変革への道のり-ジョニー・クレッグ

 ネルソン・マンデラが27年にわたって繋がれていた獄中から解放された90年2月、歴史が逆行してしまったかのような今の状況を誰が想像していただろう。当時、ソ連の政治改革に触発されるように、続々と自由化を獲得していったのが旧東側の国々。同時に米ソ両超大国の核軍縮が急速な展開を見せ始め、それを象徴していたのがベルリンの壁の崩壊だった。もちろん、薔薇色の未来をそこに重ねるのは安易に過ぎる。が、一連の激変を目撃して、あまりに悲観的だった未来に光明を見た人も少なくはなかったはずだ。

 ジョニー・クレッグが初来日公演を実現させたのは、そんな光りにわずかな陰りがちらつき始めた90年7月。そのワールド・ツアーを前に彼が発表したのが『クルーエル・クレイジー・ビューティフル・ワールド』だった。彼のグルーブ、サヴーカと共に発表したアルバムとしては3枚目に当たるこの作品につけられたタイトルは『残酷で狂気にまみれた... それでも美しい世界』。そこに詰め込まれた曲の数々は、期待とわずかな不安が入り交じった当時の微妙なニュアンスを見事に伝えていたものだ。

 また、アルバム以上の迫力を感じさせたのがライヴだった。数々の苦難と圧力に塗れながら、アパルトヘイト打倒を歌に託してきた彼には、マンデラ解放で築き上げられた未来への確実な一歩がやはり嬉しかったのだろう。ヨーロッパ公演と比べればバンドは小規模だったが、ステージから放たれていたのは弾けんばかりのパワーとエネルギーだ。残念ながら、満杯にはほど遠かったにもかかわらず、ポツリポツリと立ち上がり、結局は会場が揺れんばかりに踊りだしたのがオーディエンス。静かな総立ちが慣例化(!?)している日本であれほどまでに観客を熱狂させたコンサートも珍しい。それは予定外のアンコールが飛び出したあたりからもうかがえるだろう。

 あの来日公演からすでに3年。再び狂気に向かって走り出したかのように見えるのが世界の現状だ。偽善の「正義」が大量殺戮を正当化させた湾崖戦争は言うまでもなく、世界各地で統発するのが内戦の数々。ボスニア・ヘルツェゴビナからアゼルバイジャンの血なまぐさい映像がテレビから容赦なく我々の家庭に飛び込んでくる。さらには、昨年−年間で人種差別を原因とした犯罪が2500件も発生したのがドイツ。フランスやスペインやイタリアから英国と、ファシズムの亡霊が確実に息を吹き返しているのだ。

 もちろん、それは何も海を越えたヨーロッパだけの話ではなく、ある意味で言えば、さらに深刻な状況を迎えているのが日本かもしれない。なにせ、代々木公園からイラン人を締め出し、公然と人種差別政策を取ったのがお役所だ。最近ではハーゲン・クロイツ付きのポスターが張り出され、コロンビア人の店が右翼の襲撃にあったという噂も聞く。蛇足ながら、10年前には信じられなかった自衛隊の海外派兵が認められ、完全に空洞化されているのが憲法。と思えば、金まみれの政治屋どもは自分の責任を棚に上げて、与党の独裁化を招く有権者不在の選挙制度改悪に着手している。しかも、その尻馬にのっているのが野党。選挙に投票しない人達が与党の支持率より遥かに高い現実も認識できない政治屋も問抜けなら、そんな政治屋を選んでいる有権者も大ボケなんだろう。そんな現実を目の当たりにすると、実に悲観的になるのだ。

 おそらく、ここ数年の世界の動き、特に南アフリカのそれがジョニー・クレツグに同様の感慨を抱かせていだろうことは容易に想像できる。マンデラ解放の喜ぴもつかの問、続発していったのが黒人部族間、あるいは政治勢力間の抗争。もちろん、なかにはそう見せかけたでっち上げも多いだろう。が、いずれにせよ、そういった状況が悲観論を生み出しているのは確かだ。2度目の来日公演を終えたマハラティー二&ザ・マホテラ・クィーンズの連中もこんな言葉を咳いている。

「もう嫌になるわよ。こんなことだったら、マンデラが刑務所から出てこなかったほうがよかったのかもしれない」

 しかも、3年ぷりとなる最新アルバム『ヒート、ダスト&ドリームス』発表までにジョニーに襲いかかったのは逆行する歴史だけではなかった。なによりもショッキングだったのは2枚目のアルバム『シャドウ・マン』のジャケットで彼と踊っているパーカッション・プレイヤーでダンサー、ドゥドゥ・ズールーの射殺事件。プロモーション・ツアー中のジョニーをドイツのハンブルグで捕まえて始まった今回の電話インタヴューの皮切りがそんな話題だったのもしかたないだろう。

「ドゥドゥがやっていたのは対立するタクシー会社間の調停だったんだ。彼が住んでいた地域に新しい会社が生まれることになって、それがマフィア... そう、ヤクザの縄張り争いに発展してね。両サイドに友人がいた彼が間を取り持とうとしていたんだ。で、去年の5月4日、月曜日のことなんだけど、『銃を持った4人が向こう側へ行った』って報告を子供から受け取った彼は仲間と一緒に思い止まらせようと出かけていって... ところが、その連中に彼が射殺されてしまったんだよ」

