VARIOUS ARTISTS-Absolute Beginners

 グルーミーな空の下で疲れききった表情を見せるロンドンが、眠りから覚めたように動さ出すのは深夜に近い11時頃。そう、観光客がホテルに消え、閉店したパブを後に年寄り連中が家路に急ぐ頃た。その時間になると、まるで息を吹き返したように若者たちが姿を見せ始める。思い思いのスタイルにドレスアップした彼らがナイトライフをエンジョイしようと、地下鉄の出口からまるて堰を切ったように流れ出てくるのだ。特に忙しいのはロンドンの歓楽街、ソーホーの南にあるレスター・スクェア。ヨーロッパ暴大のディスコ、ヒッポドロームがすぐそばにあるせいか、その入口あたりはいつも黒やまの人たかりだ。いつもは我がもの顔でこの辺りを流しているタクシーも、この時間ぱかりは通りから閉め出され、いわば、若者の解放区がここに出来上がるとても言えばいいのだろうか。

 そんな光景を窓から眺めてはこの映画『ヒギナーズ』のイメージをふくらませていたのが監督のジュリアン・テンプルかもしれない。というのも、映画の舞台はソーホー。そして彼のオフィスがあるのは、そのレスター・スクェアから歩いてほんの5分の距離だ。中華街を通り抜け、シャフツペリィ・アヴェニューを横切ったあたり怪しげな看板が並ぶソーホーのちょうど真ん中だ。ここを通り抜けるオールド・コンプトン・ストリートとディーン・ストリートか交差するあたり、その角にあるビルを見上げるといい。そこに見えるのはまっ赤なネオン・サインの輝く窓。その時、もし、外を見おろしている影があれば、それがジュリアンに違いない。

 実を言うとその部屋で、この原稿を書くほんの1週間ほど前、同じように窓から顔を出していたのが僕だった。もちろん、僕がそのオフィスを訪ねた目的はこの『ヒギナーズ』に関してのインタヴュー。「ここから外を見てると、まるで映画のように見えることがあるよ」こ言った彼のように、のんびりと現実の映画を楽しむ余裕はなかったが、「実は明日完成なんだよ。映像の方はもう終ってるんたけと、ミキシングがまだで」と始まった会話は約1時問半。その言葉の中から彼の描いたロンドンとソーホー、そしてこの映画『ビキナーズ』を覗き込もうとしていた。

 ビデオ・クリップ界の鬼才監督と呼はれるジュリアンか映画、特に音楽映画の世界にのめり込んていったのは75年頃。ちょうどパンク・ムーヴメントが爆発し始めていた頃だ。なんでも、以前はケンブリッジ大学で歴吏学と建築学を勉強。が、「窓の研究には飽きちゃったし、この国じゃクリエイティヴな建築物は実現できないって雰囲気があって… でも、映画なら新しい街だって創造できるじゃない」と、ナショナル・フィルム・スクールへ。その卒業作品がセックス・ピストルズが主演したロック映画の傑作、『ロックン・ロール・スインドル』だった。

「本当は60年代のモッズをテーマに撮りたかったんだ。キンクスやフェイセズを使って。ところが、ピストルズの2回目のギグを見た時、これしかないと思ったんだ。言葉には出来ないほどのパワーが、信じられない勢いで放出されてたってのか…」
 と、学校から16mmのカメラを持ち出し、ピストルズを追いかけ始めた。もちろん、最初はカメラを隠しての撮影。トラブルもあったようだが、最終的にはマネージャーのマルコム・マクラーレンの許可を得、共同でこの作品を作り上げた。そのあたりの事情は3月20日、シンコー・ミュージックから出版されるピストルズの伝記を読んてみると面白いかもしれない。そこに掲載されているジュリアンヘのインタヴューが全てを説明している。

 が、その成功が彼にロック・ピテオ界への扉を開けた。約1億円の製作費をかけたABCの名作、『マントラップ』からデビッド・ボウイの『ジャジング・フォ・ブルージーン』、そしてローリング・ストーンズの『アンダーカヴァ』。奇抜なアイデアが生んだイメージの冒険は常にビデオ・クリップの名作となっていった。でも、彼にはいつも「映画を作りたい」という欲求がくすぶっていたというのだ。

