HOTHOUSE FLOWERS-Songs From Rain

 そう言えば、いろんなことがあった。ホットハウス・フラワーズにとって3枚目となるこのアルバムのアドヴァンス・カセットを幾度も幾度もくり返し聴きながら、そんな感概に漫っている。初めて彼らと顔を合わせたのはもう5年以上も前のこと、87年の11月だった。晴れわたった空の下、ハイド・パークの一角で寒さに震えながらやったインタヴューのことは今でもハッキリと脳裏に焼きついている。「アイルランドはもっと寒いから、僕らはへっちゃらさ」と、リアムはシャツにジャケットを引っかけただけの格好で、今じゃヒッピィみたいなスタイルに決めこんだギターのフィアクナも、この時はスーツ姿で…

 あれから何度彼らと顔を合わせたことだろう。彼らのホーム・タウン、ダブリンのRDSグラウンドに3万人を集めて開かれた88年9月のライヴから翌89年2月の初来目公演。それに、グラストンバリイCNDフェスティヴァルに出演した89年と90年の6月…そう言えば、2枚目のアルバム「ホーム」からカットされた「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」のヴィデオ・クリップには90年のグラストンパリィでのライヴの様子が挿入されていたものだ。また、その間にもダブリンにある「ファクトリィ」でリハーサル中の彼らを訪ねたり、翌91年には2度目の来日公演もあった。

 特に忘れられないのはあの来日公演だ。今から2年ほど前、東京FMホールで開催された1月21目と22目。とりわけ感動的だったのが初日の演奏だ。

「戦場で理由もわからずに闘っている兵士の母親に捧げたい」

 確かアンコールの1曲目だったと思う。ヴォーカルのリアムのそんな言葉に続いて歌われたのがデビュー・アルバム「ピープル」に収録されていた「イフ・ユー・ゴー」。「愛しているんだから、行かないでくれ。でも、もし行ってしまうなら、(天国に)たどり着いてくれ」と歌われるこの曲は、リアムが友人の死に直面した時に生まれた曲だ。また、続いて歌われたのは「フィート・オン・ザ・グラウンド」。「僕が語っているのはジェット戦闘機や戦艦のことじゃなく…戦争の道具や破壊ごっこじゃない。僕や君のような人間のことなんだ」そう歌ったこの曲が途中でエドゥイン・スターのヴァージョンで大ヒットした「ウォー」に変わってゆく。「戦争?そんなことをやってなんの得になる?いいことなんて絶対にありえない」とくり返される歌だ。最近ではブルース・スプリングスティーンのヴァージョンが有名かもしれない。が、それとは比較にならないほど感動的だったのが彼らの演奏。実のところ、あまりの感動に涙が止まらなかったことも覚えている。

 というのも、イラクのクエート侵攻に対して多国籍軍の空爆が始まったのがあの数日前だった。御都合主義の「愛」や「平和」が大量殺りくを正当化する一方で、まるで反応を示さなかったのがテレビやラジオの音楽メディアだった。また、無視を決めこむことがカッコイイと言う脳タリンが幅を利かせてもいたものだ。いわば、そんな「音楽関係者」に絶望を感じていた時に、彼らの声がどれほどの救いになったことか…演奏の後、楽屋に飛び込んだ私は、、同じ音楽を愛する仲間を確認でさたような気分になって嬉しくてたまらなかったものだ。

 何を勘違いしたのか、これをしてホットハウス・フラワーズを政治的と言う人もいたようだ。でも、彼らが歌っているのは高尚な政治や経済ではなく、純粋無垢にも聞こえる真実の歌に過ぎない。そこには悲しみや喜びや怒りがあり…懸命に生きる人に独特の輝きや力強さがある。また、正直に言ってしまえば、それをロックやフォーク、あるいは、アイリッシュだとか…そんなジャンルやスタイルの次元で語ることにほとんど意味を感じない。なぜなら、彼らの魅力はなによりももっと根っこにある人間性や生きざまであり、それが見事にその昔楽に昇華されていることにあると思えるからだ。

 特に、手元に届いたばかりのこのニュー・アルバム「ソングス・フロム・ザ・レイン」を聴いてそう思うのだ。ソウルフルに歌われるリアムの言葉の一つ一つがズキズキと胸に刺さってくる。そこからは音楽産業につきものの市場操作や過剰宣伝とは全く無関係のところでひたすら音楽を愛し、信じる彼らの姿がひしひしと伝わってくるのだ。

