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ここにアップすることになったこの原稿は、まだフリーになった頃のもので、まだ数本目のライナー原稿だったと思う。今、こうして読み返してみると、自分のパンクさがにじみ出ていて、思わず苦笑したくなる。おそらく、エスタブリッシュメントに対してやたら挑戦的になっていたのがこの当時。音楽メディアや音楽評論家の先生たちに対する、物怖じしない反抗さが出ている。(笑)よくもまぁ、こんな感じで書いたなと、ちょっと反省。昔から、強力な味方と敵を同時に作ってしまうという体質を抱えているのがよくわかる。 ただ、当時、(ひょっとして今もかも知れないが)レコード会社のお金で海外に行って、全てお膳立てされたインタヴューをやって取材だと思っていたメディアの人たちがいかに多かったか... が、取材とは、自分の足と身体を使って、通りに出ていくことだと今も信じている。その結果、発見したのがクラブを中心に起こっていたユニークな動きの数々だった。 そんなプロセスで出会ったのが、この取材以来、仲のいい友達になったサイモン・ブースやラリー・スタビンス。実をいえば、95年に制作することになったボブ・マーリーへのトリビュート・アルバム制作でも、このグループのヴォーカルだったジリエット・ロバーツ(これが正しい名前だが、ワーキング・ウィーク在籍時はジュリーと名乗っていた)とであっている。そんな意味で、実に思い入れのある作品だ。 ちなみに、このライナーの最後に記しているように、このオリジナルを書いたのは85年6月。が、その2年後のCD化に際し、若干の修正を加えているのがこの原稿だ。
ロンドンをべースに取材をするようになってウンザリしていることのひとつが、僕のまわりの人間たちが口を揃えて尋ねる質問だ。 「えっ?ロンドンヘ行ってきたの。すごいね。今、なにが流行してんの。なにか新しい動きはあった?」 バカのひとつ覚えみたいにまっ先に出てくるこの決まり文句。情報としての新しさを求めてるのかもしれないけど、その裏になにか新しいものがいいんだって発想があるような気がすんだよね、こういうのって。誤解だよ、そんなの。それだけならまだいいんだけど、それがいつの間にか、単に新しい動きをコピーすりゃいいんだなんて風潮を作ってるようで、ああいうバカらしさに悲しくなることがある。その結果じゃないの? 猫も杓子もロンドン、ロンドン。うわつ面だけを追いかけて、その裏を全く見ようとしないイギリス・ブーム。まるで何年か前のウェスト・コーストじゃない。こんなのでいいのかね。特にメディアで働いている人たちの責任って大きいと思うんだけど、どんなものかしら。 そんな連中はロンドンだけじゃなくて、田舎の町にでも一度住んでみればいいんだって思うことがある。小さいパブで50や60のおっさんがトロンボーンやクラリネットを手にして元気いっぱい演奏してる姿にぶちあたるから。それに時代遅れなんて言われそうなトラッド・ミュージックに10〜20代の人たちも踊ってんだぜ。そんなの見ると音楽ってものの意味が本当にわかるような気がするはずだよ。業界の人間はやれ新しいムーヴメントだとか、流行だとかいってるけど、そりゃ新しい商品がほしいからであって、それで音楽を知ってるわけでもなけりゃ、狂ってるわけでもあるまいし。実際、音楽評論家ヅラしてる人間が、「あんた、よくそんな金にならない音楽聴いてられるわね。」なんて台詞をマジで言える御時勢だ。バカな情報に振りまわされずに音楽を聴きたいし、楽しみたいよ。 事実、イギリスで動いてるのって新しいものよりも古いもの。表面よりも、そのルーツにあるものを探してるって気がするんだよね。例えば、レゲエの連中がよく言うじゃない、「ルーツ!」って。ストーンズのミック・ジャガーだってジェイムズ・ブラウンの動きを必死にマネしてああいうステージングをやるようになったんだし、そのオトッツァンって感じのアレクシス・コーナーも、死ぬまでブルースやってて人気あったわけでしょ? 売れっ子のポール・ヤングだってタムラ・モータウンなんかがルーツ。みんなもっと根っこの部分を引っぱってきて、より本質的で本当に楽しめる音楽を作ってきてるような気がするね。よくロンドンのポップスを呼ぶ時にラディカルって言うことあるけど、これを短絡的に過激ってとらえるのは間違ってるもんね。本来の意味は本質的な、あるいは根源的なってこと。そんなアプローチをするから既存のものに対して過激にならざるを得ないんだよね。 そんな事実を説明するのに最適なのがここ2〜3年の間イギリスのメディアから無視されていたクラブでの出来事。「ジャズで踊る」って現象なんだけど、ホント、これにはビックリしたね。初めて知ったのは昨年の秋にロンドンに行った時なんだけど、その格好はまるでブレイク・ダンス。っても、特別な形式はなくて、ワーワー、キャーキャー元気良く騒いでいるって感じ。こりゃあ驚かない方がおかしい。