SOHO BLUE

「どうせマスコミってのはジャズ・リヴァイヴァルだって騒ぎたてんだろうけど、これは決して作られたブ−ムじゃないって思うんだよね。だって、流行ってのはいつもウェストエンドあたりのヒップなエリアやメディアから生まれるわけじゃない。でも、"ジャズで踊る" ってのはふつうそんな連中からは相手にもされない北ロンドンあたりのクラブから出てきたわけだし、ここにあるのはずっと僕らを魅了し続けてきたソウル・カルチャ−だって気がするんだ。」

 今からちょうど1年ほど前のこと、ジャズやソウル、ラテンをパ−フェクトに吸収したサウンドを聴かせるワ−キング・ウィ−クのリ−ダ−、サイモン・ブ−スとインタヴュ−した時のことだ。ポ−ル・マ−フィというDJがスタ−トした "ジャズで踊る" クラブ、カムデン・タウンにあるエレクトリック・ボ−ルル−ムの話題に彼が加えたのがこの説明だった。思うに、僕がロンドンの奇妙なジャ ズ・ブ−ムを取材し始めたのはこの時の会話がキッカケだったように思えるのだ。

 あの数ヶ月後、まず訪ねたのはポ−ル・マ−フィがソ−ホ−の北、グッチ・ストリ−ト近くの店、ソル・イ・ソンブラで開いているクラブ、"マ−ダ−1" だった。想像していたのはテ−ブルにキャンドルなんぞを立てたシャレた雰囲気のライヴハウス、例えば有名なロニィ・スコッツのようなクラブだったのに、そこはただのパブに毛のはえたような店。 ドアを開けるとやたらデッカイ音量で50〜60年代のジャズやラテンがスピ−カ−から飛び出し、猫の額ほどのフロアでみんなが踊り狂っているのだ。"素晴らしいオ−ディオ装置でジックリ聴くのがジャズ" と、そう思っていた僕は、この光景に頭をブン殴られたような気持になってしまった。

 また、面白かったのはそのシステムだ。ここでクラブと呼ばれるのは店ではなく、DJが好き勝手な音楽をかけ、定期的に、あるいはワン・オフで企画する、いわばオ−プン・パ−ティのようなもの。 ジャズで踊ろうが、クラシックで笑おうが自由だって発想がまず嬉しいし、日本では想像もできないようなスタイルで音楽と遊ぶってのが実に楽しい。なんでも、イギリスではどんな街にもそんなクラブがあるらしく、若者たちにとってコンサ−ト同様のエンタテインメント場となっているのがここ。新しい流行や音楽はいつもここで生まれ、ブ−ムになるらしく、"ジャズで踊る" ってのも、もちろん、そんなふとつ。それに火をつけられたのがジャズ・ブ−ムだった。

 そのロンドンで最初にこの手のクラブをスタ−トさせたのが先に出てきたポ−ル・マ−フィだ。日本にもこの4月に来日してグル−ヴィなジャズでみんなを踊らせたのが彼。そのせいもあって、まるで彼こそがこの動きを生んだ張本人であるかのような印象を受けかねなかったのだけど、実はそんな動きがほぼ同時にいろんな街で起きたのがイギリスだった。例えば、やはり来日してファンタスティックなジャズのダンスを見せてくれたザ・ジャズ・デフェクタ−ズが生まれたマンチェスタ−。彼らがジャズを意識してダンスを始めたのはもう数年前で、それはポ−ルがクラブを始めた頃と微妙に重なるし、その頃ロンドンでは彼らと全く違うスタイルでダンスする IDJ(I DANCE JAZZ)が生まれていた。さらに、バ−ムンガムではジャズ5というダンス・グル−プが活躍と、なにやら時代そのものがジャズ、あるいは50〜60年代の音楽を要求し始めていたように思われるのだ。

 そんな動きに拍車をかけたのがイギリスのポップ・ミュ−ジックだった。シャ−デ−を筆頭にワ−キング・ウィ−クやスタイル・カウンシルがジャズっぽいサウンドを前面に打ち出してきたのもこの頃。最近ではさらにそれにワをかけるように、ジャイヴっぽいバンドが飛び出てきたり、カ−メルなんぞという現代版ビリィ・ホリディ風ア−ティストも登場しているほどだ。また、音楽誌、NMEの果たした役割も忘れてはいけない。週刊の新聞で発行部数は約15万部。ロックやポップスを中心とした読者を持つ彼らが、ここ2〜3年定期的に発行し始めたのがオリジナル・レ−ベルによる格安なミュ−ジック・カセットだ。新しいバンドをレ−ベルを越えて集めたコンピレ−ションに加えて、昔の音楽をある程度のカテゴリィ、あるいはレ−ベルごとに集約してリリ−ス。その多くがジャズやソウル、そしてR&Bだった。

