革命家気取りなんて、糞喰らえ!

Jackson Browne  パンクからニュー・ウェイヴヘ英国のロックが微妙に変化し始めた頃、いや、それ以前からと言ってもいい。完全に無視されていたのがウェストコーストだった。『カルフォルニアの青い空』が馬鹿にされ、イーグルスのイの字でも口にしようなら、相手にもされなくなる。パンクが商業主義を象徴するアメリカのロックに対抗するように生まれてきたという背景もあったのだろう。残念ながら、ジャクソン・ブラウンもそんな待遇を受けたひとり。この日本でも少なからずそんな傾向があったと思うのだ。

 が、真正面から政治を取り上げた前作『ライヴズ・イン・ザ・バランス』から新作『ワールド・イン・モーション』とさらに過激に突っ走る彼の姿を今もパンク信仰にしがみつく人たちはどう受け止めるのだろうか。過剰な流行指向の英国ジャーナリズムを切り、クラッシュを痛烈に批判。彼の言葉に感じるのは流行なんぞ無関係に、常に真剣に闘い続ける音楽人間の姿だったような気がするのだ。

「頭に来るね、メディアの連中って。この間もローリング・ストーンって雑誌でインタヴューしたんだけど、政治でもなんでも、彼らは僕が話しているって事実に関心があるだけで、問題そのものはどうでもいいってのか… まるで僕の趣味が政治だって感じで書くんだ。彼らに考えてほしいから言ってるのに、他の惑星から来た宇宙人でも見るような目で見られて... すごい欲求不満を感じるね。ところが、イギリスでは誰でも話してるって感じで『アメリカじゃ珍しいの?』(笑)って言われてね。『残念ながら、そうなんだ』って言うわけさ。嫌んなるよ」

 まるで待ち受けていたかのように、こんな言葉で始まったインタヴュー。そこからアメリカに対する彼の苛立ちが手に取るように伝わってくるのだ。

「サーファーと話してた時さ。政治なんて気にもしないタイプが多いんだけど、とにかく、核のこととか話しだしたわけさ、彼に。そしたら、なんて言ったと思う? これが傑作でね。『世界はアメリカを見てるけど、アメリカがいつも見ているのはテレビさ』(笑)だぜ」

 が、似たような苛立ちを感じさせたのが9月29日の武道館ライヴだった。アメリカヘの疑問をぶつけた『フォー・アメリカ』から過激な新作『ワールド・イン・モーション』の曲を中心に演奏は約1時間半。内容が悪かったとは思わない。が、『テイク・イット・イージィ』や『孤独なランナー』... 終盤に決まったように飛びだす『ステイ』... アルバムを復習するような聴衆やライヴにノスタルジィに似たものを感じたのは僕だけだろうか。

「いつもそうなんだよ。聴衆が反応を示すのは彼らがよく知ってる曲で... 今回は新作から7曲ほど演ったんだけどね。でも、絶対にノスタルジィは嫌だし、避けようとしてる。ただ、武道館に来てくれた人に悪いけど、PAやコンディションはベストじゃなかった。それにエネルギーは聴衆から得られるってのか... 大阪や福岡、中野サンプラザは段違いに興奮したからね。これだけは、自分でコントロールできるものじゃなくてね...」

 デッカイ会場でのツアーの連続... ひょっとするともっとシンプルな場所と機材でルーツに戻ったライヴをしてみたいとは思わないのだろうか。

「いつも思ってるよ、アコースティックで、小規模なツアーがしたいって。デヴィッド・リンドレイと一緒に。彼とは気心知り合ってるから時代のT流行Uに敏感なら去年あたりやってたんだろうけどね(笑)。実は今、曲を書いててね、自分だけで演奏できるフォークっぽいの。いつもはバンドを頭に描いて作曲してるんだけど、それとは全く違ったタイプでね。できればパブみたいな場所で演奏したいって気持ちがずっと頭の中でくすぶってるんだ。『孤独なランナー』や『ステイ』を演らなくてもいいようなライヴをね」

 おそらく、彼が歌いだした時もそんな感じだったんだろう。当時の話を聞いて頭に想い浮かべたのがそれだった。

「始まりはアメリカのフォークさ。ブルースや黒人霊歌、それにスコットランドやアイルランド民謡にもつながってるよね。でも、ディランだよ、やっぱ。彼がみんな変えてしまったってのかな。昔のスタイルだけどT今Uを歌ってたのが素晴らしかった。文学の束縛から逃れた白由な詞に、独立したT自分Uがあったよね」

 そして、フラワー・ムーヴメント... その以前から市民運動との関わりが始まっているのだ。ただ、初期のアルバムに政治的な色彩は無い。それよりは自己の奥深くを見つめる内向的な内容だ。

「失望したんだよ。政治に。父親がリベラルで姉も活動家でね。僕自身も公民権運動の団体に入って... 革命を目指してたんだ。でも、ヴェトナムを爆撃しないって言ってたジョンソンを当選させるために動いてたってのに、選挙の後どうなったか。共和党も民主党も同じ顔の表と裏じゃないかって...

