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「どこに向かっているのか・・・ 全くわからないんだけど、ただ闇雲に突き進んでゆく。その悲壮なまでのスピ−ド感さ。信じられないほどの速さで・・・ そんな都市のア−ト・ム−ヴメントがフュ−チュアリズムだったと思うんだ。しかも、実体があるわけでもなく、たかだか作りものにしか過ぎない・・・ だけど、そのスタイルが僕をとらえて離さなかった。ZTTというレ−ベル名はそのア−ト・ム−ヴメントからきているんだよ。」 今からもう1年以上も前、ZTT取材のためにロンドンに行った時のことだ。アンティック屋が並ぶ有名なポ−トベロ・ロ−ドを少し奥に入ったところ、ベイジング・ストリ−トにあるZTTオフィスで、僕はこのレ−ベルの頭脳とも呼ばれるポ−ル・モ−リィと向い合っていた。いわゆる、"最先端" の音楽を生み出しているにしては、やたら古ぼけたビルにあるのが彼らのオフィス。が、その内側は外からは想像もつかないほどモダンで、まるでフュ−チュアリズムを具体化したような雰囲気が漂っているのがここだ。その地下にあるカンティ−ンで実現したのが約1時間におよぶ彼とのインタヴュ−。ZTTのデザイ ナ−が趣味で集めているというオ−ルド・ファッションなコカコ−ラ・ポスタ−の数々に囲まれながら、「メディアにセンセ−ションを与えたかった」 という彼の言葉に耳を傾けていた。おそらくは、この時の彼との会話が僕のZTTに対する関心を決定的なものにしたように思えるのだ。 初めてZTTが気になる存在として姿を見せたのは、もちろん、フランキィ・ゴ−ズ・トゥ・ハリウッドの成功だった。といっても、彼らの曲が大ヒットしたことや音楽性が特別面白いと思ったわけではなかったし、ジャ−ナリズムに異常に騒がれたプロデュ−サ−、トレヴァ・ホ−ンに関心があったわけでもない。それよりなにより、僕を引きつけたのはそのプロモ−ション・プロジェクトに始まり、ヴィジュアルな面でレ−ベル・イメ−ジを決定し、そのコンセプトに生命を与えていたポ−ル・モ−リィの存在だった。 例えば、フランキ−に関して言うならば、そのレコ−ドに見られるテ−マの展開方法だ。第1弾として出したシングル、"リラックス" がセックスで第2弾、"トゥ・トライブス" が核戦争。それに続く、"ザ・パワ−・オヴ・ラヴ" がキリスト教と、生命から死、その後へと展開してゆくコンセプトの流れが面白かった。また、宣伝には必ず次のシングルを暗示するものが顔を出し、同じタイトルで違ったヴァ−ジョンのシングルやカセットを次々と続発。さらに、"トゥ・トライブス" のレ−ベルにはレ−ニンやレ−ガンの顔写真を載せ、レコ−ドをかけるたびに額の穴に釘を刺さなければならない仕掛を作ったり、やたら話題となったビデオではアンドロポフとレ−ガンが大ゲンカ。さらに、鋭いメッセ−ジ、例えば、"戦争だ!隠れろ""武装せよ、失業者たち" と書かれたTシャツを大流行させたりと、常にセンセ−ションを生み出すレ−ベルとしてZTTのイメ−ジを決定してきたのが彼だ。 それがさらに発展したのが、このレ−ベルから次々と飛び出してきた異色とも言えるア−ティストだった。まずは、ドイツはデュッセルトルフから生まれたプロパガンダだ。"影を持たない男があなたに言葉を約束する" とジャケットに書き込まれたデビュ−作はヒットラ−をテ−マにした "マブ−セ"。ここで、暗くヘヴィ、そして実にドイツ的な世界を垣間見せたかと思うと、その次に姿を見せたのは正体不明のグル−プ、アート・オヴ・ノイズ。"騒音の芸術と戦闘へ" というタイトルでリリ−スされた12インチ・シングルは、ニュ−ヨ−クあたりのヒップホップがロンドンでワ−プしたような屈折した雰囲気を持っていた。そして、"誰が騒音の芸術を恐れるのか" と題されたアルバムで聴かせてくれたのはクラシックや現代音楽の要素をも含むアナ−キィなまでの方向性だ。また、フランスのシャンソンの世界を匂わせるのがアン・ピガ−ル。レナ−ド・コ−エンにエディット・ピアフを重ね合わせ、パリはセ−ヌ左岸のカフェあたりで歌うシャンソニエのイメ−ジを想わせるのが彼女だ。産業ロックとも呼ばれたフランキィ・ゴ−ズ・トゥ・ハリウッドのコマ−シャルな音楽とはまるで肌の合わないような、ユニ−クなア−ティストばかりが続いていた。 もちろん、それをヴィジュアル化したジャケットや雑誌での宣伝に込められていたのは、あのフランキィで見せたのと同じように過激なイメ−ジが交錯するコンセプト。それが退屈なショウ・ビジネスやメディアに対する挑戦であるかのようにも思えていた。 「メディアとは、コミュニケ−ションの道具として、ただそこにあるもの・・・ 僕にはそう思えるんだよ。