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つい先日、私の友人(正確には友人の旦那さん)が初めてマルティニークを旅して帰ってきた。帰国した翌日だったか、彼と電話で話しをすると、案の定、マルティニーク病にかかっている。 「いやぁ、良かったなぁ・・・ 最高だね、マルティニークは。今までいろんなカリブ海の島に行ったことがあるけど、あそこはなにか微妙に違うね。建物や雰囲気もやっぱりフランス的で、人もおっとりしていて優しいし・・・気に入ったなぁ。また行ってみたいよ」 実は、彼が帰国する前、島から奥さんに電話がかかってきた時、すでにこの病気の第一期症状を見せていたのだ。 「あの人ったらね、もう帰りたくないなんていってるのよ。(笑) 私の立場はどうなるのよぉ。(笑) 」 もちろん、あれは半ば冗談だったのだろうが、その気持ちは痛いほどわかる。なにせ初めてマルティニークを訪ねた89年5月以来、彼と同じくかなり重度のマルティニーク病にかかっているのが私自身。実を言えば、あの彼が島を訪れる直前、私も7月4日から一週間ばかりマルティニークに滞在していた。それに、89年以前には名前も知らなかったこの島に、すでに4回も足を運んでいるのだ。 マルティニークの何がそれほどの魅力なのか・・・ 一言で説明するのは実に難しい。が、今このアルバムを手にしているあなたも、きっとそんなマルティニーク病の初期段階に入っているのだろう。おそらく、このアルバムを買った人はカリの『ラシーヌ』やその続編『ラシーヌVOL2』も持っているだろうし、やはりマルティニークの財宝と呼ばれるマラヴォワのアルバムも愛聴しているに違いない。だとしたら、もうこの深みから抜けられないはずだ。 さて、誰をもそんな病気に引きずり込んでしまうマルティニークが浮かぶのはパリからのフライトで南西へ約8時間、マイアミからだと南東へ3時間ほどのカリブ海。小アンティル諸島中央部の島で、南米はヴェネズエラから約400kmほど北にある。原色の赤や黄色が眩しいハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れているところから、花の島、マディニナ、あるいは、フランスの海外県ということもあり『熱帯のパリ』とも呼ばれるのがこの島だ。 ここはかつてはフランスの植民地で、砂糖黍のプランテーションのためにアフリカ大陸から連れてこられたのが数多くの奴隷だ。そんな悲しい歴史を抱えてる事情は他のカリブ海の島々と変わらない。また、カリブ海は地理的に重要な軍事拠点だという理由で、今もヨーロッパの国々の一部となっている島も数多くある。また、特に戦後しばらくまでは島から島へ簡単には行き来できなかったことから、(キューバなどは今でも難しいらしい)結果としてそれが島によって独自の文化や音楽を育んでゆくことになるのだ。同じアフリカをルーツに持ちながら、島ごとに異なるヨーロッパ各国の影響を受けた音楽のスタイルがここから生まれていったのにはそんな事情がある。いわば、ワールド・ミュージックという言葉が一般化される以前から、ある意味で彼らが地球の未来を予言する混合文化を自ら創造してきたということになる。 カリがこのライヴを前に発表した2枚のアルバムで描こうとしていたのは黒人とフランス人の混血、クリオールがそんなプロセスを経て作りあげていった文化の原石にも似た音楽だった。それは初めて彼に会った89年9月 のインタヴューで自ら語っている。 「ずっとレゲエを演奏してきたんだけど、何だかレゲエがルーツを喪失しているような気がしてね。ラスタファリアンの僕はルーツに戻るべきだと思ったんだ」 そのカリの略歴だが、56年生れの35歳。両親共にミュージシャンで、叔父も島で最も有名なミュージシャンの一人、マックス・ランジィだ。さらにはカリの従兄弟が元マラヴォワのリード・ヴォーカリストで、すでに2枚のソロ・アルバムを発表しているラルフ・タマール。そんな背景から想像できるように、すでに6歳の頃から人前で歌いだしている。 おそらく、まだ10代の頃だろう、彼が影響を受けていたのがサンタナだ。それを物語っていたのが今回、彼の自宅を訪ねた時にみつけたカーリィ・ヘアー姿のカリの写真。