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確かに、輝くような美しさに溢れた島だった。パリから西へ約8時間のフライトでたど り着くのがカリブ海の南に浮かぶフランスの海外県、マルティニーク。その美しさを伝えるためにどれほどの言葉を使わなくてはいけなかったか・・・ 珊瑚に囲まれた淡いブルーの海や溢れるように咲き誇る原色の花の数々。島の宝石と呼ばれるバンド、マラヴォワの取材のために初めてこの島を訪ねた昨年5月、そんな眩しい風景ばかりか、空気までが輝いているようにも感じたものだ。しかも、熱帯のここを支配する奇妙なヨーロッパ色。 熱帯のパリ 、あるいは、 花の島 と呼ばれるここに多くの人々がヴァカンスにやって来るのも容易に理解できたものだ。 が、島の魅力は安っぽいパッケージ・ツアーの広告にでも出てきそうなリゾート・ホテルやビーチではなかった。それよりは、不幸な植民地の歴史が創造した産物、音楽や芸術に文学・・・ そして、もちろん、ここに住む人々の美しさや独特の空気がその魅力だったように思えるのだ。コロンブスが島を発見したのは16世紀初頭。それ以来、アフリカからこの地に砂糖キビのプランテーションのために連れてこられた黒人たちがどれほど苦しい生活を強いられてきたか・・・ それは日本でも熱狂的なファンを持つ映画、 マルティニークの少年 に詳しい。が、その結果生まれたのがこの映画の中でマラヴォワが演奏していたマズルカやビギンといった島の伝統音楽だ。アフリカのリズムにヨーロッパの音楽が融合され、そこに加えられたのが島の人たちの喜怒哀楽。暖かさ溢れるユーモアやホロリと涙でも出てきそうな哀愁・・・ その音楽からあくまで人間的な暖かさを感じるのはそんな歴史の賜物だと思うのだ。 また、これは余談になるかもしれないのだが、やはりその歴史の賜物といえるのが島の女性たちの美しさ。褐色の肌に時にはブロンドが混ざった髪の女性もいれば、ブルーの目の女性もいる。フランス系の白人と黒人の混血、クリオールの女性たちの美しさは、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンの書に詳しい。彼はその中でカリブにある数ある島の中でもこのマルティニークの女性が最高だと書いているのだ。いつか、かつてマラヴォワのリード・ヴォーカリストとして活動し、現在はソロで絶大な人気を誇るラルフ・タマールとインタヴューした時も、こんなことを話してくれたものだ。 「ずっと混血が続いた歴史のせいで、クリオールの子供達には褐色の肌だけではなく、黒人や白人もいるんだ。両親が褐色なのに、ブルーの目でブロンドの子供が生れたりね。でも、それが離婚の原因になるなんてことは全然なくてね。(笑)」 これもまた不幸な歴史ゆえに生まれた異文化融合の結果だろう。が、その融合が生んだのが美しい人々。こんな話を聞いていると、いまだに民族の純潔を守るなんてたわごとを主張する人種差別的な発想がいかに馬鹿ばかしいかわかろうというものだ。 さて、その女性たちと同じく、島の文化の原石のような輝きを持っているのがカリの音楽だ。日本でもビッグになったマラヴォワにいわせると、 まるで僕らの兄弟のようなアーティスト 。初めて島を訪ねた時、彼らはカリをこう紹介してくれたものだ。当時、マラヴォワを日本に紹介した時、 伝統音楽を純粋培養して進化させた島の宝石だ』と書いた。とすれば、カリの場合は原石の美しさを無駄をそぎ落して素朴に映しだしたものとでも書けばいいだろうか。 そのカリと初めて出会ったのは昨年の9月16日。ハリケーン・ヒューゴがカリブ海を襲った、その日だった。当時、サン・ピエールに住んでいたのがカリ。かつては島で一番の大都市でビギンやマズルカが生まれた街だった。残念なことに、この街は1902年、その隣にあるプレ火山の噴火で壊滅的な打撃を受けて、現在では小さな漁村のようなたたずまいを見せているのだが、ここに彼が住んでいたのはやはり、伝統音楽への彼の愛情の成せる技ではなかったろうか。 が、この時のカリとの出会いはちょっとした驚きだった。というのも、姿を見せたのは前作、 ラシーヌ』から聞こえてくるサウンドからは想像もできないラスタファリアン。レゲエを好きな人なら知っているだろう、見事なドレッドロックが、まるでジャマイカにでもいるような錯覚を与える彼の姿だった。 「イヤー、マン、ラスタ!」 例によって、ラスタ独特の挨拶が彼の口を突いて出てくる。聞けば、彼がかつて在籍していたのがシジエム・コンティナン(第6大陸)と呼ばれるレゲエ・バンド。ボブ・マーリィの強力な影響の下に髪を伸ばし始め、スタイルだけではなく、完全なラスタファリアンになったという。ただ、彼の音楽とラスタのアンバランスが、実は、逆に素晴らしくバランスの取れたものだとわからせてくれたのがこの時のインタヴュー。