button第20章 パブがパンク・ムーヴメントを育てた

---トラッド・ジャズなど、パブは音楽のゆりかご


 70年代半ばにさしかかろうとした頃に登場してきた言葉にパブ・ロック(Pub Rock)ってぇのがあった。有名どころはドクタ−・フィ−ルグッドやブリンズリィ・シュワルツたちで、これがその後に生まれたパンクの伏線だ。といっても、彼らの間に共通する音楽的特徴が歴然とあったわけではない。強いて言うとすりゃ、彼らが演ってたロックにほんの少し共通するのがR&Bやソウルの影響で、ただただ自分たちの好きな音楽に頑固に執着して演っていたその態度に接点を持つぐらいだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  が、重要なのは彼らの活動がパブを中心にしていたことに由来するこの言葉の意味だった。というのも、その当時メジャ−だったのは60年代後半に生まれたロック・グル−プの数々。彼らの急速な商業主義化によってライヴが巨大化し、そこからとり残されたのがロック好きの子供たちだ。コンサ−トへ行ったって、ミュ−ジシャンたちは遥かかなたにポツンと見えるだけ。音量だけで勝負してたロックが頂点を極めていた時代だから、音は聞こえてくるのだけど、それじゃ満足できないのが人情ってもんだ。なぜなら、そこには肌で触れることのできるロックのダイナミズムは感じられず、まるでテレビでも見ているような空虚さばかりが支配的になっていたからだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  そんな頃、ロックをメイン・アトラクションとして起用し始めたのがパブだった。そこで演奏していたのはアマチュアに毛のはえたようなバンドからクセ者ロック・ア−ティストなど... 金儲けよりも好きで演ってる彼らの持つエネルギィが子供たちのハ−トを射抜いたと言えばいいのだろうか、急速な人気を得ていったのがこんなバンドだった。客はビタ−なんぞを飲みながら立ったまま、あるいは踊りながらバンドを見る。そのバンドは目の前で汗を飛び散らしながら演奏しているのだ。その興奮はデッカイ会場で見る大スタ−たちと比べるまでもなく桁違いの迫力を持っている。そんな噂が口づてに伝わり、新しい勢力をロック界に生んでいったと言える。そのエネルギィを吸収していったのがパンクだった。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  メジャ−には相手にもされない彼らがライヴできたのは一回演って雀の涙ほどのギャラしかもらえないパブ。でも、そのエネルギィの爆発は退屈なポップになりさがったスタ−たちの退屈な音楽に対して強力なカウンタ−・パンチとなっていった。そんな痕跡をありありと残していたのが今はもう潰れてしまったハイバリィ&イズリングトン(Highbury & Islington)のホ−プ&アンカ−(Hope & Anchor) だった。イアン・デユ−リィがよく顔を出していたここの壁には出演したバンドの写真がベッタベタとコラ−ジュされて張りつめられ、ステ−ジのある地下へ向かう階段の壁に書き殴られていたのはそんなバンドやファンたちの無数のグラフィティ。ダムドやXレイ・スペックスといったパンクの代表的なバンドはみんなこんなパブから世界を変えていったのだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  かといって、音楽がパブに登場したのは遥か昔のことで、パブ・ロックという言葉が生まれたのは、ちょうどその頃初めてロックがパブに姿を見せ、それが勢力を持ち始めたからに過ぎない。実際、音楽はパブが発生した頃からそこにあり、パブはごく普通の人々のエンタテインメントの場所として大昔から重要な役割を果たしてきているのだ。例えば、たいていのパブにあるのがダ−ツ(Darts)。そのプロの試合がテレビで中継される時のスポンサ−は決まってビ−ル会社で、パブとダ−ツは切っても切れない関係にあるのだ。と思えば、ビリヤ−ドやそれをもっと大きくしたようなスヌ−カ−だって事情は変わらない。さらにはボ−リングのル−ツのような玉転がしからチェスやカ−ドの小道具までなんでも揃えられているのがパブ。ここで人々はクセのあるビタ−を飲みながら、毎日のように仲間と遊んでは一日の終りを迎えるのだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  音楽だってまずは彼らの愛してやまないトラッドがあった。イングリッシュからアイリッシュ、ウェリッシュ、スコティッシュなんぞの民謡が演奏され、それをル−ツに持つカントリィなんども顔を出す。彼らはここでやはりビタ−のジョッキを片手に歌い、踊りながら大騒ぎを繰り返してきたのだ。そして、30年代にそこへ登場したのがジャズ。キッカケはエリザベス女王の親父さん、ジョ−ジ6世がなんとバッキンガム宮殿でデュ−ク・エリントンのライヴをやったことだった。彼はデュ−クのレコ−ドを全て収集していたほどの大ファンで、その兄貴、ウィンザ−公に至ってはジャズ・ドラムを演奏。さすがにニュ−ウェ−ヴの国とも言えるこんな皇室のジャズ狂いが全国にパッと広がって生まれたのがジャズ・ブ−ムだった。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  ところが、その当時大恐慌でレコ−ドの生産どころじゃなかったのがアメリカ。それを尻目にイギリスでは田舎のパブにまでジャズが登場するほどの勢力を見せていたってからおかしい。そんなジャズ・ブ−ムの中でスタ−になったのがクリス・バ−バ−やケン・コリア−なんてトラッド派のスタ−たち。全国のパブをツア−し、ジャズをパブのエンタテインメントとして確立していったのは彼らだった。今でも地方のパブに行くと週に1度や2度は開かれるのが彼らのようなトラッド・ジャズのライヴ。ここではその街に住むセミプロのオッサンたちのバンドや時にはプロの有名どころがやってきてホットな演奏を聞かせてくれるのだ。チケット代ってもほんの数ポンド弱で、まともなステ−ジが用意されているところもあれば、そのままフロアがステ−ジになるところもある。客席だってまともな椅子がある時もありゃ、立たされっぱなしの時もある。それでも客はな〜んの文句も言わず、ビタ−を飲みながらワイワイガヤガヤと話ながら、音楽を全身で楽しむのだ。

