|
なかなかどうして、忘れようにも忘れられ ない貴重な体験。それが今からもう2年近く も前の世界一周取材旅行だった。89年8月下 旬に日本を離れてロンドンに向かい、パリで しばらく過ごした後に訪ねたのがカリブ海の グアドループとマルティニーク。それからマ イアミとロサンゼルスを経て帰国するという ものだった。旧知の友人達との再会に加え、 毎日毎日新しい出会いがあり、新しい風景が ある。特にカリブからマイアミに抜けた時に 見た海の青さの素晴らしかったこと・・・ でき れば、飛行機からそのまま海の中に飛び込ん でみたいと、そんな衝動をかられたものだ。 あの旅の目的は当時、私が聴き狂っていた フレンチ・カリビアンのアーティスト達との インタヴューやレーベルの取材だった。まず はパリでマラヴォワのレーベル、ブルー・シ ルヴァーやカリのアルバムの流通元、ココ・ サウンドを取材。ズークを中心にホットなト ロピカル・ミュージックを流し続ける独立放 送局、トロピックFMも訪ねている。また、 もちろん、数多くのミュージシャン達にも顔 を合わせていった。ジョエル・ウルスルやラ ルフ・タマールにサキヨ、そしてズーク・マ シーン・・・ そう言えば、この時、たまたまパ リでワールド・ミュージックを取材していた のが英国のテレビ番組 "ワールド・ミュージ ック・カフェ"。かつてビリィ・ブラッグのロ ーディだった番組のパーソナリティ、アンデ ィ・カーショウとは旧知の仲だったというこ ともあって、いつもはインタヴューする私が 彼にインタヴューされたなんて経験もしたも のだ。「なんてロンドンじゃなくてパリにい るかって? そりゃここがエキサイティング だからさ」その時私が彼に言ったのがそんな 言葉。事実、パリを経由して飛びだしてきた 音楽が私の好奇心を大きく刺激し、それに引 きずられるように出かけたのがこの旅だ。 パリに続いてフランスの海外県、グアドル ープやマルティニークに飛び、ここで取材し たのは、このアルバムの主、タニヤ・サン・ ヴァルや彼女のレーベル、アンリ・デブス・ プロダクション。マルティニークではカリや タクシィ・クリオールに彼らのレーベル、イ ビュスキュス・レコードを訪ね、マイアミで はハイチのコンパをモダンにしたスキャンダ ルのメンバー達にも会っている。時間の余裕 があれば、ニューオリンズあたりまで足を伸 ばして、フランス系の白人と黒人の混血、ク リオールの音楽が持つ様々な側面を覗いてみ たかったものだ。が、今思えば、そこまでで きなかったのが残念でたまらない。 そんななかで最もドラマティックな出会い をしたのがタニヤだった。というのも、パリ を離れた9月15日、グアドループに近づいて いたのがハリケーン・ヒューゴ。本来の予定 では午後2時頃にグアドループに到着し、空 港でタニヤと落ち合って7時間のトランジッ トの間にインタヴューをすることになってい た。実は、その日どうしてもマルティニーク に行かなければいけなかったからだ。ところ が、ハリケーンのためにフライトに遅れが出 て、グアドループに到着したのは予定時刻を 4時間も過ぎた頃。ひょっとすると彼女には 会えないかもしれない。と、そんな危惧を感 じながらタラップを降り、パスポート・コン トロールを過ぎると(なぜかパリからのフラ イトでもパスポートをチェックされるのだ) そこで待ってくれていたのが彼女だった。カ ラフルな原色のジャケットに身を包み、髪は シャーデーのように編み上げている。という よりは、そんな彼女の表情がシャーデーに重 なって見えたほど、実に美しい女性だった。 ハリケーン接近中ということもあり、本来 ならインタヴューどころの騒ぎではなかった ろう。実際、片言のフランス語と英語がごっ ちゃになった会話をくり返しながら、彼女が 運転する車でアンリ・デブス・プロダクショ ンの事務所に向かう途中に目撃したのはハリ ケーンに備えて買い溜めに走る人達の姿。い わば、この時島中がパニックになっていたと いっていい。 「マルティニークへ行くのはやめてここにい た方がいいよ。もうすぐハリケーンがやって 来るんだから」 何度も彼女はそう言ってくれたものだ。実 を言うと、ハリケーンはその翌日、マルティ ニークではなくグアドループを直撃。フラン ス本土を遥かに越える、過去30年で最大規模 に成長したヒューゴは壊滅的なダメージを島 に与えることになるのだが、もちろん、この 時、そんなことは想像もつかなかった。 事務所に着くやいなや、通訳探しだ。なに せ残された時間は2時間ほど。タニヤのデビ ュー以来活動を共にしているキーボード・プ レイヤー、ウイリィ・サルゼードのお兄さん が大学で英語を教えているというので、彼の 家に直行する。