第13章 流行はストリートから
---究極のロンドン・ファッションとは?---
究極のロンドン風ファッションってぇのを考えてみる。すると、まず頭に浮かんでくるのは、ヒップなスーツでもなけりゃ過激なパンク・スタイルでもなく、暗い街の表情にすんなり溶け込む独特の野暮ったさだ。上着はたいていアノラックかフードの付いたウォーター・プルーフの防寒ジャケットで、下は擦り切れたジーンズ。あるいは、戦争直後のモノクロ映画にでも出てきそうな典型的西洋労働者風とでも言えばいいのか。茶色や灰色っぽいジャケットにダッボダボのズボンってのが最も大衆的なファッション。そのあたり、小綺麗な服装に慣れっこになっている日本人からすると、お世辞にもカッコイイとは言いがたく、ホンネを言うと、やたらきたないってな印象を受ける。といっても、もちろん、それは不潔ってな意味じゃなくて、その質感や雰囲気。それがこの国の空のように重苦しく、数百年も同じ格好で立っている老朽化した建物に吸い込まれてゆきそうなのだ。
が、これもロンドンの必然だ。なにせ、緯度を日本と比較すればロンドンの位置は樺太に匹敵する。いくらメキシコ暖流が大西洋を渡って流れ込んでいるからといって、ここは寒くて当然の国。だから、5〜6月にだって冬物のコートのお世話になることもあれば、1年を通して必需品となってしまうのがセーターだ。さらに、1日で全ての季節を体験できるような天候だって、あの野暮ったさを決定している。たまにカンカン照りのおテントウ様を拝めても、しばらくするとどこからともなくやってくるのがどんよりした雲。それがどしゃ降りの雨を運んでくることもあれば、時には、地響きたてながらヒョウが降ることもある。その変化の速さとヴァリエーションは安定した天候を持つ日本人の想像力を遥かに超えている。それを如実に絵にしてしまったのが英国随一の風景画家、ターナー。ナショナル・ギャラリーに飾られている彼の絵を見ればいい。刻一刻と激変する景色を作品にした彼の絵は決して誇張ではなく現実だってぇのがよくわかる。実際、インクランドをヒッチハイクで旅した時、ケンブリッジ(Cambridge)近くのまっ平らな平原を走る国道にボケ〜ッと立ちながら見た光景がソックリそのまま彼の絵のようにも見えたほどだ。
とにかく、そんな天候のおかげでいつ降っても当然なのが雨。彼らがつねに雨に対して用意万全なのはそのせいだ。ひと昔前、ロンドンと言われてすぐに思い浮かべたこうもり傘を持った紳士たちもそれがルーツ。おそらく、それにコナン・ドイルの名作探偵小説に出てくるシャーロック・ホームズのイメージが加えられたものが典型的なロンドン紳士だ。今も中産階級のビジネスマンが集中するシティ(City)あたりでお目にかかるのがその現代版のような紳士たち。が、労働者階級になると多少の雨で傘をさすような心構えなんぞは持ち合わせちゃいない。どういう神経をしているのかはなはだ疑問だが、けっこうひどい雨が降っていても平気な顔をして街を歩いているのだ。さすがにチェルノブイリ原発の事故直後にはそんな光景は見られなかったが、それもほんのしばらくのこと。要するに、あまりに頻繁に雨が降るので、ものぐさか無視を決め込む以外に手はないのがここの現状。そんな事情が防水ファッションの所以となっているのだ。
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それに加えて、滅びゆく大英帝国が抱える貧しさがある。といっても、あの略奪の歴史のおかげで未だにプライドだけは高く、彼らは自慢気にイタリアやスペインを貧乏ったれだとバカにするのだ。実際はイギリス人の方が遥かに貧しく見える。特に南欧系の人たちはミエっぱりで、外出時にはスタイルに異常な神経を使う。それに対して、奇妙な美意識を持っているのがイギリス人だ。"ポロは着てても心は錦"とでも言いたいのか、外見にはかなり無頓着。その違いがよけいに貧しさを強調しているのだ。特に中産階級のインテリや60年代のフラワー・ムーヴメントを経験した人たちにその傾向は強く、なによりも彼らが主張するのは自分のスタイルを持つこと。それがファッションの基調となっている。