なぜなら、このジャズっていうのは50〜60年代のバップあたりが中心で、リズム感のある、ちとラテンやソウルの雰囲気の入ったもの。適当にファンキーでビンビンのリード・ギターやサックス・ソロが飛び出てくるフュージョンとはわけが違う。ところが、日本であのあたりのジャズって言えば、腕なんか組んで物音ひとつたてずに聴く音楽。哲学的な思想ごっこでもしているように目をつぶって、しかめっ面をして聴くのがジャズってことに相場が決まってるじゃない。学識豊かにレコードに点数を付けてオーディオをチェックするって、あのノリね。ところがここじゃあ、気の向くまま楽しんじまうってんだからたまらんよ。 それはともかく、そんなクラブに入ると、「とにかく、踊ろうや!」とでも言ってそうな雰囲気で、クラブの中は真冬だって汗まみれの人ばかり。僕の友人が言ってたんだけど、フュージョンってのは白と黒を掛け合わせてグレイになったもの。それに対してこの雰囲気は両方をだして2トーンならぬ、マルチ・カラーを作りだしたって気がするね。しかも、それがキラッと光っている。これがこのワーキング・ウイークっていう御機嫌なグループを説明するのに最適な言葉だ。 彼らに初めて会ったのは85年3月。ちょうどこのデビュー・アルバムが英国で発売される直前。インタビューに来てくれたのはバンドの中核、ギターのサイモン・ブース、サックス他のラリー・スタビンス、ヴォーカルのジュリー・ロバーツの3人。ジャズからパンク、ソウル、R&Bと話が統き、1時間を軽く越えるインタビューとなった。以下、この時の会話を中心に彼らを紹介してみたい。グループが結成されたのは昨年のことで、キッカケを作ったのはウイーク・エンド解散後セッション・ワークをしていたサイモン。チリの軍事政権のために指を切り落とされたフォーク・シンガー、ヴィクトル・ハラへのトリビュートとして彼が書いた「ヴェンセレモス」の録音のために仲間を集めたのが始まりだ。ゲストはロバート・ワイアット、トレイシー・ソーンなどのクセ者たち。ウイーク・エンド最後のアルバム、『ライヴ・アット・ロニー・スコッツ』でサックスを演奏していたラリーも参加。この時にバンドの核ができたらしい。なんでも、みんなほとんどノーギャラで演奏したらしく、プロデューサーにあたったのはロビン・ミラー。シャーデーやエヴリシング・バット・ザ・ガールを手がけて売れっ子になっている彼も無報酬で参加。通常1時間80ポンドで貸している彼のスタジオをたったの12ポンドで使わせてくれたという。 その、「ヴェンセレモス」が、カムデン・タウンにあるクラブ、エレクトリック・ボール・ルームの人気チューンとなり、そこで活躍していたダンス・グループが好んでこの曲を取り上げていたことなどから大評判。ヴァージン・レコードと契約した。ジュリアン・テンプル監督による彼らのデビュー・ビデオに登場しているのがそのダンサーたちだ。前述のようにサイモンは元ウィーク・エンドのメンバーで、その前にヤング・マープル・ジャイアンツに在籍していたという情報があったけど、それは本人によると間違いとのこと。以前はジャズ・レコード屋で働いていて、そのまた前はギンギンのパンク・バンドで活動していたらしい。パンクからジャズヘの変身に関して彼はこんな具合に話してくれた。 「僕にとってパンクは最後のユース・レヴォリューションだったと思えるんだ。音楽や価値感や全てのものに関して。でも。あの後、その悪い面が出てきたって気がするな。今のパンクなんて最も保守的じゃない。ウイーク・エンドの頃ヴァージン・プリューンズとツアーしたことがあったんだけど、あの時はひどかったよ。着てる服が違うってだけでものを投げてくんだもの。あのムーヴメントの原則的な部分って、外見じゃなくて自分のしていることを信じるってことだったのにだよ。今の僕にとってもっと革命的なのは18歳の人が45歳のミュージシャンといっしょに演奏してるってことさ。それにいつもはデュラン・デュランなんて聴いてる15〜16歳の子供が突然ジャズやソウルのレコード買って、そこにまだ見たことのない音楽や伝統の世界、歴史をみつけることだよ。このバンドをスタートした時に考えてたのはスピード感があってエネルギー感いっぱいのジャズ。事実、始めた頃にはドラムもふたり、パーカッションは3人。それに見てる人たちを驚かそうってんで、ダンス・クルーもいたんだ。」 自閉的なコミュニティーを作るか、あるいはコマーシャリズムに溺れていったパンク・ムーヴメント。このところロンドンではジャズやカントリーを指向するバンドが目立っているんだけど、これはそういったものやあまりに無機的なシンセサイザー音楽への反動だ。 もうひとりの核がサックス、リード楽器を演奏するラリー・スタビンス。彼はインプロヴァイズト・ジャズの世界ではかなり有名なミュージシャンのひとりで、以前近藤等則とも共演した経験を持つという。 「僕がワーキング・ウイークとしてやりたいことのひとつは人々と充分な関係性を持っている、あるいは人々を結びつけている音楽って言えばいいのかな。