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「ロックはもう終ってるじゃないか。」 そんな会話で始まったのがこの6月、突然来日したプロデューサー、マーティン・メソニエとのインタヴューだった。かつて、キング・サニー・アデがナイジェリアからジュジュ・ミュージックを手に世界に飛ぴだしていった時、マネージャー兼プロデューサーとして活躍。それ以降もアフリカ辺りから飛ぴだしてくるアーティストを次々と世界に紹介してきたのがこの人だ。そのマーティンが現在ゾッコンだというアラビック・ファンクの歌姫、アミナと来日。小規模なクラブで数回ライヴを見せてくれたのがこの時だ。実を言えぱ、最近、中近東からインド辺りの音楽に関心を持っている細野晴臣氏が招聘に絡んでいることを除いて、大した話題にはならなかったのがこのライヴ。が、なにやら嬉しくなったのがこの時のインタヴューだ。おそらくはここ数年でポップスの世界がガラリと姿を変えてしまうだろう。そんな予感を彼との会話を通して確認できたような気がしたからだ。 というのも、そんな兆候がポツリポツリと出てきたのが最近のヨーロッパ。単調な産業ボップスが幅を利かせる一方で、脚光を浴びることになったのが過去の音楽、ジャズやソウルだ。前者はラテンからアフリカヘと広がり、ヒップホップやレア・グルーヴに結ぴ付いていったのが後者。かつてパンクに影響されたミュージシャンたちが新しい可能性を求めていったのがそんな世界だ。また、ロックもサイケやグラムヘ逆行し、続いたのはシンプルなシンガー&ソングライターの登場やカントリィの再評価。もちろん、それを独自のスタイルに消化したバンドがなかったわけではない。が、一方で未知の新しい音楽への欲求が増殖されていったのがここ1〜2年。そして、その欲求に応えてくれたのがアフリカからアラブ、インドに至るポップスの新世界からの音楽だった。 その要素を十二分に消化して成功したのがピーター・ゲイブリエルやポール・サイモンにトーキング・ヘッズたち。彼らのアルバムに大胆に起用されていたのはアフリカ系のミュージシャンたちだ。そこにあったのはかつてのポップスにはなかった未知のサウンドのエッセンス。それが新陳代謝を求めていた音楽界にカツを入れてくれたような気がするのだ。その証明が彼らを通して人気を得たアーティストたち。ピーターの『SO』で脚光を浴びたのがセネガルのユッス・ンドゥールなら、ポール・サイモンの『グレイスランド』でスターになったのは南アフリカのレイディスミス・ブラック・マンバーゾだ。かつてなら、西洋の有名なミュージシャンたちに利用されっぱなしだったのがそんなアーティストたち。ところが、面白いことに、彼らはそれをまるで逆手にでも取るように勢力を伸ばし始めているのだ。しかも、そんな著名人の力を借りることもなく登場してきたミュージシャンたちも多い。フランスではズークのカッサヴが大スターになり、フラメンコ・ボップとでも呼べそうなサウンドで人気を得たのがジプシィ・キングス。さらに、この6月、ヒットチャートのトップを飾ったのが南アフリカから飛びだしてきたジョニィ・クレッグ率いるサヴーカだ。また、西ドイツのヒットチャートではイスラエルのオフラ・ハーザが1位を、そして、マリ共和国のモーリィ・カンテが2位に顔を見せているほどなのだ。 もちろん、イギリスも事情は変わらない。ジンバブエのブンドゥ・ボーイズがインディ・チャートのトップを飾り、次々とライヴを重ねているのがアフリカ系のアーティストたち。南アフリカのマハラティーニ&ザ・マホテラ・クィーンズやコート・ジボワールのアルファ・ブロンディ... また、アフリカ系ポップスに強いインディ・レーベル、スターンズからは超人気プロデューサー、イブラヒム・シラーの作品、サリフ・ケイタ、ナハワ・ドゥンビアからバーバ・マールなどのアルバムが次々と発表され、高い評価を浴ぴているのだ。このあたり、かつてのエスノ・ブームに近いものを感じる人がいるかもしれないが、今回は当時とは全く違った背景を持っている。まず、そんなレコードに感じるのは以前とは比較にならないほど高設備のスタジオでの録音や完成度の高いプロダクション。西洋の音楽を縦横無尽に消化した洗練さを見せつけながら、独特の新しいサウンドを聴かせてくれるのがそんな作品たちだ。