そのせいか、初めてロンドンを訪ねるとまず感じるのが失望感。"なにがロンドン・ファッションだぁ、バ〜カ!"と、雑誌やテレビが送り出してくる情報に騙されたような気分になってしまうのだ。なにせ、彼らが使う見出しやタイトルの十八番は"ロンドン最新情報。そして、そこに続くのが"今はこれが一番オシャレ!。とか、"ロンドンの最新流行はこれだ!"ってな決まり文句。こんな単純な売り文句のおかげで、この街そのものが流行とファッションのパラダイスのような錯覚を持ってしまう。が、あのビンボー・ファッションの現実を前に木っ端微塵に崩れ去るのがそんな錯覚。実際、よ〜く考えてみりゃぁ、個性なんて代物をやたら重要視する個人主義が幅を利かせるのがここ。なにか特別な理由でもなけりゃ、猫も杓子も同じスタイルになるなんてことはまずあり得ない。
その極めて数少ない例外のひとつが70年代後半、突如として起きたパンクだった。セックス・ピストルズやクラッシュが"白い暴動"を掲げてギグをした77年10月頃、まるで伝染病のように全英の子供たちに広がっていったのが、常識を完全に無視した独特のスタイル。赤や黄色に髪を染め、チェーンをアクセサリーにして安全ピンを頬に刺す、その異様なスタイルは、もちろん、アッと言う間に日本のメディアにも登場。好奇のまなざしでセンセーショナルな取り上げ方をされたものだ。といっても、紹介されたのはその断片ばかりで、強調されたのはその破壊的なイメージのみ。おかげで、日本じゃパンクが不良の代名詞となってしまったってからメディアの力ってぇのは恐ろしい。
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でも、バンクは外つ面を飾るファッションじゃなかった。全英の子供たちが熱狂したのはあの奇妙奇天烈なスタイルで大人や体制や常識をコケにして、奴らに吐き気をもよおさせること。そこには決まったスタイルもユニフォームも存在せず、彼らはそんな仲間が続々と増えてゆくことで連帯し、既成の価値観への反逆が世界の変革に結びつくと本気で信じていたのだ。だからこそ、パンクが音楽産業の道具になり、ファッション産業のエサになり始めると、急速に熱から冷めていった。アナーキズムや破壊性が音楽の宣伝になり、わざわざボロボロに破ったTシャツがショウ・ウィンドウに並べられる。それは悪夢以外のなにものでもなかった。そんな現象が出ると同時にバンクが勢いを失っていったのは充分理解できるのだ。
ただし、今も強く生き残っているのが、子供たちにとって明らかな社会革命だったパンクが掲げたテーゼ。それは"自分が信じてるなら、まずはやっちまえ"ってな発想だ。他人がどう思おうと、そんなことは気にもしない。それよりはまず自分が楽しんじまうのだ。あれ以来、イギリスから飛び出してくるファッションがやたらエキセントリックになったのはそこに理由がある。しかも、権威や権力にやたら反抗的なのが彼ら。新しいファッションが著名なデザイナーや宣伝からではなく、いつもマーケットやナイトクラブといったストリートから生まれてくるのもそのせいだ。そして、音楽はいつもそれを援護射撃するようにそこにある。ライフ・スタイルにも影響する音楽は、当然自分のファッション・センスをも決定する要素。彼らはそんな自分のスタイルを持つことでアイデンティティを保ってきているのだ。
おかげで、ここにいつも存在するのがストリートからのメジャーへの突き上げだ。そして、それをリードしているのは強力なオリジナリティや頑固なこだわりを持った人たちや集団だ。いつか2トーン・ブームがあった時もその拠点となったのは、今はクラブでDJをしているギャス・メイオールが経営していた店。いつもカウボーイ・ハットをかぶり、踊り狂ってるこのC調DJは店をオープンした理由をこんな風に話してくれる。
「頭来たんだよな、要するに。だってさあ、俺たちが好きで古着を着てたわけさ。だってさあ、最近のヤツってえのは昔ほど作りが良くないんだよ。例えば、リーヴァイスのステイプレス。昔モッズが着てたオリジナルなんて最高なんだもん。それをさあ、商売人の野郎が金儲けだけが理由でどんどん買い占めてくんだ。冗談じゃねぇやってなもんで、それなら自分で店作って本当に好きなヤツらとそれをシェアしたいと思ったんだ」
当時、その店、GAZで彼がかけていたのがずっと昔からコレクションしていた50〜60年代にプレスされたジャマイカ直輸入のスカのレコードだった。そして、客になっていたのがスペシャルズやマッドネスといった連中。もちろん、彼らがそのスカを現代風にアレンジして生み出したのが2トーンと呼ばれる音楽とファッションのブームだった。
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60年代後半から70年代初頭にかけてのサイケデリックなロックに再び脚光を浴びさせたのはクラブ、アリス・イン・ワンダーランドだ。そのクラブの人気がDJをやっていたドクター率いるメディックスに大ヒットを与え、それがキッカケで彼らが着ているコスチュームを売る店、プラネット・アリス(Planet Alice)がオープンしている。クラブの主でデザイナーでもあるクリスチャン・パリスなる人物はその事情をこう説明してくれる。