「今も僕にはバンクが爆発した時のあのエネルギーが蓄積されてるし… ポップ・スターを持ち上げる宣伝には興味なかったよ。そんなの、まるでインスタント・ラーメンを売るようなものじゃないか。それよりは自分の主張をヒデオという媒体を使って表現したかったし、そこで映画を作りたかった。だからさ、最近の作品でいつもミュージシャンを俳優として使っていたのは。そう、僕はいつも音楽と映画の完璧なコンビネーションを目指していたんだよ」

 そう語る彼の欲求を100%満足させたのかコリン・マクィネス原作の『アブソルート・ピギナーズ』だった。舞台となるのは58年のロンドン、ソーホー。ジャズやロックン・ロールがブームとなり、lO代の子供たちが初めて音楽やファッションを使って自分たちを表現し始めた頃だ。モッズが生まれ、反抗的なテッズが登場。音楽か彼らの生活や価値感の鍵を握る重要な要素になっていった時代をヴィウィッドに伝えるのがこの作品だった。

 「どうしても作りたかったのはロンドンの映画。そして、僕を捕えて離さなかったのはここで生まれる音楽とその背後にあるエネルギー。だって、それこそが彼らと世界を結びつけているものだったし、戦後のイギリスにはそれしか残されてなかったと思うんだ。思うに、この小説にあったのはそれさ。そう、これを読んだ時、ピストルズを初めて見た時と同じ衝撃を感じだってのかな」

 ロンドンか舞台となり、イギリスの音楽が主役となる。「そう、だからこの映画にはコカコーラは出てこないんだよ」と笑いながら言ったジュリアンがここて描いたのはもうひとつの50年代。「ここにはもっと偉大なパワーかあったと思うんだ。安易に想像てきるポニーテールとリーゼント、アメリカのそんな50年代には興味はなかった」と、イギリス的であることがこの映画のポイントだと言うのだ。さらにこれをミュージカルにしてしまったっていうのがシュリアンらしい発想たった。

「MTVのせいで、映像で音楽や物語を理解するのが楽しみみたいになってるんだよね。今の若い人にとって誰かが歌って踊ってなにかを表現するってのも不自然じゃないし… だからってわけでもないけど、僕はミュージカルがまた現代的なフォームて蘇ると思っていた。ま、『フランシュ・ダンス』や『フットルース』はナンセンスだったけどね。だって、音楽が出てくるたぴに映画が切断されて、音と絵が全く無関係だったじゃない。でも、僕は40〜50年代の本物のミュージカルのように歌に台詞の役割をも持たせたかったんだ」

 と、この映画の音楽は全て各ミュージシャンと共同で制作された。まずはジュリアンが彼らに脚本を渡し、音楽の状況を説明。時に詞に関してのサジェスチョンを加えながら音楽が出来上がっていったという。参加したのは、この時代の音楽を反映した彼のお気に入りのアーティストたち。まずはキンクスのレイ・テイヴィス。そして、モッズ・リヴァイウァルを生んだ元ジャムのポール・ウェラー。ジャム時代に『アブソルート・ビギナーズ』という曲を書いていただけに、大喜びて引き受けたという。さらに映画にも出演しているテビッド・ボウイやシャーデーもここに加わった。その他にもミック・ジャガーが曲を作り、キース・リチャーズが出演する予定もあったのだか、ストーンズのレコーディングのためにボツになったのか残念だ。

「50年代っていうとロックン・ロール。普通はそう発想するんだろうけど、実を言うと音楽的にはもっと豊かだったんだよね。それにこの原作がジャズ小説だってことからも想像てきるって思うんだけど、最もポップだったのはジャズ。といっても、今みたいにシリアスなものじゃなくて、ダンス・ホールで踊れるって感じの… だから、その雰囲気を出すために、ギル・エプァンスに編曲を依頼したんだ」