「なによりも焦点が定まったってえのかな。今回のアルバムを作っていて、そんな感じがしたんだ」

 実は、このアルバムのミックスが完了した直後の92年7月始め、ロンドンのシェファード・ブッシュ近くにあるリハーサル・スタジオで彼らと再会した時、リアムがこう語っていたものだ。おそらく、その言葉が暗示していたのがこれほどの傑作を生みだした自信の現われだったのだろう。

 ヴォーカルにキーボードやパウローン(伝統的なアイリッシュ・ドラム)を担当するリアム・オメンレイとギターを中心に時にはティン・ウィッスル(笛)なども演奏するフィアクナ・オブレナインを核に、べ一スのピーター・オトゥール、キーボード&サックスのレオ・バーンズ、そして、ドラムスのジェリー・フィーリーという5人のメンバーで彼らがU2のレーベル、マザーからデビューしたのは87年だったろうか。その後、メジャー各社の争奪戦の末、ロンドン・レコードと契約し、88年にデビュー・アルバム『ピープル』を発表。その2年後に2枚目のアルバム『ホーム』が登場するのだが、不動のメンバー、5人の結束を強めながら、彼らがここでさらにその音楽の核心に迫ったような気がするのだ。

 かといって、あのインタヴューの時も、彼らは気負いもなにも感じさせず、相変わらずの人なつっこい表情を浮かぺながら話していたに過ぎない。

「あれ(前回の日本公演)からオーストラリアを2回ツアーして、ミッシェル・ショックトやルッカ・ブルーム(アイルランドのシンガー&ソングライター)にロニィ・ウッドのアルバムに参加したり…」(フィアクナ)

「僕はアイルランドのトラッド・ミュージックのアーティストのアルバムで幾度か演奏もしたし…」(リアム)

「後、ダイアー・ストレイツのサポートでツアーして、BBCのテレビ番組の曲を録音したり…」(ピーター)

 と、今回のアルバムの録音に入るまで、様々な体験を積み重ねていったことを竈ってくれた。が、基本的にはその間に出作りとデモ作りに明け暮れていたという。 「ダブリンで曲作りをして、ロサンゼルスに3週間ほどいて、そこでウェイロン・ジェニングズと曲を作ったり…その時に今回のアルバムのプロデュースをすることになったスチュアート・レヴィンに会ったんだけど、そこで生まれた曲をロンドンのエアー・スタジオで録音したり…その後、ダブリンに戻って、デイヴ・スチュアートと曲作りさ。最終的にはスチュアート・レヴィンがいつも使っているロサンゼルスのスタジオでミックス・ダウンをしたんだ」(ピーター)

 と、今回のアルバムが完成されるまでのプロセスを語ってくれたのだが、なによりも時間に追われることなく、のんびりといろんな人々と接しながらアルバム作りに励むことができたのが良かったのだろう。

 残念ながら、このアルバムを全く聴くことなしに実現したのがあのインタヴュー。ここで歌われている曲の内容について尋ねることはできなかった。が、こうして今、テープを聴いていると、開き直りのような潔癖さで「これが僕らの信じる音楽なんだ。僕らはこんな人間なんだよ」とでも語りかけているような曲が多いのに驚かされる。苦しみや絶望や孤独に包まれた時、自分の魂に耳を傾けようという「ディス・イズ・イット(ユア・ソウル)」で始まり、そこに続くのは僕らを傷つけ、疎外する間違いだらけの世界で一つの言葉、すなわち、真実の言葉で語り合おうと歌う「ワン・タング」。そして、アルバム・タイトルとなったフレーズ「ソングス・フロム・ザ・レイン」が登場する「エモーショナル・タイム」では「痛みを癒す歌をもう一度聴いてくれ」といった言葉も聞こえている。「生命のことを考えてごらん。そうすれば、音楽や言葉に答えがみつかるよ」と歌う「ピー・グッド」や、歌うことの素晴らしさを語る「グッド・フォー・ユー」。どの曲も甲乙付け難い傑作ぱかりなのだ。なかでも最も気に入っているのは「イズント・イット・アメイジング」。「叫びは歌であり、歌は祈りだ。僕らの祈りはみんなの耳に届かなけれぱいけない。その祈りで世界を満たすんだ」と繰り返され、「平和の創造に手を貸したまえ」と歌われる。しかも、その後で、リアムだけではなく、音楽にこだわり続けている人たちを動かしてきた名曲の名前が叫ばれる。ボブ・ディランの「フォーエヴァー・ヤング」やジョン・レノンの「イマジン」にホブ・マーリイの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」などなど…そして最後に「また自分を取り戻させてくれてありがとう」というリアムの言葉が”こえてくる。このあたり、この2年間に何かとてつもなく苦しいことが彼に起さたんじゃないだろうか、そして、それを救ったのが音楽だったんじゃないだろうかと、そんな邪推もしたくなるのだ。といっても、おそらく、彼は「そんな大袈裟なものじゃないさ」とでも言うんだろうけど。

