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2006年04月16日
映画「グラストンバリー」見てみました。
右側のこれは、ずいぶん前から注文しては「品物が入荷しませんでした」というメールが来ていたという代物で、まだ見てはない。っても、ひょっとしてずいぶん昔にイギリスの友人から送ってもらったVHSのテープと同じではないかと思うんだが... 無責任なことはいえないけど。
それはともかく、以前からここで書いていた、ジュリアン・テンプル監督によるグラストンバリー・フェスティヴァルのドキュメンタリーが完成して、つい先日プレミア・ショーがあったようだ。っても、イギリス入りしたのがその直前で、情報もなかったから、そのチケットは全然入手できなくて行けなかったんだが、昨晩、ポートベロにあるエレクトリック・シネマで見てきた。チケットを買ったのは夕方で、その時点で残っていたのが2枚だけ。ということは、結構な人気なのかなぁと思ったけど、実際のところ、会場のキャパが150ぐらいのちっぽけな小屋。その分、シートがめちゃくちゃ広くてゆったりしているので、楽に見られたのが嬉しいが、大きな話題になっているのかどうかはわからない。
なんでも、全国でも23の小屋でしか公開されないらしく、ロンドンでも5館ほど。加えて、夜の最終上映のみという扱いだから、DVDとして販売するためのプロモーションでしかないんだろうなと思う。実際、ヒットするような代物ではないと思うし、それはそれで仕方がないんだろう。
で、上映が始まったのは9時半で、予告編などが終わって、エンドロールが出てきたのが午前0時10分だったから、実質は2時間半ぐらいの映画ではないかと思う。さすがにイギリスだなぁと思うのは、レイ・デイヴィスや「30年ぶりにここで演奏するんだ」といったことを口にしていたデビッド・ボウイがきちんとフィーチャーされていること。しかも、めちゃくちゃかっこいい。(実をいえば、ボウイがここで演奏した70年か71年と、この映像での髪型が同じような感じだったのがほほえましい)それにプライマル・スクリームからケミカル・ブラザーズ、ビョーク、プロディジーにフェイスレス... 彼らの演奏もすさまじいし、それに輪をかけてとんでもない表情を見せているオーディエンスが圧巻だ。そのほか、古いところでは70年頃のメラニーとか、もうひとつバンドの演奏があるんだけど、これが誰かはわからなかった。
さらには、「どうしてこんな映像が残っていたんだろう」と思わせたのが、おそらく、初めて自分がグラストを体験した81年か82年に出演したブラック・ウフルー。すでに亡くなってしまったピューマ・ジョーンズにマイケル・ローズ、ダッキー・シンプソンクをフロントに鉄壁のリズム・セクション、スライ&ロビーがバックに控えたもので、このときのライヴ映像が残っていたら、なんとかそのまま発表してほしいなぁと思ったり。あと、どこかでウッドストックとの接点を想定してるのか、リッチー・ヘヴンスの「フリーダム」が登場したのも面白かった。実は、ウッドストックで彼の祭りの意味を十二分に歌い上げていたのがこの曲だったように思えるのだ。
そのほかには本気でテレビのカメラをぶちこわしにかかっているジョー・ストラマーの映像や、僕らの仲間であるギャズ・メイオールとトロージャンズ。それに、グラストにも、フジ・ロックにも欠かせない存在となってしまったミュートイド・ウェイスト・カンパニーのジョー・ラッシュあたりが、大きくフィーチャーされていて、実に嬉しかった。
といっても、こういった音楽のシーンは、おそらく、全部で1時間にも満たないと思う。ひょっとしたら、30分ほどかなぁ。何よりも重きが置かれているのは「フェスティヴァル」という文化であり、その歴史であったり、社会の動きだったり...そういったものとの絡みのなかで育っていった、おそらくは、世界で最もユニークでオルタナティヴなフェスティヴァルとなったグラストの抱えている世界なのだ。初めてフェスティヴァルが開かれたときのこと、そして、まだまだ若々しかった主催者で農場主のマイケル・イーヴィス。すでにかなりの年齢になっている彼と、それぞれの時代の彼が交差して「変わっていった」歴史と「変わらないもの」を巧みに映し出してくれる。よくもまぁ、これほどまでの映像素材を集めたものだと思えるほどに、すべてがグッとここに凝縮されているのだ。
(ちなみに、Glasutoを詳しく知るにはGlastonbury Tailsという本がお勧め。そのほかに、英国最良最高のDJ、ジョン・ピールが書いているGlastonbury The Festivalというのもみつけましたけど)
そのほかにも、ヒッピーとはまた違ったトラヴェラーズ文化の片鱗が姿を見せ、80年代に繰り広げられていたストーンヘンジ・フェスティヴァルのこと、そして、定住を拒絶してジプシーのような生活を選んだ彼らが行き場を失ったときにグラストがその避難キャンプのようになったことなども登場する。そして、そんな動きを象徴するような90年代初めのトラヴェラーズのライヴが持つ異様な迫力も素晴らしい。それと前後して、トラヴェラーズに与えられた警察の暴力を映し出す映像のショッキングなこと。実に、フェスティヴァルという文化は、どこかで既成概念に対する闘いでもあったことが語られているようにも思えるのだ。
一方で、巨大産業化していく現状も映し出されている。何が間違っていて、何が正しいのか?この映画はそういったことを断定しているのではなく、ただ、無限とも思える記録映像を下に、「フェスティヴァルとは何なんだろう?」と語りかけているように思える。しかも、それはグラストそのものだけに関わっているのではなく、我々一人一人の生き方にも問いかけているようにさえ思えるのだ。
そうやってこの映画を見たとき、日本という国で「フェスティヴァル」文化を根付かせようとしている、あるいは、創造しようとしているフジ・ロック・フェスティヴァルや朝霧ジャムの意味が抱える大きさを考えざるを得ないのだ。もちろん、それはグラストをまねたものではないし、日本とイギリスの文化や歴史の違いもある。だから、短絡的な比較ができではないのは重々承知している。一方で、国や歴史は違ってはいても、人間としての営みに違いはない。そして、その底辺に流れるものこそが「フェスティヴァル」の文化であり、それを真正面からとらえたとき、フジ・ロックも朝霧もまだまだ、一般的なメディアや業界人たちがいうような「完成」からはほど遠いところにいることは歴然としている。
いろいろな人たちにこの映画を見てもらいたいと思う。そして、日本で語られる「フェスティヴァル」が、いかに勘違いされているかを知っていただければと思う。バンドが出てくるだけのものは、フェスティヴァルでもなんでもなく、ただのコンサート。音楽の向こうに何かを突き動かす世界があるとすれば、おそらく、そここそが「核」となるのがフェスティヴァルであり、その文化だ。多くの問題を抱えながらも、それを内包し続けるグラストは、やはり、どこかでとてつもない魅力をもつものとして、これからも自分のなかに生き続けるのだと思う。
投稿者 hanasan : 2006年04月16日 06:23