ズーク・ラヴの歌姫、エディット・ルフェール

 突如としてフレンチ・カリビアンの音楽が日本で脚光を浴び始めたのは、80年代終わりだった。まずは88年にグァドループからカッサヴが、翌年にはマルティニークからマラヴォワが来日。また、本誌でもおなじみのカリが2度の来日公演を実現し、数々のアルバムが発表されるようになっていた。特に注目されたのはハイチのコンパあたりから発展したズークだ。タニヤ・サンヴァルからズーク・マシーン、ジョエル・ウルスル…… と、当時、日本でも数々のアルバムが発表され、この新しいリズムが大いに騒がれたものだ。

 ところ。が、それからわずか数年でズークは噂にもならなくなってしまう。おそらく、騒がれたほどにアルバム・セールスがよくなかったのだろう。昨年フランスで発表されたタニヤ・サンヴァルのメジャー移籍第1弾『ソウル・ズーク』やカッサヴのヴォーカル、ジョスリン・ベロアールの『ミラン』も日本では未発表。この6月にパリを訪ねた時、ジョエルやズーク・マシーンが新作を録音中だと聞いたのだが、それが日本で日の目を見るかどうか…… 今から悲観的になってしまうのだ。

 が、ズークが失速しているのかと言えば、そうでもない。特に、タニアの『ソウル・ズーク』で聴かせてくれるのは、文字通り、ソウルとズークが微妙に融合された新しいサウンド。おそらく、そんな流れにいるのが、ジョェルやタニヤと並んで、メロディアスでゆったりした響きを持つズーク・ラヴを代表するエディット・ルフェールだろう。88年のデビュー作からなんと4年以上を経て発表された新作『メシィ(サンクス〜希望)』では、未知の可能性を秘めたフレンチ・カリビアンの音楽が縦横無尽に展開されているのだ。ゲスト参加しているのはマラヴォワやカリ。それからも想像できるように、今回のアルバムで彼女はズークを大きく逸脱し、ビギン、マズルカ、サルサからブラック・コンテンポラリーへと幅広いサウンドに挑戦しているのがなんともいえない魅力となっている。

 そのエディットに会ったのは6月のパリ。眩しい日差しが街路に降り注ぐ午後だった。そのなかで見る彼女の美しいこと…… 余談になるが、インタヴュー直前のフォト・セッションでは、ファインダー越しに彼女に見つめられて赤面してしまったこともある。それほどの美貌の主がどこで生まれたのか…… 会話はそんなところから始まっていた。

「生まれたのは60年9月。南米の仏領ギアナなんだけど、赤ん坊の頃にマルティニークに引っ越して…… フランス本土に移ったのは歌い始めた14歳の頃ね。でも、子供の頃から歌手になろうと思っていたわけじゃなく、たまたま兄がギタリストでヴォーカリストだったから、そんなチャンスが生まれたの。プロとしての初仕事はTマフィアUってズーク・バンドで、その後に独立したのよ」

 では、子供の頃はどんな音楽を聴いていたのか…… 彼女の音楽的背景に迫ってみた。

「両親を通じてエディット・ピアフとかジヤック・ブレルやシャルル・アズナブールを知って…… 特にその言葉の美しさに魅了されていたって感じね。でも、あとはバーブラ・ストライザンドとかグラディス・ナイトとかマイケル・ジャクソンといったポップス」

 それでも結局、彼女の根幹にあるのは子供の頃を過ごしたマルティニークの音楽、88年に発表することになったデビュー・アルバムがズークとなったのも当然だという。

「カッサヴの連中から誘いがあって…… そりゃあ、嬉しかったわ。でも、実感したのはでき上がったアルバムを見て、自分の曲がラジオから流れてきた時ね。ただ、あのアルバムはカッサヴが中心で…… 歌詞を自分で書いただけってのか…… 別に不満ってわけじゃないんだけど、今回のアルバムとは全然違った趣があるのは確かね」

 ということで、話は新しいアルバムに移っていったのだが、なによりも驚かされるのはその問のギャッブだ。両作品の間には4年の歳月が流れているのだ。 「まずはその間に子供がふたりもできて…… 実は、双子なの(笑)。それにフィリッフ・ラヴィルといったアーティストのバッキング・ヴォーカルとか…… そんな仕事で忙しかったってのもあるわ。結局、2年間もスタジオと家を往復して、少しずつ完成していったってのかしら。子供に家庭に仕事がみんな重なってたからよ。で、出来上がったのが20曲近くになってしまったのね」

 しかも、アルバムを聴いていてわかるのだが、最後の「ラ・シレーヌ」(マラヴォワの『マティビ』と同ヴァージョン)を除けば、前半と後半に明らかなサウンドの指向性の違いがある。特に際立っているのはグランド・ビートからブラコンを意識した後半だ。

「まずは私のパーソナリティね。だって、いろんな音楽の影響を受けているから、その全部を出したかったの。そう、私の両親だけじゃなくて妹とか…… そんな世代の人も楽しめるサウンドのカクテルってのかしら。最初からそんなアルバムにしたいって、ハッキリしてたわ。だって、カリプ系だけじゃなく、いろんな人に聴いてほしいもの。そんなこともあって、数多くのアーティストと少しずつ録音したんだけど、その時々に充分なディスカッションをして、やりたいことを説明していったのよ。それに、みんな友達だから、録音には全然問題なかったわ」

 さらにサウンドの核になってるのが彼女の旦那様、ロナルド・ルビネル。まさにすべてがあうんの呼吸で作られているというのだ。

「そう、彼はアルバムだけじゃなく、子供のプロデューサーでもあるの(笑)。その彼がすこくサウンドにこだわるスタジオの虫でね。今回もロンドンで仕事をしたり、ハリに戻ったり…… その度に違ったアイデアが出てくるのよ。しかも、完全主義者。これほどまで曲が増えて、録音に2年もかかったのはそのせいもあるわね。実際、彼のこだわりのおかげでこれがアルバムにならなかった可能性もあったわ。だって、もっと面白いことができるんじゃないかって…… 彼はいつもそう考えるタイプの人間なの」

 そのコンテンポラリーな響きを持つこのアルバムで特にポップなの、がクリス・ジャガーとのデュエット。彼女によると、彼はミック・ジャガーの弟だということだ。また、フレンチ・カリビアンのファンにとって嬉しいのはマラヴォワとの共演。特に「ナタリー」の仕上がりか素晴らしい。

「私が『マティビ』に参加して、そのお返しで彼らが手伝ってくれたの。「ナタリー」はマラヴォワと仕事をしていた時にずっと歌っていた曲で、彼らがマルティニークで録音したものに、私がバリでヴォーカルを入れて仕上けたのよ。おそらく、これが今は亡きポロ・ロジーヌにとって最後のアレンジだと思うわ。そんな意味でもすごい愛着がある曲ね」

 と、そのあたり、マラヴォワ・ファンにも絶対にチェックしていただきたいのがこのアルバムだ。また、同じパターンの繰り返しだったズーク界に新展開が始まっているのもうかがえる。これからエディットが、あるいは、他のミュージシャンがどんなサウンドを生みだしてくるのか…… このアルバムを聴いてそんな期待に胸をふくらませたのは筆者だけではないだろう。

1993年5月執筆 for Latina

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