今回はそれを下にカリの紹介をしてみたい。 「生まれたのは56年。いつ音楽を始めたかっていわれても・・・ 困るなぁ。6歳の頃には歌のコンクールに出てたし、ドラムやギターもやってたから」 と、もう子供の頃から音楽にトップリと漬かっていたというのだ。それもそのはず、カリの家庭はみんなミュージシャン。両親も楽器を演奏し、実は、前作にも参加していて、島では有名なシンガーのマックス・ランジィは彼の叔父で、前述のラルフ・タマールは従兄弟だというから驚かされる。その彼が本格的な音楽活動を始めたのはシジエム・コンティナンだった。 「ボブ・マーリィの影響を受けなかったカリブ人はいないと思うよ。あれほどの精神性を持った音楽なんて、ほかになかったような気がするんだ。そうだねぇ、ラスタが僕の人生を変えたってのかな」 チェ・ゲバラのようだったヘアー・スタイルを変え、レゲエにのめり込んでいったのはこの時期だったという。が、レゲエに対する疑問が『ラシーヌ (フランス語でルーツの意味) というアルバムに結び付いて行くのだ。 「レゲエを今演奏していないのは、最近のレゲエがルーツを喪失しているからなんだ。だから、自分の音楽のルーツに遡って、なにかをみつけたいってのか・・・ ラスタだからこそルーツに戻らなければと思ったんだ」 そして、始まったのがこのプロジェクトだった。楽器は90年近くも昔にフランスのノルマンジィで作られたアルト・バンジョー。シジエム・コンティナンのマネージャーの父親から譲り受けたものだ。 「バンジョーって楽器そのものが僕のルーツを反映していると思うんだ。パーカッションと弦をミックスした楽器で・・・ 弦にはヨーロッパのメロディが、そして、ドラムにはアフリカのビートがある。その両者を抱えたのが僕自身じゃないか。実際、これを演奏することでルーツとの接点をみつけられたってのかな。島の音楽に愛着を感じ始めたのもこの楽器がキッカケだったし、バンジョーをつま弾いているといろんなインスピレーションが浮かんでくるんだ。実は、 ラシーヌ ってタイトル・トラックも、そうして生まれたんだ」 前作に収められたなかで唯一彼のオリジナルだったのがこの曲。そこにマルティニークの厳しい歴史のなかで生まれては消えていった人々の悲しさや逞しさを感じたのは私だけではなかったはずだ。 さて、あのインタヴューから約半年後、島のカーニヴァルを体験したくて、マルティニークを再び訪ねた時、カリから耳にしたのがこのアルバムのことだった。 「基本的には前のアルバムの延長線で、4月に録音して5月には発表したいと思うんだ」 サン・ピエールから少しばかり北の丘の上に引っ越したカリは、そう説明してくれたものだ。が、待てど暮せどアルバムは届かず。6月始めにパリを訪れた時、このアルバムの発売元となっているココ・サウンドのオフィスにジャケットはあっても、マスター・テープは届いていないという状態だった。前作と同じように『マルティニークの少年』からのスティール写真を使ったジャケットを見せながら、オフィスのスタッフは、 前作以上の作品にしたいからって、カリがすごく時間を書けてるってのよ』と教えてくれた。そして、街に待ったという感じでこのアルバムが輸入盤で日本に届いたのは夏の終わりだった。 手元に詳しい資料はないのだが、彼の言葉どおり、これは前作の延長線。前作と同じようにはかなくも美しく、そして、逞しい伝統的なマルティニークのサウンドが満載されている。おそらく、古くから伝わる曲だけではなく、ルーツに根ざした新しい曲も含まれているのだろうが、そのあたりは12月に彼が来日した時にでも確認してみよう。 また、今回も前作と同様、唯一カリ自身のオリジナルとして、レゲエ・ナンバーの フリーダム・モーニング』が収録されている。このアルバムの後、カリがどういった方向に進むのかを暗示させるのがこの曲。実は、 ラシーヌ』のプロジェクトは、この後にライヴを出して一旦休止。91年はボブ・マーリィが死んで10年ということもあり、彼の曲をカヴァーしたアルバムを作るという話だ。もちろん、それが素晴らしい作品になるのは間違いないだろう。島で見た彼のライヴで演奏していた『レデンプション・ソング』など、ゾクッとするほどの魅力を感じるのだ。そのあたりは来日公演で、おそらく、誰もが感じることだろう。が、カヴァーだけではなく、オリジナルのレゲエ・アルバムも作ってほしいと望むのは私だけだろうか。 1990年10月3日早朝 PS: もしも、このアルバムで初めてカリに接した方がいらっしゃれば、是非、前作の『ラシーヌ』も聞いてみて下さい。この作品同様にマルティニークを代表する最高傑作の一枚だと思います。また、島の音楽をこよなく愛する対馬敏彦さんの素晴らしいライナーノーツも大傑作。おそらく、生涯聞き続ける宝のようなアルバムになるはずです。 |