でも、現実はというと、いつもそれが人々の知性を過小評価した上でしか機能していない。一般にそれは人々の選択を限定し、抑圧することによって彼らをコントロ−ルするものだ。僕はそこに出ていって、それを少しばかり爆破してみたいと思ったんだ。そう、彼らにセンセ−ションと選択のヴォキャブラリィを与えるのさ。そして、世界との関係性をさらに豊かに、深くして彼らの脳をもっと働かせるんだ。そうすれば、単純な動物という存在から脱却できるじないか。」 イギリスの音楽誌、NMEやファッション&ミュ−ジック・マガジン、フェイスのライタ−でもある彼はZTTを通して、その強烈なメッセ−ジを投げかけたかったと言うのだ。 「前衛音楽からポップスに至るまで全てを包括するレ−ベルがZTTだ。次にどんな音が飛び出てくるのか誰にも想像できない・・・。ただ、それがどんな音楽であれ、ひと度ここを通過すると完璧なパッケ−ジを持つエンタテインメントに姿を変貌させる。それが想像力を鋭く刺激し、知性を解放させる回路となるはずだ。そう、想像力を刺激し、生きていることがリッチでエキゾチックであることを知らせるってのかな。いわば、想像力や知性を通してのプロテストがZTTかもしれない。」 そう語った彼がプロデュ−スを担当し、そのアイデアを形にしたのが、フランキィを除く全ア−ティストが出演したZTTショ−ケ−ス・コンサ−ト。会場はロンドンはウェスト・エンドにあるアンバセダ−劇場で、開催されたのは昨年の5月20日から6月1日までの2週間。それまではほとんどライヴを見せたことのなかったア−ティストたちが、ここで初めてそのユニ−クな姿を見せることとなった。 まずは元ピッグバッグの3人、アンジェラ・ジ−ガ−、サイモン・アンダウッド、ジェイムス・ジョンソンを核にしたニュ−・アクト、インスティンクトがステ−ジに登場し、彼らに続いたのはミニマル・ミュ−ジック的なアプロ−チを見せるアンドリュ・ポッピィのオ−ケストラ。さらに立体スクリ−ンをバックに踊る3人のダンサ−をメインにア−ト・オヴ・ノイズの演奏だ。といっても、ステ−ジにメンバ−の姿はなく、その代りかどうか、ポ−ル・モ−リィが一種風変りなスピ−チを放つ。そして、この9月にソロ・アルバムのリリ−スが決定したニック・プリタスをバックに控えたアン・ピガ−ルがアンニュイな声を聴かせ、シャンソンの世界を演出。ラストに登場したのが元ジャパンのスティ−ヴ・ジャンセンと元シンプル・マインズのデレク・フォ−ブスをゲスト・プレイヤ−に迎えたプロパガンダ。3時間以上にわたって続いたのがこのショウケ−スだった。 もちろん、"想像力を刺激し、知性を解放する" と豪語したポ−ル・モ−リィがプロデュ −スしただけに、並のコンサ−トにはならなかったのはさすがだ。まずはそれぞれのミュ−ジシャンに独自のステ−ジ・セットを用意。アン・ピガ−ルには彼女の歌の世界をヴィジュアル化したかのように、まるで演劇でも見ているような雰囲気を用意していたし、プロパガンダのセットは鉄パイプで作られた未来の世界。さらに、ダンサ−とポ−ル自身がステ−ジに立ったア−ト・オヴ・ノイズも、その幕間にコメディアンを入れたのも全て計算の上になされた演出だった。 そのコンサ−トの記録をもとに構成されたのがこの作品だ。残念なことにアンドリュウ・ポッピィのグル−プなカットされているが、その他のア−ティストは全て収録。そこにポ−ル・モ−リィが "エンタテインメントの価値" へのガイドとして登場してくるのだ。彼がこの日会場に足を運んだ人々に向かって繰り返すのは同じような質問。「エンタテインメントとな何か」、 「その価値とは・・・」そして、その質問に無限とも言える答が返ってくる。たまたまライヴを見に来た元クラッシュのミック・ジョ−ンズは 「それ、タダで手に入るのかな」 と答え、ある人は長々と説明を試みる。おそらくは、なんの演出もなく記録した彼らの反応を直接収録することで "想像力を刺激し、知性を解放" するのが彼の目的だったのではないのだろうか。 もちろん、かつてのライヴ・ビデオなら、こんな演出は考えられなかったはずだ。しかも完全な形で収録されている演奏はほとんどなく、それがポ−ルの言葉で分断されたり、さまざまな映像か加味されたり・・・。舞台の裏と表が奇妙に交錯させられ、時にはドキュメンタリィ風に展開。おそらく、これが普通のライヴ・ビデオとして評価されることはないだろうが、ある意味でプロデュ−サ−、トレヴァ・ホ−ンやア−ティストたち以上に重要な役割りを持ってたのがポ−ル・モ−リィだ。その彼がひとりのア−ティストとして初めてZTTを作品にしたのがこのビデオではないのだろうか。それを考え時、このビデオこそがZTTであり、ここで初めて僕らはその実体に触れることができたような気がするのだ。 1986年6月9日執筆 |