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Gridalo Forte Records

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L'Altra faccia dell Impero

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「窓際はやられるかもしれないから、内側へ移動しなよ」

 午前3時近くにライヴが終わって、機材をバスに詰め込んで宿所へ向かおうと座席に着くと、少し英語の話せるギターのスコーパがこちらの身を気遣って、そう声をかけてくれた。隣を見ると、ツアー・スタッフの若者もリックサックを窓に当てて、身を守るようにしている。

「どうしたんだい?」

 と、尋ねると、

「右翼のバカが襲ってくるかもしれないんだ」

Banda Bassotti と、そんな言葉が平然とでてくる。バンダ・バソッティと一緒にツアーをしていると、こういったことは日常茶飯事で免疫はできているのだが、どうやらこの時はかなりやばかったようだ。これは今年の3月ツアーで訪ねたポンディラーノという街での出来事なのだが、この日はライヴの最中にも、ツアー・マネージャー的な存在のルード・ボーイ、ルカが「ナイフを持った右翼が15人ぐらいで集まってるって情報が入ったから...」と、片手にバッドを持って仲間と一緒に出ていったなんてこともあった。なんでツアー・バスにバットがあるんだろうかと思っていたんだが、どうやら「右翼の襲撃に備える」のがその理由なんだと、この時初めて知った。

「まぁ、奴らに狙われるってことは、俺たちもビッグなのかなぁ...(笑)」

 ルカにいわせると、こんなことには慣れっこになっているというので、誰もあわてることなく、平然と作業をしていたんだが、よほどのことがない限り連中がやられることはないだろう。なにせボディ・ガードと称する仲間たちは、たいていが異様にがたいのいいスキンヘッド。はなっから勝負したいとは思わないし、ドイツあたりに行けば、そのままネオナチでも通用するのではないかと思える風貌の強面そろいなのだ。ところが、それがイタリアでは最も戦闘的な左翼系のスタイルで、彼らが最も愛する音楽がザ・クラッシュ直系のパンクに、おそらく、そこからさかのぼっていったレゲエやスカ。実際、彼らの地元、ローマのサン・ロレンツォで、その拠点のひとつとして経営しているパブに付けられている名前はサリー・ブラウンと、スカ・ファンにはおなじみだろう、ゴッド・ファーザー、ローレル・エイトキンの代表曲をそのままいただいている。ちなみに閉店後のシャッターにはローレルの姿が描かれているという惚れ込みようで、そこがそのまま彼らのたまり場となっている。

Banda Bassotti
 その彼らが敬愛してやまないジョー・ストラマーと初めて顔を合わせたのが2002年のフジ・ロック。最もフジ・ロック的なバンドが登場するといわれているクロージング・バンドとして初めて日本に紹介された時だった。結局は、その年の暮れにジョーが他界して、その出会いが最初で最後となってしまったのだが、ジョーにイタリアでの彼らの活動を話すと「いつか一緒にやってみたい」口にしていたのが嬉しかった。ジョーにとって最後のコンサートがストライキを続けていた消防署の労働者へのチャリティだったことからも想像できるように、最後まで政治や社会に真正面から立ち向かっていたのがジョー。同じように、本国イタリアからヨーロッパ、ラテン語圏でそういった動きの最前線で活動を続けているのがバンダ・バソッティなのだ。

 といっても、彼らは音楽で生計を立てているプロではない。リーダー的な存在のシガロ (g.& vo)とフロントに立つピッキオ(vo)は、日本でいえば、建築現場で左官のような仕事をするごく普通の労働者で、他のメンバーもそれぞれ仕事を持っている。「本物の労働者階級バンド」という、彼らに与えられたキャッチ・フレーズはただ宣伝文句ではないのだ。しかも、彼らの歴史をたどれば、ひょっとすると、彼らこそがジョーの思い描いていた音楽や姿勢を正当に継承しているバンドではないだろうかとも思えてくる。

Banda Bassotti そのバンダ・バソッティの母体が生まれたのは80年半ばだった。学生時代から建築現場で仕事をしていたのが、後にマネージャーとなるダヴィデや前述のシガロやピッキオ。クラッシュやスペシャルズに傾倒して、いつも連んでいた彼らのルックスがディズニー漫画に登場するビーグル・ボーイズにそっくりだというので、そのイタリア語での呼び名、バンダ・バソッティが彼らに与えられたとのことだ。その彼らが人種差別反対を訴えるライヴや反ファシズムのイヴェントを手がけるようになり、半ば遊びで始まったのがバンド活動。なにせ、当初はヴォーカルが10人ほどもいたというから、けっこうめちゃくちゃな発想で始まったんだろうと推測できる。が、それが徐々に評判を呼び、バンド活動に入っていく。

 91年に大規模な反人種差別、反ファシズム・コンサートを企画。そのタイトル、「大声で叫べ(Gridalo Forte)」をそのまま名前にしたレーベル、グリダロ・フォルテを設立している。最初に発表したのは、彼らの盟友でもあるバスク地方のバンド、フェルミン・ムグルサ率いるKortatuの作品やバンダ・バソッティの曲を収録したコンピレーションだった。同じ頃から、ライヴ活動が増えていくのだが、平日は普通に仕事をして週末がライヴ。しかも、彼らにとって演奏することは政治的な意思表明でもあるというので、ギャラもないライヴがほとんどだったし、時には自分たちでお金を出して演奏をしていたこともあったという。当然ながら、人気がでてくるのと同時に彼らの消耗度も負担も増えてくる... そりゃぁそうだろう、彼らにとって「人気」や「商売」や「趣味」ではなく、歌うこと、そして、その向こうにある変革が目的なのだ。