そして、なんとわずか30分と いう大急ぎのインタヴューと相成った。時間 のこともあって、この時聞き出せたのは主に 彼女のプロフィール。それはソニー・レコー ドに資料として渡し、89年暮れに日本でのデ ビュー作として発表されたタニヤの三枚目の アルバム『ズークDEゴウゴウ』のライナー で伊藤なつみさんが紹介してくれている。も ちろん、それに伊藤さん独自の情報も加味さ れ、彼女の経歴についてはそこで詳しく説明 されているので、ここでそれを繰り返す必要 もないだろう。 さて、このアルバムはタニヤが86年、まだ 21歳だった頃に発表したデビュー・アルバム とその翌年のセカンド・アルバムを一枚のCDにまとめたものだ。いずれのタイトルも、 実にシンプルな『タニヤ・サン・ヴァル』。 フレンチ・カリビアンがハイチのコンパと呼 ばれる音楽の影響を離れて生み出したズーク という独自の音楽スタイルを確立した頃の作 品だ。クリオールの言葉でパーティを意味す るのがこのズーク。英国で西インド諸島、特 にジャマイカ移民を中心に大きくしていった 音楽にレゲエがあったように、フランスにズ ークがあったと思ってもらえればいい。レゲ エにボブ・マーリィがいたように、カッサヴ というバンドが中心になってこのズークをポ ップな存在にしてゆくのだ。まずは80年代半 ばにカッサヴを核にフランスで第一次ズーク ・ブームが生まれ、それを拡大したのが昨年 のズーク・マシーン。この女性3人のコーラ ス・グループはシングル『マルドン』をヒッ ト・チャートのトップに放り込み、6週間に 渡ってそれをキープしたという。 その第一次ズーク・ブームの波にのってカ リブから飛びだしてきたのが、このCDに収 録されているタニヤの2枚のアルバムだ。あ くまでカリブ中心のマーケットに向けて制作 されたアルバムなのだが、88年にはそれが再 編集され、まるで『ザ・ベスト・オヴ』のよ うな形のアルバムとなってフラレナッシュ・ レーベルからフランスを中心としたマーケッ トに向けて再発表されている。ズークが噂に なり始めた日本の輸入盤屋でヒットを記録し ていたのがそのアルバムだ。それはCDでも 入手可能だったが、あの2枚のアルバムの曲 が全てここに収録されていたわけではない。 遅ればせながら、今回の国内発売でやっとそ の全曲がCDで聞けることになった。ファン には実に嬉しい作品だ。 しかも、4〜5年前に録音されたというの に、そのサウンドに古ぼけたニュアンスは全 く感じないのが素晴らしい。そして、それど ころか、タニヤが遥かに時代を先取りしたサ ウンド創りをしていたことに気が付くのだ。 早くからソウルやジャズに傾倒し、彼女と始 めて会ったあの日もカー・ステレオから流れ 出てきたのはジョディ・ワトリィ。「今、ジョ ディ・ワトリィがとっても気に入ってるの」 と、大声で歌いだしたタニヤは「英語も勉強 して、アメリカでもレコードを発表できるよ うになりたい」と語っていた。いわば、タニ ヤのズークが最初から抱えていたのがブラッ ク・コンテンポラリィ的な方向性。それはこ のアルバムでも充分感じられる。特に最後の ナンバー、 シャンジェ・ティ・ブエン』での ヴォーカルの素晴らしいこと。『ズークDE ゴウゴウ』にも日本盤のみのボーナス・トラ ックとして収録されていたが、何度聞いても その表現力に圧倒されてしまうのだ。 このアルバムが発表された当時、タニヤは ズーク・マシーンのバック・バンド、エクス ペリアン・セットと共に、まるでファミリィ のような活動を続けていた。それが人口約30 万人のグアドループで、なんと1万枚のセー ルスを記録。「そう、タニヤは島の大スター なんだ」と、そんな説明をしてくれたのがレ ーベルの主、アンリ・デブスだ。もちろん、 その説明には多少の誇張もあるのだろうが、 タニヤがズーク界を代表する女性シンガーで あることは間違いない。特に、ダンス・ミュ ージックというよりはヴォーカルを前面に出 したメロディアスなズーク・ラヴの世界で、 タニヤを越える女性ヴォーカリストにはまだ 出会ったことがない。おそらく、このアルバ ムを手にしている人達も、きっとそこに魅力 を感じているはずだ。 タニヤはこの1枚のアルバムを発表した後 に、エクスペリアン・セットと別れ、ズーク ・マシーンとは全く違った方向性に磨きをか けてゆく。その成果を十二分に発揮したのが 『ズークDEゴウゴウ』だが、残念ながら、 まだ国際的な成功を獲得するまでには至って はいない。きっと、その日もそれほど遠くは ないだろう。が、とりあえずは、それまで、 素晴らしい彼女の声を独り占めにでもしてお こう。と、そんな気分になっている今日この ごろだ。 91年5月27日執筆 |