Marijose Alie-Gaoule

 マリィジョゼとの初めての出会いはブラウン管だった。昨年だったか、パリで買ったのが『ル・グラン・メシャン・ズーク』のビデオ。フレンチ・カリビアンの音楽、特にズーク・ファンなら耳にしていると思うのだが、カッサヴというグループを中心にズークを代表するミュージシャンを一同に集めて、パリで開かれたフェスティヴァルの模様を収めたのがこれだ。アルバムは日本でも発売されたのだが、ビデオは未発表。多くのフレンチ・カリビアンが集中するパリでズークがどれほどの勢いを持っているか、それを知るために入手したのがこの作品だった。もちろん、その盛上がりをストレートに伝えていたのがこのビデオ。レコードで感じた熱気がそれ以上の迫力で体験できたものだ。

 その中で歌っていたのがマリジョゼ・アリだった。曲はこのアルバムにも収められている"CARESSE MWIN"。かつてマラヴォワのヴォーカリストだったラルフ・タマールと共に、ズークとは一味違った響きを感じさせていたのがこの曲だ。かなりヨーロピアンなタッチに都会的な洗練さ・・・ このビデオの中で最も印象的なのがこの曲だったと言える。

 そして、昨年9月、取材でフランスの海外県、マルティニークを訪ねた時、やはりテレビのブラウン管でお目にかかったのが彼女だった。といっても、今度は音楽ではなく、なんとニュース番組。マルティニークから北に2百Kmほどにあるグアドループを直撃することになったハリケーン、 ヒューゴ の進や規模を説明するニュース・キャスターとしての姿だった。ここではミュージシャンと同時にジャーナリストとして知られているのがマリィジョゼ。実は、ハリケーンによって過去30年で最大の被害を受けたグアドループに空軍の飛行機で飛んで、誰よりも早くレポートを送ったのも彼女だった。

 そのマリィジョゼと初めて顔を合わせることになったのが、フランスでもカリブでもなく、日本の東京だったというのがおかしい。昨年10月のことだ。マルティニークの国宝とも呼べる偉大なアマチュア楽団、マラヴォワが来日した時、島の放送局、FROのジャーナリストとして同行したのが彼女。マラヴォワのツアーだけではなく、日本の今をレポートするのがその目的だった。実はこの時、東京から名古屋、大阪と彼らに同行したのが私自身。その道すがら幾度となく彼女に CARRESE MWIN を歌ってくれと頼んだものだ。というのも、彼女のデビューとなるこの曲が初録音されたのは83年。マラヴォワのアルバムでのことだった。実は、もうヒト押ししていれば、名古屋あたりで実現していたのがそのステージ。ところが、マラヴォワのリーダー、ポロが熱演のあまり、このことをウッカリ忘れしてしまったのが悪かった。残念ながら、ついに実現することなく、彼女はマルティニークに帰ってしまったのだ。

 今回、日本で発表されることになったこのアルバムの音を聞いたのはそのツアーの最中だった。録音にも参加し、私生活ではマリィジョゼのボーイ・フレンドでもあるマラヴォワのパーカッショニスト、ニコル・ベルナールから受取ったのがミックスを終えたばかりのテープ。強烈なカリブ色を感じさせるズーク勢やマラヴォワとは違って、よりヨーロッパ的でソフィストケイトされたユニヴァーサルな響きを持つ彼女のサウンドが、以来私の宝物のようになったのは言うまでもない。

 あれから約半年、再びマルティニークを訪ねたのがこの2月下旬。島がカーニヴァルで湧き返っていた時だった。その道中、パリから同じフライトに乗っていたのが、なにを隠そうプロモーションの仕事を終えて帰路に着いていたマリィジョゼ。偶然にしてはできすぎたこの再会が私と彼女の間にかなり打解けた雰囲気を作りだしてくれた。彼女やマラヴォワと一緒に食事をしたり、友人の写真家がやった彼女のフォト・セッションに顔を出したり・・・ インタヴューをしたのも彼女には特別深い思い出があるという、島の南にあるディアモンの街に出掛けてのことだった。今では廃屋になっているのだが、植民地時代に建てられ、以前彼女が住んでいたのがこの家。神秘的な空気を漂わせるここでアルバムに収められた曲の多くが生まれたという。その時のインタヴューを下に彼女を紹介してみたいと思うのだ。

「生まれたのはパリなんだけど、ずっと小さい頃にマルティニークに戻ってきて、5歳の頃からピアノの勉強をしてたの。ジャーナリズムを学ぶためにパリに渡るまでずっと。それからはギター。だって、ピアノは持ち運べないから (笑) でも、生まれる前から・・・ そう、母のお腹にいる頃から、ずっと音楽と一緒に生きてきたって感じね。そうね、音楽が私の一部だって言うよりは、音楽が私で、私が音楽だって言うのかしら」

 詳しい生年月日は尋ねてはいないが、このインタヴューをした時彼女は38歳。すでに18歳と17歳の娘を持つ女性だった。が、ミュージシャンとしての経歴はそれほど長くない。ジャーナリズムを学んでいたパリ時代、メトロなどで歌っていたこともあるとは言うのだが、先行したのはジャーナリズム。彼女が初めてレコーディングしたのは前述のマラヴォワのアルバムでの出来事だった。