「ドクター&ザ・メディックスの成功のおかげで、彼らが着てるようなものを欲しいって問い合わせが増えてきたってのも理由だし、彼らとファンを結び付ける情報センターってのも欲しかったからね。それに僕らの周りにはあの時代に影響を受けた作品をデザインしてる連中がワンサカいて、そんな作品を売る場所も必要だったから」
名もないクラブからちっぽけなサイケデリック・ブームが始まり、それが音楽だけではなくファッションまで巻き込んで大きくなっていったのがよ〜くわかる話だ。それはヒップな50〜60年代のスーツで決めてジャズで踊るオシャレな若者たちについても言える。これも始まりはマンチェスター(Manchester)にあるちっぼけなクラブ。そこに集まっていた黒人が古着屋や親父からタダ同然でスーツを手に入れ、このブームを生み出したのだ。
「バンクってぇのは派手な格好やファッションを否定する部分もあったんだ。でも、同時に自分のスタイルを持つってことでもあったと思うんだ。だから、いつも踊ってる連中が着ているスウェット・スーツみたいなものがつまらなく思えて…… で、ジャズで踊り出した頃、あの時代の人たちみたいなスタイルに決めたいなって…… もちろん、最も高いのでも一着20ポンドぐらいのセコハンばっかだけどね、僕らが手に入れられたのは」
華麗なダンスで一躍有名になったジャズ・デイフェクターズの面々はこう語っている。実際、ヒップに見える彼らのお気に入りのスーツには虫食いの跡やほころびが。でも、彼らはそんなの気にもせずステージでうまく着こなしている。これこそイギリス的なオシャレの発想だ。マーケットや古着屋でタダ同然の服を探し出し、コーディネーションで独特の味を出す。金では買えないその味やファッションの発想は、日本人にはなかなか真似のできる代物じゃないといつも感心させられてしまうのだ。
それに加えて、もうひとつ忘れちゃならないのが自己主張の道具になったTシャツだ。主流はミュージシャンやレコードの宣伝用だけど、こちらじゃ、これもあくまで商品。それを売って金を儲け、同時に着ている人間を歩くポスターにして宣伝までしてしまうのだ。そのせいで、かつてはスターの顔やロゴ・マーク入りが多かった。ところが、パンク以降、強力に自己主張する音楽が勢力を持ち始めると同時に増えだしたのがメッセージ付きで、なかには完全な政治スローガンまでが登場してきたのだ。
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それを取り入れて革命的な流行を生んだのがフランキィ・コーズ・トゥ・ハリウッドだった。なにせ、プリントされているのは文字のみ。そこに書かれていたのは"フランキィいわく、戦争だあ、隠れろ!"とか、"リラックス、楽しめ!"なんて過激な台詞だ。政治的な過激さが商売にもなる業界だけに、ちょいとジョークの入ったこのTシャツは大ブームを記録。彼らはレコードとこれでボロ儲けをしたそうな。
その影響を受けて続々と出始めたのがこのパターン。エイズが流行すると、"安全なセックスを!"なんて書かれたものが登場。タイムリーな話題に乗せてキラリとジョークのセンスも光る。これなどは無意味なエーゴを並べた日本製Tシャツとは比べものにならないほど楽しくエキサイティングなのだ。また、それが高じた本格的な政治キャンペーン物も数多い。ドレッドロックの黒人がマリワナを吸っている横顔が描かれてるのは、黒人たちが運営する海賊放送局DBCが資金作りとその地位を認めさせるために制作したキャンペーン用だし、まっ赤な地にライフルを手にしたガンマンが描かれているのはニカラグアヘの連帯アピール用。かと思えば、原色を使ったエスニック風は反アパルトヘイト運動を推進する人たちが作ったものだ。それに労働党といった政党やCND、グリーン・ピースなどの環境団体が作ったものなどなど、数えきれない政治モノが顔を見せている。といっても、退屈な政治スローガンが並んでるだけの代物じゃないのがミソ。デザインはあくまでヒップでカッコ良く、意味なんかわからんで着てても嬉しくなる。そのあたりのセンスの良さがなにやら政治運動のセンスにもつながっているような気もしてしまうのだ。
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