|
作られた虚像に抵抗するシンガー、トーマス・ラングがリヴァブールでじっくりと仕込んだ心の波のスケッチ 「僕が生まれたのはトックステス、言うなれば、リヴァプールの貧民街でね。ベッドルームが2つしかない、そんな安アパートに住んでいたのが両親と8人の兄弟と姉妹さ。一時はそこにでっかい犬が2匹加わってね(笑)。今考えると、どうやって生活できたんだろうって思うけど」 なんのためらいもなくそう語るトーマス・ラングに与えられたイメージは、そんなものではなかった。デビュー・アルバムに与えられた邦題は『ジャズに抱かれて』。また、男性版シャーディと呼ばれたこともある。そのヴォーカルの素晴らしさや心地よいサウンドばかりが強調され、その裏にどれほどのドラマがあるのか、誰にも触れられることがなかったような気がするのだ。 「最初のあのアルバムのタイトルは、上品にスーツを着て煙草も吸わないヤッピィのジャズじゃなくて、ストリートにたむろしている行き場のないチンピラってのか…… そんな普通の、貧しいリヴァプールの子供たちが勝手に解釈したジャズという意味だったんだ。僕自身、煙草も吸うし、酒も飲む。いつも小綺麗なスーツを着ているわけじゃなし…… 。ジーンズとTシャツが普通だもんね」 いつだっけか、リヴァプールを訪ねた時、彼がこう教えてくれたことがある。 「一時は人口200万人だったんだけど、今じゃ50万人くらいでね。今一番大きい産業が何か知ってる? 実は貸しスタジオなんだ。学校出ても仕事がないし、僕らには音楽かサッカーぐらいしかないんだよ、この町には」 トーマスが歌うのはそんな町に住む彼や周りの人々の喜怒哀楽だ。ところが、レコード会社が彼に押し付けたのはジャジィでお酒落なイメージ。またもや、音楽産業独特の計算の上に立ったレコード作りだった。結局はそれに耐えきれず、セカンド・アルバム『リトル・モスクワ』発表後、CBS/UKを離れることになる。 「リヴァプールが『リトル・モスクワ』って呼ばれていたことがあってね。奴隷貿易で流れ込んで来た黒人を英国で初めて受け入れたのも、社会主義を初めて受け入れたのもここだったから。そんな伝統や、かつて栄華を極めた工業地帯の残骸を引きずっている。そのせいでマーガレット・サッチャーがここには来られないんだよ(笑)。もし、彼女が来たら、袋叩きだったから」 トーマスがとりわけ政治的な人間であるというわけではない。が、彼の歌に映しだされているのは「ゴミため」とも呼ばれるリヴァプールでつつましくも、逞しく生きる彼らの姿なのだ。それを思いのまま素直に形にしたかった彼はバンドのメンバーと自分たちの会社を設立。今回のアルバム『ロスト・レターZ』が生まれることになる。 「初めて自由を手にしたような気分だよ。今まで4年間、レコード会社で仕事をしていて、ずっともがいていたんだよね。アルバムに収録するのは10曲だとか、1曲の時間は3〜4分にしなきゃいけないとか。何の必然性もないのに、ミキシングはニューヨークでとか、一枚のアルバムがただの曲の寄せ集めのようにされて、本来の音楽とはまったく無関係なところでコマーシャリズムにのせられていた…… そんなものから完全に解き放たれた感じだったね」 この言葉からも想像できるように、録音されたのはリヴアプール。まるでスタジオに住み込むように、完全なライブで録音されている。 「しかも、普通ならヴォーカルに機械的な処理をして音質を変えたりするんだけど、それもまったくなし。完全に自然なままの生の音楽なんだ。1日18時間は仕事をしてたかなあ。時にはベロンベロンに酔っ払っていたり…… 『ブレイク・マイ・バック』って曲なんて、録音の合間にギターのジョンとマンチェスターに行った時に生まれた曲でね。二人とも酔っ払ってたんだけど、そのままスタジオに走り込んで録音したんだ。ディスクをよく聞くと、寝そべってギターを弾いている彼がどっかに足をぶつけてる音も聞こえるよ(笑)」 最も短い曲は41秒、長いものは6分半。しかも、曲間には効果音が加えられ、アルバムを聞き始めると、流れるように曲が進む。まるで存在しない映画のサウンド・トラックのような表情を見せている。 「その通り。感情の小旅行というのかな。始まりがあって、終りがある一種のストーリィなんだ。聞く人にとっては酷な要求かもしれないけど、アルバム全体を通して聞いてほしいんだ。以前のガールフレンドと別れた時の曲や、新しい女性との出会いを歌った曲…… いつも思うんだけど、なにもかも赤裸々に表現したかった。だって、結局はオネスティってのか、正直に自分を出すことが重要だと思うんだ。ヒットや成功じゃなくて、そんな自分を受け取ってくれる人がいる。僕にはそれで充分なんだ」 1991年10月執筆 for マリクレール |