 もちろん、トラッドだけではなくモダン・ジャズだって演奏するパブもある。ただ、アメリカでジャズが大成長した50年代後半から60年代前半に締め出しをくらったのがアメリカ人ミュ−ジシャンたち。なんとイギリスのミュ−ジシャンから職が奪われると、労働組合がそんな決定を下したのだ。おかげで、ビ−トルズがアメリカへ上陸するまでモダン・ジャズがパブに入り込める余地はほとんどなかった。未だにパブで演奏されるジャズがトラッド中心だというのはそこに理由がある。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  といっても、ここのエンタテインメントは音楽だけではない。地下鉄、エンジェル(Angel) 駅のそばにあるキングズヘッド(King's Head) じゃ、昼と夜一回ずつの芝居があり、さすがシェイクスピアの生まれた国だと納得させられるのだ。そこへロックが登場してきたのがパブ・ロックが騒がれた70年代前半で、その成功によってロックをメイン・アトラクションにしたパブがどんどん増えていったのは言うまでもなかった。ケンティッシュ・タウン(Kentish Town)のブル&ゲイト(Bull & Gate) やタフネルパ−ク(Tufnell Park)のタフネルパ−ク・タヴァ−ン(Tufnell Park Tavern) などなど、今では無数に存在するのがそんなパブ。それが無名のミュ−ジシャンたちにとってまずは最初に演奏できるヴェニュ−であり、そこから名前を売って成長してゆくのわけだ。

 もちろん、それだって簡単にできる芸当じゃない。なにせ、集まってる人たちの目的はビ−ルを飲んで安く遊ぶこと。よほど人気のあるバンドを除いては全く相手にされないなんてこともある。有名なロック・ヴェニュ−として名を売ってるパブならいざ知らず、名もないパブで演奏するバンドにとっちゃ、ここは修羅場にも匹敵するのだ。デビュ−当時のセックス・ピストルズたちがこんなパブで何度も大ケンカや暴動まがいの騒ぎを起こしたのも充分に想像できる。そして、そんなパブ・バンドはそこからナイトクラブ、カレッジとより大きなヴェニュ−へとコマを進めて人気を確立してゆくのだ。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  おそらく、これがイギリスのロックやポップスといった文化のル−ツだ。コンサ−トホ−ルで開かれるライヴにしたってその延長線で、劇場にもパブが顔を見せるのはそれが理由。また、そんなパブの深〜い根がシ〜ンと静まりかえった葬式のようなライヴを駆逐していったのだ。今をとときめくナイトクラブにしたって基本的にはパブとな〜んも変わらない。そこに設置されているバ−で売っているのはパブと全く同じで、違いは営業時間ぐらいだ。これだって、飲みたいがために音楽を言い訳に使って営業許可を手に入れたなんて想像もできなくはない。実際、ジャズ・ブ−ムの30年代に急激に増えたのがクラブ。これは決して邪推ではないと思うのだ。

