ドーン、ドーンと、まるで地面を揺り動かすようなバスドラの荘厳な響きに重なって、神秘的なチベットのシングル・ホーンが苗場の山々にこだましていった。すると、ステージ前に集まった数万の人々のざわめきがすぅっと消え、静寂に包まれたのがフジ・ロック・フェスティヴァルの会場。無数の人がいるにもかかわらず、時間が止まったかのような静けさを感じたのがこの時だ。
緑に囲まれた炎天下に展開されたあの光景を、おそらく、生涯忘れることはないだろう。これはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやリンプ・ビズキットにZZトップなど、約100アーティストを集めて、初めて新潟は苗場で開催されたフジ・ロック・フェスティヴァル'99でのこと。実を言えば、大成功となったこのフェスティヴァルで最も印象に残ったのは、そういった強者たちの激しいライヴではなく、静かに語りかけるようなチベット人ミュージシャン、ナワン・ケチョのパフォーマンスや言葉だった。
「優しい心、良心を持ち続けることは並大抵のことではありません。でも、それを続けていきましょう。私にはわかるんです。今、ここで自由に音楽を、そして、生きることを楽しんでいるあなた方は東洋の眠れる獅子だということ。あなた方にわかって欲しい。同じことができない人々がチベットにいる。彼らには人間として生まれた誰もが持っている権利さえをも奪われているんです」
と、このフェスティヴァル最大の規模を持つグリーン・ステージだけではなく、会場の一番奥にあるフィールド・オヴ・ヘヴンなどで3回にわたってスピーチやパフォーマンスをすることになったのがこの人物。フェスティヴァルの数ヶ月前に開かれたチベタン・フリーダム・コンサートで多くの人々に感銘を与えたミュージシャンだ。
そのナワンのバックでドラムスをたたいていたのがスリー・ピースの梶原徹也。そして、両者が人影もまばらな会場の一番奥、フィールド・オヴ・ヘヴンで共演した時が、スリーピースとの出会いだった。といっても、彼らのライヴを見るためにそこに行ったわけではなく、ナワンの通訳として会場で働いていたにすぎない。
片やチベタン・フリーダム・コンサートを通じて数々のメジャー・アーティストと共演を続けてきたナワン。日本では無名でも、ハリウッド映画界にも人脈があり、積極的にチベット問題に取り組むリチャード・ギアとも親しいという。加えて、ブラッド・ピットが主演した映画『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』では端役で出演。さらにはグラミー賞を受賞した喜多郎と演奏したり、この年のフィールド・オヴ・ヘヴンで3日間ステージに立って絶大な人気を獲得したフィッシュともマディソン・スクエア・ガーデンで共演している。その彼がこの日、一緒にステージに立ったのがまだ無名のバンド、スリー・ピースだった。
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といっても、元ブルーハーツの梶原徹也、元メスカリン・ドライブからソウル・フラワー・ユニオンで活動していた永野かおり、キングビーズの中心人物だった原広明というラインから、ある程度の知名度はあったのかもしれない。が、彼らが演奏したときのステージ前には人影もまばらで、この時の演奏が大きなインパクトを残したとは言い難い。
加えて、早くからチベット問題にも取り組み、「意識ある」バンドとして活動してきた彼らではあっても、正直言って、この時、その「言葉」とそれを伝える牽引車ともなるべきサウンドがちぐはぐに空回りしていたようにも思える。といって、もちろん、彼らが退屈だったわけではない。ロックやポップスに関していえば、なぜか、政治的な意識や社会問題に対して目を背けてきたような状況が続く日本で、そんな姿勢を持った彼らの登場が嬉しくないわけがなかった。だからこそ、逆に、鉄壁の力強さを期待するのだ。が、まだまだこの段階では気持ちの先走りを感じていたと言えばいいかもしれない。
ところが、それから数ヶ月後、風の噂で聞いたのが彼らの南米ツアー。フジ・ロックで意気投合したアルゼンチンのバンド、トドス・トゥス・ムエルトスと共にアルゼンチンからメキシコ、アメリカ西海岸などをツアーしてきたというのだ。そして、出かけることになったのが帰国後初めてとなる国内ツアーの最終日、7月18日の下北沢シェルターだった。
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えっ、これが本当にあの時と同じバンド? スリー・ピースのメンバーやファンには申し訳ないが、この時、なによりも最初に感じたのがそれだった。ヴォーカル&ギター、ベース、ドラムスで構成される、文字通りの3ピース・バンド。ロックを演奏するには、最小限のユニットだが、そこから飛び出してきたのは最大限のロックだった。強靱なパワーとタイトなリズムをたたき出すドラムスに、しなやかさとワイルドでファンキーなタッチを兼ね備えたベースとロックの醍醐味を凝縮したかのようなギターが絡み、言葉がまるで水を得た魚のような生命力と共に伝わってくる。この時、正直言ってしまえば、1年前のフジ・ロックで初めて見たスリー・ピースと目の前の彼らが、まるで別のバンドにも思えたものだ。ステージからはそれほどまでに圧倒的なエネルギーとパワーが放たれていた。
