだけの発表で、CDが出たのはレヴがクッキング・ヴァイナルと契約した後の92年5月だっ た。その後、彼はオイスター・バンドやレヴェラーズと各地をツアー。加えて、レッド・ スカイ・コヴァーンのツアーも続け、このアルバムはインディ・チャート17位に登場するまでとなっている。また、この頃からレヴは自己のバンド、デクラレイションを結成。英国でのツアーでは彼らを伴っている。

「レコードの音を期待している人に、フォーク・ギターだけで演奏するのは悪いからね。 バンドは僕のアクースティック・ギターにドラムス、ベース、エレキ・ギターの、とって もシンプルなもの。理想的なバンドは・・・ クラッシュにバックアップされたジョニィ・キ ャッシュって感じなんだけどね」

 パンクが全盛を極めた70年代後半、レヴはまだ子供だったこともあって、パンクの直接体験はないということだ。が、その姿勢には大きな影響を受けたと語っている。

 さて、このセカンド・アルバム『ビショップ・オヴ・バッファロー』のデモ・テープ作 りを始めたのは93年3月。NMAのジャスティン・サリヴァンをプロデューサーに録音を 開始したのは8月だった。録音に参加しているのはデクラレイションのメンバーだが、ギ ターだけはNMAのニュー・メンバー、デイヴ・ブロムバーグが加わっている。録音に費やしたのは約3週間。徹夜続きのミックスが4日間続いて生まれたのがこのアルバムだ。

 それぞれの曲を、レヴ自身のコメントを下に紹介していこう。

「ちょっと辛い歌なんだけど、ありあまるテクノロジィや情報の洪水のなかで、なにか純 粋なものを求めようとしている・・・ そんな混乱を感じた時に作ったのが『ザ・ラム』。時 間を逆回転させるわけにはいかないけど、ちょっと腰を落ち着けて考えなきゃって、そん な感じの曲だ。『トランキリティ・オヴ・ソリチュード』ではジャムの『ザッツ・エンタ ーテインメント』に出てくるギター・リフを完全にパクっているんだ。歌詞にもそれは登 場しているから、気が付く人もいるかもしれないね。続く『エテイン』はアイルランドの 民話に基づいている。年老いることのない女性とある男性の4百年に渡る恋の話で、実に ロマンティックな歌だね」

 実は、この電話インタヴューでこの民話を全て語ってくれたのだが、残念ながらそれを 紹介するスペースはここにはない。なにせ、それだけでこのライナーを全て使わなくては いけないほどの分量だ。ただ、じっくりとそんな話を聞かせてくれるレヴの人柄のよさは ここに記しておきたい。

「ただ、最終的に、その民話ではその男が4百年後に『エテイン』という女性を見つけて うまくいくことになっているんだけど、僕の曲ではそれが逆になっている。ちょっと複雑 な歌だけどね。『エラン・ヴァニン』もゲイリック語(アイルランド語)で、『私の恋人 はマン島(ベルファストとリヴァプールの中間、アイリッシュ界に浮かぶ島)』という意 味なんだ。古くからのケルト文化が残る地方で、5年ほど前にここをガールフレンドと訪 ねたことがあってね。そこでまた彼女に恋をしてしまったような・・・ そんな気分にさせて くれたのがこの島だったんだ」

 そして、複雑な人間関係を歌ったのが『サーキュラー・ブルーズ』で、ウェールズ地方 の表現を曲名にしたのが『(ワース・アンド・ワース)(ライク・ザ・サン・オヴ・ア・ ゴウト)』だ。

「これは誰かに悪運が訪れるようにという時に使う表現でね。厳しい寒さが襲う北ウェー ルズの、しかも、がちがちのプロテスタントの環境に住んでいる・・・ そんな状況が数百年 にわたって全然変わらないんだよね。世界はどんどん変化し、それを見ているのにそこか ら抜けられない。なぜなら、そこにルーツがあるからで・・・ まるであの表現を自分に言っ ているような・・・ そんな雰囲気の歌だ」