 約2年ほど前にリリ−スされたのが "ストンピン・アット・ザ・サヴォイ"。ジョ−・タ−ナ−からア−ト・ペッパ−、スリム・ゲイラ−ドにチャ−リィ・パ−カ−&マイルス・デイヴィスのトラック。さらにはバップ・ヴォ−カリスト、バブス・ゴンザ−レスまでが収録されていたし、その次に出されたのがリヴァ−サイドとプレスティッジ・レ−ベルのア−ティストを集めた "ナイト・ピ−プル" だ。ここではソニ−・ロリンズからエディ・ジェファ−ソン、ア−ト・ブレイキィにセロニアス・モンスがグル−ヴィなリズムを聴かせてくれていた。そして、昨年秋にリリ−スされた "ストレ−ト・ノ−・チェイサ−" がブル−ノ−トのコンピレ−ションだった。ジミィ・スミスのソウルフルなオルガンにド肝を抜かれ、ケニィ・バレルのブル−ジィなギタ−とレイ・バレットのパ−カッションが絶妙にスィングする "ミッドナイト・ブル−" に思わず腰を浮かせたのは僕。それが原因でブル−ノ−トにヤミツキになり、アッという間に何枚ものレコ−ドを買い始めたってんだからたまらない。

 が、おそらくは、それがこの企画の狙いだったと思うのだ。ポップス・ファンにそのル−ツとも言えるブラック・ミュ−ジックの魅力をサウンドで伝え、時代を越えてアピ−ルする彼らの音楽を楽しむって言えばいいのだろうか。カセット1本の値段が送料込みでたったの£2(約 500円) ほどで、ロックのコンピレ−ション他と3本セットで買っても、£6ほどで手に入るのがこのシリ−ズだ。しかも、"ストレ−ト・ノ−・チェイサ−" に収録されていたのは17曲で、御機嫌な曲ばかり。これからジャズの魅力にとりつかれた人もかなりいるように思えるし、こんな企画がポップスやロックに影響力をおよぼしているんじゃないんだろうかとも思えるのだ。

 その企画を生んだのがこのアルバムで選曲を担当した元編集長のニ−ル・スペンサ−とジャ−ナリストで画家、そしてDJでもあるポ−ル・ブラッドショウだ。イギリスで初めてボブ・マ−リィをメディアに紹介したニ−ルはほとんど病気のようなブラック・ミュ−ジック狂いで、ブル−スからアフリカまで黒いものには目がないのがこの人。「音楽なんてぇのはホットでなきゃダメだし、身体を動かさなきゃ面白くもねぇよ。」と、キ−ス・ジャレットあたりのECMレ−ベルをケッチョンケチョンに言うのが彼らしい。また、ポ−ルもクセ者で、かつてはノ−ザン・ソウルで踊り狂い、サ−・コクソンなんてレゲエDJと、サウンド・システムで大活躍。ほとんど全てのレゲエ・ア−ティストとインタヴュ−経験を持ち、最近急激に人気の出てきたスリム・ゲイラ−ドなんてオジイサンに最初に目をつけたのが彼だ。部屋に飾られているのはジャズ・ア−ティストばかりをモデルに彫刻し、このアルバムにもクレジットされている友人のミック・ホックニィが作ったロ−ランド・カ−ク像。「ジョン・コルトレ−ンやミンガス、マディ・ウォ−タ−スにジョン・リ−・フッ カ−、それにティト・プエンテもみんなル−ツは同じゃねぇか。ジャズってぇのはそのあたりをゴッタ煮にしたワイルドな音楽さ。」と、彼はまるで黒人ってな感じの英語でリズミカルに話しまくるのだ。

 イギリスでブ−ムとなっているのはそんなノリを反映したやたらブラックなジャズだ。ポ−ル・マ−フィにしても以前彼が熱中していたのはマ−ヴィン・ゲイ代表されるモ−タウンのソウルやレイ・チャ−ルズ。その延長線上にジャズが顔を見せてきたって言うし、彼のクラブで最もポップなのはそんな雰囲気でいっぱいのオスカ−・ブラウンJr、"ワ−ク・ソング" やエラ・フィッツジェラルドの "マック・ザ・ナイフ"。それに、 このアルバムにも収められているケニ−・ド−ハムのようにアフロ・キュ−バンからラテン色の強いものやジョン・パットンやジャック・マグダフなんてソウルっぽいオルガンをフィ−チュアしたもの。いわば、ブラック・ミュ−ジックのエッセンスをビッシリ詰め込んで、グツグツと沸騰していた50年代後半から60年代前半の最もホットなジャズだって気がするのだ。

