環境音楽は壁に飾って絵のようなもの

「やあ、僕がブライアン・イーノなんだけど… 待たせてごめんね」

 ロンドンはハロウ・ロードにある彼のオフィスで待つこと20分。申しわけなさそうに顔を見せた彼は、写真やレコードから思い描いていたイーノとはまったく別人のように映っていた。なにせ、ロキシー・ミュージック時代から最も突出したアーティストとして異彩を放っていたのがこの人だ。ソロ活動開始後もロックを遙かに逸脱した、Tアンビアント・ミュージックU(環境音楽)に移行。さらに、大胆にアフリカ的なリズムを導入してロック界に衝撃を与えた名作、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』から、驚異的なベストセラーとなったU2の傑作『焔』や『ヨシュア・トゥリー』のプロデュースで鬼才を発揮する。と思えばT環境芸術Uとも呼べる〈ビデオ・インスタレーション〉を手がけるなど、イーノは知的で硬派なアーティストの最右翼に位置する人なのだ。

 そんな情報が彼のイメージを決定していたのだろう。神経質で難解な芸術家タイプ… ヘタな質問でもしようものなら、インタビューを放り出してしまうような堅物と思っていたのだ。が、そんなニュアンスは微慶も感じさせない。実にハートウォーミングな人だ。そして、シンプルながらも的確な言葉で語る彼の語り口から感じたのは独自の発想と洞察力。やはりタダ者ではないというのが印象だった。

「レコードや絵を買ったり… そんな一般の人たちは作品を理解するという意味で、アーティストを遙かに超えてると思うんだ。例えば、音楽さ。作り手は聴き手が意思を持って、まるで映画でも見るように聴くと考えてるけど、全然違うんだよね。皿洗いや仕事の雰囲気作りってのか、そんな聴き方してるだろ? ずいぶん昔だね、それに気がついたのは。そう、僕自身も音楽を道具として使ってたんだ。まるで部屋で光を使うように。なんていうか、自分の空間に漂う感覚を作るためってのかな」

 イーノを語るときに欠かせないのが環境音楽。まずはそれが話題だった。

「壁に飾ってある絵のような音楽さ。T聴いてくれ!Uと自己主張するんじゃなく、生活の中にあるって感じ。だって、絵をずっと見てるなんてことないだろ? ただそこに存在して、時に眺めるだけ。なのに、生活の一部をしてある種の空気を作ってるんだ。そんな静止した音楽が欲しかった。それをハッキリと意識して作った最初のアルバムが"Discreet Music"なんだ」

 もちろん、彼のビデオ・インスタレーションもその延長上にある。

「ビデオを作りだして、スクリーンを縦に使う以外は普通のものとなんら変わらなかったんだけどね。一度アート・ギャラリーでエキジビションをやったときに思ったんだ。絵画とビデオのコンビネーションが最悪だって。ビデオが強烈すぎるんだよね。だから、それを絵画にするような方法はないかって考えだして… そのときなんだ、このアイディアが生まれたのは。ビデオを映像じゃなくて、光線のソースとして使うこと、それが始まりだったんだ。スクリーンを床に埋め込んで、その上にオブジェを置いて照らしだす」

 そんなオブジェが暗闇にいくつも浮かび上がっていると思えばいい。そして、それを包み込むように流れているのがその空間のために作られた音楽。そう頭に描けば、彼のビデオ・インスタレーションがどんなものか、そのイメージは捉えられると思うのだ。

アートは何かを引き起こめの引き金なんだ

「これがどんなものか、そんな説明はできないけどね。何時間説明しても、その空間に足を踏み込めば、T全然違うじゃないかUって思うだろうし。そうだね、いつも色が変化する絵画と奇妙な音に囲まれた不思議な空間を想像してもらえばいいかな。ただ、これは見るものではなく、極めて特殊な体験といった方がいいんだけどね」

