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「思考が画一化されてるって思えるんだよ。Aが出ればBって答が即座に登場し、Bは必ずCを喚起するってな具合で... そう、その他の可能性が完全に無視されてるってのかな。でも、僕らはそれを拒否するね。なんてぇのか、いつも疑問を出してゆきたいって思うんだよ。しかも、絶対に答を用意せずに。その意味で言えばジ・アート・オブ・ノイズ(以下AON)は聴く人にとって想像の媒介でもあるし、また、彼らへのメッセージでもあるってぇのかな。うん、実に聴く人に依存した存在... そう、僕らはあなたたちが作りたいモノであるって言えばいいのかな。"騒音の芸術"の鍵を握ってるのはあなただってのが正しいんだよ」 まだAONがZTTレーベルに在籍していた昨年3月のこと。そのメンバー、ゲイリー・ランガンとJ.J.ジェクザリクとにインタヴューした時のことだ。彼らの口から出てきたそんな表現に、僕はZTTそのものを感じていた。というのも、その約半年前、プロデューサーのトレバー・ホーンと並んで、ZTTの頭脳とも呼ばれていたポール・モーリーがそれと全く同じような台詞を僕とのインタヴューで語っていたからだ。 「人々の選択を限定し、彼らを抑圧するメディアを僕は少しはかり破壊したいと思ったんだ。...ZTTは聴く者にセンセーションを与え、世界との関係性をもっと強く、豊かに、そして、深くしてゆく。そう、選択のヴォキャブラリーを広げ、彼らをもっとヴィヴイッドに生かすことさ。...生命とはもっと複雑なはずだ」 そう言ったポールとAONはかなり近いところにいたはすだ。だからこそ、彼はあのサウンドを見事なまでにヴィジュアル化する数々の名作CMが制作できたようにも思えるのだ。特に記憶に残っているのは"考えろ! 誰が騒音の芸術を恐れているのか"というコピーに、まるで小論文のような記事が付加されたシリーズ。それが彼らのサウンド同様、見る者の感性の扉を鋭く刺激する作品群のようにも思えていた。おそらく、この頃の両者のコンビネーションはほぼ完壁と言ってもいいほどのものだったはずだ。 ところが、昨年秋、日本に入ってきたニュースはAONのレーベル移籍。あまりに突然なこともあって、最初は全く信じられなかったってぇのが正直な気持だった。でも、あの時のインタヴューを今読み返してみて感じるのはその原因。皮肉なことに、それは両者の接点やZTTへの誤解、あるいは大きすぎた期待にあったように思えるのだ。 その最たるものが、まるで信仰のようなトレバーに対する過大評価。もちろん、彼がコマーシャルな意味で成功作を次々とプロデュースしてきたのは確かだ。でも、ZTTの作品群に関する限り、彼が直接プロデュースしているものはあまりないという印象を受けるのだ。実際、プロパガンダやアン・ピガール、アンドリュー・ポッピーらのデビュー・アルバムにはトレバーがプロデュースしたというクレジットはない。また、ZTTに関係したあるミュージシャンに、「フランキーにしても彼がやったのはミキシングだけなんだよ。」と言われたこともあった。 また、このAONに関してもさまざまな噂が流れていた。例えば、"AONはZTTのプロジェクトである"とか、"トレバーとポールがメンバーだ"とか…。もちろん、彼らがAONの音楽やヴィジュアルな面で決定的な影響力を与えていたのは事実。が、あまりに情報が混乱しているようにも思えるのだ。そんな誤解を説くためにも、ここで彼ら自身の言葉を使ってAONを再紹介してみたい。 「音楽の創造に関する限りメンバーはアン・ダドリーとゲイリー・ランガン、そして私の3人。ま、あまりに多くの音楽を創造するので、そのプロダクション・サイドに関してはトレバーとポールにまかせているけど、彼らは音楽を創造するプロセスには直接巻き込まれてはいない。