 そんなア−シィでル−ツっぽい要素を完璧なまでに形にしているのがこのブル−ノ−ト・レ−ベルだった。レ−ベルをスタ−トさせたアルフレッド・ライオンが最も数多くのレコ−ディング・セッションをさせたのはジミィ・スミスだったし、リズム・マスタ−、ア−ト・ブレイキィやホレス・シルヴァ−なんかも、いかにもブラックでごさいってなサウンドを聴かせてくれる。80年代になって急に脚光を浴びだしたエスノだって、50年代から本気でアプロ−チしていたのはこのレ−ベル。レイ・バレットやサブ−なんて今聴いてもモダンなパ−カッショニストを大胆に紹介し、レイ・チャ−ルズのバックで演奏していたドン・ウィルカ−ソンなどいかにもR&Bっぽいア−ティストをやたら抱えていたのもブル−ノ−トだ。さらにモ−タウンで活躍したミュ−ジシャンもいるってな感じで、いわば50年代あたりのブラコンが彼らだったと考えるといいんじゃないかと思えるのだ。

 実際、当時のジュ−クボックスでギンギンにかかっていたのが彼らのレコ−ドだ。今じゃ信じられないかもしれないけど、ジャズだってシングルで聴くのが普通だったし、60年代に入るとバカスカとヒットを飛ばしているのだ。ジミィ・スミスやリ−・モ−ガンはなんとキャッシュ・ボックスのヒット・チャ−トにも登場。ポ−ル・マ−フィの言葉を借りると、「ディスコなんてぇ言葉が初めて出てきた20年ほど前のことさ、みんなリ−の "ザ・サイドワインダ−" で踊り狂ってたのは。だのに、"ジャズで踊る" って大騒ぎしてんだぜ、タマランよ。ジャズはもともとダンス・ミュ−ジックだってぇの!」 ってことになる。

 ところが、そのあたりのア−ティストをほとんど無視しているのが、いわゆるジャズの世界だったように思えるのだ。ジョン・コルトレ−ンやエリック・ドルフィ−あたりが異常に評価され、オ−ネット・コ−ルマンあたりは神様のような目で見られる。その反面、 「パカポコしたパ−カッション入ったレコ−ドなんてジャズじゃないよ。」と言われ、「オルガンでジャズが演奏できるか」 ってな調子で、当時の黒人たちに愛されてやまなかった熱っぽく黒っぽいサウウンドが非難されるのだ。おかげで、「ソバ屋の出前持ちまでが口笛でア−ト・ブレイキィの "モ−ニン" のメロディを吹いていた」 60年代初めのジャズ・ブ−ムは消え、ネクラに冥想するのがジャズ、あるいは、"都会の夜を演出するBGM" がジャズだと思われるようになった。そんな状況はイギリスでも多かれ少なかれ同じで、それに反発することで始まったのがエンタテインメントとしてのジャズを再発見する動きだった。いわば、70年代に起きたパンクと同じように "既成の概念や体制"、特に売ることを目的に生産される音楽にウンザリした若者たちが生み出したのが、聴くモノと思われていた "ジャズで踊る" ことだった。その感性にピッタリ重なり合ったのが50年代後半から爆発したジャズのエネルギィだったように思えるのだ。

 そのエッセンスをまとめたのがこのアルバムだ。曲の紹介などはニ−ルのライナ−を参考にしてもらいのだけど、どの曲からも感じるのはまるで汗でも吹き出してきそうな熱であり、ミュ−ジシャンの間にあるテンション。思わず身体が動き出してしまうグル−ヴィな曲ばかりが集められている。できればこのアルバムをパ−ティ、そして、これから増えてゆくだろう、"ジャズで踊る" クラブで聴き、踊ってもらえばと思うのだ。もちろん、ジャズは自由な音楽だ。 踊りたい気分になれば、踊ればいいし、聴きたい時にはジックリ聴けばいい。ただ、黒人たちが創造したジャズというア−トは肉体の感性を経て生まれたリアリティのある知性。それは少なくとも理解しておきたいと思うのだ。それがブル−ノ−トがなぜヴェリィ・ベストなジャズのレ−ベルであったかという謎を解く鍵だと思うのだ。

1986年6月1日執筆

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