AMAZULU-Amazulu

 あれはまだ僕がブライトンでプラプラしてた82年の暮だ。サセックス大学のホールで初めて見たのがアマズルだった。その時はまさか彼女たちが結成間もない、しかも冗談で作ったバンドだとは思いもよらなかった。確かにアマチュアっぽいところはあったけど、ステージでのノリは抜群で、僕の友人たちをおおいに満足させたのがそのライヴ。当の僕だって「なかなかいいバンドじゃない。」と、けっこうマジで言ってたほどだ。ところがどっこい、その4年後、初めてのインタヴューで欺されたことに気がついてしまうのだ。

「まあ、ほとんど冗談だったのよね。(笑)81年のことなんだけど。その時、私、友達の女の子とフラットをシェアしてたのよね。で、みんなレゲエ好きだからバンドでも作ろうかって感じで.... それまでバンドなんてやったこともないのに、Tえ〜っと、あなたべースね。アタシ、パーカッションやるから。Uそんな感じで始めたのよ。そして、まずはリハーサルだってんで3回ほど練習したら周りの連中が突然騒ぎ出したの。Tすんげえ、パンク・レゲエだ。しかも全員女性の。Uって。(笑)実際はあんまり演奏がヘタだったから、パンクみたくなっただけなのに。(笑)」

 と、元気いっぱいに説明してくれたのはパーカッションのシャロン。この時、Tバンド作ろうよUと言った張本人が彼女で、しばらく後、正確には82年の暮、ヴォーカリストとしてフロントに立ったアンとバンドの核になっているのがこのふたりだ。その頃、初めての男性がドラマーとして参加。ここでメンバー6人で構成されるアマズルの原型が生まれ、冗談がホンモノへと変化してゆくわけだ。

 そして、2度目に彼女たちを見たのは84年のグラストンバリィCNDフェスティヴァル。英国通なら一度ならずこの名を耳にしたことがあると思うのだが、これは毎年6月下句に開催されるヨーロッパ最大のピース・フェスで、そのメインステージで演奏していたのがアマズルだった。その時の観客動員数は6万弱。そこでまだマイケル・ローズが在籍していたブラック・ウフルー以上にエキサイティングなライヴを見せていたのだから信じられない。なにせアッと言う間に成長したってな感じで、その時日本からフェスに行った連中が口を揃えて彼女たちをベタ誉めしてたのが今でもハッキリと記憶に残っている。

 が、それもそのはず。その当時、ハードなライヴを通じてメキメキ実力をつけていたのがアマズルだ。「えっ、女の子のレゲエだって。」と輿味本位でギグに行っていた観客をいつもKO。タワーベル・レーベルからのデビュー作、『カイロ』はチャートの74位に顔を見せ、すでにカレッジ・サーキットの人気バンドの筆頭になっていた。そして、メジャーのアイランドと契約したのが84年。まずはジェリィ・ダマーズのプロデュースにより、『ムーンライト・ロマンス』をリリース、それに続いた『エキサイタブル』で全英チャート12位に入るヒットを記録している。

「一番迷ったのがこの頃だわね。ピュァなレゲエのレコードをかけてくれるDJなんてほとんどいないし.... そんなの出してるだけじゃ、どうしようもないってのを痛感してたのよ。だからポップなのを作らざるを得なかったってのかな。でも、もちろん、誰も私たちにミニスカートははかせられなかったわ。(笑)まあ、私たちの気性知ってたら、トライもしないだろうけど。(笑)それに私たちが何を目指しているのか、それはハッキリしてるし... そう、誰も私たちをベルスターズなんかにできないってことよ、絶対。そんなのってロッド・スチュワートとスティールパルスのデイヴ・ハインズを比較するようなものだもん。私たちはホンモノのレゲエを演るバンドなんだから。」

