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Banda Bassotti

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 どう転んでも右翼のちんぴらか、マフィアにしか見えない巨漢のスキンヘッドが、そりゃぁもうとんでもなく真剣な表情を見せながら、拳を空に大声で歌っていた。ヘタをすれば、マイク・タイソンとだって喧嘩してしまいそうなとんでもない大男で、なんでもこの人物、ルーディ(日本語で言えば、ちんぴらだな、やっぱり)というニック・ネームをいただいているらしいんだが、場所がライヴハウスじゃなかったら、間違っても話をしたいとは思わないタイプだ。

 しかも、そのルーディのようなスキンヘッドがごろごろと転がっている... というか、てんこ盛りで集まってきている。たいていは、スキンヘッドにおなじみのドクター・マーティンのブーツを履いて、スリムなブルージーンズの上に着ているのが迷彩色やカーキー色のMA-1。おそらく、新聞やテレビ・ニュースで見たことがあるだろう、イギリスやドイツだったら、典型的なネオ・ナチの出で立ちで、俺たちのようなアジア人をフクロにすることだってへとも思わないレイシスト(人種差別を標榜する人たち)のスタイルがこれにあたる。

Banda Bassotti ところが、この光景を見たのはイタリア中北部のボローニャでのライヴ。なんでも、ここでは「まるで右翼のような」こんな男達が、人種差別を糾弾し、ナチズムに喧嘩を売るバンドのファンであり、そういった歌を大声で歌うのだそうな。それも半端じゃない。ステージ前でモッシュしたり、あるいは、上半身裸で抱き合ったりしながら、まるで叫ぶように歌っている。ノッてくると、ステージに飛び上がろうとしたり、マイクに飛びつこうとしたり... ワイルドな彼らの表情を見ていると、時にその光景が、プロレスのバトル・ロイヤルにも見えるほどだ。

 一方で、そんな連中からバンドの身を守るためにステージ脇にいるセキュリティ・ガードも、思わず「で.... でかい」と口にしてしまいそうな巨漢の... やはりスキンヘッド達.。いやぁ、とんでもない。初めてこんな光景を見たときには、目を疑ったというか、あきれたというか、唖然としたというか... が、実に、これこそが、このアルバムの主、バンダ・バソッティのライヴ。どこにでもいるような労働者階級の親父達にも見える彼らが生み出した奇妙なムーヴメントの一端なのだ。

 リード・ヴォーカルのピッキオは、16歳を頭に3人の娘を持つ41歳で、バンドのもう一人の中心人物、ヴォーカルでギターのシガロは46歳。なんと本業はステージ関係の施設を建設、設営するとび職で、初めて彼らに出会った時には、肩から作業用の道具でいっぱいになった袋をかけていたものだ。いつも木の枝ようなものを噛みながらドラムを叩くぺぺも駐車場の整理係だと聞くし、リード・ギターのスコーパは介護看護士らしい。いわば、どこかでアマチュアな、プロではないような人間達が集まったのがバンダ・バソッティなのだ。

 ところが、このバンドがローマで軽く1万人を集める人気があると聞かされたのが昨年春、スリーピースという日本のバンドのヨーロッパ・ツアーでイタリアを訪ねたときだった。そんな話をマネージャー然とした人物に聞かされて、おいおい、こっちが知らないからってそんなほらを吹いちゃいかんだろ?日本からのジャーナリストに大げさなことをいって「売り込もうとしているんじゃないの?」なんて、勘ぐってしまったというか...

Banda Bassotti でも、それも無理はない。というのも、この時紹介されたシガロもピッキオも、どう見たってミュージシャンには見えないのだ。イタリア映画のファンだったらわかると思うんだけど、どう見たって下町の親父さんって感じで、楽器よりスクーターの方が似合っている。握手をしたときのシガロの手のひらだってザワザワのガラガラ.... 分厚い表皮の感覚が、ミュージシャンと言うよりも、肉体労働者であることを雄弁に物語っていたものだ。  それでも、それから数ヶ月後に届けられたのが、彼らと出会った少し前の3月に、文字通り1万人近い人を集めてローマで開かれた彼らのコンサートのライヴ・アルバム『Un Altro Giorno D'Amore』だった。これでぶっ飛ばされたというか... 彼らの魅力を初めて認識することになる。