そのスリーピースが産声を上げたのは97年のこと。といっても、その時、明確な方向性などがあったわけではなく、「半ば遊びの延長線のように」(永野)「一度挫折した落ちこぼれが(笑)」(原)3人集まってなんとなく始まったというのだ。しかも、最初に演奏したのはフォーク・シンガー、高田渡の『自転車に乗って』と、今の彼らからは想像もできない。しかも、この時は永野がヴォーカルをやっていたというから面白い。そして、「とにかくやりたい曲を持ち寄ってリハを繰り返した」結果の初ライヴが97年9月の下北沢シェルターで開かれている。といっても、この時点でも具体的にスリー・ピースへの確固たる確信はなかったというのだ。が、その後、原は漠然とこんな思いを抱くようになる。
「何回かライヴやった後にこのバンドをどういった方向に持っていこうかって話したことがあってね。とにかくすごいことをしようっ て(笑)ことになっちゃったわけです。で、そのすごいってのがなにかってことになって... そうしたら、ガ〜ンといった音なんかが現れてきて... レイジ・アゲンスト・ザ・マシンなんかを聞くまではネガティヴに聞こえていたニルバーナとかグランジとかってのが初めてポジティヴなものに聞こえたんだ。なんか、そういった音が、訴える言葉があったときに、初めてそれを可能にしてくれるというか、そこに面白さを感じたな」
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そして、曲作りのプロセスで「オリジナルの『輝く未来』ができた時、このバンドならなにかができる」と思ったのが永野だった。それからコンスタントにライヴを続け、シングルなども発表していったのだが、梶原がこのバンドに確信を持ったのは、それから2年近くが過ぎたナワンとの出会いを待たなければいけなかったという。
「ブルーハーツが終わって、仏教徒としてなにをやるべきかってモチベーションが大きかったんですよ。あの出会いで音楽とそれをつなぐ接点が見えたというか...」
敬虔な仏教徒である彼にとって、これが大きな転機になったのは想像に難くない。そんな梶原を見て、「俺は宗教とは関係ない」という原も「確かにこの頃からかなぁ、梶君からブルーハーツのイメージが払拭されたと思うんだ」と語っている。
そして、スリー・ピースには想像もできなかった展開が始まっていく。その手始めがトドス・トゥス・ムエルトスとの出会いや彼らとの南米ツアー。フジ・ロックで意気投合した彼らから「一緒に南米でツアーしないか」という誘いが来たというのだ。
「要は金やん。借金してでも30万ぐらいあったら、できるんやろ? こんなチャンス滅多にないし...」と、永野が言えば、梶原はこう続ける。「バンド・マジックですね。それぞれいろんな背景もあるし、(それを突き抜けて)新たになにかをするにはこういったことが必要だったんじゃないかな」
その判断が正しかったのだろう。
「必然だと思いますよ。やりたいことはわかった。あとはそれを肉体化するだけ。その時に南米というのがあったんじゃないかな」
原はそれをこう振り返っている。しかも、日本人なら片言の英語はなんとかなるだろうが、それがほとんど通じないスペイン語圏でのツアーだ。
「どうでもええわ!(笑)ダメで元々。地球の裏側まで来たんだから、やるしかないわ!死ぬ覚悟もあったし...(笑)」(梶原)
「いつも通り、一生懸命歌っているのに、彼らにはなにもわからないってのが、おかしくなってきましたよね。それが当然なんだけど、それでもなんとかしたいというか...」(原)
が、案ずるよりは生むが易し。彼らは各地で予想外の反応を獲得し、それが自信になっていくのだ。そこには言葉を越えたものが確実にあり、同時にロックという共通言語もある。どんな国に行っても、どんな言葉でもそれだけでも通じ合えるという現実を体験として獲得。そんなプロセスを通じて、ある種、彼らが脱皮したのかもしれない。
「なにかを伝えなきゃということばかりが頭にあったんやけど、なによりも楽しむのが重要なんやということがわかった」(永野)
「頭でやっていたような部分に、もっと下半身がついてきたような(笑)」(原)
「仏教で言うところのチャクラが開いたっていうのか、なにかを懸命にやったあとに道が開かれるといった感覚なんですけど」(梶原)
数週間に渡る南米ツアーで彼らがどう変化していったのかは想像するしかないのだが、元々全く違った音楽性や背景を持つ3人がそういった体験を経て、より有機的でタイトな関係性を作り上げていったのは容易に想像できる。そんな変化を如実に見せつけてくれるのが彼らのライヴであり、聞かせてくれるのが2枚目となる新しいアルバムだ。ここにはよどみもなく、力みもない。行くべき方向性がよりクリアになり、さらに結束を強めた自然体のスリー・ピースが記録されている。
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