このアルバムの主、ディーダー・ザマンがフロントに立っていたエイジアン・ダブ・ファウンデイション(以下、ADF)との出会いは97年秋にさかのぼる。場所はロンドン大学構内にあるクラブのようなホールで、主催者は学生ユニオンだった。面白いことに、この大学構内に入ったのはこのときが二回目で、その前は80年代の半ば。当時、サッチャー政権にとって最大の政敵だった炭坑労働組合が長期にわたるストライキに突入し、労働者支援のためにエルヴィス・コステロやビリー・ブラッグたちがライヴをやった時だった。実をいえば、この日のライヴも500人にも及ぶ不当解雇の撤回を求めてストライキを続けるリヴァプールの港湾労働者への支援を訴えるもの。ここで歴史を通じて脈々と流れる、リアリティあるレベル・ミュージックを再び体験することになる。
枚挙にいとまがないのだが、60年代の反ヴェトナム闘争から70年代の反人種差別闘争、80年代の反核運動や反アパルトヘイト運動のみならず、音楽は常に真正面から政治にコミットしてきている。そうでないのは日本ぐらいで、海外ではなにも珍しいことではない。当然、このときのライヴもその流れにあり、ヘッドライナーはプライマル・スクリームで、前座として登場したのが、彼らの後押しで急激に注目を浴び始めたADFだった。
「メンバーの中心は学校の先生なんだよ」
と、友人に彼らのことを紹介されたように思うのだが、振り返れば、おそらく、あれは彼らのベースとなるコミュニティ・ミュージック、音楽教育のワークショップのことを示すのだろう。すでにADFを知っている方ならば、今更説明の必要もないかもしれないが、大英帝国の旧植民地から集まってきたインドやパキスタンを中心とした移民、エイジアン・ブリティッシュのコミュニティ・センターのような場所がADF誕生の地であり、ここから彼らが世界に羽ばたくことになる。
彼らの音楽はというと、レゲエの影響の下、イギリスでしか生まれなかっただろう、ジャングルやドラムンベースに、80年代に大きなうねりを生み出したエイジアン・ブリティッシュを核にしたバングラにラップが絡みあったもの。そのサウンドからわき起こる強烈な波動にのせて、ラディカルなメッセージを放つのだ。それはイギリスの歴史が生み出した賜物だと言ってもいいだろう。経済成長著しかった50年代から60年代のイギリスが求めていたのは低賃金で雇うことのできる移民たち。飛行機なんぞ夢物語だった当時、長い航海の末に彼らがたどり着いたのはリヴァプールやマンチェスター、そして、バーミンガムといった工業都市の貧民街だった。それぞれが独自のコミュニティを作りながらも、ジャマイカ人を中心としたウェスト・インディーズに白人の労働者階級、そして、インド・パキスタン系が複雑に混ざり合っていくことになる。
そういった最下層の社会に育ち、文化と人種という坩堝に揉まれた結果生み出されたエネルギーの固まりのような音楽を叩き出す彼らが日本でブレイクするのは、あのADF初体験から1年を経た頃だった。初上陸は98年のフジ・ロック。といっても、舞台は苗場ではなく、台風に襲われた天神山から離れ、一度だけ東京のど真ん中で開催された豊洲だった。ステージはわずかにふたつと、今振り返ればかなり小規模なものだったのだが、今更ながら、とてつもないラインナップがそろっていたことに驚かされる。エルヴィス・コステロからビョークにベック、イギー・ポップにソニック・ユースやコーン、プロディジーにプライマル・スクリームといった外国勢に、すでに解散したミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティなど、それぞれが文字通り、地面が揺れるほどのライヴでオーディエンスを魅せていたのは言うまでもない。ところが、フェスティヴァルが終わって、最も騒がれたバンドの筆頭格はADFではなかっただろうか。
おそらく、きわめてユニークなサウンドもその理由なんだろうが、なによりも、ステージから放たれていた鮮烈なエネルギーがそうさせていたのだろう。そこに凝縮されていたのは「オルタナティヴ」でラディカルな世界。音楽産業というビジネスとは全く別の世界から生まれてきた音楽こそが持ちうるリアリティだった。興味深いことに、フジ・ロックで、祭りの後に脚光を浴びるのはいつもそんなバンドだ。97年のレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンに、この年のADF、苗場に移ってからはトドス・トゥス・ムエルトスやオゾマトリからフェルミン・ムグルサ、マヌ・チャオにバンダ・バソッティやエル・グラン・シレンシオなど、その多くが真っ向から政治と社会に向き合い、ストレートにメッセージを発するバンドなのだ。日本ではそれほど伝わってはいないかもしれないが、実にタイトなのが彼らのつながり。そんなサーキットで育まれたロンドンのバンド、キング・プローンのヴォーカル、アル・ラムジェンが、現在のADFのフロントに立っているという流れも十分に頷けるのだ。
