RALPH THAMAR-Caribe

 3年ほど前までは全く縁のなかったカリブ 海のちっぽけな島、マルティニーク。これが ずっと身近なものになったのはマラヴォワと の出会いがきっかけだった。繊細なヴァイオ リンの響きに、どこか哀愁感と逞しさが漂う メロディ・ラインやリズム・・・ また、彼らの 音楽から溢れ出る独特のロマンチシズムや優 雅さ・・・ あの当時、彼らの日本でのデビュー ・アルバム、『ジュ・ウヴェ』が東京のど真 ん中にある狭苦しい我が家に、幾度カリブ海 の風を流し込んでくれたことか。

 特に、実際に島を訪ねてからというもの、 このマラヴォワ熱(それが転じてマルティニ ーク熱となるのだが、)がさらにひどくなっ てゆく。マリジョゼ・アリ、タクシー・クリ オールといったモダンな響きを持つミュージ シャンから、トラッドにベースを置いたカリ やマックス・シラーにユージン・モナなど、 彼らを通じで数多くの素晴らしいアーティス トに出会っていった。

 が、やはり群を抜いて いたのはマラヴォワだった。時折彼らの『ジ ュ・ウヴェ』を引っ張り出しては、島の風景 を思い出し、島の南東、サンタンのビーチに ある椰子の木陰で昼寝でもしているような気 分に浸る。それほどの完成度を誇っているの がこのアルバムだった。初めての出会いから もう3年。が、やはり、今でも『ジュ・ウヴ ェ』はレコード棚に並ぶ2万枚弱の中でベス トの一枚とも言える輝きを放っている。

 その『ジュ・ウヴェ』と共によく聴いたの が、フランスでその前に発表された2枚組の ライヴ・アルバムやスタジオ録音のアルバム 『ラ・カセ・ア・ルスィ』だった。前者は後 に日本でも発表されたのだが、残念ながら、 後者のアルバムはまだ日本では完全な形での 発売にはこぎ着けてはいない。そのアルバム に収録されていた『ラ・カセ・ア・ルスィ』 と『ブルー・アリゼ』の2曲が『ジュ・ウヴ ェ』に、そして『アパルタイド』と『スポー ル・ナショナル』の2曲も最新アルバム『ス ーシュ』にボーナス・トラックとして加えら れているのだが、残る2曲は(チェック)ま だ日の目を見てはいない。(できれば廉価盤 ででも発表してほしいな、たった2曲のため だけ、しかも、これはただのファン心理にし か過ぎないんだけど。)

 その『ラ・カセ・ア・ルスィ』までマラヴ ォワの顔としてヴォーカルを担当していたの がラルフ・タマールだった。現在のマラヴォ ワのヴォーカリスト、ピポも、もちろん素晴 らしいシンガーだが、ラルフと比較するとや はり勝負にはならない。声の張りと言えばい いのか、あるいは、抱擁力と言えばいいのか ・・・ ラルフにはマラヴォワ結成から20年近く もバンドと共に生きてきた経験から生まれた のかどうか、並みはずれて豊かな表現力を感 じるのだ。が、そのラルフが87年、バンドを 脱退。デビュー・アルバム『ラルフ・タマー ル』を録音した後、彼は島を離れ、今ではパ リに住んでいる。

 ラルフと初めてのインタヴューをしたのは 89年9月。そのデビュー・アルバムを日本で 発表させようと奔走していた時だった。残念 ながら、このアルバムでトラブルに陥ってい たのがラルフ。島のレーベル、GDプロダク ションがこれを制作したのだが、彼は一銭の 金も受け取れず、このケースを裁判に持ち込 むつもりだと教えられたものだ。ちなみにこ の時、1枚目のシングル『イグジル』(今回 日本デビューとなったこのアルバムにボーナ ス・トラックとして収録されている)や2枚 目のシングル『ポリソン』がヒット。アルバ ムは3万枚のセールスを記録している。その 胸中がどんなものだったか・・・ 彼と話してい ると、それが私にも痛いほど伝わってきたも のだ。

 あれから幾度か彼からのコンタクトはあっ た。が、インタヴューまでは至らず、あの問 題がどう解決されたのか、どういったプロセ スで今回のアルバムを作ったのか、それは想 像するしかない。が、それは次回のインタヴ ューで尋ねるとして、今回は当時のインタヴ ューを下にラルフのプロフィールを紹介して みようと思う。

「マルティニークのフォール・ドゥ・フラン スで52年の6月に生まれたんだ。祖父がシン ガーで、叔父が島で最も有名なシンガーの一 人、マックス・ランジィ。実はカリも僕の従 兄弟でね。だから、いつも音楽に囲まれてい たってのか・・・ でも、僕が初めて強烈な出会 いをした音楽はブラジルのジョアン・ジルベ ルトなんだ。そのリズムやメロディ・・・ 多く のものをそこから学んでいったし、それから ティト・ロドリゲスといった南米のラテン音 楽、特にサルサなんかに興味を持つ様になっ たんだ」

 この時インタヴューをした時点で「もう20 年以上歌ってきた」彼はマラヴォワに参加す る以前に数バンドで演奏していたという。

「最初のバンドはヴァイオリンとハーモニカ とギターのコンボでね。それからサックス2 本、トランペット2本にトロンボーンなんか がいたビッグ・バンドで演奏して・・・ その後 がマラヴォワだったんだ。当時はまだヴァイ オリンが2本しかなかったけどね。あっ、そ うだ、その前にマルティニークが生んだ偉大 なミュージシャン、マリウス・カルティエー ルと仕事をしたのがいい経験になったよ。彼 と一緒に5年間活動したんだ」