たまたまそれが居間の壁に貼りつけられてあったことから、そんな背景も知ることができた。ちょうどアフロ・ロックやラテン・ロックといった言葉が囁かれたのが70年代始め。中南米でサンタナが驚異的な人気を持っていたという話は聞いたことがあるが、彼もやはり若かりし頃、ヒッピィ文化やニュー・ロックの洗礼を受けていたことになる。 が、そこに大きな変化をもたらすのがボブ・マーリィだった。もちろん、マーリィはすでに60年代からジャマイカで活躍していたのだが、レゲエが国際的な展開を見せ始めたのは70年代半ば。この時の変化や衝撃を彼はこう語っていたものだ。 「カリブ海でボブ・マーリィの影響を受けなかった人間なんていないよ。だって、あれほどの精神性を持った音楽なんてなかったじゃないか。それに、彼がもたらしたラスタが僕の人生を完全に変えてしまったんだ」 音楽のみならず、アフリカ回帰思想で宗教でもあるラスタファリニズムがその後の彼を一変させている。カーリィ・ヘアーからチェ・ゲヴァラ風になっていた彼のヘアー・スタイルがレゲエ・ミュージシャンによくみられるドレッドロックに変わってゆく。そして、結成したのがレゲエ・バンド、シジエム・コンティナン(六番目の大陸)。そのマネージャーの父親が死んだ時に譲り受けたのが年代物の4弦アルト・バンジョウだった。 「ストリングスからはヨーロッパ的なメロディが、そしてボディからはアフリカ的なリズムが流れ出てくる。それはまるで僕の化身ののようだった」 と、ルーツから遊離していったレゲエに失望した彼は、前述のように自己のルーツを探しだすためにマルティニークの伝統音楽の掘り起し作業に入ってゆくのだ。が、重要なのはその動機がノスタルジィではなく、あくまで「カリブ海を一つにするような新しい音楽の発見のためだった」ことだ。それが証拠には『ラシーヌVOL2』には伝統音楽の様式を使った新しい曲が数多く収録され、多分にボブ・マーリィを意識した曲「フリーダム・モーニング」も収録されている。また、フランス語で「ルーツ」を示すデビュー・アルバムのタイトル・ナンバー「ラシーヌ」もカリのオリジナルで、他の曲とはちょっと違った響きを持つこれがこのプロジェクトにかける彼の意気込みのようなものを伝えていたように思えるのだ。 そうして作られた『ラシーヌ』が日本でも隠れたヒットとなっていった。特にマラヴォワの来日でマルティニークの伝統的な音楽が脚光を浴び、ソフィストケイトされた彼らに対抗する純朴でノスタルジックなカリのアルバムが浮上してゆくのだ。ジャケットに使われたのは名作映画『マルティニークの少年』のスティール写真。そこからはまるで郷愁にも似たサウンドが溢れだし、多くの評論家によって彼のアルバムが89年のベスト・アルバムの一枚に選ばれている。もちろん、その続編も然り。当然ながら、カリの奏でる優しくも悲しく、逞しい島の音楽は私にとっても最も愛すべきアルバムとなっていった。 が、そう描かざるをえなかったカリの音楽にゾクッとするほどの新しい発見を与えてくれたのが7月に島で見た彼のライブだった。場所は島の中心都市、フォール・ドゥ・フランスにあるドーム型のコンサート・ホール。3000人近くは収容できそうなここで見た彼の演奏に感じたのはノスタルジィでも純朴な音楽でも『マルティニークの少年』で見た牧歌的な島の風景でもなかった。それはもっと同時代的な響きやパワーを持った『今』の音楽。これがそれまでのカリに対する私の評価を完全に変えることになるのだ。カリの演奏が持つ力強さが私に想像させたのはボブ・マーリィ。まだマーリィが生きていたら、おそらく彼はカリの音楽を両手を上げて受け入れ、絶賛しただろう。そんな思いが脳裏をよぎっていた。 見事に伸びたドレッドロックを揺らしてステージ狭しと動きながら演奏していたのがカリ。時には彼の兄弟、ピムが作ったパーカッションの数々を3人のプレイヤーと共に叩いて、まるでジャマイカのナイヤビンギのような雰囲気も作りだしている。そこに溢れていたのは素晴らしいレゲエ・コンサートで感じるような濃厚なヴァイブレイションだった。 そのライブ前日にやったカリとのインタヴューで尋ねた質問が、どれほど的はずれだったか思い知らされたのがこの時だ。インタヴューで訊いたのは彼とマラヴォワの違い。