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ゴーギャンやジャン・コクトーがこよなく愛したマルティニークと蝶の形のグアダループを中心に成るフランス領西インド諸島、(アンティーユ)を初めて訪ねたのはこの原稿を書き始めたほんの2週間前だった。パリからのフライトは約8時間。珊瑚と真っ白な砂浜に囲まれた小島やヨットが紺碧の海にポツリポツリと顔を見せ始めると、そこが熱帯のパリ、フォール・ドゥ・フランスを県庁に持つマルティニークだった。まずはここでマラヴォワを取材。心優しいヴィオロンの響きと毎日のパンシュ・ラムに、おそらくは飲み込まれてしまったのだろう。まるで恋にでも陥るように惚込んでしまったのがこの島だった。 そして3日後、わずか40分のフライトで着いたのがこのアルバムの主人公、ドミニク・ベルニールが生れたグアダループだ。 「ここの太陽や環境の全て・・・ ある種の暖かさや、自分にはなくてはならないものがここにはあるってのかな。それはパリには絶対にないんだよね。だって、あそこにあるのはストレスやスピード感。それはそれで好きだけど、自分の音楽や作曲のためにはそんなものから完全に切り離された時間が必要なんだ。だから年に数カ月はここに戻ってくるんだ。」 普通はパリ住いという彼とインタヴューしたのは県庁、ポワンタ・ピートル市郊外にある両親の家だった。椰子の木や原色が眩しい熱帯植物の花が並ぶ庭に囲まれた白壁の家のバルコニーで約1時間。新しいズークを生みだしたドミニクの横顔を探っていた。 63年11月生れの25歳。南米音楽好きの父の影響で、子供の頃からの音楽好きだ。8歳の頃からクラシック・ピアノを習わっていたけど、2年ほどで放棄。兄の影響でアメリカのポップスばかり聴いていたという。 「マーヴィン・ゲイやアース・ウィンド&ファイアーにスティーヴィ・ワンダーとか、ずっとアメリカの黒人音楽が好きで・・・ ズークとかローカルの音楽は全然聴いてなかったんだ。レコード作りたいと思っても、それがズークになるとは想像も出来なかったもんね。」 が、おそらくは84年辺りから突然始まったカッサヴの成功が彼をズークに向かわせたのだろう。当時、パリでヘアー・ドレッサーになるための勉強をしていたのがドミニク。そこにアンティーユ人としてのアイデンティティを求めていったのは彼のこんな言葉からも十分理解できるのだ。 「デッカイよね、カッサヴは。僕らの立場を位置付けてくれるってのか・・・ 彼らには尊敬と感謝の気持ちを感じるし、僕らを救ってくれたって気もするんだ。」 が、強烈すぎたのがカッサヴ。そのためにズークを一つの枠に押し込めていったような気もしないでもない。それに対し、全く違うアプローチを見せたのがドミニクだった。ピアノ・バーでソウルを歌っていたこともある彼が87年にズーク・バンド、DISSONANCEに参加。が、ソウルをベースにした彼のヴォーカルでヒットを生み、それがソロ・デビューに結び付くのだ。まずはラジオのDJを通してプロデューサー、エリック・バッセと知り合い、パリの新興レーベル、ブルー・シルヴァと契約。エクサイル・ワンのゴードン・ヘンダーソンらを迎えて録音したのがこれだ。 「あらゆる意味でリスクを負いたいと思ったんだ、自分のアイデンティティをハッキリさせるために。録音はパリのプリュス30スタジオで、ベースやドラム・プログラミングはアンティーユ的な感覚。そこにゴードンやサックスにあるアメリカっぽさが加わって、ヨーロッパ的なサウンドを付けるために使ったのはフランス人のギタリスト・・・」 ドミニクのズークが都会的な洗練さを見せているのはこんな彼の感覚にあるのだろう。それはアンティーユ以外で生まれてきた若手ズークにも共通することだ。アルバム・タイトル通り、"NOUVELLE GENERATION"でマイアミからデビューしたのが多少フィュージョンっぽいニュアンスも感じるスキャンダルだし、パリの新しいバンド、サキヨにあるのはハイパー・アクティヴなファンク色。彼らのライヴを見た時など、"ズーク" という言葉さえも使えないような新しさを感じたものだ。 「僕の音楽をどう呼ぶかって? ここが人種の坩堝だという意味において、アンティーユの音楽さ。それに、僕らやこれからの世代の人たちは、どんな表現形態の芸術でも、音楽でも、絵画でもダンスでも、"地球的" でなきゃいけなくなるだろうって思うんだ。」 15世紀からフランスの支配を受け、アフリカ大陸から連れてこられた黒人とフランス人が混ざり合ったのが一般に言うクリオール、アンティーユなどカリブ海からニューオルリンズに繋る地域に住む人たちだ。しかも、そこには英国領があり、オランダ領もある。それが複雑に混ざり合って生まれたのが彼らの文化。そんな彼らが自分の足をシッカと地につけて創造したのがこんな新世代の音楽であるような気がするのだ。それは無国籍ではなく、まさしくドミニクの言葉どおり多国籍で地球主義の音楽。これが日本でどんな評価を受け、どんな影響を与えて行くのか、楽しみで仕方ないというのが今の気持ちだ。 特にこのアルバムが日本で発表された頃には実現しているはずなのがドミニクの来日公演。どんなステージになるのか・・・ 実に気になるのだ。 1989年5月25日執筆 |