言ってみれば、これはエスノなんて特別な冠を付ける必要性を全く感じない新しいポッブス。それが異様なまでの勢いでポップ・ミュージックのメイン・ストーリームに流れ込んできているのだ。 そのひとつが突如として英国のメディアに登場してきたインド系アジア移民2世たちの音楽。その筆頭がパンジャビ地方にルーツを持つ民謡にディスコからハウス・ミュージックの要素を融合して生れたバーングラ・ビートだった。代表的なバンドはアラープやヒーラなどで、現在全英に存在するバンド数は約200。すでに、40〜50枚のアルバムが発表され、最近のヒットをリミックスしたコンピレーション『BHANGRA FEVER』はほぽプロモーション皆無の状態で2万枚のセールスを記録しているというから驚かされる。もちろん、普通ならインディチャートに登場してもおかしくないのがこの数字だ。が、通常のインディとは全く違った流通を介して、インド人コミュニティを中心に販売されているのがそんなレコードの数々。今までこれが話題にならなかったのはそこに原因がある。また、1度に数千人は集めるという彼らのクラプにしても、ヒンドゥーやムズリムといった宗教的に厳しい家庭環境のせいもあって開かれるのは午後からタ方。きっと、これを初めて目の当りにしたメディアにとってみれば大発見だったのだろう、NMEからフェイス、シティリミッツなどが突然、このバーングラに大騒ぎし始めたのも納得できるのだ。 と、かなり前置きが長くなったけど、そんなメディアの『バーングラ・フィーヴァ』の流れの中で紹介されていったのがこのアルバムのアーティスト、ナジマだった。バーングラがパンジャビ・フォークをルーツに持っているのに対して、ナジマの音楽のべースはガザル。インド北部からパキスタンに7世紀から伝わる伝統的な詩の詠唱法で、ナジマ自身はそれをこう説明しているのだ。 「ガザルというのは詩の意味で、それを伝統的なフォームの音楽、メロディにのせて歌うってのかしら。昔は貴族階級や宮廷が数世代にわたってその伝統を守り続けているアーティストに歌わせていたらしいんだけど、それが時代と共に変化してきたのよね。詩もわかりやすくなって、音楽もキャッチィになったし... 特に80年頃かしら、インドやパキスタンではそれが映画音楽として多用されて、すごい人気になっていったのよ。」 ただし、彼女がこのアルバムで演奏しているのは全く新しいスタイルのガザルだ。 「まずはハーモニィね。ガザルにハーモニィが使われたことがないし... フレットレス・べースの特長を強調したサウンドやサックスもとてもジャズっぽいでしょ? 今までのガザルじゃ考えられなかったわ、こんなの。正直言って、録音の時にプロデューサーにそれを要求されて、最初は断わったぐらいだから... でも、それが自分でも想像できないほどの結果を生んだと思うのよ。」 ミステリアスな響きを持ったウルドゥ語のヴォーカルとハーモニィに、タブラやヴァイオリンから伝わるインド音楽のタッチ。さらに、そこに加えられているのがファンクやジャズのニュアンスだ。このアルバムが創造しているのは、まさに『EAST MEETS WEST』の世界。西洋と東洋のサウンドが妥協することなく見事に融合されているように思えるのだ。 もちろん、昨年夏にこれが発表されると待ち構えていたのはメディアからの絶賛だ。取り上げたのは『NME』や『Q』といった音楽専門誌を始めとして、『ガーディアン』や『インデペンダント』といった新聞などなど。また、昨年暮にはナショナル・チャートの40位にまで上りつめ、『Q』では87年を代表する50枚のアルバムにも選出されている。しかも、ジワジワと大きくなっていったのが彼女の人気。その魅惑的な美貌も手伝ってファッション誌までが彼女を取り上げ、フランスでは人気デザイナー、クリスチャン・ラクロワがそのファッション・ショウのBGMとして彼女の音楽を使用。特に驚異的だったのはこの3月にロニィ・スコッツで開かれたライヴだった。ソールド・アウトになったのは当然だが、会場に顔を見せていたのはボーイ・ジョージやスクリッティ・ポリッティのグリーン。ライヴが終ると彼らのアルバムヘの参加を要請されたり、なんとスティングからも録音の誘いが来ているというのだ。現在のところ、それを受け入れるつもりはないらしいが、アメリカのジャズ・ヴァイブ奏者でプロデューサーでもあるマイク・マイニエリとの共演はあるかもしれないという噂もある。 