同じ伝統音楽に根づいた音楽を演奏しながら、マラヴォワのサウンドは限りなくソフィストケイトされた現代性を感じるのに、なぜ彼らよりずっと若いカリにほのぼのとした牧歌的な表情を感じるのか。 「僕とマラヴォワの違いだって? 全然 違うよ。(笑) だって、世代が全く違うんだよ。例えば、彼らの曲を僕が演奏したらこうだ」 彼はあのアルト・バンジョーでその違いを聴かせてくれたものだ。もちろん、サウンドの違いはわかったのだが、この時はどうもその本質的な部分での違いは理解できなかったようだ。事実、インタヴュー後のリハーサルで彼がその質問の的はずれさ加減を笑いながらバンド仲間に話していたようにも思える。が、彼らのそんな笑いの意味を一発でわからせてくれたのがあのライブだった。 実はあの前日に同じ会場で見たのがマラヴォワの演奏。バンドの核、ヴァイオリン・セクションが一人欠けていた(マヌ・セゼールが病気のため活動を休止している)ハンディはあったものの、カリのライブ体験をした後に振り返ると、マラヴォワが旧世代の遺物にも聞こえるのだ。もちろん、マラヴォワも私が最も愛するバンドには違いない。が、彼らに欠けているのは時代を飛び越えて突き抜けてくるようなパワーやエネルギィ。その迫力は今回、カリの来日に合わせて発表されることになったこのアルバムでも感じることができるのではないだろうか。 サンタナからボブ・マーリィ、そしてマルティニークの伝統音楽・・・ そんなプロセスを経てカリが何をつかんだのか。彼はそれをこんなふうに語っている。 「全然変わったよね。伝統音楽に対する見方や感じ方が。このプロジェクトに入るまではただ頭の中だけのものだったのに、今では自分の血や肉になったってのか・・・ しかも、ずっとルーツやレゲエに脳裏にあった。これで新しいステップに入っていけるよね」 90年2月に見たカリのライブから1年半。その迫力は飛躍的にパワフルになっている。当時からバンドを構成しているのは同じメンバー。シジエム・コンティナン時代から一緒に活動している二人(キーボード&パーカッション)にかつてタクシー・クリオールで活動していたこともある三人(キーボード、パーカッション、バック・ヴォーカル)やカリの奥さんのエレヌ(バック・ヴォーカル)と兄弟のピム(パーカッション)にアコーディオン、ベースからなるバンドのコンビネーションもぴったりで、おそらく、今回の来日公演でその素晴らしい迫力を日本のファンも十二分に堪能できるはずだ。 このアルバムが録音されたのはマルティニークで彼らを見た一か月ほど前。パリの有名なクラブ、ニュー・モーニングの模様だ。ちなみに@BCEFは『ラシーヌ』、そしてADIKMが『ラシーヌVOL2』からの選曲。御存知とは思うが、GHは彼が敬愛してやまないボブ・マーリィの名曲だ。JLは未発表曲。また、実はこの日、ビデオの撮影も行われ、そこではVol.2に収録されていた『GRAN'TOMOBIL(大きな自動車)』がAとBの間に演奏されているのだが、残念ながらこのビデオが日本で発表される予定はまだない。 さて、このアルバムがあなたにどう聞こえたか・・・ 実に気になるところだ。あなたはいまでも彼の音楽を素朴で牧歌的なマルティニークというカリブ海に浮かぶ島のものだと思うだろうか。それとも、これをまるで異次元から生まれてきたレゲエの双生児だとでも感じただろうか・・・ 1991年8月28日 PS:前作のライナーノーツでカリがこのプロジェクトを終了した後、ボブ・マーリィの曲をカヴァーしたアルバムを発表する予定だと書きましたが、そのプロジェクトは無期延期となったようです。 「今それをやったら、ただの商業主義に乗っかるだけのように思えるんだ。彼が忘れられかけた時、それをやろうと思うんだ」 とカリは語っています。また、以前はライブでボブ・マーリィのカヴァーを5〜6曲は演奏していたのですが、現在はこのアルバムに収められている通り、あの2曲しか演奏していません。実は今でも忘れられないのが90年2月にマルティニークで見たライブで彼がカヴァーした『レデンプション・ソング』の素晴らしさ。ひょっとすると、日本のファンのために今回の来日公演でこの曲を特別に演奏してくれるかもしれませんが・・・ ともかくこのプロジェクトの延期は残念ですが、気を長くしてそれを待っていたいと思います。 |