そう、もちろん、プロジェクトなんかじゃなくて、私とゲイリーで始まった完全なバンドさ。」 と、語り始めたのがJ.J.ジェクザリク。なんでも、「本来ならば大学で地理を勉強し、地質管理の勉強をするはずだった」と、ミュージシャンというよりは研究者タイプの印象を受けるのが彼、通称J.J.だ。そして、その話しに、「そう、実は僕の家の台所で始まったのがAONなんだよ。」と続けたのが、技術屋ってな感じのゲイリーだった。彼の親父はグレン・ミラー楽団で演奏していたミュージシャンで、祖父もミュージカルの役者。そのせいか、なんと7歳の頃からバンドで演奏したという根っからのミュージシャンが彼だ。そのふたりがAONを結成したのは4年ほど前のことだった。 「でも、その数年前から僕らはずーっといっしょに、いわばセッション・ユニットのような形でやってきてたんだよね。ま、フェアライトってシンセサイザーを初めてこの国で使った人間のひとりが僕で… だから、いろんなところに出ていったってぇのかな。ゲイリーはその前からミュージシャンとして活動してたけど。で、アイデア自体は前からあったんだよね、AONの。それがハッキリしたのが彼の家で徹夜のレコーディングした時だったんだ。」 そのセッション活動で出会ったのがトレバーだった。彼の在籍したバグルスの全てのアルバムにエンジニアとして参加し、さらにABCやイエスのレコーディングにも顔を出していたのがゲイリー。そのトレバーの紹介で会ったのがかつて彼と同じパンドで演奏していたというアン・ダドリーだった。 「僕らは別段キーボード・プレイヤーだって呼ばれなくてもいいけど、彼女は別だな。クラシックの教養もあるし、理論的にもすこくシッカリしている。だから、とんでもない発想で音を出す僕らのたずなを引っぱってるのが彼女ってぇの? 思うに、彼女は僕らのシークエンサーのようなものだよ。」 と、3人のコンビネーションが生まれ、"騒音の芸術"が完成したわけだ。 「その名を取ったのは、それが僕らのやっていることを完全に要約しているからさ。そ、僕らにはなんの制約も限界もなく、誰もカテゴライズできないのが僕らの音楽。例えば、グラシックやヘヴィロックにAOR... なんと呼ばれようがかまわないし… 事実、その全てをカバーしてるのが"騒音の芸術"。それは同時に僕らのメッセージで、聴いている人にはなんの強制もしないってことさ。"モーメンツ・イン・ラヴ"にしても、寝っ転がって聴いてもいいし、女の子と楽しんでもいい。あるいは、壁に頭ぶつけながらでもいいし…」 このあたりの考えが、このライナーの冒頭に書いたZTT的なイメージに重なる部分だ。そして、それがAONの最も重要なテーマになっている。 「あることをある方法で知覚しなきゃいけないってなことを僕らの日常は強要してるって思うんだよ。その好例が音楽業界さ。ヒット曲を出せば、またヒット曲を出さなきゃいけない。しかも、聴き手の期待を裏切らないように。でも、僕らはそんなことに興味はないね。それじゃ、まるで籠の中のハンプスターじやないか。」 「想像を限定するから」と、当初ビデオに消極的だったのはそんな彼らのポリシーがあったからだ。ま、日本で人気がでたキッカケを生んだのが「クローズアップ」のビデオ。ガンガンとピアノを壊してゆくあの作品が強烈な印象を与えたってのがちょっと皮肉のようにも感じるが、そのビデオに関しても制作したのは3ヴァージョン。しかも、全く違うイメージで作たってぇのが彼ららしい。 その姿勢がレコードになったのが"同一曲のヴァージョン違い"。フランキーの"リラックス"や"トゥ・トライブス"で有名になったものだけど、彼らの話を耳にすると、どうもAONがそのルーツと思えるのだ。