 そんなプロセスを経て本格的活動に入り、傑作『プテリテンダー』や『孤独なランナー』が生まれてゆくのだ。もちろん、その間も彼は反核運動やエコロジィ運動に参加してゆくのだが、真っ向から政治を歌ったのは86年の『ライヴズ・イン・バランス』が最初だった。

Jackson Browne 「アメリカ政府が中南米の残虐な独裁者たちをずっと支援してたんだよ。僕らには何も知らせないで。リベラルだと思っていた大統領までが... その間僕は何をしてたと思う? 精神性や人聞性ってものにうつつを抜かしてたのさ。T自由Uを謳歌しながら。そりゃ反核や環境問題でベネフィットもしてたし、70年代は状況を少しでも良くするために活動してたから、それはそれで価値があったさ。ま、徐々に成長していったんだろうね」

 英国ならこのあたりでパンクの影響が感じられるのだが、彼の口からは痛烈なパンク批判が出てくるのだ。

「イギリスのジャーナリズムって完璧な流行指向じゃないか。しかも、若者の生活はどん詰まりで行き場ナシ。だから、みんな飛びつくのさ。そりゃ、才能があるミュージシャンは多いけどね。でも、クラッシュなんか、ただの革命家気取りじゃないか。ギグやるのに『25万ドルよこせ』って大口叩くだけの連中さ。レコードは好きだよ。でも、奴等が何したっての?『サンディニスタ』出すなら、ニカラグアに行ってこいよ、糞ッタレ! 彼らに会ってこいよ。そして、実際に何が起きてるのか見てこいってんだ。奴等なんかただの流行中毒さ。確かにジョー・ストラマーはいいアーティストかもしれない。でも、政治的な意味で言えば、奴等はウソっぱちじゃないか」  よほどクラッシュには頭に来たのだろう。堰を切ったような勢いで話しだしたのがこの時だった。

「確かにバンクは政治的にいい影響は与えたかもしれない。中南米の政治問題に関するデモで、パンクの子供達に会ったことがあるから。髪が逆立ってる連中とか...(笑)でも、あれが起きた時、ピストルズの政治的な重要性なんて理解できなくてね。今はいろんなことを読んでわかったけど... 実際、僕はフォークや市民運動から歌いだしたわけで、現実に活動する人々のために彼ら以上に貢献してる確信はあるよ。だって、自分の身体を張って運動に参加してるんだから」

 そのシリアスさの成せる業だろう。ヘヴィな言葉が次々に飛びだしてくるのだ。 「ただ言いたいのは、本当に世界を変えたいなら、外に出て行って、やれよってことさ。拷問を受けた人に会ってきたらどうなんだい。そして、そんな事実を前にヘアー・スタイルがどれほど意味があるのか確かめてくるべきさ。ホンデュラスじゃ、酒飲むしか能のない米軍のGIが生きるために売春やってる女性を犯して喜んでるわけさ。アメリカでクラッシュ聴いてるのはそんな連中だよ」

 露骨に反米的だったクラッシュが英国とは全く違った捉えられ方をしているのには、実に驚かされるのだ。

「コステロもそうだったよ、ワイルドに振る舞うことだけで満足してた時期もあった... でも、素晴らしいアーティストであることで生き残ったってのかな。すごく関心があるね、彼らが今どんな発言しているか。ジョー・ストラマーも『THIS IS ENGLAND』って素晴らしい曲を書いてるし... それにパンクの影響を真剣に受け入れてるのはビリィ・プラッグさ。彼なんてクラッシュと対照的な本物の革命家だと思うんだよ」

 そんなパンク批判から現実の問題へと話題が移ってゆく。

「革命って、そんな簡単じゃないよ。文化や流行の世界で実現できるもんでもないし、それに責任も持たなきゃ。例えばどれだけ日本を変えられると思う? 包装紙とか割箸とか... 僕ら西洋人から見て、素晴らしい日本文化だよ。でも、同時にこれがなくなれば、どれだけの熱帯雨林が無駄にされなくてすむか。すごく難しいよ。『ごめん、すぐ止めなきゃ。今この地球が生き残れるかどうかの瀬戸際なんだ』って、君たちに言うの。それをどうやって始めればいいのか... 僕にはわからない。日本だけじゃない。アイスランドの捕鯨問題やアメリカのハンバーガーだってそうなんだ。あのビーフがどこから来るか... 熱帯雨林を焼き払ってできたその場限りの牧場で育てられたものなんだよ。どうすれぱいいんだ」

 彼の口から飛び出てくるのはあまりに正当な意見だ。が、真剣になれぱなるほど、悲観的にならざるをえないのだ。

「だから、あのアルバムなんだ。幻想なんて持ってないさ。全ての人に声が届くわけないし、僕は今起きている変革のほんのちっぽけな部分にしか過ぎない。でも、少しでも役に立ちたいんだ。『ワールド・イン・モーション』で言いたかったのは、今その重要な変化が起きていて、誰がそれを起こしてるかってことさ。例えば、グリーンピースのアルバムさ。最もポップでファッショナブルなスターが生態系の問題を取り上げたレコードをソヴィエトで発表したんだぜ」

 が、それを手放しで喜んでいるわけでもない。もちろん、彼はその危険も十分認識している。それが重要なのだ。

「それが始まりで、終りじゃないんだってことさ。彼らは自分の役割や責任を十分認識していないよ。有名人のプロジェクトで問題なのは、それで完結してしまうことなんだ。『スティングが熱帯雨林問題を処理してくれる』って感じで、自分の生活に戻ってゆくわけさ。個人と世界の関係をハッキリさせなきゃ。それを出したかったんだ。愛や恋なんて個人的な人間関係も重要かもしれない。でも、世界中で人殺しが起きてるんだ。エル・サルバドルじゃ、子供達が兵士に誘拐されて消えてるんだよ」

 この後もジャクソンはインタヴューの予定を越えて話し続けていった。アムネスティ・ツアーのおかげでグアテマラの独裁者に抗議の手紙が世界中から寄せられるようになったことやニカラグアもツアーしたいってこと。でも、そこで演奏するよりアメリカで闘う方が重要だと加えていたのも印象に残っている。

 蛇足ながら、この時グラストンバリィCNDフェスの主催者が来年のフェスに出演を依頼していることを彼に伝えている。ひょっとすると、ここで彼のソロ・ライヴが実現するかもしれない...

89年10月月刊宝島に掲載

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