 言うまでもなく、ライヴの傑作といえば、ボブ・マーリーのライシアムでのライヴやアスワドのノッティングヒル・カーニヴァルでのライヴあたりが思い浮かぶし、マラヴォワやカッサヴといったフレンチ・カリビアンの魅力を遺憾なく感じさせたのもライヴ・アルバム。そんな傑作に肩を並べるほどの迫力を感じたのがこの作品だった。ともかく、観客からの熱気が異様に熱い。バンドの演奏がいいとか悪いとか、そういったレベルよりなにより、オーディエンスから生まれる熱気にこのバンドが「ただ音楽をやっている」だけの存在ではないのがひしひしと伝わってくるのだ。

 そうなると、もう身体がうずき始めてしまう。なんとか彼らのライヴを見ることができないか... しかも、絶対に地元のローマで見たい... と、そんな思いを持ち始めるようになっていた。面白いことに、そう思い始めてしばらくした頃、ローマから連絡が入るのだ。

「12月にスペインでツアーをするんだけど、取材に来ないか?」

 彼らのレーベル、イタリアで流通も含めて完全にインディを貫き通すグリダロ・フォルテのダヴィデからメールで送られてきた突然の申し出にびっくりすることになる。が、一瞬も悩むことなくOKのメールを返すことになる。おそらく、ジャーナリストとして、日本でバンダ・バソッティのことを書いてもらいたかったんだろう。さらに、写真家としての才能も評価してくれていたようで、このスペイン・ツアーの撮影を依頼されることになる。実は、その結果がこのアルバムに使われている写真の数々。といっても、こういった結末になるとは、その時は想像もしていなかったんだが....

 年末のため簡単にフライトを取れず、結局はローマではなく、ツアー初日のバルセロナで彼らに合流するのだが、空港に着いたのは夜の9時頃。スタッフに迎えられ、会場まで車で一直線だが、たどり着いたときにはすでにライヴは始まり、挨拶も抜きに撮影に入っていた。

Banda Bassotti それから4日間で移動した距離、ライヴの時間... その全てが驚きだった。スペインでは当然なのだが、ヘッドライナーがステージに登場するのはたいてい深夜の2時頃。バルセロナの次の街、Roda De Terではライヴを終えた朝の4時から移動の開始だ。ほんの1時間ほど前まで、まるでハッピー・マンデーズのベスのようにステージで歌い、踊り、叫んでいたヴォーカルのピッキオがハンドルを握って、多少凍結した道路で車を走らせている。しかも、この日の移動距離は1200km。スペイン最南東地域のカタロニアから西北端のガリシアまでひた走るのだ。ライヴ会場近くのホテルに到着したのは夜の10時頃。まずは食事をすませて、わずかな仮眠の後、やはり深夜2時から演奏を開始する。

 この日の会場となっていたのは、まるで体育館のような小屋。暖房もなく、楽屋にだって安っぽい電気ヒーターがひとつあるだけという条件だが、バンドのメンバーは誰一人として文句を言うこともなく、喜々としてライヴの準備を始めている。

 さらに翌日は800kmを移動し、バスク地方のフェスティヴァルに出演し、そのまた翌日には、バスク地方からフランスを横切ってイタリアの南にあるローマまで、おそらく軽く1000kmを越える行程をドライヴをして帰っていくのだ。

 このタフさはどこから来るんだろう。年齢的には中年とも言えるのがメンバー。スタッフだって、同年代だ。それなのに、当たり前のようにこうしたツアーをこなし、タフでラフなライヴを毎日繰り返している。

「昔は、毎週月曜日から金曜日まで普通に働いて、土曜日と日曜日に... 時には自分たちでお金を出してライヴをしていたんだよ...」

 そんな話を聞いたとき、初めて彼らが並のバンドではないことが理解できたものだ。実を言えば、バンダ・バソッティとは、元来バンドではなく、ある種の政治運動体であり、その主目的は反ナチズム、反人種差別を訴えるイヴェントをオーガナイズすることだった。特に有名なのは90年代初めの大規模なキャンペーン・コンサートで、それにつけられたタイトルが「大声で、叫ぼう!(Gridalo Fote)反ナチズム、反人種差別」。それがレーベル名の由来となっている。