感情のレベルではそれぞれのハートに、そして踊れるってレベルではそれぞれの足に。それに加えて、創造的に素晴らしいもの。実に椅子に座って聴くことのでさる価値を充分に持ったもの。僕はこのみっつを同時にカヴァーしようと思っている。」 このふたりがいっしょに動き出し、サウンドを創っているってのが面白い。片や元パンク少年で、片や本格派ジャズ・ミュージシャン。これで並のジャズが生まれるわけがない。そして、そこにピリッと味を付けているのがソウル出身のヴォーカリスト、ジュリー・ロバーツ。以前はかなりコマーシャルなディスコ・ミュージックを歌っていた彼女が昨年、このふたりとテレビ番組のタイトル・トラック制作で知り合い意気投合。サイモンらが探していたタイプのヴォーカリストが彼女だったというわけだ。 「僕らジャズ・シンガーが欲しいと思ったことはなかったよ。クリアーな声なんて面白くもないし。それよりもパワフルでエモーショナルなソウル・シンガー。ソウルを完全に理解できる人間がいて初めて完璧なトリオが出来ると考えていたんだ。ラリーのバックグラウンドは完全にジャズだけと、僕のは初期のパンク。それにあの頃のパーリアメントやジェイムズ・ブラウンとかね。」 これはサイモンの言葉だ。このアルバムの1曲目にマーヴィン・ゲイの名曲、「インナー・シティ・ブルース」が入っているのもそんなソウルの影響からだ。また、その点に関してのラリーの発言も面白い。 「初期のソウルのアプローチって今の僕らに似てると思うね。特にマーヴィン・ゲイやミラクルズ。もちろん彼らは後のモータウン・サウンドの基礎になっているんだけど、当時はもっと開放されたフィールってのがあって、ジャズっぽいスイング感があったんだ。それは僕らにとって意識的にならざるを得ない部分だよ。」 そうして出来あがったのが彼らのダイナミックなジャズだ。ソウルはもちろん、ラテンからアフロ、サルサといった全ての音楽をクロスオーヴァさせたパーフェクトなダンス・ミュージック。特に上出来なのはオリジナルのデビュー・アルバムがリリースされた時、初回ブレスのみのオマケとして加えられていた12インチ・シングルに収録されていた「ステラ・マリナ」だ。残念ながら、ここにはそのA面、メイン・ミックスしか収録されていないが、セルロイド・レーベルからアルバムを出しているラスト・ポエッツのジャラールがゲストとして録音に参加しているのが面白い。彼の深みのある声で読み上げられる詩には、なにかラップ的な要素さえ感じるし、ジュリー・ロバーツがヴォーカルを取る時とはまた違った雰囲気を生み出している。また、その強烈に政治的な歌詞の内容はワーキング・ウイークがポスト・パンクに位置するバンドであることを証明しているという点もここで指摘しておかなければならない。 また、このアルバムのレコーディングにはイギリス・ジャズ界のヴェテラン・トランペッター、ハリー・ベケットも参加。元気のいいところを見せてくれていて、ジャズ・ファンはもちろん、ソウル・ファンだって満足でさること間違いなし。こんなにエキサイティングな音楽が楽しめるなんてもう最高だよ。 それにライヴだって、並のものを想像してたら、そりゃあ大違い。なんたってこの3人を中心にステージに立つのは最低で9人でフルなら14人。そんな意味で言えばこの3人こそがメンバーで、その他はセッション的色彩が強くて流動的ってことになるんだけど、だからといって彼らはこのプロジェクトのためのユニットってわけでもない。85年3月のツアーでは今回のアルバムに参加したミュージシャンを中心にラリーを含んで6人のホーン・セクション、サイモンのギター(嬉しいことに彼の場合、派手なリードはなし。めちゃ決まったリズムに徹したキターがカッコヨカッタ。)、ジュリーのヴォーカル、アクースティック・ピアノ、ドラムス、パーカッション、べースにバッキング・ヴォーカルの13人構成。その迫力はジェイムズ・ブラウンのソウル・ショーのようだった。 「言ってみればスタックス・ソヴルみたいなことできるわけじゃない。大きい会場なら22人ぐらいの完全にソウル的なリズム・セクションとも演奏できるし、これなんて60年代にアレサ・フランクリンやオーティス・レティングがやってたのと同じようなことだって気がすんたよね。ヨーロッパなんかにツアーに出ると大編成ですんこくポップなショーをやって、地元にもどると押えた編成でルーツっぽいスタッフやるっての?」 そんな彼らのライヴの方法やノリにこのバンドの生命があるような気がするね。なにはともあれ、ひさしぶりに登場した生身の人間のホットネスをビンビン感じるのが彼らの音楽だ。機械文明の中でアップアップしている僕らに生の音楽の迫力と楽しさを見せてくれるのが彼らのライヴ。まだ、その魅力を充分に引き出せる会場、本格的なダンス・ホール・スタイルでのライヴは実現していないが、そうなった時にはただのオシャレではない血沸き肉踊る彼らのサウンドが100%堪能できるはずだ。 1987年6月12日(85年6月原稿を若干修正) |