 なんでもこのマウリス・カルティエールは 「世界で最も偉大なオルガン・プレイヤー」 で、「ジミィ・スミスといった人達以前から ジャズを演奏していたんだよ」とは彼の言葉 だ。不勉強な私はこのミュージシャンの名前 をこの時初めて耳にしている。その表記もラ ルフの発音に基づいているので、定かではな いことをここで断っておきたいのだが、とも かく、ラルフはブラジル音楽やサルサだけで はなくジャズの影響も受けていたという。そ れが形になっていたのがマラヴォワとは別に 作っていたバンド、ファル・フレットだ。実 はまだ彼らのアルバムは聴いたことがないの だが、マラヴォワのパーカッション、ニコル ・ベルナールも参加しているこのバンドはラ テン指向のジャズっぽいサウンドを作ってい ると説明を受けたことがある。

「でも、僕はマルティニークで生まれ、マル ティニークで育っている。それが僕のルーツ なんだ。だから、身体中にその音楽がしみつ いているんだ。子供の頃はカーニヴァルで飛 びはねていたしね。グループを作って、スト リートを歌って踊りながら練り歩いて・・・ 僕 はそんなグループのリーダーだったんだ」 実は昨年2月、島を尋ねて体験したのがそ のカーニヴァルだった。トラックの荷台でバ ンドが演奏し、(この時私の乗っていたトラ ックで演奏していたのはなんとタブー・コン ボ!)その屋根に顔を見せるのがヴォーカリ スト。彼が真っ赤な衣装に身を包んだ人々と コール&レスポンスを繰り返しながらフォー ル・ドゥ・フランスの中心部を練り歩いてい たものだ。

「この音楽がマルティニークの最もルーツ的 なものでね。それをベレア(ラルフの発音を そのまま表記)と言うんだ。他にはラジャー があって、それからマズルカやビギン、それ にクリオール・ワルツとかね。いろんな影響 が混ざってるんだよ。トリニダード、ジャマ イカ、キューバといったカリブ海の音楽とか もね。そんなものを学ぶ学校もなくて、僕ら マラヴォワは自分達でそういった音楽を形に していったんだ」

 そのマラヴォワとの長年に渡る活動に終止 符を打つ。87年4月、日本でも発表されたマ ラヴォワのライヴ・アルバムに収録されてい るゼニットでの演奏を最後にバンドを脱退。 ソロ活動に入ってゆくのだ。

「マラヴォワってのはアマチュアなんだ。み んな別の仕事を持っているし・・・ 僕も昔はそ うだったけどね。銀行の窓口にいたんだよ、 実は。(笑)でも、最後の5年間はその仕事 をやめてプロフェッショナルとしてやってい こうとしていたんだ」

 これはマラヴォワの他のミュージシャン達 にも聞いたのだが、彼らもやはりこの問題で 葛藤しているようだった。バンドの核を作っ ているメンバーは地方公務員やレントゲン技 師、あるいは電力会社職員や教師。が、ピポ やトニィ・シャセール(すでにマラヴォワを 離れたと聞く)といった若手は音楽に専念し ているプロフェッショナルだ。「みんな仕事 をやめてミュージシャンとして世界に飛び出 していこう」と、そう訴えていたのがラルフ だった。実は79年から81年までマラヴォワが 一時的に活動を停止した時期があるのだが、 その活動再開の時期とラルフが銀行をやめた 時期と微妙に重なっている。おそらく、思っ たとおりにはバンドが動いていかなかった不 満が積み重なった結果の離脱となったのだろ う。

 その結果発表されたのが今回のセカンド・ アルバムにボーナス・トラックとして収録さ れた『イグジル』と『レザンファン・ドュ・ ソレイユ』の他に『ポリソン』など全8曲で 構成されたデビュー・アルバム『ラルフ・タ マール』だった。いずれも名曲揃いで、まだ 聴いていない人にはぜひ聞いてもらいたいの だが、この時収録された曲のほとんどがクリ オール語ではなく、フランス語で歌われてい る。おそらく、マルティニークやグアドルー プといったフレンチ・カリビアンだけではな く、フランス本土でも充分アピールできるよ うに考えた結果がこのアルバムだったのだろ う。時にジャズっぽい表情なども見せていた のだが、良い意味でフレンチ・カリビアン歌 謡曲といった趣を感じさせるこれはラルフが マラヴォワ抜きでも充分な輝きを持つアーテ ィストであることを証明している。

 彼がマラヴォワを離れた時、「マラヴォワ のないラルフ・タマールなんて絶対成功しな いよ。って、幾度もそう言われたけどね」と ラルフ。また、マラヴォワも「ラルフのいな いマラヴォワじゃ無理だよ」と、そんな風に 言われていたとも聞いている。が、双方共に 素晴らしいアルバムを生み出してきたのは、 やはり、彼らが並みはずれたミュージシャン だったからだろう。

 そして、前作から2年、やっと届いたのが ラルフの新作。日本でのデビュー・アルバム だ。基本的には前作の延長線なのだろうが、 その音楽性にがさらに幅を広げているのがよ くわかる。ラテンからレゲエ、ズークやジャ ズにマラヴォワを彷彿させる曲など、どんな 曲でも際立った輝きを見せるのがやはりラル フの強烈な表現力を持つヴォーカル。これは ただの個人的な趣味にしか過ぎないのだが、 彼が愛するサックスのソロをフィーチュアし た曲などを聞いていると、メロメロになって しまいそうだ。

 さて、マラヴォワがヒットした日本でこの アルバムがどんな評価を受けるか、期待に胸 を弾ませているのは私だけではないだろう。 もちろん、早く実現してほしいのが彼の来日 公演。できれば、マラヴォワと一緒に来日し て歌ってくれれば・・・ そんな夢物語まで期待 してしまうのも、きっと私だけではないと思 うのだ。

1991年6月17日執筆

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