 また、どんなバンドが出演していようが、なにはともあれパブに足を向けてしまうのが彼らの習性だ。それがコンサ−トにまで波及し、目の前で演奏しているバンドを完璧に無視してビ−ルを飲んでいる失礼な客もいる。が、そんなことおかまいなしに演奏を進めるのがバンドであり、そんな客までをも巻き込んでこそ成功だと言えるのが彼らのライヴ。限りなく興奮もののア−ティストが次から次へとここから登場してくるのは、おそらくこんなパブ文化なくしてはあり得なかったはずだ。実に、あのパンクのル−ツさえこの伝統的なパブ。なんと、伝統の塊から革命的文化が生まれてきたわけだ。それはパブを通してはぐくまれた彼らのキャラクタ−同様不思議でしかたのない存在でもある。が、ここではそんな疑問を持つことよりも、まずは楽しんでしまうのが先だ。それがパブ文化であり、結局はそんないいかげんな遊び心なくしてはな〜んにも生まれないような気がするのだ。
chapters

buttonこの本の復刻にあたって...

button第1章 さあ、ロンドンに着いた : - 空港から市内へ -
button第2章 「A to Z」を持って街にでる :- 地下鉄、バスからタクシーまで -
button第3章 高いホテルは要らない : - 泊まり方と住み方 -
button第4章 ソーホーはロンドンの縮図 : - 歓楽街、チャイナタウンからナイトクラブまで -
button第5章 イギリス料理って何だろう : - フィッシュ&チップスからケバブ屋まで -
button第6章 日本食が恋しくなったら : - 材料のそろえ方と自然食ムーヴメントについて -
button第7章 ライヴは"生きた音楽"だ : - 開演前から思いきり楽しむ -
button第8章 真夜中からが本当のロンドン : - ナイトクラブは流行発信地 -
button第9章 ラジオが刺激的 : - BBCから海賊放送局まで -
button第10章 情報誌はジャーナリズムだ1 : - タイムアウトとシティリミッツ -
button第11章 情報誌はジャーナリズムだ2 : - 世界を反映する音楽紙 -
button第12章 オープン・マーケットで掘り出し物探し :- カムデンマーケットはストリート文化の宝庫 -
button第13章 流行はストリートから : - 究極のロンドン・ファッションとは? -
button第14章 とにかく興奮! レコード・ショップ
button第15章 映画館は大騒ぎ : - レイトナイト・ショーで盛り上がろう -
button第16章 テレビも忘れずチェック : - 音楽、コメディ、報道番組の楽しみ方 -
button第17章 誰でも英語は話せる : - 本場の英語を学ぶコツ -
button第18章 パブこそが全て : - 飲んべぇたちの奇妙な生態 -
button第19章 ビ-ル作りの密かな愉しみ : - ビターからホーム・ブリューイングまで -
button第20章 パブがパンク・ムーヴメントを育てた : - トラッド・ジャズなど、パブは音楽のゆりかご -
button第21章 ストリートがステージだ! : - 街頭で演奏するバスカーたち -
button第22章 街を揺さぶる移民のカーニヴァル : - ノッティングヒル・カーニヴァルの光と陰 -
button第23章 ブリクストンの暑い夏 : - 観光客の知らないロンドン -
button第24章 反抗する音楽 : - CNDで知ったミュージシャンの政治意識 -
button「もうひとつの世界」へのアプローチ : - グラストンバリーのヒッピー・フェスティヴァル -
button解説(月刊宝島編集長、関川誠)
buttonあとがき



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