button第1章 さあ、ロンドンに着いた

---空港から市内へ---


 ずいぶん早くなったもんだと、そう思ったのは初めて成田からロンドンヘの直行便を使った時だ。なにせ、日本を昼頃に離れてロンドンに着くのはその日の夕方。飛行時間は約12時間と、貧乏丸出しで初めてイギリスの土を踏んだ80年頃に比べると、その時間には雲泥の差がある。当時使った安い航空券は確か南周りで、ロンドンにたどり着くまでに要したのは軽〜く20数時間。南周りってえのはどこのフライトであれ、たいていは成田から東南アジア、さらには中近東を経由しての到着だ。仕事で渡英するようになってからそんなフライトを使わなくなったのは、やはりその時間の無駄使いがバカらしく思えるようになったからだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  かといって、北周りに安いフライトがないわけじゃない。まず効率がいいのはアエロフロートで、これでシベリアを飛び抜ける。これならモスクワ経由で約15時間。チェルノブイリの放射能さえ無視する勇気がありゃあ、値段の割にはけっこう便利なのだ。それに、大韓航空のアンカレッジ経由パリ行き。そこからロンドン行きに乗り換えるルートなら20時間強でたどり着けるはずだ。

 そんな長旅を終えて、まずは体験するのがどうしようもない現実の重みだ。入国管理官と向かい合うと、否応なしに国境を意識させられ、失業問題やそれから派生した入国管理法の強化に直面する。いかにも第三世界からやって来ましたといった風情の人間たちには執拗な質問が浴びせられ、時にはその場で強制送還なんてことになりかねないのだ。要するに彼らが神経質になっているのは不法労働だが、その背後に見え隠れするのはちょいとした人種差別感情。不法労働の気配が少しでもあると、彼らの疑問が解けるまで30分だろうが、1時間だろうが際限なく質問が続けられる。特に締め付けが厳しくなった最近じゃ、ちょいとでも長期滞在を匂わせると日本人だろうがアメリカ人だろうがまるで見境いなしに冷たい態度を見せるのが彼ら。帰りの航空券はあるのか、あるいはどれほどの所持金を持っているのか、時にはその金を見せなきゃならないなんてこともある。人の財布を見せろなんて失礼な話だが、これが現実だ。そして、多少でも疑問が生じると普通なら半年はもらえるヴイザが3カ月になったり、1週間になったり……。もちろん、最悪の場合はそのまま御帰国お願いしますなんてハメにも陥ることになる。

 実際、その被害に合ったのが友人の知り合いだ。数年間にわたって金を貯め、仕事までやめてやっとやって来たロンドン。ところが、「どれぐらい滞在するのか」って質問に「半年」と答えたのがよくなかったらしい。それから矢つぎばやに質問が始まったのだ。なぜそれほど長く滞在する必要があるのか、なぜ仕事をやめたのか…… 日本で半年もの休みを取るのが不可能だって事情もわからない係官は、ほとんど英語を話せないこの女性に食ってかかったという。あげくの果てに、荷物を開けさせられ、発見したのがグラフィック・デザインの道具。それで仕事を得ようとしているのだと判断した係官は、彼女に即出国するよう要求したというのだ。ただ、のんびりと遊びながら勉強しようとしていただけなのにこの有様。長期滞在者にとって彼らは鬼畜生にも見えることがあるのだが、あながちそれは言い過ぎとも言えない。

 思えば、それと同じような目に何度も合わされたのが僕だった。まっサラのパスポートを持って入国した1回目はまだ良かった。ほとんど深い質問なしに半年のヴイザがもらえたからだ。ところが、そのヴィザが切れそうなので、パリヘ遊びに行って帰ってきた時には約30分の質問攻め。たまたま、それを見越して友人に「この人物は我が家のお客様だ」なんて手紙を書いてもらってたので3ヵ月ヴィザは取れたものの、それがなけりゃ1週間で放り出されていたかもしれない。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  また、そのヴィザが切れるってんで、イースト・クロイドン(East Croydon)にあるホーム・オフィス(Home Office=内務省)に出掛けていった時なんぞ、待たされること約4時間。すったぁもんだのあげく、たったの1カ月しかヴィザを取れないこともあった。さらにその後、当時住んでいたブライトン(Brighton)に帰ると、まっ先に警察署に出頭だ。外国人登録をしてグリーンカードを取得し、それをいつも所持しなけりゃいけないハメになる。しかも、このヴィザ取得に関して絶対の権限を持っているのがたまたま顔を合わせた係官だ。その人の機嫌いかんでヴィザが長くもなりゃ短くもなるのだから嫌になる。