『エヴリ・ステップ・オヴ・ザ・ウェイ』は愛はどんなことにでも打ち勝てるという愛 の歌で、『ドランカード・ワルツ』は飲んだくれて誰かに恋してしまうというインスタン ト・ラヴを歌っている。

「一種、コンサートが終わった時の雰囲気ってわかるだろ? いわば、ツアーの歌。ガー ルフレンドには聴かせたくないね(笑)で、『シャンティ』は歴史的なドキュメントって のかな。北イングランドの鉄道施設ができた時、ここにアイルランド人の労働者が集まっ ていて、彼らの住んでいたエリアがシャンティ・タウンって呼ばれていたんだ。この歌は そこに集まるユニークな人々を歌ったもの。イングランドで最も厳しい自然環境のなかで 今も使われている施設を造ったのがこんな人たち。夜ごと彼らが酒を飲み、歌い、フィド ル・ミュージックで踊っていた・・・ そんな情景が曲になっているんだ」

 ちなみに、この歌に出てくるジョン・バリーコーンとは人名ではなく、英国で古くから ビールに対して使われる言葉だそうな。そして、アルバムの最後に収録されているのがイ ンストゥルメンタル・ナンバー『ザ・チェイス』ということになる。

 が、今回日本で発表されるCDにはボーナス・トラックが2曲加えられている。それが 『スパニッシュ・ララバイ』と『ブラディ・ウィスキィ』。英国では、これがアナログの ボーナス・トラックとなっている。

「モロッコのタンジールから南に百マイルぐらいのところに、奇妙な街があって・・・ なん と、ここでは、スペインでも使われていない大昔のカステリア語が生きているんだ。ムズ リムに囲まれたクリスチャンの街。まるでモロッコのなかにスペインがあるような、そん な雰囲気さ。その街のイメージを歌にしているんだけど、チャンスがあれば、絶対に訪ね るべきだね」

 そして、作曲当時と捕らえ方が変わってしまったのが『ブラディ・ウィスキィ』だとい う。

「本当は街を出て、なにかをしたがってるのに、いつもパブで酒を飲んでばかりでなにも しない・・・ そんな人たちの悲しさや・・・ あるいは、彼らへの怒りを歌っている。でも、今 は怒りよりも悲しみを強く感じるんだ。この曲を書いた当時は、外に出て行く方が勇敢だ と思ってたけど、時には同じ場所に留まる方が辛いんじゃないかって・・・ 今は、そう思え るようになっているんだ」

 そして、最後に説明してくれたのが今回のアルバムのタイトル『ビッショップ・オヴ・ バッファロウ』だった。

「今回は会社の名前じゃなくて・・・ (笑)実は、僕の名前から先祖をたどっていったら、 19世紀半ばのアメリカにそんな人物がいたんだ。それをタイトルにしたってことなんだ」 さて、レヴェラーズ同様、レヴもトラヴェラーズが組織したフェスティヴァルで数多く のライヴをこなしてきている。おそらく、このアルバムを手にしている人にはトラヴェラ ーズがなにか知っている人も多いと思うのだが、いわば、現代版ジプシィ、あるいはノー マッド(遊牧民)と考えていい。今、英国で大きなムーヴメントになっているトラヴェラ ーズが彼を支持していることは明白だ。旅するシンガー&ソングライターのレヴには、そ れも当然のことのように思える。

 そのムーヴメントの顔ともなったレヴェラーズが来日するのが94年3月。できれば、その時にでもレヴが来日して、彼らをバックに演奏してくれたら面白いと思うのだが・・・ どんなものだろう。あるいは、レッド・スカイ・コヴァーンでの来日も面白い。そんな期待を込めて、このライナーの幕を閉じたいと思う。

1993年12月17日執筆

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