第21章 ストリートがステージだ!
---街頭で演奏するバスカーたち---
"遂にやったぜぃ、プ−キィスナックアンドバ−ガ−ズのレコ−ド・デビュ−だぁ。感激の謝恩全国ス−パ−マケットツア−実現!"
正確なフレ−ズは覚えていないけど、確かこんな感じの広告だった。この奇妙な広告をNMEで発見した時はいっしょに住んでいた仲間と腹を抱えて大笑いしたもんだ。特にケッサクだったのはその後に掲載されていたツア−・スケジュ−ル。日付に続いて、"だいたい午後3時頃、某ス−パ−・マ−ケット前あたり。"とあったり、あるいは、"〇〇カレッジ噴水前、昼食時" ってな具合で、本気で冗談を楽しんでいる彼らのノリがおかしくってしかたなかったからだ。
実を言うと、このやたら長〜い名前を持つプ−キィスナックアンドバ−ガ−ズ、かつて僕が住んでいた街、ブライトンではちょっとは知られたバスカ−(Busker)の集団なのだ。今風の日本人好みの英語で言うなら、ストリ−ト・パフォ−マンス・ア−ティストってのかね。そんな呼び方をするとやたら難しく聞こえるけど、要するに通りで演奏しては日銭を稼いでいる連中のこと。これをこの国ではバスカ−と言い、その演奏や芸をバスキング(Busking) と呼ぶのだ。実際、彼らを初めて見たのはブライトンのショッピング・センタ−が集まるチャ−チ・スクェア。買物客がごったがえすその広場でやったらハッピィな演奏をしていたのがこのグル−プだ。生ギタ−にサックス、エレキベ−スにウォシュタブボ−ド、ヴァイオリンなどの編成で、演奏していたのは40〜50年代のジャイヴをベ−スにしたダンス・ミュ−ジック。黒やまになった人々がピ−カン天気の青空の下で踊ってるのを見た時にはなんだかえらく幸せな気分になったもんだ。
「楽しいからね、こうゆうの。以前はギタ−なんか持ってひとりでやってたんだけど、それだと稼ぎは少ないし、寂しいじゃない。だから、仲間集めて面白おかしくやろうってことになったんだ。好きな音楽を好きな場所で演奏して遊ぶっての?それが自然だかんね。」
と、そんな彼らの言葉をみつけたのはブライトンのロ−カル新聞だった。その自然な発想とやたら楽しい演奏が受けたのか、遂にこの街の弱小レ−ベルからレコ−ドを発売。さらに噂が噂を呼んでテレビにまで登場するようになったのだ。かといって、スタ−になるでもなくミュ−ジック・ビジネスに巻き込まれるでもなく瓢々としているのが彼ら。今もたまにブライトンのストリ−トやビ−チ近くで演奏してるってから楽しいじゃないか。
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が、そんなバスキングを経てミュ−ジシャンになった人たちも多いのだ。ダテなズ−トス−ツに身を包み、ハッピィなジャズ、ジャンプやジャイヴで迫るシュヴァリエ・ブラザ−スもそのひとつ。なんでも、モ−リス・シュヴァリエを名乗る奇妙なフランス人がジャンゴ・ラインハルト風のギタ−をストリ−トで掻き鳴らしていたのをみつけたのがサックス吹きのレイモンドってオッサンで、このふたりが演奏を始めて名を売ったというのだ。しばらくすると、ス−パ−マンそっくりのベ−ス屋、クラ−ク・ケントがメンバ−として参加。ストリ−トでの演奏が評判を呼んで、パ−ティで演奏することになったあたりからプロの世界に入っている。また、ビリィ・ブラッグってワンマン・ロックンロ−ラ−になるとバスキングをしたのは、趣味や生活のためではなかったようだ。
「どこへでも出ていった歌いたかったんだよね。基本的に歌い始めたのが欲求不満のせいだったし...(笑) 誰も僕のこと知らなかったし、歌わせてくれるとこもなかったから。」
と、バックパックのフレイムにアンプを取り付け、エレキギタ−片手にストリ−トや広場で演奏。時は雑誌社にのり込んで編集者の目の前でそのギタ−を鳴らしたこともあるというのだ。そのガッツのせいで徐々に認められるようになり、今ではアルバムを出す度に軽く10数万枚を売るスタ−になっている。ただし、あの当時のガッツが今も残っているのがビリィ。彼のコンサ−トがソ−ルドアウトになると会場の外で飛び出してゆくこともあるのだ。そして、チケットを買えなかった子供たちのためにそこで演奏。彼にとってストリ−トは今も大切な音楽のメディアだという気がするのだ。