 ともかく、そんな緊張感を味わった後、預けた荷物(luggage)を回収して今度は税関検査官のそばを通り抜ける。たいていはそれほどのものを持っていない場合が多いので申告なしを示す緑の通路に向かうのだ。もちろん、時には、「ちょいと待って下さい」と荷物をチェックされることもあるけど、そんな光景にはメッタにお目にかかったことがない。それに万が一そうなっても、必死に税金の「ディスカウント」を主張してその場を切り抜けた人もいるのだから、実にいいかげんなもんだ。

ロンドン・ラジカル・ウォーク  そして、外へ出るとまっ先にしなけりゃいけないのがポンド(Pound)、正式にはスターリング(Sterling、略してSTG)のキャッシュへの両替だ。現金を持ち歩くのは危険だし、交換レートもいいので、日本を出る前に銀行で入手しておきたいのが旅行小切手(Traveller's Cheques)。そのなかからほんのわずかばかりを空港にある両替所(Exhange)で現金に換え、それからの数週間を持ちこたえることになる。この時、間違っても金を人目につくようにして持ち歩かないことだ。そんなことをしてたら盗んで下さいと言ってるようなもんで、ロンドンに着くなり悲劇に遭遇しかねない。少しずつポケットや財布、手帳……なんてえところに分散して持つのが安全策だ。

 そして、やっとロンドン市内人りとなる。たいていの飛行機が入ってくるのは中心街からかなり西南へ行ったところにあるヒースロー(Heathrow)空港。が、時にはそれよりずっと南にあるガトゥィック(Gatwick)空港に着くこともある。そうなりゃぁ一番いいのは国鉄でロンドンヘ向かうことだ。15分に1本の割でヴィクトリア(Victoria)駅への直行便があり、完全に田舎している緑の草原を見ながら30分で市内に入ることができるのだ。そして、ヴィクトリア駅に近づくと見えてくるのがピンク・フロイドのアルバム、『アニマルズ』で有名になった発電所。これもなかなか感動ものだ。ヒースローからだと、最も簡単なのはタクシー。なにせ、住所さえ見せれば目的地まで連れていってくれるのだから楽なことこの上ない。ラッシュ時には1時間ほどもかかるかもしれないけど、そうじゃなきゃ50分弱で市内に入れる。料金はだいたい20ポンド(1ポンド=245円一87年12月現在一)ぐらいで、重たい荷物を持って右往左往するよりはマシかもしれない。かといって、便利さから言えば、空港にまで入り込んでいる地下鉄も見逃せない。なにせ、安くて確実。ヒースローの駅で路線図をもらえば、30分前後で市内の目指す駅まで簡単にたどり着けるのだ。
ロンドン・ラジカル・ウォーク  また、ロンドンの名物ともなっているまっ赤な2階建てバス、ダブル・デッカー(Double Decker)に乗ってのんびりと風景を楽しみながら市内に向かうのもいい。これが空港から市内にある3つの国鉄主要駅に向かって走っているのだ。と、その駅に関してちょっと疑問を感じるかもしれないが、「ロンドン駅」ってのがないのがこの国の国鉄だ。なにせ、世界で最も長い歴史を持つのがここの鉄道で、その昔私有企業が勝手気ままに線路を作ってしまったのがその原因。南イングランド(England)への中心はヴィクトリア駅で、北イングランドからスコットランド(Scotland)へ向かうのはユーストン(Euston)駅。そして、西部へ行くにはパディントン(Paddington)って駅へ行かなけりゃいけない。また、東方面へはリヴァプール・ストリート(Liverpool Street)駅やキングズ・クロス(Kings Cross)って駅がある。