 ちようどその時、ロサンゼルスでこのアルバムを録音していたジョニーは作業を中断し、急遽南アフリカに帰国。葬儀に参加した彼は、生命保険や社会保険など一切なかったドゥドゥの後に残された家族のために動いていたという。そして、このアルバムの完成後、彼らのために4本のベネフィット・ショウを実現させてもいるのだ。あの時、ジョニーの胸中にどんな思いがよぎったか... それは我々の想像を遥かに超えているだろう。

 それにしても、前作からのインターヴァルは長い。70年代後半から活動していたジョニーがかつてのバント、ジュルーカの解散後、サヴーカと共にシーンの最前線にカムバックしたのは87年。その時発表したのがフランスで驚異的なヒットを記録することになるサードワールド・チャイルドというアルバムだった。翌88年には2枚目の『シャドウ・マン』、そして、89年に前述の『クルーエル・クレイジー・ビューティフル・ワールド』を発表しているのだが、それから今回のアルバムまでに3年以上の時間が流れているのだ。

「実は、ほほノン・ストッブで4年問もツアーを続けていたんだ。だから、90年12月から1年間の休息に入ることにしたんだ。ところが、その頃から南アフリカで急激な変化が起こり始めて... それをジックリ見つめたかったし、それにドゥドゥのこともあったし... 実は、今回ばかりはかなり絶望的になっていたってこともあったんだ」

 が、そんな絶望的な感傷を乗り越えて生まれたのがこのアルバムだ。では、何が彼を救いあげてくれたのだろうか。

「助けてくれたのは... 実は、僕の息子だった。忘れもしないよ、89年さ。やはりアルバムを録音していた時に、また別の友人が射殺されてるんだ。そして、同じことの繰り返しだろ....  今回、どうしようもなく悲観的な気分になったのは、そんな理由もあるんだ。でも、4年前と同じように、また子供に救われたんだ。朝、目が覚めて彼を見ると、元気に生きているんだよね。純粋で善良で... それに励まされたってのか... だから、いつも子供や家族と一緒にいたんだ。それが僕を救い出してくれたんだと思う」

 そして、アルバムに与えられたタイトルが『ヒート、ダスト&ドリームス』だった。

「好むと好まざるにかかわらず、ドゥドゥの死を受け入れなければいけなかった。南アフリカで起きていることだって、そうさ。暴力や政治の展開が人々をナーヴァスにさせて、未来なんてないかのような気分にさせられたり... マハラティーニとマホテラ・クィーンズの発言も古い世代の典型的な発想でね。この古い船を動かそうとしているのは彼らじゃなくて、若い世代なんだよ。ところが、若い人問が暴力的だと非難するだけで... 実際はそんな暴力を生みだしているのがアパルトヘイトであり、それを潰さなければいけないのに認めたがらないってのか... 要するに、僕らは現状を変えなきゃいけないんだよ」

 そんなところから生まれてきたのかそのテーマだったという。

「テーマは変革だった。ヒート(熱)っていうのは社会的な対立や抗争、抑圧や暴力的な情熱であり、ダスト(挨)ってのは全く変わらないもの... 権力に対する人間の無関心のように、変わることのない人間の状況のことさ。そして、最後にドリーム(夢)。それは我々を未来に向けて動かすもの。変化とはいったい何な

のかをみつけだし、どうやって変革すればいいのかを問いかけているんだ」  アルバム最初を飾る「ディーズ・デイズ」に登場するのもこんなフレーズだ。

「立ち上がってここから出ていかなければならない。
 扉の向こうの時の流れに立ち向かうんだ。
 全世界が今変化を求めている。
 ここにこうして捕らわれているわけにはいかない」

 そして、その曲に続くのはドゥドゥ・ズールーに捧げた「ザ・クロッシング」だ。

「このアルバムは今までのどれよりも個人的で奥深いと思うんだ。世界で様々な変化が進行し... どういうふうに変化し、なぜ変化するのか。もし、変化できないなら、なぜできないのか... そんな変化が自分にとって間題だったんだ。そして、その変化を受け入れられるほど強靭かどうか...」

 その言葉をそのまま曲にしているのが「タフ・イナフ」だろう。

「他人にどうしろってことじゃなくて自分に語りかけているんだ」

 と説明するこの曲で彼はこう歌っている。

「この緊張に耐えられるかい?
 炎の雨のなかを歩いていけるかい?
 この熱に耐えることはできるかい?
 燃え盛る町を歩き回れるかい?
 この変化を受け人れられるかい?
 それほどまでにタフでいられるかい?」