そのADFが初来日を経て翌99年に発表したのが、おそらく、彼らにとって最高傑作となる『コミュニティ・ミュージック』。ホーム・グランドをそのままタイトルに持ってきた作品だった。これが圧倒的な評価を獲得し、ヨーロッパからアメリカ、日本でのツアーも大成功に終り、全てが順風満帆に運んでいると思われていた。そんなときに伝わってきたのが、その顔として活躍してきたディーダーの脱退。2001年のフジ・ロック・フェスティヴァル出演を前にこのニュースが飛び込んできたときには誰もが大きなショックを受けたものだ。とはいいながら、新たなMCを加えたADFはその年のフジ・ロックでも圧倒的な存在感を見せ、健在であることを証明してくれるのだ。
それからディーダーの噂は全く耳にしなくなっていた。ところが、なにやら唐突に姿を見せたのが、彼にとってのデビュー・アルバムとなるこの作品。初期ADFから傑作、『コミュニティ・ミュージック』のファンにしてみればビッグ・ニュースだろう。また、彼らの歴史を集大成したベスト・アルバムに加えられた新曲が、再びディーダーとADFがタッグを組んでの共作となっているのも嬉しい。ひょっとすると再び頂上期のADF復活か?といった期待にも胸がふくらむのだ。
が、なぜ、大成功しているかとも思えたADFからディーダーが抜けることになったのか?ファンとしては当然気になって仕方がなかっただろうと思う。
「全てがうまくいっていたし、成功もしていたし、結果にはみんな満足していたんだ。それまで注ぎ込んでいたものが、やっと報われたんだから。でも、なにかがぎくしゃくしていた。新しい方向に向かって動き出したいと思ったんだよ。だからさ、ADFを離れたのは。それから7年間、曲を書き続けていたんだ」
このライナーを書くにあたってディーダーと電話でインタヴューをしているんだが、そのとき、彼はその事情をそんな風に説明していた。常識的に考えれば、『コミュニティ・ミュージック』の成功でそのまま突き進んでいけばいいと思うんだが、彼が選んだのは違う道だった。ADFを離れる前から身を投じていたMOJO(Miscarriages Of Justice Organization)、誤審によって逮捕された人々を救済する運動組織での活動から反人種差別運動などに向かったという。
「ADFの結成だって音楽よりも政治がまず先にあった」
というほどに、彼らにとって自分たちの置かれている状況に対峙することが優先される。それは裕福な人が施しのように繰り広げるチャリティとは全く異質の、生き様にも似たものだと言っていいだろう。
「生活の余裕なんてあるわけないさ。ガス代だって払う余裕もないんだから。ただ、怒りというよりは情熱だと思う。なによりも自分が自分でいたいんだ。歌にしても、自分で自分に言い聞かせているようなものさ」
と言うディーダーが、この7年間に書きためた歌をまとめたのがこのアルバム、『マイノリティ・ラージ』だ。
「アルバムのコンセプトは、自由への闘いであり、『理由ある反抗』さ。まずは、自分たちを叱咤し、聞く人たちを激励するようなもの。そうやって、地べたをはいずり回って生きている普通の人たちの姿を描き出すんだ」
タイトルに込められた意味は「少数派よ、力を持て」という意味であり、「我々、少数派こそが大きくならなければいけない」ということだろう。
一般的には好調な経済が伝えられるイギリスだが、結局は、日本と変わらない。大企業が利益を伸ばす一方で、その犠牲になっているのは底辺に住む人たち。貧富の差は拡大し、弱者は見放されるのだ。実をいえば、貧困層こそが大多数となりつつある。そんなとき、不満のはけ口が権力ではなく、より貧しい者や弱い者に向けられるのだ。右翼や人種差別を標榜する馬鹿者どもが力を持つのはそういった社会であり、それがまた自らの首を締め付けていく。が、あきらめるな、闘うんだという思いが込められたのがこのアルバムなんだろう。
本人によると、最も好きなトラックは「トゥー・ロックス」らしい。そこには不当な圧力に闘い続ける世界のムーヴメントが列挙され、国境も人種も越えた「生存への闘い」へ彼がエールを送っているのがわかる。しかも、傍観者として語るのではなく、彼自身もその闘いの当事者であるという信念を感じることができるのだ。
兄弟の影響の下、レゲエにはまっていたという彼が初めてステージに立ったのは9歳の頃だったという。14歳でADFに結成に立ち会い、そのフロントマンとして脚光を浴びた彼のエネルギーがますます輝きを増しているというのがよくわかる。しかも、すでに次のアルバムが準備できそうだというのだ。そこではさらに磨きのかかった鋭さを持つ言葉が、我々を待ち受けているのだろう。また、ライヴ活動にも照準を合わせているとのこと。ライヴでは生の楽器を使ったバンドを考えているらしいんだが、それがどんなものになるのか、はたしてADFへの復帰ライヴがあるのか、このあたりも気になって仕方がない。
|
|
|