 そのせいか、ポップなA面にいつもカップリングされるのはヘヴィなピュア・レゲエ。B面は彼女たち自身がプロデュースを担当し、レコードとは全く違ったスタイルの、並のレゲエ・バンドも舌を巻く演奏を見せていたのが彼女たちのライヴだった。 「もちろん、『エキサイタブル』だって演るわよ、ステージで。でも、そんな軽いのばかりじゃないし、それをグッとヘヴィにしたダブ・ヴァージョンって感じに形を変えてやることにしてるの。でも、さすがにヒット曲ね。ビックリしちゃったわ。一発でいっぱい人が来るようになっちゃったんだもん。2千人ぐらいは簡単なのよね。しかも、ヤワなレコードとは違った演奏でもみんな充分に楽しんでくれるし、それは最高の気分だったわ。」

 その頃からバックに参加したのがアスワドのホーン・セクションでトランペットを吹いていたタンタン。それにキーボードも入り、厚みのあるサウンドを聴かせるようになっていた。それが85年10月、ブリストル大学の学祭で見た時の彼女らだ。地方都市だというのに会場に集まっていたのは千人以上の観衆。さらに磨きがかかったとでも言わんばかりの演奏に、まだまだ未知の可能性を感じていた。でも、ちょっとした焦りが彼女たちの中にあったのも確かだ。なにせ、その頃、アスワドなどレゲエ・アーティストを切り落としにかかったのがアイランド。いつまでたってもアルバムを録音できないもどかしさを彼女たちは感じていたように思うのだ。

「レゲエのネックだったと思ってたアイランドが私たちからその要素を取り去ろうとしてたんだもの。そりゃあ、全然嬉しくなかったわ。ただ、メディァじゃいつでもレゲエをバカにしてるって感じで... それになにかをしなけりゃいけなかったのも確かなんだけどね。」

 でも、開き直ったようにライヴを続けていたのが幸いしたようだ。T生き残るためのビジネスUだと言いながらリリースしていったシングルが全てヒットチャートに登場するようになっていた。もちろん、ビジネスだとは言うものの、ハイセンスなポップ・レゲエは完全に聴衆のハートを射ぬいていた。昨年初め、ヒューイ・スミスをカヴァーしたTドント・ユー・ジャスト・ノウ・イットUが全英チャート15位を記録し、続くTロンリー・ドゥUも46位に顔を見せている。そして、彼女らにとって初の大ヒットとなった次のTトゥー・グッド・トゥ・ビー・フォゴットンUが昇りつめたのは4位。さらにTモンティゴ・ベイUが16位で、最新作Tオール・オヴァー・ザ・ワールドUも快調な滑り出しを見せている。

 そんな彼女らにとって遅すぎるデビュー・アルバムとなるのがこの作品だ。なにせ、『カイロ』でデビューして以来、コンスタントにヒット曲を出し続けてきたのがアマズル。噂は早くから日本でも囁かれていたし、輸入盤屋からファッション・ショウにまで顔を出していたのが彼女らの音楽だ。首を長くして待っていたファンに格別なプレゼントとなるのがこのアルバムだ。さらに、ヒット曲を全て収録したこれは、今まで彼女らを知らなかった人にとってはしょっ鼻から『ザ・ベスト・オブ・アマズル』。絶対に満足できる内容だと自信を持ってお薦めできるってのが嬉しい。

 そのアマズルと最後に会ったのが86年のグラストンバリィCNDフェスだった。この時、彼らはバンドをヴォーカルのアン、パーカッションのシャロン、そして、白人でブロンドのドレッドロックがお似合いのレズリーに縮小。その直接の原因が何だったのか、残念なことに尋ねることはできなかったのだが、フロントに立つアンを中心により明確な路線をこの時から狙い出したように思えるのだ。といっても、バックを固めていたのはかつてのメンバーやタンタンたち。演奏したのは昼間だったけど、「寝てる奴がいたら叩き起こしてやるんだ。」とステージに立った彼女らの演奏は、もちろん、ド迫力ものだった。できれば、今度はそんな彼女らの本領を発揮したヘヴィなレゲエ・アルバムも聴いてみたいものだ。また、このアルバムを聴くまでレゲエを知らなかった人たちに彼女たちのライヴを見せてみたいとも思う。そして、レゲエがもっとボピュラーな存在になれば、それこそ彼女たちの狙い通り。早くそうなるように祈ってるのは僕だけじゃないと思うのだが、どんなものだろう。

1986年12月22日執筆

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