 南アフリカでズールー音楽に対する愛情から演奏を始め、黒人居住区に入ったというだけの理由て逮捕されたのが15歳の時。武装警官にコンサートを強制捜査されたり、数々の仲間が行方不明になったこともある。また、アパルトヘイトを死守している南アフリカ当局だけではなく、反アパルトヘイト側からの圧力も受けていた。南アフリカに対する文化ボイコット順守のため、ジョニー・クレッグの英国での演奏を禁止していたのがミュージシャンズ・ユニオン。フランスでは反アパルトヘイト闘争の象徴として2百万枚近い売上げを記録していた時に、マンデラ解放を求めてロンドンで開催された大規模コンサートヘの出演も拒絶されていたのだ。自らに「タフ・イナフ」と言い聞かせなければいけないのも充分頷ける。

 さらに、政治だけを歌っているわけでもないのに、彼を説教師のようにしてしまったのがメディア。おかげで政治的な部分ばかりがクローズアッブされるという側画もある。おそらく、「アイ・キャン・ネヴァー・ビー」で歌われているのがそれだろう。

「基本的にはラヴ・ソングなんたけどね。誰かが自分になにかを望んでも、決してそうじゃないんだって歌なんだ。もちろん、政治的な見方ぱかりされることにも関係しているけど。できるだけシンブルな言葉でできるだけいろんな意味を込める... ここ数年、そんな詩の書き方に執着していてね。特に今回のアルバムには僕の本質が現われていると思うんだ。でも、実際のところ、僕がシングルとして発表してきた曲って、ほとんど政治的じゃないし... メディアはいつもその一部分だけを引っ張りだしてきて強調するんだけどね」

 また、カテゴライズ不能なスタイルの音楽作りがブロモーションを難しくしてもいる。ズールー音楽を基調に発展してきたのは確かだが、ロックでもなけれぱ、トラッドでもない。様々なタイブの音楽が渾然と融合され、ジョニー・クレッグの音楽としか言いようのないサウンドに仕上げられているのだ。

「以前は基本的にばキターで曲を作って、それをキーボードに転化するようなスタイルをとっていたんだけど、今回はギターならギターの音楽として完成させようとしたんだ。だから、形としてはギターのアルバムになっている。それが今まてとは違う点だね。あと、今回はもっと都会のアフリカン・ミュージックに焦点をあてたんだ。例えば「ザ・プロミス」では南アフリカやジンバブエ、ザイールにカリビアン的なスタイルを踏襲しているし、「イン・マィ・アフリカン・ドリーム」で使っているのはジンバブエの伝統的なギターのラインなんだよね。他にもロック・レゲエやアフリカのクワイア・ミュージックとか... 基本的には雑多な音楽を融合することが狙いで、これは以前とは変わっていないんだけど」

 ワールドミュージックという言葉が生まれてきた時、その本質にあったのがこういった姿勢だった。ところが、それがブームとなるや、逆にそんな看板が音楽を規定し、ブームの終焉と共に袋小路に押し込められる。ジョニー・クレッグなどがその典型だろう。

「いずれにせよ、そんな壁をぶち破らないとね、自分の信じていることをやり続けざるをえないし、そのつもりさ。メディアとか産業がどう捕らえようとも、結局、僕を評価するのはオーディェンスさ。どこにでもいるようなロック・スターになるつもりなら、もうとっくの昔に音楽なんて止めてるさ」

 さて、今年の6月23日からアメリカを皮切りにワールド・ツアー入りしているのがジョニー・クレッグ&サヴーカ。新しくギタリストがバンドに参加したということだが、ドゥドゥに代わるメンバーを加えることは今のところ考えてはいないということだ。

「今は、彼の代わりなんて考えられないからね。また、以前のようにダンサーもバンドに加わってはいないんだ。このまま踊り続ければ、足と腰が使い物にならなくなるって医者に言われていることもあるけど、ダンサーなしでも僕らが耐えられるかどうか、そのあたりにも挑戦したいんだ」

 幾多の苦難を乗り越えて生まれた最新アルバムの最後を飾るのは「ユア・タイム・ウィル・カム」。その歌で彼はこう歌っている。

「僕はベルリンの壁が崩れるのを見た
 僕はマンデラが自由に歩きだすのを見た
 時は来たれりという夢を見た
 歴史を変えるため、夢を見統けよう」

 では、そんな我々の時代がやって来るのはいつか。彼はこう答えている。 「おそらく、今世紀末には最低限必要な緊急性が確立され、もっと人問的な秩序のあり方か姿を見せると思うんだ。でなけりゃ、世界大戦にでも発展するしかないじゃないか。僕は他人に説教をするつもりは全然ないけど、とにかく、僕らはこの世界をよりよいものにしていかなきゃ... どんな方法でもいいから」

 そう語る彼に尋ねてみた。並外れた圧力と苦悩に直面しながら、なぜそこまで前向きにやっていられるのか... すると、電話の向こうから、笑いなから話してくれるのだ。

「なによりも、僕はただの頑固者なんだよ」

 そんな言葉に感じたのは政治的メシアでもなければ、英雄でもない生身のミュージシャン、ジョニー・クレッグ。だからこそ、その生きざまを全力でぶつけた素晴らしい音楽を創造できるのだろう。それは限りなくポップであり、同時に聴く者を奮い立たせる力もある。できれば、また日本に来て、あの力強い音楽で僕らを圧倒してもらいたいものだ。

1993年執筆 for Latina

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