 空港から出るバスが向かうのは前者3つの駅。しかも、それぞれが主要なホテル街を通過するのがミソで、この便利さは実によく計算されている。市街地南部のヴィクトリア駅に向かうA1はアールズ・コート(Earl's Court)からキングズ・ロード(King's Road)近りホテルの多いノッティング・ヒル・ゲイト(Noptting Hill Gate)からベイズウォーター(Bayswater)、そしてサセックス・ガーデンズ(Sussex Gardens)を経由して到着する。そして、A3となるユーストン行きが経由するのはハマースミス(Hammersmith)にケンジントン・ロード(Kensington Road)からマーブル・アーチ(Marble Arch)にラッセル・スクェア(Russell Square)。もちろん、これもホテルの多いエリアだ。効率の良さと悪さが見事にブレンドされたこのロンドンの不思議をこんなところからも感じられるのが面白い。
ロンドン・ラジカル・ウォーク ロンドン・ラジカル・ウォーク  実際、効率の悪い国鉄の駅をみ〜んな結びつけてしまえばいいのにと思うのだけど、そうはイカのなんとやら。それをつなぐのは市内を環状に走る地下鉄、サークル・ライン(Circle Line)。また、セントラル・ライン(Central Line)は当然ドまん中を一直線に走り抜いていて、地下鉄は国鉄に比較すりゃ実に合理的にできている。そして、これが効率の悪い国鉄を助けているのだ。実際、地方に住むとつくづくと感じるのが極限とも思える国鉄の不便さ。ロンドンヘ向かって行くのは至極便利で時間もかからないのだけど、例えばイングランド南部から西部へ旅しようなんて思ったら、それこそ信じられないほど理不尽な目に合わされる。出発地と目的地を直線でつなげばそれほどの距離もないのに、わざわざ一度ロンドンに出てこなけりゃマトモな接続がないこともある。しかも、地方にゆくと体験するのがその歴史的事情のために生まれた驚異的な矛盾。時に列車がそれまでに走ってきたのと全く逆に向いて走り出すことがあるのだ。そうやって、方向を変えるらしいのだけど、これだけは未だに理解できない不思議だ。こんな疑問や驚きを初っ端から与えてくれる、それがロンドンだ。着いたその瞬間からそうなのが実にこの街らしい。
chapters

buttonこの本の復刻にあたって...

button第1章 さあ、ロンドンに着いた : - 空港から市内へ -
button第2章 「A to Z」を持って街にでる :- 地下鉄、バスからタクシーまで -
button第3章 高いホテルは要らない : - 泊まり方と住み方 -
button第4章 ソーホーはロンドンの縮図 : - 歓楽街、チャイナタウンからナイトクラブまで -
button第5章 イギリス料理って何だろう : - フィッシュ&チップスからケバブ屋まで -
button第6章 日本食が恋しくなったら : - 材料のそろえ方と自然食ムーヴメントについて -
button第7章 ライヴは"生きた音楽"だ : - 開演前から思いきり楽しむ -
button第8章 真夜中からが本当のロンドン : - ナイトクラブは流行発信地 -
button第9章 ラジオが刺激的 : - BBCから海賊放送局まで -
button第10章 情報誌はジャーナリズムだ1 : - タイムアウトとシティリミッツ -
button第11章 情報誌はジャーナリズムだ2 : - 世界を反映する音楽紙 -
button第12章 オープン・マーケットで掘り出し物探し :- カムデンマーケットはストリート文化の宝庫 -
button第13章 流行はストリートから : - 究極のロンドン・ファッションとは? -
button第14章 とにかく興奮! レコード・ショップ
button第15章 映画館は大騒ぎ : - レイトナイト・ショーで盛り上がろう -
button第16章 テレビも忘れずチェック : - 音楽、コメディ、報道番組の楽しみ方 -
button第17章 誰でも英語は話せる : - 本場の英語を学ぶコツ -
button第18章 パブこそが全て : - 飲んべぇたちの奇妙な生態 -
button第19章 ビ-ル作りの密かな愉しみ : - ビターからホーム・ブリューイングまで -
button第20章 パブがパンク・ムーヴメントを育てた : - トラッド・ジャズなど、パブは音楽のゆりかご -
button第21章 ストリートがステージだ! : - 街頭で演奏するバスカーたち -
button第22章 街を揺さぶる移民のカーニヴァル : - ノッティングヒル・カーニヴァルの光と陰 -
button第23章 ブリクストンの暑い夏 : - 観光客の知らないロンドン -
button第24章 反抗する音楽 : - CNDで知ったミュージシャンの政治意識 -
button「もうひとつの世界」へのアプローチ : - グラストンバリーのヒッピー・フェスティヴァル -
button解説(月刊宝島編集長、関川誠)
buttonあとがき



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