 いわゆるとび職や土建屋としてこういった活動をしていたスキンヘッドの若者たちがディズニー漫画のキャラクター、ビーグル・ボーイズ(イタリア語ではバンダ・バソッティ)に似ているというので、そう呼ばれるようになっていった。目のまわりが黒くいつも囚人服を着ているのがビーグル・ボーイズ。左翼的な活動のおかげでコンスタントに右翼の攻撃に直面する彼らが、乱闘騒ぎに巻き込まれて、留置場に入れられたこともあるというので、そのイメージも理解できなくもない。

 そういった活動のプロセスで、ショーが始まる前にバンドごっこをして演奏していたのがバンダ・バソッティ。それが徐々に成長してバンドになっていったというのが正しい。彼らの話を聞くと、当初は歌を歌う人間だけで10数人もいたというし、現在ではレーベルの中心人物としてバンドのマネージャーのような仕事もしているダヴィデもその時はステージに立って歌っていたという。といっても、現在でも曲を書き、バンドのメンバーとしてインタヴューにも出てくるということとから、演奏しないメンバーだというのが面白い。

Banda Bassotti イタリアのごく普通の人たちが歌う音楽を演奏したり、パンクに触発された音楽をやったりと、仕事の合間を縫って活動を続けた彼らは着実に人気を獲得していった。しかも、きわめてラディカルな政治意識を持っている彼らはバスクのネグ・ゴリアックやフランスのマノ・ネグラといった伝説的なバンドと共演を繰り返しながら確実に成長。そのプロセスでニカラグアのサンディニスタ政権を助けるために半年に渡って現地で学校を建てる仕事をしていたとも聞く。バンダ・バソッティは、いわば、恰好だけのパンクやラディカルなバンドでもなく、現実に動き、変革を目指す有機的な運動体バンドだったと言ってもいいだろう。

 だが、ウイークデイに仕事をして、土日にライヴをする。しかも、金を稼ぐのではなく、金を使ってまで「運動する」という彼らの音楽活動が負担にならないわけはなかった。ちょうど彼らがそれを感じていた頃、仲間であるネグ・ゴリアックのアルバムがスペインの保守派から訴えられることになる。「治安警察のボスが押収したコカインをくすねている」と歌ったおかげで、裁判沙汰になってしまったのだ。そのアルバムをイタリアで発表していたのがグリダロ・フォルテ。しかも、様々なキャンペーン・コンサートなどで互いに活動を共にしていたこともあり、彼らは「表現の自由への侵害である」とフェルミン・ムグルサをリーダーとするネグ・ゴリアックの全面的な支持活動を進めていくことになる。

 ただ、仕事と音楽活動の両立に限界が来ていたバンダ・バソッティはこの裁判闘争への資金作りのツアーを最後に活動休止を宣言。「ネグ・ゴリアックが裁判に勝利したあかつきには祝福のためのライヴをしよう...」とシーンから消えることになるのだ。

 ところがそれから6年後の2001年、フェルミンは最高裁判所の判決で勝利を獲得。すでに解散して、メンバーそれぞれが独自の活動をしていたネグ・ゴリアックは一度限りの再結成ツアーを敢行し、バンダ・バソッティも再結集してこのツアーに加わるのだ。当初はバスク地方だけのツアーを考えていたのだが、ファンからの熱望もあり、結局は、ローマでもライヴをすることになる。実は、その結果があのライヴ・アルバムだ。

「本当は3000人も集まっれば大成功だと思っていたのに、ふたを開けてみれば1万人弱だからね...」

Banda Bassotti と、その時のことを語ってくれたのはダヴィデ。

「久しぶりの演奏が... とても楽しかったのもあるし、新鮮だったのもある。それに、昔からのファンばかりだと思ったら、10代の子供たちもいっぱいいて、メールとかがぞくぞくと送られてくるんだよ。一度限りの再結成じゃなくて続けてくれってね」

