風流もなにもあったものじゃないなぁ... と思ってしまうのがわかっていても、春先になるとついふらついてしまうのが目黒川沿いの道だ。名前の響きはいいんだが、これはコンクリートでできあがった、どでかい土管が街の真ん中を横切っているといった代物で、そのコンクリートとアスファルトの道路の間に、かつて目黒村と呼ばれた頃からあるはずの土が申しわけ程度に顔を覗かせている。川の両側に続く、そのわずかな土に植えられている桜の木々が、冬をくぐり抜けて、春の到来を告げるように満開の花を咲かせる頃になると、このあたりが息を飲むような美しさを見せてくれるのだ。といっても、それを楽しむどころか、まるでどんちゃん騒ぎしか頭にないような黒山の人だかりに、桜の花びらと一緒に風情までもが吹き飛ばされてしまうのだが、街灯に照らされた桜の魅力には逆らえないというので、毎年、この頃になると、人影の少なくなった真夜中あたりにぶらりとこの通りを歩いてしまうのだ。

その川沿いの辻を少し入った建物の二階にひっそりと軒を構える、バード・ソング・カフェという飲み屋をみつけたのはそんなときだった。窓に飾られていたのは、カーリー・サイモンやザ・バンド、あるいは、ニール・ヤングあたりのアナログ盤のジャケットの数々。そんなアルバムが発表されてから30年もの時間が流れているというのに、それを当たり前のように見せているこの店にこそ風流や風情を感じたのは言うまでもない。初めて足を踏み込んだそのときから、まるで「常連」のような顔でマスターと音楽談義に花を咲かせ、以来、猫の額ほどのスペースとカウンターしかないちっぽけなこの飲み屋に足繁く通うようになってしまった。
客の平均年齢はかなり高く、若造はたまにしか見かけない。新しい音楽も聴くんだが、話題になるのはほとんど昔のもので、それを肴に飲みながら、酔いに任せて歌い出したり... なんて酔っぱらいは筆者ぐらいかもしれないが、理屈じゃ語れない「いい音楽」に惚れ込んでいる人間にとって、ここは天国のような場所だ。うんちくのひとつやふたつ顔を覗かせてもけっして嫌みではなく、なによりも音楽が好きでたまらないといった趣で語り合う客の表情もいい。「泣いた」「笑った」「嬉しかった」「楽しかった」としか説明できなくても、語彙の貧しさを気にするでもなく、ジャンルなんぞにも無頓着。青江美奈から石原裕次郎で大騒ぎをすることもあれば、はっぴいえんどやあがた森魚が出てきたりと、節操なくいい音楽を聴いているというのが嬉しいのだ。
実をいえば、うめ吉との出会いはここだった。ある晩のこと、マスターが「これ、絶対に好きだと思うんだよね」とプレーヤーに入れたのが『蔵出し名曲集〜リローデッド〜』。日本髪の女性が扇子を開いて色っぽく迫るジャケットが、マーティン・デニーのエキゾチカものを思い起こさせたり、マーロン・ブランド主演の映画「サヨナラ」なんぞが頭に浮かんだり... ところが、飛び出してきたのはビッグ・バンド風のジャズをベースにしたもの。
「なんじゃぁ、これはぁ!」
と、一目惚れならぬ、一聴惚れとなるのだ。が、「リローデッド」ということは、その元になったオリジナルものがあるはずだ... と、探し出してきた『蔵出し名曲集』にぞっこん、はまってしまうことになる。おそらく、この作品の巻頭に収められた「三味線ブギウギ」こそが、『リローデッド』の発想ものとになったんだろうが、いかにも今風のデジタル的ニュアンスを免れ得ないそのヴァージョンよりも、オーガニックな味に溢れたこちらの方が遙かに楽しかった。オリジナルは、敬愛する日本音楽史の巨匠、服部良一氏が芸者から歌手となった市丸と組んだ傑作で、2年ほど前にビクターから復刻された『東京の屋根の下〜僕の音楽人生』という2枚組に収められている。が、オリジナルが豪華なオーケストラをバックにかなりの数の三味線を駆使して、厚みのあるスイング感を持たせているのに対して、うめ吉のそれはかなりシンプル。それでもヴァイブやサックスの風味がいい感じにブレンドされたコンボによるもので、下世話といっては失礼かもしれないが、「チンドン風味」をも感じさせる「和製ジャズ」に仕上げている。それに絡まるうめ吉の声のかわいいこと。そのバランスが素晴らしい。そして、昔の曲を単純に焼き直したのではないユニークな味付から、このアルバムを作った人たちの意気込みを感じたものだ。
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それだけではないところがミソで、実をいえば、かなりのウケを狙った選曲で構成された『リローデッド』よりも、うめ吉の「芸」の世界をコンパクトにまとめたのが『蔵出し名曲集』。ここで懐かしくも新しい世界にはまってしまうのだ。特に気に入ったのは、わずか1分34秒の「惚れてかよふ」や34秒の「粋なからす」。なんでも江戸小唄と呼ばれるものなんだそうだが、要は三味線の弾き語り。といっても、このあたりになると完全な門外漢で説明のしようもない。なにせ、小唄、長唄、端唄、都々逸といわれても、まるで外国語で、皆目わからないのだ。それでも、はまる。なにやら、大好きな勝新太郎の映画「悪名」シリーズや大島渚の名作『愛のコリーダ』で垣間見た、粋で洒落た芸者の世界にとっぷり漬かっているような気分にもなるのだ。加えて、うめ吉が大ファンだという大河内伝次郎の無声映画の奥から聞こえてくるのがこんな音楽じゃないだろうか。
おそらく、それが理由なんだろう、結局、このアルバムの前作となる『明治大正はやりうた』も入手。そこで、あの情緒ある「江戸」っぽい粋な音楽の背後に、下々の民の声がつまった歌の世界が広がっていたことを発見するのだ。思うに、アメリカでウッディ・ガスリーが、イギリスでイーワン・マコールといったフォーク・シンガーたちがやっていたのと同じような作業を、実は、今、うめ吉がしているのではないか? お上や権力から無視され、疎んじられた、俗な音楽、言葉を換えれば、「普通の日本人の音楽」のルーツにうめ吉が向かい合っているんじゃないかと思うのだ。
といっても、当の本人は茶目っ気たっぷりの、おそらく死語となっているだろう言葉を使えば「おきゃん」な女性で、実にかわいい。うめ吉と初めて顔を合わせたのは、前述のバード・ソング・カフェで、この時は、学生時代になじみのあった彼女の出身地、倉敷の話で大いに盛り上がったものだ。あの時の彼女の出で立ちはというと、確か、髪はアップで着物姿。日常でも洋服は着ないらしく、クラシックな日本にかなりこだわっているらしい。が、そういった表層や色物のように見られるのは覚悟の上で、好奇心満々の彼女がみつけたのが、昔の日本の俗な世界にあった音楽や文化という宝物。時間軸を縦横無尽に飛び抜けながら、21世紀の東京で、江戸から明治大正、昭和と生き抜いた、大衆の「粋」や「風情」を彼女自身が具現化しているようにも見える。
しかも、それがどう展開していくのかも興味津々だ。今回のこのアルバム『大江戸出世小唄』だって、どこかで細野晴臣の名作シリーズ『エキゾチカ三部作』を彷彿させる。いやぁ、粋だねぇ。コンクリートの東京に風流の極みがぽつんと花咲いた感じなんだが、みなさんはどう思われるんだろう。
2005年9月21日
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