そんな風潮もあるのだろうか、ロンドンでよく見かけるのがこんなバスカ−たちだ。最もポピュラ−な彼らのステ−ジは地の底にある地下鉄の通路。特にエスタレ−タ−が降りたところや駅と駅を結びつける、最も人の流れが多い地点だ。現在は交通の流れを妨げるといった理由で法律的には違法にはなってるけど、罰金50ポンドもなんのその、警察や駅員のとのイタチごっこを繰り返しながら様々なバスカ−が神出鬼没の大活躍をしているのだ。ギタ−1本のシンガ−・ソングライタ−風から、エレキギタ−とアンプを持ったブル−スマン。あるいは、バックにテ−プを流してサックスでイキなソロを演奏するク−ルなジャズ・マンやヴァイオリンでハッピィなアイリッシュ・トラッドを演奏しながら踊ってるヒゲ男。特に地下鉄の通路独特のエコ−から生まれる音響効果のなかで耳にするヴァイオリンやフル−トのクラシックは抜群で、それが聞こえてくると思わずポケットに手を突っ込んで小銭を用意してしまうのだ。そして、彼らが目の前に置いている楽器ケ−スや帽子の中へ放り込む。実際、かなりの通行人がそうやって小銭を彼らへ投げだしてゆくのだ。
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が、そんな人々の多くがそれを善意のほどこしとしてやっているようにも思えるだ。というのも、こうやって日銭を稼いでいる人たちの多くは乞食同然の生活をしているのが現状だ。毎日同じところでハ−モニカを吹きながらスプ−ンでリズムを取ってるオジイサンはどう見たって乞食。また、若い人たちのほとんどは失業中で、そうすることでしか生活できないって人もいる。昔はバスキングをしながら旅を続けた人もけっこういたけど、そんな余裕を感じるバスカ−にはもうほとんどお目にかかれない。そんなところに滅びゆく大英帝国の現実を垣間見たような気にもなるのだ。
地上では観光客の集まる公園やショッピング街が彼らの活動の中心だ。レスタ−・スクェアにはよくバグパイプを演奏するオッッサンが立っているし、カムデン・タウンのマ−ケット近辺も面白い。また、まるで青空劇場とも呼べるほどの賑いを見せるのがコヴェント・ガ−デンにあるザ・マ−ケット(The Marcket) あたり。ここにはかなり本格的な大道芸人が数多く登場する。ミュ−ジシャンはもちろん、ジャグラ−や奇術師、あるいはストリングス・クァルテットなどなど。人気のあるア−ティストになると一度のウィ−クエンドで数百ポンドを稼いでしまうこともあるらしい。そうなると、ヘタにレコ−ドを出しているミュ−ジシャンより収入が多いってから信じられない。
このあたりの人たちになると、完全な職業人で、ここにまた違った世界を再発見するのだ。それが60年代のフラワ−・ム−ヴメントで育ったボヘミアンたちの遺産だ。あの時、土地に縛られない自由な生き方を選んだのがピッピィたち。そんな彼らがよく手を付けたのが音楽や乞食同然の扱いを受けていた大衆的な大動芸の見直しだ。それが新しいスタイルを持つストリ−ト・パフォ−マンスというア−トの創造へ結びついていったのだ。おそらく、彼らはそんな普通の人たちのエンタテインメントを通じて、精神やストリ−トを解放しようとしたのだろう。その成果がプ−キィスナックアンドバ−ガ−ズやシュヴァリエ・ブラザ−スといったア−ティストたち。そして、今では別段特異ではなくなってしまった、ストリ−トで音楽を楽しみ、踊って遊べるというエンタテインメントの存在だ。
もちろん、その素地は以前からあった。バスキングという言葉にしても、これは実にイギリス的な伝統から生まれたもの。アメリカ英語を主体にした辞書にはこの言葉が掲載されていないこともあるほどなのだ。また、ここには空の下で開かれる祭(Fair)の伝統もあり、野外パ−ティで仲間が集まって音楽を演奏するのもそれによく似ている。それに、夏になると登場するのが教会前の広場や歴史的遺跡のある公園で開かれるクラシックからポップスまでの野外コンサ−ト。集まった人々は日光浴なんぞをしながらゆったりと音楽を楽しむのだ。
その他にも忘れてはならないのが6月を過ぎる頃から全英各地で開催される野外フェスティヴァルの数々。そのなかには全くスポンサ−もなしで運営されてるものも数多く、ここには無名のボヘミアンたちが解放していった運動の成果が顔を見せてくれるのだ。それを継承しているのがそんな環境の中で育った子供たち。彼らはこれからも新しい音楽と新しいスタイルでどんどんストリ−トを解放し続けてゆくように思えるのだ。そして、それが音楽や文化を再び産業から人々の手へと引きもどしてくれるはずだ。
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