「そうだねえ、発想はジャズに近いね。でもその言葉好きじゃないから、フリー・フォームってのがいいけど... 要するに録音する時によって、感情も違えば、その条件も違うわけさ。当然出来上がりも違ってるし… だからそれを形にしたんだよ。最近じゃ一度度録音したものを何度もリミックスして出すなんて、ヒドイことする会社もあるようだけど、僕らの場合、全然違うんだよね。それぞれ実際に演奏してて... だから、同一タイトルの違う曲って言い方が正しいんだよ。」 と、ユニークな発想をする彼らにポール・モーリーの巧みなプロモーション。おそらくはこれがアーティスト写真も公開しないミステリアスなプロジェクト的な言われ方をした原因を生んだように思えるのだ。でも、彼らにはそんなことを意識している様子は全然なかった。 「写真出すのって、そんなに重要なことなの? そりゃぁ、もちろん、顔を見せたくないってのはあるよ。だって、僕らは普通のポップ・バンドになんてなる気は全然ないし... 最近のポップスに関して言うなら、音楽よりそっちの方が重要だってのはわかってるけどね。それに、必要なら顔も出してるしね。例えば、"クローズアップ"のビデオのアニメ・ヴァージョンとか。」 日本にそのビデオが入ってきたのが、たまたま遅かったってのも、そんなイメージが生まれた原因だったようだ。また、シンセサイザーを多用したのが彼らのレコード。どうしても、スタジオ・バンド的なイメージはまぬがれ得ないし、ライヴだってほとんど不可能なんじゃないのだろうかと思えるのだ。が、それに関しても、どうやら僕らの誤解らしいのだ。 「絶対にスタジオ・バンドじゃないよ。実際、ライヴもやったことがあるし… ただ、5〜6ヶ月もツアーやるのはナンセンスだって思うけどね。それに3人のキーボード・プレイヤーがステージに立ってるだけってのも退屈だし… だから、どんな形で見せるか、そのあたりを考えてるんだよ。ダンサーやライトでなんかしなきゃいけないだろうし... ただ、それにしても、見に来る人たちが予期するようなことは絶対したくないけどね。」 と、実はこの時、話題になっていたのが、昨年の5月に開かれたZTTのショウケース・コンサートだった。このインタヴューの時点では演奏する予定になっていたのに、実際にはテープが流れる中でポール・モーリーが詩を朗読。さらに、立体スクリーンが中に浮かぶステージでダンサーたちが踊っただけ。彼らは顔も出していなかった。そのあたり、なにが起きたのかハッキリはしない。が、あれが彼らの言う、「想像を絶するライヴ」だったとは思えない。ひょっとすると、この頃からAONのZTT離れが始まっていたんじゃないのかな、なんぞと想像してしまうのだ。思うに、彼らはZTTの束縛から逃れたかったんじゃないんだろうか。それが彼らのレーベル移籍への僕の想像だ。 ともかく、"トレバーのプロジェクト"的な見方をされていたAONがクリサリス系のチャイナ・レーベルへ移籍して作ったのがこのアルバム。H.マンシーニの作曲した"ピーター・ガン"を演奏しているのにゃ驚いたけど、正直なところ、1枚目で初めて彼らの世界に接した時のような徹撃はない。が、例によって、"ソウルからMOR"まで、ここに展開するのは"感性の扉を鋭く刺激する"サウンドの世界。タイトルの"視覚可能な静寂の中で"ってのがどれほどの意味を持つのかよくわからないけど、なにか静止した映画や時間でもかいま見ているような気分になるのは僕だけだろうか。 聞くところによると、彼らはこのアルバムをリリースすると同時にツアーに出るとのことだ。ZTTを否定し、スタジオ・バンドであることを拒否する彼らが、どんな"期待ハズレ"なコンサートを見せてくれるのか、ぜひ覗いてみたいものだ。 1986年3月5日執筆 |