それは彼らの活動に関しても同じことだろう。チベット問題への関与から、知的障害を持つ人々の集まったバンド、サルサ・ガムテープとの共演、アムネスティ・インターナショナルへのキャンペーン・コンサートへの出演のみならず、自ら企画するライヴでは身体障害者も楽しめるバリア・フリーの環境を作るなど、おそらく、日本で最も明確な意識とポジティヴな姿勢を持つバンドとして「言葉」だけではなく「行動する」のがスリー・ピース。彼らは数少ない「語られるべき」バンドだと思っている。
そのスリー・ピースがこの4月18日から、今度はイタリアとスペインのバスク地方を回るツアーを体験。彼らと同行して全行程を取材しているのだが、そのツアーのきっかけを作ったのはイタリアのインディ・レーベル、グリダロ・フォルテ(大声で叫ぶという意味)。反人種差別や反ファシズムを訴えるコンサートの企画制作を通して生まれたレーベルで、その中心となっているのは、おそらく、クラッシュ以上にクラッシュ的なイタリアのバンド、バンダ・バソッティ結成のきっかけとなった人物だ。その彼が昨年11月、厚木でFERMIN MUGURUZA DUB MANIFESTと共演したスリーピースのライヴを体験して惚れ込んだのがきっかけだった。
「アルバムはもちろん良かったけど、なによりもライヴだよ。もう... すごい。素晴らしいバンドだと思った。それだけだよ。それに、(1枚目のアルバム・タイトル)"心の革命"(REVOLUCION DE LA MENTE)ってのが気に入ったんだ」(日本語タイトルは『新しい世界』)
とは、その人物、ダビデ・カッチオーネの言葉だ。当然ながら、説明は受けていたろうが、日本語で歌うスリーピースの歌を彼が理解できるわけはないし、イタリアでスリーピースが知られているわけもない。が、彼はこのバンドをイタリアに呼んでツアーさせたいと思ったという。
「彼らのツアーで儲かるなんて考えてもいないし、かなり損はするだろうね。でも、僕らが仕事をするのは金が目的じゃないからね」
そういう彼らがこのツアーを企画したとき、スリーピースに送った最初のメールでこんなことを明言していたのが面白い。
「我々は明らかに左翼的な姿勢を持って活動をしている。それは納得しておいてほしい」
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これには永野もびっくりしたと語っているのだが、「ファシズムを支持しているとか、右翼じゃない限り、別にいいんじゃないの」(原)というかなり軽いノリで彼らの申し出を受けたのがスリーピース。「どうなるかなんて想像もしないで... っちゅうか、想像もできなかったから、なんにもわからないまま」(原)彼らはイタリアに乗り込んでいる。
その彼らが日本では想像もできないほど政治的な世界に触れることになるのだ。グリダロ・フォルテの事務所があるのは再開発の圧力とマフィアが渦巻くエリア、サン・ロレンツォ。低所得者が集まるこの街で、最初のプロモーションとして訪ねていったのはONDA ROSSAという、海賊放送から始まった左翼系のインディ放送局だ。ドアを開けるとでっかいゲバラの絵が目に飛びつき、まるで古ぼけた会議室のようなスタジオにはカール・マルクスがマイクを握るという冗談のようなポスターが貼り付けられている。こんな放送局が存在することだけでも驚異だ。
また、毎日のように昼食に通ったのが、後に"革命食堂"というニック・ネームを付けることになる32という店。これは全イタリアに100箇所もあるという、Centro Socialeと呼ばれるコミュニティ・センターのひとつで、スクォッティング(不法占拠)から発展したものだという。ここでも壁にもゲバラのイラストや赤い星、ブラック・パンサーの絵などが見える。加えて、ここで紹介されたのは、今年3月に行われたサパティスタ解放運動(簡単にいえば、メキシコの先住民族の人権を求める運動)の大行進にイタリアの支持グループの代表として参加した人物や70年代の政治運動で警察官によるデモ参加者射殺事件の衝撃的な写真を撮影したジャーナリスト。そんな人々が毎日のように顔を出すここでは職のない人たちにコンピュータを教えたり、カンフーを教えたりするということも行われているんだそうな。また、サッカーの試合がある日になると満杯になるぐらいの人々が集まってきて、プロジェクターで大写しにされた中継を楽しむこともある。ちなみに、中田が大活躍した試合もここで見ているんだが、彼らのサッカーに対する異様な熱狂には大いに驚かされたものだ。
