第23章 ブリクストンの暑い夏
---観光客の知らないロンドン---
世界経済に南北問題があるように、ロンドンにも同じようなものがある。そのキ−はテムズ川で、いつだってバカにされるのがその南に住む人々だ。実際、中北部にあたるカムデン・タウンやハムステッド・ヒ−ス(Hampstead Heath) あたりに住むのは金持や中産階級で、ちょいと名の売れたミュ−ジシャンや業界人間が目指しているのがそのエリア。東京で言うなら港区や渋谷区、あるいは世田谷から田園調布なんぞに匹敵するのがそこだ。それに対して不当とも言える差別を受けているのがその南側、特にブリクストン(Brixton) あたり。地下鉄、ヴィクトリア・ライン(Victoria Line) の最終駅、ソ−ホ−からだってほんの10数分しかかからないってのに、ここは貧乏人が集中する代表的な地区と受け取られているのだ。さらに、そのイメ−ジを明瞭にしたけりゃぁ、日本の山谷や釜ヶ崎を想い浮かべればいいかもしれない。事実、この名を耳にするだけでも嫌〜な顔する人も多いし、タクシ−の運転手にブリクストン行きを頼むと露骨に見せるのがそんな表情。時には乗車拒否の浮目に会うこともあるのだ。
が、その拒絶反応を決定しているのは単に貧しさではなく、おそらく、この街の代名詞になっている暴動騒ぎのように思えるのだ。81年に起きたのは "ロンドンに人種暴動の熱い夏" という派手な見出しが日本の新聞を飾った騒ぎ。しかも、これがまるで導火線のようになって全英約20の都市や地区に次々と飛び火しているのだ。ロンドン最北部に近いトッツナム(Tottenham) にリヴァプ−ルのトックステス(Toxtes?)、バ−ミンガムのハンズワ−ス(Handsworth)やコヴェントリィ... その他、黒人などのエスニック・マイノリティが集中するエリアがほぼ同時に、まるで熱病にでも犯されたようにこの騒ぎに巻き込まれている。そして、その4年後の85年に起きたのも全く同じ現象だった。その時も発火点になったのがブリクストン。新聞の見出しもあの時とソックリで、"人種暴動の熱い夏、再燃" と、やはりこれをキッカケに同じような地域で暴動が続発しているのだ。
おかげで、一般の人々の頭にこびりついたのが、暴動に貧困、そして黒人といった言葉がワンセットになったこの街のイメ−ジだ。そして、出来上がったのがこの方程式。黒人は貧しく、彼らが暴動を引き起こすという短絡した三角論法だ。が、現実はもちろん、そんなに簡単なものじゃなかった。例えば、新聞を中心としたメディアが一連の騒ぎを人種暴動と呼んだことだ。暴動に参加していたのは黒人ばかりではなく、そこにはいたのは失業などで欲求不満になっていた無数の人々。しかも、皮肉なことにそれを完全に証明していたのがそんなメディアなのだ。"この若者たちにどんな教育をしてるんだ" って見出しがあると思えば、そのそばには掲載されているのが奇妙な写真。そこでは商店から品物を略奪するのに列を作っている主婦の姿が見えるのだ。まるで笑い話のようだけど、これが真実。言ってみれば、あれは黒人だけではなく、一般大衆が政府に対してアナ−キィなデモンストレ−ションをしたようなものなのだ。だのに、メディアの情報をウ飲みにしたのが日本の大新聞。"ブライトンでも一連の暴動発生" なんて報道も見たこともある。が、実際にブライトンに行って友人に尋ねると返ってきたのがこんな返事だ。「ああ、あれ? ありゃぁ、パンクとモッズがやった恒例の乱闘騒ぎさ。」この時ばかりはメディアの無責任さをしみじみと感じたもんだ。
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が、一連の暴動が発生した地域に黒人を中心としたエスニック・マイノリティが多いのは確かだ。そして、その肌の色の違いから生まれる徹底的な人種差別がメディアのあんな言葉になって出てきたのだろう。失業問題ひとつを取ってみても、そこに歴然と存在するのが黒人と白人の間にある平均失業率の差。しかも、それを苦に自殺者が出るほどまで進行したのがこの問題だ。これが彼らにとってどれほどの重荷になっていたかは充分に想像できるはずだ。
さらには、その背後で暗躍する無知な右翼の連中も無視できない。彼らはこの原因を海外から流入した移民のせいにして、有色人種の家を焼き打ちにするなんてこともある。そんな事件から暴動に発展したことだって珍しくはないのだ。実際、リヴァプ−ルはトックステスで起きた右翼の有色人種一家に対する暴行事件を曲にしたのが、バ−ミンガムのUB40。 彼らもやはり労働者階級がが集中する地域、ハンズワ−スから生まれてきたバンドだ。また、85年のブリクストン暴動だって原因はここにある。しかも、これが右翼の襲撃ではなく、警察官が引き起こした事件だったというのが重要なのだ。捜査礼状を持って家宅捜索していた警官が誤って容疑者の家族に発砲。その警官に対する処置が生ぬるいと警察署を包囲した抗議運動が暴動に発展したものだ。思えば、日頃彼らにうっせきしている警官に対する不満が一挙に爆発したのがこれだった。なにせ、右翼の暴行を妨げるどころか、助長しているようにも受け取られているのが警察官だ。黒人だというだけで職務質問を強要し、女性に性的な暴行を加える奴らもいる。まるでウソのような話かもしれないが、黒人解放運動体にはこんなレポ−トが幾度となく寄せられているのだ。