 と、全体を包む雰囲気はジャス。なんと30年代から活躍するジャズ屋のスリム・ゲイラードが聴かせるのはやたらハッピーなナンバーだ。70歳になるこのオジサン、なぜかこの頃イギリスではかなりの人気者て、愛敬タップリの曲作りは実にアッパレ。また、映画の中にもちょっと顔を見せるジェリー・ダマーズはスペシャルAKAのリーダーで、彼らの音楽のルーツ、スカもこの時代に生まれたものだ。さらに、ラテンにジャズ、そしてソウルをブレンドした元気いっばいのサウンドで注目されているワーキング・ウイークもシャープな音て迫っている。

 また、イギリスではこのアルハムの他にも2枚組のサントラ盤がほぽ同時にリリースされる予定で、そこには58年を象徴する鋭い曲かギッシリ詰め込まれているはずだ。チャーリィ・ミンガスの『フギィ・ストップ・シャッフル』やマイルス・ティヴィスの名曲、『ソー・ワット』にレゲエ・トースターのNo.1、スマイリィ・カルチャーが詞を付けた奇跡モノも収録されているんじゃないのかな。残念なことに今手元に資料がないので、その詳細はわからないけど、「ホントは2枚組の方を買って欲しいね。というのも、それはほぼ全曲収録してるし、この1枚モノは、いわばポップ・ヴァージョンだから」とはジュリアンの言葉。関心のある人、そして、映衝を見て感激した人はぜひ手に入れてもらいたい。

 と、全編50年代風でまとめられたのがこの映画だ。が、このアルバムを聴く限り、実に今っぽいサウンドに仕上がっている。でも、それが実は、この映画のポイントなのだ。

「確かに舞台は58年だけと、過去を振り返るだけのものにはしたくなかった。それにこの年は85年の裏返しだって思えるんだよね。西インド諸島からの移民が集中するノッティングヒルて初めて暴動が起きて、失業に経済不振、そして、ストが続発したのがこの年。それはまるて去年のイギリスさ。ロンドンだけじゃなく、バーミンガムでも暴動か起きたし… そう、今もあの時代のように若者の怒りが爆発寸前の状態にあるって思えるんだよ」

 それは音楽に関しても言えることだった。ここ2〜3年、勢力を増してきたのはジャズやソウルの影響を受けたポップス。さらには新しいムーヴメントが起きる時、必す盛り上がると言われているナイトクラブ・シーンだ。ここで今主流となっているのはなんと50年代の音楽。R&Bからスカ、さらにはカントリィ中心の“ギャズズ・ロッキン・プルーズ”がカルト的な存在となり、ジャズで踊るという現象まで飛ぴ出した。ジュリアンとのインタヴューを終えて遊びに行ったのは人気DJ、ポール・マーフィが主催するジャス・クラブ、“マーダー1”。息も凍りつくほど寒いってのに、ドアを開けるとムッとする熱気に圧倒されるのだ。そこはまるで“ビキナーズ”。映画から抜け出てきたようなファッションに身を包んだ若者たちが退屈な毎日のウサを晴らすように踊り狂っている。

「表面的には、ラヴ・ストーリィさ。それに娯楽性も充分出してるよ。でも、それだけじゃない。ここには体制にストレートにぶつかっていった10代の子供たちのパワーがあり、そして、おそらく”鉄の女”、サッチャー首相がゾッとするようなメッセージもいっぱい詰まっているよ。そうだね、50年代中頃に、”怒れる若者たち”って動きがあったんだけど、ひょっとして僕はこの映画で新しい“怒れる若者たち”の出現を期待しているのかもしれないよ」

 さて、この映画がイギリスで公開されるのは4月。そして、日本公開予定は6月。85年と58年が微妙にタイム・スリップしたこの映画と現実のロンドンが現代の若者たちにどんな影響を与えるのか、今はそのあたりが最も気になるところた。できれぱその点をこれからもジックリと見極めてゆきたいと思う。

1986年2月25日執筆

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