 そして、重要なのは、その結果体験者に起きる知覚の変化だというのだ。

「面白いんだよね、この空間に入った人々の表情を見ていると。みんな、すごく長い時間とどまってしまうっていうのか、人によっては、同じオブジェを数時間も見つめていてね。オブジェの変化が微妙で、その変化に自分のぺースが合いだすと、日常では体験できない世界に引きずり込まれるんだ」

 非日常的な知覚体験とでもいうのだろうか。新しい知覚の扉が開かれるのがこの空間なのだ。

「常に変化し、違った時間や場所によって違った世界が見える。同じことが絶対に起こらない。様々な質のコンビネーションで… 教会に行くような雰圏気もある。みんな静かになってしまうんだよね。T静かにUなんて注意書きを出してるわけでもないのにね。僕自身にとっても重要な経験だよ。体のギアを変えて、違ったスビードを体験する。でも、決して眠くはならなくて、意識は覚醒されている」

 が、その作品の独自性のおかげで、作品のコントロールは不可能だ。そこに不満はないのだろうか。

「まったく不満はないし、それこそが狙いなんだ。それにアートを表現の手段に限定するのは間違っている。僕は作品で『こう思うんだ』といっているわけじゃなくて、僕にとってアートは何かを引き起こす引き金なんだ。それを世界に放つことによって影響を及ぱし、行動を起こさせるものなんだ」

 なにやら彼は自分の環境をアートで創造しているのではとも思えるのだ。 「作品を作るということは、種を土に理めるようなものなんだ。そして、それが世界という土壌の中で成長するのを見るっていうのかな。そういう意味では、僕は芸術家ではない。彼らは限られた数のオーディエンスだけで満足してるんだから。ぱくは成長が好きだし、作品の広がりが面白いんだよ」

僕をエコロジー運動のにしてほしくない

 そんな話を聞いて、ふと想像したのが彼とエコロジーとの関係だった。環境を独自の手で創出してゆく作業は、エコロジー運動家の考え方に近いものがある。実際、初期のアルバムのタイトルが『アナザー・グリーン・ワールド』。そんな邪推も、あながち間違いではないように思えるのだ。

「あのグリーンはエコロジーとはまつたく関係ないんだけどね(笑)。ただ、確かに環境問題は今も昔も気にはかけているよ。でも、同時に短絡した解決策は間違っているように思えるんだ。例えばブラジルの熱帯雨林さ。彼らに『木を切るな』といえば、それで間題が解決されるのかい? それでしか生活できない人もいるんじゃないか。ライブエイドだって、僕は賛成できなかった。実際、あの後サハラでいろいろな問題が起きたっていうし…」

 ただ、このとき尋ねたかったのはそんな社会問題ではなく、生活レベルでのより具体的な話だった。

「それは認めるよ。他人に『変革しなさい』という前に、自分自身を変えなければいけないと思うしね。『熱帯雨林を切るな』という前に、消費ばかりにうつつを抜かす自分たちを変えないといけない。それは磁石のようなもので、すべてが関運しているからね。ただ、僕をエコロジー運動の闘士にしてほしくないけど(笑)」

 それでも「自分のアートが世界を変革しているか」と、問いかけると、彼は「ポジティヴだ」と答えてくれる。

「作品を通して、望ましい現実を打ち出してるっていうのかな。そうだね、アーティストの喜びのひとつは自分の世界を作れることだろうね。ニセモノかもしれないけど。実際、僕のビデオで誰も生きてはいけないんだから(笑)。ただ、それを経験し、その経験を自分の日常生活に持ち込むことはできる。そりゃ、生活はアートよりも複雑さ。刺激と興奮に満ち溢れ、すべてのものが完全に用意されている。それが世界だ。でも、いつも受け手となるのが望むべき現実じゃないと思うんだ。だから、僕のアートはみんなへの招待なんだ。この経験をどう使うか。このビデオ・インスタレーションにやってくる人たちにまず問いかけているのは、そんな質問なんだ」

89年11月ぐらいにサピオに掲載

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