この街から生まれたダブ・ポエェット、リントン・クウェシ・ジョンソンをここへ訪ねた時、そのインタヴュ−で感じたのはそんなプレッシャ−に包囲された中で闘う彼らの現実だった。地下鉄、ブリクストン駅から歩いてわずかの距離にあるのが彼の所属する黒人解放運動体、レイス・トゥデイ・コレクティヴ(Race Today Collective) のオフィス。通りの両側にある店の窓という窓には全て金網が取付られ、そこを歩くだけでもヤバイ地域に来たと実感したものだ。しかも、「さて、じゃぁインタヴュ−を始めようか。」と連れていかれたのは、階段の下にある秘密のドアの向こうに作られた特別室。右翼の襲撃に備えられたこの部屋で聞いた彼の話の重みが否応なしに伝わってくるのだ。
「63年、 ちょうど11歳の時にジャマイカからこの街に来て... その当時から僕らの生活環境は劣悪だったね。メシを食うことに始まって全てが闘いって感じでさ。人種差別は学校や工場... どこにでもあっだよ。そんな中で詩を書くようになったんだ。だから、詩を書くことはそのまま僕にとっての闘いだったと言っていいと思うんだ。そして、自分の詩をレゲエにのせて、しかも、ジャマイカ訛りの英語、パトゥワを使って朗読しようと思ったのは72年に起きた人種暴動がキッカケさ。僕にはこれについて語らなければならないことが山ほどあったってのかな。ふつうの英語じゃ語りきれないことを僕ら自身が日頃使っている言葉で表現したかったんだ。そして、それを僕の愛しているレゲエを使ってやりたかった。」
その彼が初めて出したアルバム、"ドレッド・ビ−ト・アンド・ブラッド" には彼らの置かれていた状況がそのままイラストで描かれている。黒人の少女が空ビンを手に、そして少年が空缶を手にして向かい合っているのは警察官たち。そのアルバムから聞こえてくる彼の声の重さはこの街に住む黒人たちが抱え込む状況そのものだと思うのだ。
そのインタヴュ−を終えて駅に向かおうとした時、彼はこう言ったもんだ。
「いいかい、途中にちょっとヤバイところを通らなきゃいけないけど、何を言われてもこう言うんだ。俺はドラッグなんかにゃ興味ないって。それにカメラたテレコはバッグに入れて絶対彼らに見せちゃいけない。」
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貧困と人種差別、そして警察や権力のプレッシャ−がこの状況を生み出したのだろう。それは駅を降りた時から気がついていた。小銭を通行人からせがむパンクや金網に守られた店の数々。一時はニュ−スで毎日のように殺人事件が飛び出してきたこともある。なんでも、クラックやドラッグの縄張り争いでそんな事件が起きていたそうな。また、友人の女の子はこの街だけは絶対ひとりで歩きたくないと言い、ライヴに行ったって独特の重さを感じるのがここだ。3〜4千人は収容できるブリクストン・アカデミィ(Brixton Academy) でランD MCとビ−スティ・ボ−イズのライヴを見た時もここを包囲していたのはまるで起動隊のような装備をした警察官たち。そりゃ、過激を売り者にしたバンドのライヴだったからかもしれないが、それにしてもヘヴィだ。しかも、黒人の友人たちはそっと耳もとでこんな言葉を囁いてくれる。
「いいかい、ここじゃ絶対財布なんか見せちゃダメだかんな」
さらに、中に入るとケンカ騒ぎが続発し、コンサ−トが格闘の場のようにも感じるのだ。
かといって、不思議なことにここへ来て危険なめに合ったとこはない。ブリクストン・アカデミィにも何度も足を運んだこともあるし、それとは逆方向にあるフリッジ(Fridge)でニカラグア連帯キャンペ−ン・コンサ−トなんてぇのにも行ったことがある。あるいは、そのすぐそばにあるリッツィ(Ritzy) と呼ばれる映画館でレイトナイトショウを見たこともある。それにここに住んでいたことのある友人は一般人のそんな恐怖感を笑いながらこう言うのだ。
「そんなこと全然ないと思うけどなぁ。ジャマイカンがいっぱいいてレゲエのレコ−ドなんて最高にいいのがみつかるし、私はここで生活すんのがすんごく楽しかったけどねぇ。」
ただ、日本に比べりゃどこに行っても多少は治安が悪いのがロンドン。それに慣れてしまうと、気にならなくなってしまうからこんな言葉も出てくるのだろう。実際、ア−ルスコ−ト(Earl's Court)近くじゃ窓を破って入ってきた強盗に強姦された女の子もいた。かつて売春婦がいっぱいいたフィンズベリィ・パ−ク(Finsbury Park) あたりだってヤバイし、イ−ストハム(East Ham)の友人宅に行った時には 「このあたりは怖いよぉ〜。きのうもパキスタン人がひとり通りで刺されたんだもんね。」なんてことを聞かされたもんだ。そんな生活に慣れてりゃ、ブリクストンだってそうは変わらないのかもしれない。そして、この治安の悪さに備えさえありゃ、ここだって充分に楽しいように思えるのだ。
ジャマイカ人が多いせいで、レゲエに関係したいわゆるラスタ・グッズなんてぇのを売ってる店も多いし、レコ−ド屋だって友人の言葉通りジャマイカからの輸入盤をバンバン売ってる店もある。しかも、マ−ケットあたりじゃギンギンのジャマイカン・フ−ドも食べられるのだ。さらにはここでレゲエのライヴを見た日にゃぁ、生涯最高の体験を味合わせてくれる。そのためだけにでも、ぜひここに来て欲しいような気もする。そして、観光地じゃちょいと覗けないロンドンの現実に触れて欲しいと思うのだ。
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