 それが完全な活動再開に結びついていく。といっても、かつてのように無理な形でのチャリティ・コンサートやキャンペーン・ライヴばかりを主体とするのではなく、きちんとしたアーティスト管理をベースに活動。いわば、本来の形に収まったと言ってもいいだろう。 「もちろん、必要があれば、そういった活動はするよ。かつてパルチザン(第二次世界大戦時の反ナチ抵抗組織)のリーダーだった老人が生活苦に陥ったというので、チャリティもやったし... ただ、それだけじゃなくなったということなんだ」

 といっても、一方でピッキオやシガロの本来の仕事であるとび職を辞めることもしない。すでに親方としていい仕事をしているのに、「それを無駄にしてリスクを負わせるわけにはいかない」とはダヴィデの言葉だ。それでも、本格的にバンド活動を再開した彼らが、そこにいたる数年間の思いを全て注ぎ込んで作ったのが再活動後初のスタジオ作となるこのアルバムだ。

「あんまり人の影響は受けたくないから、ほとんど音楽は聴いていないんだよ」

 インタヴューでそんなことを口にしていたのがサウンド面の中心人物、シガロ。が、このアルバムを聴けば、どこかで彼らがスカやスカ・パンクといった流れに結びついているのがわかる。おそらく、グリダロ・フォルテがスカやレゲエ、さらにはパンク系のアーティストを多く抱えているというのも影響しているんだろう。また、レーベルと共に彼らが経営しているのがローマにあるスカ・パブ、サリー・ブラウン。バンダ・バソッティや地元の仲間が集まってくるこのパブの壁には、ローレル・エイトキンからトロージャンズなど、スカ・ファンにはおなじみの人たちのポスターが所狭しと並べられ、いとも簡単に彼らとスカの接点をみつけることができる。

 ただ、どれほどこのアルバムが傑作であり、どこかで80年代のスペシャルズあたりを思わせるインパクトも否定できないんだが、ライヴの彼らは、我々の想像を遙かに超えるとんでもない迫力を持っている。このアルバムで使われた写真を撮影した昨年12月のスペイン・ツアーでも、あるいは、今年4月、日本からブラフマン、イギリスからキング・プローンを招いて開かれたイタリアでのツアーでも、これでもかと感じさせられたのがそれだ。ライヴの最初から最後まで、まるで叫ぶように歌うのがオーディエンス。下手をするとバンドを聴きにいているのではなく、バンドと一緒に歌いに来ているんじゃないだろうかとも、思えるほどのその迫力は、このバンドが、ただのロック・バンドではないことをまざまざと知らしめてくれるのだ。

Banda Bassotti 印象に残っているのは、この時のイタリア・ツアー初日。パレスチナの旗を手に1分間の黙祷で彼らのライヴは始まっていた。フェルミンと一緒にイスラエルの軍事活動を止めさせるためにパレスチナに向かったのがデヴィデ。こんな逸話だけでも彼らがただラディカルなことを「歌うだけの」バンドではないことがわかる。だからこそ、ライヴの会場ではためくのが様々な旗だ。独立を求めるバスク、カタルニア、ガリシアの旗、あるいは、左翼労働者の自由を象徴する旧ソヴィエト国旗... それを支えるように歌が続く...

 そんな彼らの魅力を日本に伝えるのは簡単ではないだろう。が、今年のフジ・ロック・フェスティヴァルで日曜日の最後、レッド・ホット・チリペッパーズの後に演奏することになっているのが彼ら。99年のトドス・トゥス・ムエルトス、00年のソウル・フラワー・ユニオン、01年のフェルミン・ムグルサ&ダブ・マニフェストと、フェスティヴァルの良心を見せてきたそのスロットに彼らが登場するというのは、フェスティヴァルのチーフ・プロデューサー、日高氏が彼らの魅力を認めてくれたということだろう。これは、嬉しい。

 フジ・ロックだけではなく、すでにブラフマン、スリーピースといった日本のバンドと親交を持つ彼らが、おそらく、これからもいろんな形で日本のロック・オーディエンスと接点を持ってくることになるだろう。いい形でそれが発展し、音楽を核にみんながつながっていくことを期待して、このライナーの幕を閉じようと思う。

2002年7月13日


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