「仕事をしながら、いろいろ曲を書いたり、仲間を前に歌ったりって感じだったの、いつも。それがキッカケだったの。この家で友達を集めてワイワイやってた時、ギターを手にして歌ったのが CARRESE MWIN で・・・ その中にマラヴォワのポロやラルフがいて、こう言われたのよ。 今作ってるアルバムの曲が足らないんだ。それ、録音してみない? って。要するに穴埋めだったのよね。(笑)」

 ところが、それが大ヒット。ジャーナリストとしてではなく、突然ミュージシャンとして脚光を浴びるようになったのだ。以来、始まったのがレコード会社からのアプローチ。初めは『ジャーナリストでミュージシャンじゃない』と全て断わっていたのだそうだが、結局、2年間のラヴ・コールに応えるようにバークレイ・レコードと契約している。

「私をリラックスさせてくれる唯一の音楽はバッハ。なにかをしながら音楽を聞くなんて私にはできなくて・・・ いつも、真剣に聴いてしまうの。昔のジャズやシャンソン、それにビートルズの大ファンよ。好きなのは美しいメロディ。だって、誰もが共有できて、口ずさめるでしょ」

 と、そんな話をしながらも、さすがにジャーナリスト。クールな視点に立った鋭い言葉が次々と飛び出てくるのには驚かされる。

「私たちカリビアンは歴史の歪みの中に存在しているのよ、ある意味では明日の人類の先駆けとして。私の中には黒人と白人だけじゃなく、ほかの人種の血も流れている。植民地と奴隷性の残したのがそれよ。文化だって完全な混合文化で・・・ 音楽だって、全てを融合した、全世界の人々に興味を持たせるなにかが作りだせると思うの」

 トレンドやジャンルではなく、世界の新しい流れとしてのワールド・ミュージック・・・ もちろん、こんな言葉にどれほどの意味があるとも思えないのだが、"混血" だからこそ、意図的に壁を越えたユニヴァーサルな音楽を目指しているのがよく伝わってくるのだ。だからこそ、彼女はこう続けるのだ。

「島のレーベルからレコードを出す・・・ 島のアーティストとして活動するなんてことは考えてはなかったわ。限られた世界のために、わずか34万人のために音楽するなんて嫌だし・・・ できるだけ遠くの人たちにも聴いてもらいたいじゃないの」

 だからこそ、本土のレーベルと契約。生まれたのがズークとは全く違ったところにベースを置いて作ったこのアルバムだった。プロデューサーはマルタン・メソニエと活動を共にするエルヴェ・ル・コズとマラヴォワのニコルの兄弟、ジャッキィ・ベルナール。前者はアミナのデビュー・アルバム "ヤリル" でエンジニアを担当していた人だ。ジャーナリズムの仕事を中断して、ベルギーのスタジオで一か月の集中録音。レゲエのリズムを使った ムーン・ア・リュンヌ でジャズ・ハーモニカ・プレイヤー(ジャズ・ギタリストでもある)のトゥーツ・シールマンスが参加しているのは、この国に彼が住んでいることから持ち上がったアイデアだったという。

 さて、そうした生まれたこのアルバムの魅力は、括弧付きのワールド・ミュージックやフレンチ・カリビアンといったサウンドではなく、見事なソウル・・・ といっても、黒人音楽的なガッツの入ったソウルではなく、感情の襞の奥まで感じさせる表現力を持つ彼女のヴォーカルじゃないだろうか。おそらく、それを生むのが繊細ながら、激しさも兼ね備えた彼女のパーソナリティ。そして、ジャーナリズムという仕事を通じて彼女が育んできた豊かな感受性だと思うのだ。

「歌は喉じゃなくて、お腹で歌うものと思ってるの。最も大切なのは、美声や楽器ではなく、聴いている人に自分の腹を開いて、はらわたを見せること。声がなくても歌うことはできるもの。曲もある種のエモーションが生まれた時じゃないと書けないのよね。例えば"MOON A LUNE" はハイチの政変を取材した時の気持ちが生んだってのかしら。私の目の前で泣き叫ぶ人たちや子供達・・・ でも、ジャーナリストの私はそれを客観的なニュースとしてしか伝えられなかったのよ。その時の私の感情はそんなもので伝えられるものじゃなかった。それを歌にしたのがこの曲だったの」

 以前の夫と別れ、現在はふたりの娘と生活しているのがマリィジョゼ。彼女の今までの人生の紆余曲折を短いインタヴューでは知ることはできなかったが、その片鱗をうかがわせるのが、このアルバムに収められた曲の数々だ。そこにトレンドやファッションとは全く関係な "歌" を感じるのはけっして私だけではないだろう。

 38歳という彼女の年令を考えると、遅すぎるデビューと言っても差し支えあるまい。でも、そこには大人の女性にしか表現できない世界が顔を出している。ジックリと聴ける数少ないアルバムがこれだろう。末永く愛してもらいたい一枚だ。

1990年5月19日執筆

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