 そのプロセスで彼らと最も近い存在となっていったのがKortatuが発展したネグ・ゴリアックだった。そして、両者が絶大な人気を獲得した頃に事件が起きるのだ。治安警察の幹部が押収したコカインをくすねていると歌ったネグ・ゴリアックが訴えられ、それに対して「表現の自由への侵害である」と徹底的な法廷闘争に突入したのがフェルミン。その裁判闘争資金作りのためにネグ・ゴリアックとバンド・バソッティを中心にさまざまなバンドが集まったツアーを経てバンダ・バソッティは活動休止に入っていった。というよりは、解散したというのが正しい。この時点で彼らはバンド活動と仕事のジレンマのなかで消耗しきっていたというのが理由だ。

 ただ、この時に交わされた約束が彼らの復活を導き出してくるのだ。 「もし、闘争に勝ったら、それを祝福するためのライヴをやろう」

 95年に活動休止となったバンダ・バソッティに、フェルミンが最高裁判所で勝利したというニュースが伝えられたのは、それから6年後の2001年。そして、約束通り、その勝利を祝福するためのライヴが開かれることになる。ネグ・ゴリアックの地元、バスクのビルバオでは3回の公演で3万人を集め、3月15日と17日には、ローマにあるセントロ・ソシアル(廃屋を占拠し地方のコミュニティ・センターとして市民が作り上げた場所)のひとつ、最大の規模を持つヴィラジオ・グローバーレで開催されたライヴが大成功に終わることになる。その17日の模様が収録されているのが日本未発売の傑作ライヴ・アルバム「Un Altro Giorno D'amore」。この日、3000人も集まれば大成功だと思っていたに過ぎないのに、実際に集まってきたのは1万もの人々。さらに、活動再開を望む無数のファンの声に彼らが動かされることで、バンドが完全復活に向けて動き出すことになる。

Banda Bassotti
 しかも、復活を期に強力なホーン・セクションが彼らに加わる。フェルミンのプロジェクト、ダブ・マニフェストでも活躍していたミュージシャンや、ラ・ミーチャというスカ・バンドを率いているサンドカンといった顔ぶれで、これでバンダ・バソッティが圧倒的なパワーを獲得することになるのだ。それを証明したのが、日本でも発表された復帰第1作アルバム『アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア』。このアルバムのクレジットを見て気づいた人もいるかもしれないが、この頃からバンドのメンバーのような形で合流したのが解散したネグ・ゴリアックのギターで、バンド・メンバーと一緒に作ったスタジオを拠点に活動するプロデューサーとなったカキ。いわば、これで彼らを支える鉄壁のチームが出来上がったと言える。

 一方で、以前のように自分たちが消耗しきってしまうようなライヴのスタイルは控え、年に数回、集中的なツアーをするということで、再開している。もちろん、必要があれば、チャリティやキャンペーン・コンサートに顔を出すのだが、以前のように無理はしないということだろう。なにせ、リーダーのシガロは50歳と、メンバーの中核は40代後半だ。同時に、それぞれの仕事も守っていかなければいけない。

Banda Bassotti が、そういった形での復活が彼らを一段とたくましくしたようにも思える。年に1度、春先にはアメリカやヨーロッパから同じような姿勢を持つバンドを集め、さらに、日本からのゲストを入れて、Street Beat Festivalを企画。その前身となったツアーではスリーピースが、そして、その名前を付けるようになってからは、ブラフマンからドーベルマン、ルード・ボーンズからモンゴル800といったバンドがイタリアで彼らと一緒にライヴを繰り返している。また、コンスタントにアルバムも発表し、『アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア』に次いで発表されたのが世界中のレベル・ソングをカバーした『アシ・エス・ミ・ヴィダ(これ、俺の人生)』という作品で、今回のこのアルバムは、復帰3作目のアルバムとなる。

 どこかでケムリを代表とするスカ・パンク的な響きも持つ曲も収められたここで気づくのは、分厚いホーンとタイトなリズムで完成されたバンダ・バソッティ特有のサウンドだ。加えて、圧倒的な迫力を持つライヴの音が、実にうまく封入されているのが嬉しい。どれほどライヴがよくても、その音をスタジオで作り出すにかなり苦労するのだが、それがここで完成されているように思える。

 もちろん、ライヴの素晴らしさは2002年のフジ・ロックや、翌2003年の日本ツアーでも証明済みだ。特に、圧倒的だったのは大阪公演で、まるでローマのライヴを見るような大騒ぎとなっていたのが面白かった。おそらく、今年のフジ・ロックでも同じような騒ぎを起こしてくれるだろう。実際、3年前のフジ・ロックでのライヴは圧巻だった。同じような光景が見られれば嬉しいんだが、そんな期待を表明してこのライナーを締めくくろうと思う。

2005年6月8日


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