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2005年02月21日
日本人じゃなかったら、ええんか?
朝日新聞のニュースでこういったものがあった。イラクで拉致されたイタリア人女性ジャーナリスト、ジュリアナ・スグレナさんの解放を求めて20万人がローマでデモ行進をしたというニュースで、おそらく、あの街が虹色の旗で埋まったんだろうと想像できる。
2年前の3月、仲間のバンド、Banda Bassottiのツアーを取材するため、そして、彼らにツアー・ドキュメントの撮影の依頼を受けて、ローマに飛んで彼らとしばらく一緒に過ごしていたんだが、あの時、最も驚かされたのは町中が「PACE」(イタリア語で平和)と記されたに地色の旗に覆われていたことだった。アメリカとイギリスによるイラク攻撃を受けて、個人がその意志を自分の場で表明するというもので、自分自身もそれを受けて、数枚購入し、今も自分の家の窓にこれを出している。少なくとも、自分はこういった事態に「反対している」ということを明白に主張するのが目的だ。
あのイタリア取材で覚えたのはPACEという言葉と「CONTORO LA GUERRA」(戦争反対)で、普通の会話になる言葉が全然覚えられなかったのに、これだけはしっかりと記憶に残っているのが面白い。
そのイタリアで、今、、昨年4月の日本のような事態が起きていることになる。
あの時、日本人の人質が取られたということで、数多くの人たちが「動いた」。当然、自分もそのひとりで、デモをしたわけでもないけど、「個人として」メールで、アラブ系のメディアに対して、「人質になったのはイラク人への人道支援のためにいるのであり、イラク攻撃している勢力とはまったく関係ないどころか、そういった動きに反対しているのだ」ということを伝えまくったことを覚えている。また、一般でもいろいろな動きがあった。まぁ、その結果として解放された人質を暖かく迎えるどころか、「自己責任」という罵声を上げた日本人は世界の恥さらしになり、「国家」の方が「国民」よりも遙かに、比較もできないほどに優先されるというか、「国民の犠牲」は「国益のためには当然だ」という、小泉政権や政治家たちのファシストぶりが明らかになったわけだ。国を作っている民の利益こそが国益なのに対して、「国家」を作っている政治家や権力者の利益が「国益」だとされていることに対して、まったく理解できない「国民」のあほさ加減も明白になった。犠牲にされるのは、あんたたちなんだよ。それがはっきりしたというのにな。
それはともかく、あれからも数多くの人たちが人質になり、殺害されていった。それどころか、あのイラクでは数え切れない人々が今も虐殺されているのだ。もちろん、「民主主義と自由」を「教える」そして、「導入しようとした」アメリカやイギリス、だけではなく、「自己責任宣伝」で功を奏した日本などのおかげで、本当の情報がマス・メディアで流されることがなくなり、幅を利かせているのは「大本営」のプロモーションをになう「宣伝屋」のプロパガンダ。ここ数年の大本営発表中継局、NHKなどその際足るもので、自衛隊と小泉政権の宣伝屋以外の何者でもないといったていたらくを見せている。もちろん、はなっからNHKなんぞを「ジャーナリズム」だとは思っていないので、信頼なんかしていないけど。
あの頃、後に人質にされて解放されることになった安田純平の本を読んでいるのだが、その記述や彼の講演会で最もひっかっかっていたのは、「あんたたち、日本人が人質になったからここにいるんだろ?日本人は心配でも、ここで殺されている俺たちのことは二の次なんじゃないか」ってな言葉をかけられたという下だった。 正確ではないんだが、結局「日本人が心配なんだろ。俺たちのことなんてどうでもいいんだろ?」そうんだろうなぁと、今回もそう思った。イタリア人のジャーナリストがどうなろうと、イラクの人たちが虐殺されようと、「戦争」ではないにしろ、アフリカでは毎日何百人がエイズで死んでいること、その多くが子供たちだということ、そんなことどうでもいいんだろう。自分たちだけの小さな世界で、自分たちだけが幻想の「平和」のなかで生きていりゃ、それでいいんだろうと思うのだ。
でも、我々ひとりひとりが大きな流れのなかでつながっていることを忘れてはいけないと思う。我々が海外から入ってくる「安い商品」を買うとき、そこには、低賃金で奴隷のように働かされ、人間としての生得権を奪われた人たちがいること、イラク(だけじゃないけど)で人の血が流されているとき、自分たちの税金によって「殺害のための物資」が動かされていること、そんな意味でいえば、我々は殺人の当事者であることを認識すべきなんだろうと、そう思う。
そして、それを現実のものとして認識するためには、「平和」というものを、「戦争」がない世界を作るには、私という個人と「あなた」という個人がコンタクトし、つながらなければいけないということを感じる。最も有効な平和運動はグローバルな意味での友達を作り、仲間を作り、それぞれの人たちに対する敬意の念を持つこと、尊重し合うこと以外にはないんだろうなと思う。
投稿者 hanaoyaji : 2005年02月21日 07:20