第17章 誰でも英語は話せる
---本場の英語を学ぶコツ---
言葉なんか簡単なもんよ。と、そう思ってしまえば、ホントに簡単になる。これが言葉の不思議ってもんだ。それが英語だろうがドイツ語だろうが、どんな外国語だって全然無関係で、要するに気持が問題なのだ。ヘタに外国語だってことを意識してしまえば、話す以前から頭ん中も口も硬直して、わかることまでわからなくなるし、言いたいことだって言えなくなる。特に極度な日本のアメリカ化で、日常生活にまで奥深く浸透しているのが英語。それに、誰だって最低3年間はこれを勉強しなければいけないオキテのあるのが日本だ。実際のところ、基礎知識は充分過ぎるぐらいに充分。これで話せなきゃウソだよと、気楽にアプロ−チすりゃぁなんとかなってしまうのだ。そりゃぁ、しょっ鼻から小難しい哲学や政治の話をグッと掘り下げてするのには無理があるかもしれない。でも、学問で日常生活してるわけじゃあるまいし、日本でも毎日そんなことを話題にして生きているわけでもない。それに、もしそんな話を真剣にしたくなれば、その気持が言葉にとっての強力な武器になる。単語を並べるだけで意志の疎通なんぞはできてしまうのだ。
ところが、学問として英語のキョ−イクを受けさせられているのが一般的日本人。そのおかげで、やたら長い構文を辞書片手に翻訳できるのに、店に入って注文もできないなんてこともあるのは確かだ。正直言ってしまえば、それを現実に体験したのが初めてイギリスに行った時の僕だった。「すんませんけど、これもらえますか。」なんて簡単なことも言えなかったのだから嫌になる。でも、そんな構文や文法ってな学問を完全に無視してアッケラカンに話してしまえば、コト足りるのだ。サ店に入ってコ−ヒ−が欲しけりゃぁ、「カフィ−」 と叫べばいい。2杯欲しけりゃ、「トゥ・カフィ−ズ」 と、学校で言えば間違いだと教えられていることだって、本場じゃ普通のこととして受け入れられているのだ。
だだし、絶対に忘れてはならない言葉がある。それが 「プリ−ズ」。これを言わないと、まるで 「コ−ヒ−2杯くれぇい!」 なんてな響きをそこに与えてしまうことになるのだ。すると、「なにさ、この客、エラそうにしやがって」 と返ってくるのは冷たい反応。トタンに気分の悪い思いをしなければならなくなる。そして、もうひとつ絶対に忘れてはいけないのがその 「プリ−ズ」 とペアで使われる 「サンキュ−」。物を買ってやるのに礼をするなんて発想にはちょいと疑問を感じないでもないのだが、ここではこれが正しい態度。それゆえ、コ−ヒ−の注文には、「カフィ−、プリ−ズ」 と言い、持ってきてくれた時には 「サンキュ−」 と笑顔を見せる。それはたかだかチュ−イングガムを買う時でも、駅で切符を買う時でも、とにかくものを頼む時には絶対に忘れてはならない言葉とされているのだ。
そのふたつの言葉の重要性を証明しているのが、家庭でよく見かける子供の教育場面。子供が 「I want some water」と言っても、親はそれだけでは絶対に与えてはやらない。まずはそんな親の口からは 「ハイ、魔法の言葉を言いなさい。」とヒトコト。すると子供は大声で、「プリ〜ズ」 と叫ばされることになる。また、グラスに入った水を渡す時だって、「さて、なにを言えばいいのかな?」 と、「サンキュ−」 という言葉を待つのだ。そして、それを口にして初めて子供は水を飲むことができる。こんな日常生活の一場面からだけでもこの言葉が英語にとってどれほど重要なものかわかろうかというものだ。
その魔法の言葉さえ普通に使えるようになりゃぁ怖いものはない。よ〜く馬鹿にされるような気のする日本語アクセントだって、それのどこが悪いってんだ。イギリスに住んでるのは中国人からインド人、ジャマイカ人といった無数の民族や種族。そんな人たちがいわゆる正統な英語を話してると思ったら大違いで、癖だらけの訛りを堂々と主張しながら日々の生活を送っているのだ。それに、スコットランドやアイランドからやって来た人たちの訛りも強烈だし、ニュ−カッスルやマンチェスタ−訛りだってわかりにくい。実際、初期のビ−トルズの映画なんて見ていると、気になるのが彼らの持つリヴァプ−ル訛り。よくもあれでアメリカに受け入れられたもんだと、今になってみりゃぁ不思議な気もするほど田舎者丸出しなのだ。が、それに対してある種の敬意を持っているのがイギリス人たち。そのせいか、日本語の野暮ったい訛りもそれほど気にしなくてもいい。もちろん、同時に覚悟しなけりゃいけないのが、無数の訛りとのハチ合わせ。ちょいとした苦労はどうしたって経験せざるを得ないけどね。
かといって、英語ペラッペラの日本人が好まれるかってえと、そうとも言えないのが面白い。というのも、日本で教えられているのはイギリス英語じゃなくアメリカ英語。おかげで、我々がうまく話そうとすればするほどアメリカっぽく響いてしまうわけだ。もちろん、それが根本において悪いというワケじゃない。なぜなら、あれだって考えてみりゃぁ訛りの一種。でも、ここで計算しておかなきゃいけないのがイギリス人のアメリカ英語に対する異常な嫌悪感なのだ。とにかく、彼らに言わせると、アメリカ英語ってぇのはやたらキタナく響くらしく、それを聞いた時に見せるのが露骨な嫌悪感。だのに、東洋のずっと奥地から来た人間が、まるでアメリカ人のように話すと驚きを通り越して白い目で見られてしまうことだってあるのだ。