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イタリアではパドヴァからジェノヴァ、トリノにローマとペルージャをツアーしているのだが、ペルージャを除いて彼らが演奏したのもそんなCentro Socialeだった。といっても、そこにはバーがあり、クラブがあり、スケートボードの練習施設があったりと、なにも知らなければけっこうヒップなクラブのように見える。このあたりの感覚は日本では信じられないが、これこそが旧態依然とした化石のような左翼とは違った、もっとオルタナティヴで同時代的な運動のあり方なんだと思う。
「南米の時はただトドスに付いていっただけという感じで、自分たちのツアーって感じやなかったんやけど、今回はツアーらしいというか... そんな感じがしたけど、同時に本当にお客さんが来るんやろうかって心配しててん」
とは永野の言葉だが、面白いことに、どこでもそこそこの客が入り、不思議なことに、日本語で歌う、しかも、イタリア語など「グラッチェ(ありがとう)」ぐらいしか言えない彼らの演奏がけっこうな反応を呼び起こしていたのだ。
特に圧巻だったのは4月27日のローマ。左翼系の新聞、マニフェストの創刊30周年とイタリアからナチスが追放された日を記念して、イタリア最大規模のCentro SocialeといわれるGlobal Villageに1万人を集めて開かれたフェスティヴァルだ。出演したのはナポリのバンド、99ポッシーとスリーピースのみ。が、下手をしたらブーイングされるんじゃないだろうかとスタッフが心配する一方で、スリーピースはオーディエンスを熱狂の渦に巻き込んでいく。なにせ、わけのわからない日本語の歌をバンドと一緒に歌おうとするオーディエンスまで飛び出す始末だ。
思うに、圧倒的なパフォーマンスとタイトで分厚い演奏、素晴らしいメロディとタッチと... スリーピースのロックが伝えていたのは、日本語といった形式としての言語ではなく、その奥にある言葉。日本語だとか英語だとかいった議論がばかばかしくなるほどの当たり前のことがここで証明されたわけだ。伝えるべき歌さえあれば、そして、それを伝えるソウルとパワーさえあれば、形式としての言語なんて微塵の意味もない。スリーピースが演奏しているのはグローバルでコンテンポラリーなロック。それをまざまざと見せつけられたことになる。
そのイタリアに続いたのはスペインとフランス北部の国境にまたがるバスク地方。まずはフライトでマドリッドに飛び、そこから夜行寝台列車で国境の街、イルンへの移動だ。プロモーターの出迎えがあるわけもなく、各自がスーツケースと楽器を持って空港からバスでコロンバス広場に出て、そこから地下鉄で国鉄のターミナルへ。どう見ても普通の旅行客らしくなかったんだろう、マドリッド中の好奇な視線を浴びたものだ。そして、ここからイルンまで9時間の夜行寝台列車に乗り込むことになる。これまでいろんなバンドのツアーを取材したが、これほど「旅」を感じさせたものはなかった。が、彼らは文句を言うこともなく、それを楽しんでいる。
「まあ、どさまわりの芸人みたいなもんだな」と原が言えば梶原はこう続けている。「ブルーハーツの頃を思い出しましたね。ライヴしか信じていなかったから、ずっとこんな旅をしてましたよ。そこに戻って来たって感じですね」
しかも、そんな旅や仲間との出会い、毎日の演奏を通じて彼らがどんどん変化し成長しているのが手に取るようにわかるのだ。バスクで最初となったビルバオでのこと、彼らが演奏している最中にマネージャーがやって来て「いやぁ、なんか感動しますよ」と目をウルウルさせながら一言。その翌日、トロサという小さな街のガレージのような小屋でやったときも、ツアー・コーディネイターが「これまで見たなかで一番素晴らしかった」と話し出していた。二人とも、そして、筆者も彼らのライヴを数限りなく経験している。それでも、回を重ねるごとにスリーピースは微妙な変化を見せながら、新たな感動を与えてくれるのには大いに驚かされたものだ。