そのナジマのプロフィールだが、彼女がインドから移民して来た両親のもとに生れたのは64年。ロンドン郊外でのことだった。 「両親がムズリムで、けっこう宗教的な家庭に育ったわね。私自身はそれほど宗教的じゃないけど... それに面白いのは私自身が持ってるメンタリティって多分にイギリス的なのよね。だって、この国に生れて育って... 学校だって音通の学校。それにそこでは私が唯一のアジア人だったし... ただ、家に帰るとテレビを除いて全てがインド。(笑)両親はウルドゥ語を話してるのに、私にはやはり英語が母国語... ガザルを歌うために勉強しなけりゃいけなかったぐらいだから。」 インド人であることとイギリス人であること、その両者が彼女の世界の中で複雑に絡み合っていたからなのだろう、彼女とのインタヴューでその音楽的な背景を尋ねた時も、興味深い答えが返ってさたものだ。 「奇妙なんだけど、11〜12歳の頃って、トップ10とか、そんなボップスしか聴いてなかったのよね。ところが、それから突然インドの映画音楽ぱかりになって、17〜18歳の頃はガザルだけ。イギリスに住むインド人としてのアイデンティティってのを感じたってのかしら... それから古典のガザルばかりの時期があって、最近かな、レンジが広がったのは。アフリカやアラブとかの音楽もよく聴いてるわよ。まあ、ポップ・チャートの音楽にはほとんど関心がないけど。」 ガザルを歌うキッカケを作ったのは79年、バルヴェズ・メーンディと呼ぱれるアーティストのライヴを見たことだった。そして、ガザルの教授、ウスタド・ナアエム・ソラリアのもとでレッスンを受け、84年にバーミンガムで開催されたアジア・ソング・コンテストに出場。長年にわたって歌い続けて来たプロのアーティストを尻目になんと優勝をかっさらっているのだ。もちろん、公衆の面前に女性が姿を見せるのを否定するのがムズリム。父親の反対はあったのだが、その才能の発露は誰にもとめられなかったとでも言えそうなのがこの事件だ。 それをキッカケに両親からの承諾を得た彼女はインドのボンベイでデビュー作を録音している。プロデューサーはインドでは著名なラヴィ。これはシンプルで伝統的なガザルを歌ったアルパムだが、インドのEMIから発表され、イギリスでもインド人のコミュニティでは高い評価を得ている。それを聴いたのがスターンズとオフィスをシェアしているレーベル、トリプル・アースのディレクターでプロデューサーのヤーン・スコットだった。ナジマのヴォーカルに惚込み、ガザルが新しいポップスとしての可能性を秘めていることを直感した彼がナジマとコンタクトを取ったのが昨年の春。かつてジャズ・ミュージシャンでもあったヤーンは彼女のガザルに新しい要素を挿入し、そんな異種交配が生んだのがこのアルバムで聴くことのできる新世代のガザルだった。 このアルパムのタイトル、『カリブ』が意味するのは親密さや肌触りといったニュアンスに近い。ナジマによるとここに収録されている曲の多くは伝統的なガザルと同じく、ロマンティックな愛の歌だという。全てウルドゥ語で歌われているせいもあって、言葉の意味が直接理解できないのが残念だが、その詩の世界をいとも簡単に感じさせてくれるのが魅惑的な彼女のヴォーカルと音楽。おそらく、それはこのアルバムを手にしている人には十分伝わっているはずだ。 情報によると、今年の夏には次のアルパムのレコーディングに入り、早けれぱ今年の暮れ、遅くとも来年の始めにはそれが発表される予定だという。また、次作ではより多くのオーディエンスを狼得するためにウルドゥ語だけではなく、英語の歌も収録するかもしれないと語ってくれたのがナジマ。おそらく、その新作からは今回よりもさらに洗練されたエキゾチックなポップスが流れ出てくるだろう。そして、おそらくは、新しい時代のポップスを求めているヨーロッパを中心にかなりのヒットを記録するような予感がするのだ。 1988年7月10日執筆 なお、今回日本で発売されることになったこのアルバムは昨年夏、英国で発売されたナジマのデビュー作に1曲を加え、CD用に再マスター化したテープを使用したもの。その曲、『APNE HATHON』はイギリス、キャピタル・ラジオの人気DJ、チャーリィ・ギレットの番組、『WORLD OF DlFFERENCE』でのセッションから収録された未発表曲であることを付加しておさたい。 |