 また、「目を澄ませば、窓の外には自然の美しさがある。そんな美しさの歌を無視してはいけない」と歌う「シング・オブ・ビューティ」も素晴らしい。その歌詞を分析して自然賛歌や環境問題を持ち出すのは簡単だが、宣伝文句だけの「地球に優しく」とは全く違ったところで彼らが自然を語っているのは容易に想像できる。「ユア・ネイチャー」や「スピリット・オブ・ザ・ランド」もやはり大地に生きる彼らの姿勢がそのまま歌になったような作品だ。特に後者は彼らが4日間にわたるアメリカ・インディアンの儀式に参加した経験から生まれた曲だという。インタヴューでは世界最長の歴史を誇るアボリジニィの楽器、ディドゥリドゥ(ユダキィというのがアポリジニィの呼び方〕とギリシャのブズーキにティン・ウィッスルとバウローンを使ったトラッド・ナンバーも録音したということなのだが、残念ながら、アルバムには収録されてはいないようだ。いずれにせよ、リアムがアメリカ・インディアン達との体験から彼に大きな影響を受けたと語っていたのが興味深い。

 そして、曲終りにカーティス・メイフイールドばりのヴォーカルが聞こえる「ジプシー・フェア」も絶品だ。グラストンバリイCNDフェスティヴァルではパック・ステージよりも自然指向の人たちが集まるグリーン・フィールドでほとんどの時間を過ごしていたのがリアムやフィァクナ。「昔からこんなお祭りが好きで…アイルランドでもよく行ったもんだよ」そんなリアムの言葉を裏付けるようなこの曲のモチーフは、おそらく、グラストンバリィだろう。日本ではこれがただのロック・フェスティヴァルだと誤解されているような向きがあるのだが、その中心は音楽ではなく、自然の中で繰広げられる英国の伝統的なフェア、つまり、お祭りに根ざしたイヴェントだ。その精神性を要約したのがこの曲だという気がしないでもない。

 最後を締め括る「スタンド・ビサイド・ミー」も強力だ。信念を持って懸命に生きようとすると、必ず重たい現実の壁にぶつかるものだ。そんな時、それを乗り越えなけれぱいけないのがわかっていても、挫折してしまうような気分になることがある。だから「僕のそぱにいてくれ。そして、僕を支えてくれ」と歌うのだ。おそらく、リアムはここで自信と不安、逞しさと臆病さが奇妙に入り混じった赤裸々な自分の姿を歌っているのだろう。歌詞から察すれば、そぱにいてほしいのは神様。が、その裏にはあの言葉が彼らの音楽を聞き統けているファンに向けられているような気もする。だからこそ、この曲を最後に持ってきたんじゃないだろうか。

 と、勝手な解釈をしてきたのだが、皆さんはこのアルバムを聞いてどう感じただろう。できれば、ジックリと歌詞を読んでこの作品を聞いてもらえれぱ幸せだ。そして聞けば聞くほど素晴らしさがこみ上げてくるこの作品がこれからの人生の支えになってくれれぱ、もっと嬉しい。「もしも、人生に疲れて生きるのが苦しくなったら、ホットハウス・フラワーズのカセットでもウォークマンに入れて旅に出よう」いつだっけか、そんな言葉で彼らをみんなに勧めたことがある。もし、そんな気分になったら、是非このアルバムを聞き直してほしい。そうすれば、ちょうど「イズント・イット・アメイジング」で彼らが歌っているように、ここに収められた美しい音楽が自分を取り戻させてくれるはずだ。

1992年12月22日花房浩一

PS:この原稿の校正をしている時点では、まだマスター・テープが日本に到着していないのだが、日本盤には以上の11曲にボーナス・トラックが3曲ほど加えられるということだ。リアムの話によると、このアルバムのために40曲を作曲し、そのうち16曲を録音。当初の予定では14曲がこのアルバムに収録されることになっていたということもあり、そこに収録されなかった曲がここで陽の目をみるのかなど期待に胸をふくらませたたのだが、残念ながら、そうじゃないようだ。手元にある若干の情報によると、今回のアルバムとは違った時期に録音されているのがわかる。

 ちなみに、本文にも書いたようにこのアルバムの録音が完了したのは昨年7月上旬。あまりの素晴らしさにレコード会社が彼らのセールス・プロモーションに最高な時期を選んで発売を延期したということだ。今回ばかりは納得できる。こんなにいいアルバムを大量生産で吐き出される消耗品と同じに扱ってほしくはないもの。

1993年1月20日加筆

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