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真っ昼間のインタヴューというのに、デュプラはほろ酔い加減で、桜色に上気した顔にまるで子供のような笑みを浮かべて冗談を連発していた。年齢を聞けば68歳だが、その表情からは、年輪よりも生涯不良少年であり続けたという爺の気骨が伝わってくるのだ。 「日本には遊びできたんだよ。俺は...銀行員の観光客さ、ハッハッハ」 巷で静かなヒットを記録したアルバム「パリ・ミュゼット」の世界を再現するかのように、アコーディオン奏者、ジョー・プリヴァを中心にライヴが実現した94年10月、そのギタリストとして来日していたというのに、それがまるで遊びだとでも言いたげな表情を見せている。実を言うと、その時に実現したのがこのインタヴューだ。 あれからすでに3年が過ぎ、残念ながら、デュプラはもうこの世にはいない。悲しいかな、やっと発表される「パリ・ミュゼットVol.3」を受け取って初めて知ったのが彼の死だ。そんなことでもなければ、この不良爺のことを書くチャンスはなかったのか... 複雑な思いでこの原稿を書き始めている。
![]() が、これほどはちゃめちゃなインタヴューもなかったろう。こっちの質問よりもなによりも、話したくてならないことがわんさかあるといった感じでどんどん会話が進んでいくのだ。 「デートリッヒとか、イヴ・モンタンとか、いろんな人がこの爺を呼んでくれるんだよね。演奏が面白くなくても、若い奴らは気を使ってお世辞言ってくれるけど、んなこと、全然どうでもよくて... なによりも演奏できることが嬉しくてたまらないんだ。そのことにブラボーってのが本音だよ」 話はあっちに進み、こっちに進み、とりとめもない会話のようだった。しかも、そのおかしさに通訳どころか、本人も含めて笑いが止まらない。が、なによりも印象に残っているのはジャンゴ・ラインハルトの話が出た時の顔だろう。噂で彼がジャンゴにもらったピックを肌身離さずもっているというので、それを見せてもらおうとしたら、まだ通訳が筆者の言葉を訳していないのに、嬉々とした顔で財布からピックをとりだしたのだ。が、簡単には見せてはくれない。ギャハハと笑いながら、62年に浜松に来た時の写真を見せたり、もったいを付けて「まずは話を聞いてから」と話し始めるのだ。 「いいかい、ジャンゴのことを話し出したら止まらないよ。一晩中だって話し続けられるんだから...」 と長い前ふりの後に話し始めていた。 「彼ってやたら背が高くてね...187cmぐらいあったから。そののっぽのジャンゴにある日、『ディディ、ちょっと来いよ』って言われたわけよ。まぁ、機嫌よかったんだろうな。もう、彼に声をかけられただけで鳥肌が立つぐらい好きだったから... 嬉しくってさ。今でも全然変わらないから、彼のことを話すだけでも興奮しちゃってるんだけどさ、ともかく、彼が言うわけさ。『おまえになんかプレゼントしてやろう』って。『男だから花をやっても話にならないし... 俺のことを思いだしてほしいから、これ、やるよ』って、差し出してくれたんだ。それがこれさ」 今となってはそれがどんなピックだったのかは記憶にはない。その時、鼈甲でできたものだとわかったことがテープに残されている。 「鼈甲だったら、値段が高いって?冗談言っちゃいけないよ。そんなのどうでもいいの。値段なんてつけられるかよ。みんな、俺とジャンゴが会ったことや、こうしてピックをもらったことを作り話だろうって言うけど、ホントにホントなんだよ。今でもワクワクしちゃうから。嬉しかったんだよ」 嘘だなんて言えるわけがない。ディディの嬉々とした表情を見ていれば、それが彼にとってどれほど重要な出来事だったのか容易に想像できるのだ。 「15歳でギターを始める前、ジャンボンってポルトガルのマンドリンを演奏していたんだけど、ラジオでジャンゴを聴いてガ〜ンと来て... もちろん、いつジャンゴを聞いてもそうなんだけど... それがきっかけでギターにはまったんだ」 手にしているギターは41年製でケースは37年に作られたもの... そして、「弾いているギターは26年製なんだけどな、ハッハ。ギターはカミさんと一緒でこれ1本だけ。浮気はしない」 ギターを取り出し、歌を歌い、演奏を始めながら、再び話があっちこっちに飛び火し始めている。
「初めてジャンゴを見たのは15歳の時で、14歳のマルセル・アゾーラ(著名なアコーディオン奏者で筆者が彼の作品のライナーを書いている。興味ある人はLINERNOTESをチェック)と一緒に行ったんだ、双眼鏡をもって。ありゃぁ、魔法だよ。今でもそう思うけど...」 それから50年以上もギターを演奏し続けてジャンゴを越えられたか、あるいは、彼を越えるギタリストに出会ったかと尋ねると、こんな答えが返ってくるのだ。 「そりゃ、素晴らしいギタリストはいるよ。でもねぇ、俺にとっちゃジャンゴを越える人は絶対にいないね。俺のカミさんがひとりのように、俺のギターもひとり。俺のジャンゴもひとりなんだよ。それ以上はない。俺がジャンゴを越えたって? 冗談じゃないよ。足元にも及ばないよ」 不良爺がどれほどジャンゴを愛し、ギターを愛し、ミュゼットを愛したのか... それはあのインタヴューから3年の月日が流れても鮮明な記憶となって残っている。彼が天国でジャンゴと再会できたことを祈りつつ、少ないスペースでもこの原稿を書けたことを感謝したい。合掌。
1998年1月2日執筆 for Latina |