さて、その理由だが、ハッキリしているのはその背後にあるどうしようもなく屈折した嫉妬にも似た感情だ。なにせ、アメリカと言えば、かつては大英帝国のたかだか植民地にしか過ぎなかった存在。ところが、今じゃそのアメリカが世界のリ−ダ−シップを握る超大国で、しかも、イギリスは彼らに文化的にも政治的にも経済的にもほぼ完全に支配されているのだ。それを考えてみりゃぁ、かつて母国だったイギリスに残された誇るべきものといったら王室と言葉ぐらい。この国で彼らに対してヘヴィなジョ−クを連発するけっこう進歩的な人たちも、その本質において皇族を否定しきれないのはそのあたりに原因があるように思えるのだ。なぜなら、これだけはアメリカには真似のできない存在だからだ。
そして、それと微妙な関係を持っているのが言葉に対する優越意識。さらに、それを実証しているのがアメリカ東海岸あたりの上流階級だ。彼らにとってここの皇族の話す英語こそが由緒あるものらしく、子供たちをイギリスへ留学させて英語を勉強させることもよくあるのだ。そんな状況から生まれたのはイギリス英語こそが本流でアメリカ英語が邪道だという発想。それも、そんな高級な英語を話す上流階級の人たちだけでなく、労働者階級の人たちにまで 「アメリカ英語はきったねぇ!」 言わせるようになったから面白い。でも、奇妙なのはここで長く暮していると彼らと同じような印象をアメリカ英語に対して持つようになってしまうことだ。実にクッチャクッチャとチュ−インガムを噛んでるようなル−ズな響きを持って聞こえるのがアメリカ産。それよりも遥かに魅力を感じるのがハッキリクッキリの英国産と、この英語にやたら愛着を感じてしまのだ。
しかも、アメリカ英語に対してイギリス英語が異常に非論理的な側面を持っているのにそうなのだ。ポテイトは両方共同じ発音なのに、トマトになると前者はトメイトで後者はトマ−トとなる。can ってのが両方ともキャンって感じで発音されるのに対して、その否定形になるとキャントとカ−ントに分かれてしまう。さらに、文法的なことになるともっと複雑になる。動詞の変化だって、例えばドリ−ムの過去形はdreamtとスペルまで変わり、centreやtheatre なんて言葉の末尾もここじゃ論理的なアメリカ英語のerを絶対に使わないのだ。だから、その違いに慣れてきて英語の本を読んでいると、そのスペルの違いでイギリスで印刷されたかアメリカで印刷されたかがわかるようになる。まぁ、一般的な発音に関しては異常に舌を巻き込んで話すように聞こえるアメリカ産よりも楽なのがイギリス産。その点に関して言うなら、こっちの英語に方がハッキリしていて日本人には比較的容易に理解できるような気がする。
それでも困るのは基本的に意味の違ってしまう言葉の数々。例えば、サブエイ(Subway)がアメリカじゃ地下鉄なのにこっちじゃアンダ−グランドで、時にはこれがまるで管のようになっていることからチュ−ブなんぞと呼ばれることもあるのだ。エレヴェイタ−(Elevator)はリフトで、アパ−トメントはフラット。そんな場所を訪ねて迷うのはこっちじゃ1階がグランド・フロア(Grand Floor) と呼ばれていて、2階から1階が始まるというマカ不思議だ。それに、リザヴェイション(Reservation= 予約) はブッキング(Booking) で、ワンウェイ・チケット(Oneway Ticket) はシングル・チケット(Single Ticket) となり往復はリタ−ン・チケット(Return Ticket) となる。特に複雑なのは服で、セ−タ−(Sweater) はジャンパ−(Jumper)でヴェスト(Vest)はウェスト・コ−ト(Waist Coat)。 その他、探せばいっくらでも出てくるのだ。でも、その違いの発見がけっこう楽しくもあるから不思議じゃありませんか。
そして、最も頭を悩ませるのがロンドンの下町訛り、コックニィだ。イアン・デュ−リィやポ−ル・ウェラ−などでおなじみのこの訛りがやったらわかりにくいのだ。aってのをそのままエイってな具合に発音するもんだから、トゥデイがトゥダイに聞こえ、それで生まれたのが有名なジョ−ク。「今日、病院に行ってきたよ」 ってのを彼ら風に言うと、「いやぁ、死ぬのに病院へ行ってきた。」なんて風に聞こえてしまうのだ。そして、ttってのがスペルに入っていると、それを飛ばして発音するのが彼ら。ボトル(Bottle)がボッオルに聞こえ、スペル通りに読めばトッテンナムとなる地下鉄の駅がトッツナムに聞こえるのだ。といっても、このせいかどうか、ここはそれが正式な呼び方になってんだけどね。それにhの発音も稀薄で、heがイ−なんぞに聞こえることもある。
加えて、リズム遊びで生まれたのが非論理性の極地、ライミング・スラング(Rhyming Slang)。肉屋、そうbutcher には肉をつるすhookがあるので、そこにlookってぇのをひっかけて、見るのを肉屋ぁ〜と言うこともあるのだ。これなんぞ、どれほど英語に熟知したってわかるわけがない。まぁ、外国人がそんなことわかるわけないってのは百も承知なので、それを使ってマトモに話しかけてくることはないけど、あの癖のある訛りを理解できるコツだけは覚えていると便利がいい。なぜなら、特にこのタイプが多いのがタクシ−・ドライヴァ−。"狼男アメリカン" って映画で、ロンドンにたどり着いた主人公が乗ったタクシ−のドライヴァも完璧なコックニ−で、確か彼も簡単にはこれを理解できなかったような気がするのだ。そして、このコックニィが理解できるようになりゃ、もうホンモノのロンドナ−... 、そう、ロンドン人ってぇことになる。
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