バスク地方のツアーを企画制作したのは、昨年来日したフェルミン・ムグルサと仲間が10年前に設立したレーベル、エサン・オゼンキ。イタリアのグリダロ・フォルテと兄弟関係になるこのレーベルも、大声で叫ぶという意味で、ここにも政治がある。日本では簡単に歴史が忘れ去られるからか、奇異に聞こえるかもしれないが、わずか20数年前までフランコの独裁が続いていたのがスペイン。その間、40年以上に渡って禁じられ、抹殺されていたのがバスク語だった。自らの言葉を話すだけで、あるいは、バスクの国旗を持っているだけで牢獄に放り込まれる。音楽も禁止され、バスク文化もつぶされていたのだ。そんな彼らからバスク語で歌うネグ・ゴリアックというバンドが生まれ、それが母体となって生まれたのがこのレーベルだ。フェルミンは、その中心人物でもある。
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そのバスクで続いているのが独立運動であり、彼らが作ったこのインディ(独立)レーベルがどれほどの意味を抱えているかは容易に想像できるだろう。バスクに滞在している間、何度も遊びに行くことになったコミュニティ・センターのようなバーには政治犯としてとらわれの身にある人々の写真が大きく飾られ、否応なしに彼らの現実に直面することになる。といっても、誰一人としてこの問題を声高に語っているわけでもなく、銃撃戦なんて起きてるわけもない。新聞やテレビではETA(バスク祖国と自由)によるテロ事件を大々的に報じているのだが、彼らがそんな暴力行為を支持しているとは思えなかったし、あくまでバスクは静かな美しい国だという印象しかない。
そのバスクのフェスティヴァルがスリーピースのヨーロッパ・ツアー最終日だった。場所はフランス領のバスク地方でSareという街。かつてバスク語以外で歌うバンドが登場したことがないここに初めて参加した外国語で歌うバンドがスリーピースだ。あいにくとあまり天候が良くないというので野外ではなく、急遽体育館に場所を移して開かれたここに出演したのは全5バンド。スリーピースは3番目に登場し、2500人ほどのオーディエンスを前に熱演を繰り広げていた。
さて、この旅でスリーピースがどれほど多くの人たちと出会い、どれほどの経験を積んできたか... そこには計り知れないものがあるはずだ。ツアーを終えて彼らが帰国した翌日のインタヴューでも、汲めどもつきないほどの話題で延々と会話が続いていった。が、そんな会話よりもまずは彼らの演奏を見ればいい。どれほど言葉を並べても語り尽くせない彼らのライヴの素晴らしさが一瞬にして理解できるはずだ。
そのスリーピースが「終わらない旅の始まり」で歌っているように彼らの旅に終わりはない。昨年のアルゼンチンからメキシコ、アメリカ西海岸、そして、今年4月から5月にかけてがイタリアからスペインはバスク地方。それに加え、7月には海外の仲間達を日本に紹介するという目的で企画したRADICAL MUSIC NETWORK TOURというツアーにFERMIN MUGURUZA DUB MANIFESTらを呼び寄せ、国内をツアーすることになっている。さらには今年の秋には再びヨーロッパに飛ぶという話が浮上。今度はイタリア、スペインに加えて、スイスやユーゴスラヴィアあたりがリストに加えられているのだが、数々の国や大陸を転がり続けながら、彼らが世界中に仲間を作って大きな根を張り巡らしていくのだろう。多くのバンドがどこかで英米へのコンプレックスを抱えながら活動しているなかで、ありのままでどこへでも出かけてはライヴを繰り返しているスリーピースは21世紀のグローバルなロックのあり方を端的に示している。望むらくは、そんな彼らに母国であるこの日本が正当な評価を下してくれること。それもなければやってられないと思うのだ。
2001年6月3日
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